過去との決別 #143
ナザール王都の繁華街の地下にある王都一の賭博場『黄金の穴蔵』は、かつてない程の熱狂で湧いていた。
「奇跡だ! 俺達は奇跡を見てるんだ!」
「ま、まさに! これは歴史に残る瞬間ですぞ!」
賭博場の最奥の毛足の長い真紅の絨毯の敷かれた壇の周囲に集った人々は、知人友人赤の他人問わず、背中を叩き合い、手を打ち鳴らし、肩を組んで、その興奮を分かち合った。
歌を唄い出す者、外ウマの自分の木札を投げ上げる者、足を踏み鳴らし、笑い合い、雄叫びを上げ、中には感極まって泣きだす者まで居た。
大きな感動により一体化した人々の群れの中には、ポツリポツリと見覚えのある顔が見える。
ティオがこの『黄金の穴蔵』に来て初めてドミノゲームに参加した裸チップ卓でいろいろとルールを説明してくれた大工の男が、仲間達の前で自慢げに胸を叩いていた。
白チップ卓で世話になった行商の男も、盛んにヒゲを撫でながら、周囲の人間に何やら早口に喋り続けている。
赤チップ卓で途中までゲームに参加していた貴族の三男は、相変わらずキザな仕草で髪を掻き上げて、満足げに笑っていた。
そして、たまたまそばに居た人間を担ぎ上げたり手を掴んで振り回したりして大騒ぎしている大男の姿が一際目を引いた。
ボロツは、その場に居合わせた見知らぬ者達とすっかり打ち解けて、上機嫌でガッハハハと笑い声を上げていた。
□
そんな、辺りが割れんばかりの歓声で騒然とする中で、ティオは、まるでその騒音が聞こえていないかのように、チップを自分のチップ箱に整え入れると、そばに控えていた従業員服姿の小柄な老人に手渡した。
「現金に交換してもらっていいですか?」
「もちんです、お客様。ですが……」
老人は、えびす顔でシワに埋もれる程目を細め、うやうやしい手つきでティオからチップ箱を受け取ったが、少し気になる様子で、テーブルの端に並べられた黒チップを指し示した。
「そちらはいいのですか?」
「ああ、これは……」
ティオは、テーブルの端に並べていた、10枚ずつ二列に置かれた黒チップ、合計20枚をススッと10枚ずつ重ねると、手を離した。
そして、周囲に詰めかけている観客に、相変わらず緊張感のないヘラヘラした笑顔で手を振る。
それでも観客達は、ティオがこちらに反応を示したのを見て、ドワッと盛り上がった。
「皆さんに、何か好きな飲み物か食べ物を振舞って下さい。もし余るようなら『黄金の穴蔵』側で貰って下さい。」
「え? 良いのですか? かなりの金額になりますが。」
「ええ。俺がこうして黒チップ勝負に挑む事が出来たのは、皆さんの応援のおかげですしね。」
実質銀貨200枚もの価値のある黒チップ20枚をためらいなく観衆に奢ろうとする様子に戸惑っている老人に、ティオはニカッといたずらな少年のような笑みを見せた。
確かに、「1点につき黒チップ1枚」という法外なレートでゲームを行う事にオーナーが難色を示す中、観客達が「ぜひ見たい!」と盛り上がったために、『黄金の穴蔵』側としても後に引けなくなって許可を出したという一幕があった。
まあ、そんな観客達の群集心理を上手く誘導したのは、他でもないティオだったのだが。
小柄な老人もその時の事を思い出したらしく、降参ですと言いたげな顔で苦笑してした。
「後、ボロツ副団長……俺の連れのあの大柄な男が外ウマに賭けているので、ついでにそちらの方も全額現金に替えてもらえますか?」
「承知しました。しかし、金額が多いと貨幣が揃わないかもしれませんが。」
「いえいえ、その方が都合がいいです。金貨は貯めておくには便利ですけれど、普段滅多に使いませんから。銀貨や銅貨も適当に混ぜてもらえると嬉しいです。」
「では、そのようにとりはからわせてもらいます。」
「お手数掛けます。ありがとうございます。」
小柄な老人はティオから受け取ったチップ箱を手に深々と礼をしたのちに、退がっていった。
テーブルの脇に、何戦目かを数えるために並べていたチップは、別の従業員が来て回収し、観客達に酒と料理が振舞われる事が告知された。
それが知れ渡ると、奇跡的な勝負の結末に興奮していた人々は、ドッとお祝いかお祭りかといった雰囲気に変わり、また別の騒ぎが始まる。
皆口々に、壇上のティオに礼を言い、ティオはいつものようにヘラヘラした調子で手を振っていた。
「……すみません、チェレンチーさん。傭兵団の資金以外の儲けは全てあなたに渡すつもりでしたが、これは必要経費と思ってして許して下さい。……」
「 ……い、いやいや、気にしなくていいよ! ティオ君が稼いでくれたお金なんだしね。……」
振り返ったティオが声を落としてこっそり謝ってきたので、チェレンチーは、胸の高さに上げた両手と共に慌てて首を横に振った。
その時は、ティオの考えを完全には理解していなかったが、後で「円満に『黄金の穴蔵』を去るための投資だった」との説明を受けた。
他の客達や『黄金の穴蔵』側に気を使って、印象を良くするためにチップを振る舞ったという事だった。
□
「さて、ドゥアルテさん。まずは、お疲れ様でした。1マッチ20戦、長い戦いでしたが、最後までお付き合いいただけて感謝しています。」
ドゥアルテは、張りのあるティオの声が響いてきた事で、ビクッと顔を上げてこちらを見た。
それまでは、ほとんどテーブルに突っ伏すような状態で、「気分が悪い」「帰りたい」「歩けない」などと、付き添っている大番頭に子供のように愚痴を垂れていた。
結局、何度もティオから借金をして『黄金の穴蔵』からツケで借りた黒チップは、今は一枚もチップ箱に残っていなかった。
ティオが最後の一戦で、まるで計算していたかのように彼の手元にあった黒チップを根こそぎ持って行ったためだった。
結果、『黄金の穴蔵』への銀貨1500枚分のツケが丸々残った状態になり、それをどうしたものかと大番頭がドゥアルテに問うていたが、まともな答えが返ってくる筈もなく、また、商会の支払いに現金が要るという話も、同様にドゥアルテの耳には届いていない様子だった。
ティオには、まさに地獄を見せられるかのごとく散々な目に遭わされたドゥアルテは、すっかり怯えきっていたが、それでも、ティオに呼び掛けられると反射的に応えてしまっていた。
「……も、もも、もう、嫌だぞ! 俺は、もう二度とドミノなんかしない! 絶対にしない、ぞぉ!……」
「ああ、いやいや、そういう話ではなくて。……ああ、さすがにドミノ賭博が嫌になりましたか。それは良かったです。」
この最後の勝負を始める前に、チェレンチーに「もう二度とドミノがしたくなくなるぐらい徹底的に兄さんを負かしてほしい」と頼まれていたティオは、見事依頼を達成した形になっていた。
ドゥアルテのこの様子なら、本当にこの先の人生で賭博場に足を運ぶ事はなさそうだった。
「まあ、それはさておき、少し話をさせて下さい。大事な話です。お金に関する事です。」
「か、金? 金なんて、もう何もないぞぉ!」
「それは、俺も良く分かっています。」
ティオは黒い上着の胸ポケットから、綺麗に三つ折りにした紙を一枚取り出し、チップやドミノ牌一式が片づけられて広々としたテーブルの上で開いてみせた。
それはティオがドゥアルテに貸し付けた銀貨1500枚の借用書だった。
しっかりとドゥアルテのサインが入っている事をもう一度ドゥアルテに、と言うよりは彼のそばに居る大番頭に示しながら、ティオは話を続けた。
「これは、お二方もご存知の通り、この勝負の途中で俺が金を貸した証書です。これと同じものが、後六枚あるので、合計で七枚、総額銀貨10500枚となっています。」
ドゥアルテは元々金勘定が苦手な上にもうやけっぱちになっており、ティオの話を聞く様子はなかったが、大番頭の方は、積もり積もった借金の金額に改めて「ヒイッ」と青ざめていた。
「まあ、こちらはいずれ回収させてもらう事になると思いますが、今俺が話したいのはこれについてではありません。」
ティオが気を使ったかのようにスッと借用書を再び胸のポケットにしまったので、大番頭はホッと胸を撫で下していた。
実際は、ドゥアルテが作った法外な借金が消えた訳ではないのだが、目の前から見えなくなると人間は安心してしまう習性があるものだ。
ティオは、チラとチップ交換のカウンターの方を見遣り、自分が現金化を頼んだ従業員服姿の老人が、ボロツのそばで他の従業員達も手伝ってせっせと金を袋に詰めているのを確認した。
まだしばらく時間がかかりそうな様子で、その待ち時間を利用したドゥアルテ側との交渉だった。
「実は俺、欲しいものがあるんですよね。」
ティオは、借金の話をしている時の理知的な雰囲気から一転、無邪気な少年のような笑顔に変わって、ドゥアルテ達に親しげに話しかけた。
「その俺が欲しいと思っているものが、いや、俺達傭兵団が必要としているものが、ドゥアルテ商会さんにあるようなので、それを買い取らせていただきたいんです。」
「……か、買い取り、ですか? 我が商会の商品でしょうか?」
ティオは一応商会の頭取であるドゥアルテに気を遣って彼に向かって喋っていたが、早々にドゥアルテが嫌そうに手を振って「お前がやれ」とばかりに大番頭に交渉を任せてしまったので、途中からティオの話し相手は白髪の大番頭に代わっていた。
「いや、商品ではないんですが、そちらの商会がかなりの数を所有しているという情報を得ています。こちらの事情をお話しすると、もう前線に出るまでいくらも日数がない所に、ある程度の数を揃えなければならいので、すぐに必要数用意出来る交渉相手を探していた所だったんです。」
「い、一体何をお望みでしょう?」
「それはですね……」
ティオが発した言葉を聞いて、大番頭はあんぐりと口を開けたまま、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
が、ハッと我に返ると、慌てて必死に訴えてきた。
「そ、それは、お譲り出来ません! 少しばかりならともかく、そんな大量に持って行かれては、こちらの商売に支障が出ます! いや、成り行かなくなります!」
「そちらの事情も承知しています。ですが、そこを敢えて、お願い出来ませんでしょうかね? もちろん、タダとは言いませんよ。一体につき銀貨300枚出します。こちらの望みは十二体ですから、全部で銀貨3600枚になりますね。」
ティオは、ポンポンと、先程借用書をしまった上着の胸ポケットを叩きながら言った。
「支払いには、こちらの借用書を充ててもいいのですが……どうやら、そちらは現金を早急に必要としているご様子ですので、代金は全て現金で支払いましょう。銀貨3600枚、これだけあれば、かなり商売の足しになるのではないですか? ああ、こちらが買い取るものの状態が良いようなら、代金の上乗せも考えています。一体あたり最低銀貨300枚は代金として保証すると受け取って下さい。」
「し、しかし、ですね……」
「売った。いいだろう、お前に売ろう。その代わり、キッチリ金は払えよ。銀貨一枚たりとも負けないぞ。」
「だ、旦那様! ちょ、ちょっとお待ち下さい!」
「では、交渉成立ですね!」
「い、いえいえ、ま、待って下さい! 一度商会に持ち帰って、皆で話し合わなければ!」
「残念ながら、先程説明した通り、俺達傭兵団には時間がありません。今この場で決断して下さい。ここでダメだと言うのなら、この話はなかった事にさせてもらいます。」
「分かった。お前に売る。」
「ええ!? だ、旦那様、そんな軽率に返答されては困ります! こ、これは非常に重要な案件ですので、もっと慎重に検討に検討を重ねた上で……」
「フン。お前のように慎重慎重と言って結局見送ってばかりいては、何も変わりはしないぞ。決める時はさっさと決めろ。俺は決めたぞ。コイツに売って、俺は現金を手に入れる。元々商会のものは俺のものだ。どうしようと俺の勝手だ。お前は口を挟むな!」
「そ、そんなぁ……」
白髪頭の大番頭が困り果ててオロオロする前で……
「では、さっそく……」
と、ティオは、スッと先程借用書をしまった上着の胸ポケットから別の証書を取り出して、ドゥアルテに手渡した。
「内容を確認の上、サインをお願いします。それで、契約は成立です。」
「これにサインすれば、金を払うんだな? よし。」
「ちょ、ちょっと、旦那様ぁ!」
大番頭が、証書の内容を確認しようと覗き込むも、もうドゥアルテはペンを握ってティオの示した位置にサインを書き出していた。
『黄金の穴蔵』の従業員が気づいて、筆記用の小机を持ってこようとしたが、それも面倒だと断って、テーブルの端の敷布の敷かれていない部分でザザッとサインを書き綴る。
ドゥアルテは、証書に書かれた内容をほとんど確認していなかった。
数字が並んでいる所にチラと目を走らせて、ティオが提示した金額と差異がない事だけ見てとると、さっさと契約を締結するサインをしていた。
先程の勝負の間、何度も何度も借用書にサインしてきたために、「この紙に自分のサインを書けば金が出てくる」とすっかり刷り込まれている様子だった。
こうなってしまっては、大番頭も、困り顔でドゥアルテの後ろをウロウロするばかりで、なすすべがなかった。
(……兄さんの言う事は一理ある。決断するべき時に決断しなければ、千載一遇の好機を逃す事になる。ただ、その決断は、大番頭の言うように、慎重な検討の結果になされるべきであるのだろうけれど。……)
考えなしでポンポンと気分で物事を進めていく身勝手なドゥアルテと、慎重過ぎる事が優柔不断に輪を掛けている感のある大番頭は、対照的な性格ではあったが、残念ながらどちらもこの苦境を打開する能力を有していないと、チェレンチーは考察した。
彼らにとって幸いだったのは、ティオがここで、ドゥアルテの確認がおそろかなのに漬け込み、どさくさに紛れて彼らにとって不利な条件を証書に仕込んでいたりしない人間だった事だろう。
それはティオの良心や倫理観によるものと、そんな詐欺まがいの小賢しい真似をせずとも、堂々と彼らから金や資産を搾り取る事がティオには可能だったからだが……
むしろ逆に、そんなティオを相手にした事が、彼らにとっては不運だったと言える。
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☆ひとくちメモ☆
「ドミノ賭博場での目的」
元々ティオ達が賭博場『黄金の穴蔵』を訪れたのは、傭兵団の資金を増やすためだった。
途中、腹違いの兄であるドゥアルテと話をしたチェレンチーが、完全にドゥアルテ家やドゥアルテ商会と決別し、その時にティオに徹底的にドミノでドゥアルテを負かしてほしいと懇願した。
ティオはこの要望を受け入れ、そこから先は出来得る限りの金をドゥアルテから巻き上げる方針になった。




