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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第十節>長き旅路(後編)
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過去との決別 #142


「ドミノ。そして、合計10になったので、チップ10枚いただきます。」


 ティオは、ツッと自分のチップ箱から黒チップを一枚摘み取り、何戦目か分かりやすいようにテーブルの端に並べていた列の先に、また一つコトリと置いた。



 チェレンチーが予想した通り……

 ドゥアルテが「マギンズ」を受け精神的に大きな打撃を受けた12戦目以降、一気にドゥアルテのプレーは崩れていった。

 それまでは、普段は気分で適当に牌を打っている彼には珍しく、真剣に勝利をもぎ取ろうと必死に頭をめぐらせ一打一打慎重に打っていた様子がうかがえたが……

 今はもう、緊張の糸が切れてしまったらしく、メチャクチャな打牌をしては、時折唾を飛ばす勢いでティオに罵詈雑言を吐いたり、逆に髪を掻きむしりながら自分を罵ったりと、酷く情緒不安定な状態に陥っていた。


 対するティオは、そんな半狂乱ドゥアルテを前にしても、(面倒だなぁ)といった様子で少し眉をひそめる程度だった。

 そして、苦笑しながらもプレー自体は全く淀みも隙もないまま、粛々と淡々と続けていた。


「支払いのチップが足りないようですね。今までと同じように、俺から金を借りて『黄金の穴蔵』のツケを返すという事でいいんですよね?」

「……」

「はい、分かりました。では、すぐ借用書を用意します。少しお待ち下さい。」


 ティオが勝つたびに、ドワッと観客達は沸き立ち、回を増すごとにその歓声は大きくなっていっていた。

 しかし、今や沸騰しそうな程の異常な熱気に包まれた地下賭博場のその渦中の只中にあって、ティオは相変わらず飄々とした様子で、ドゥアルテに次々と金を貸し付け続けていた。


 ドゥアルテは、ティオの問いになんとかコクリと同意を示すうなずきを返すものの、一戦終わるごとにドッと重い疲労感に襲われているらしく、椅子にグッタリと体を預け深くうなだれ、浅く荒い息を繰り返していた。

 そんな状況であるので、借金をするか否かの決定権はドゥアルテ本人にあるとはいえ、とてもまともにやり取りなど出来ず……

 ティオが作成した借用書は、ドゥアルテの代わりに白髪の大番頭が受け取って内容確認の上、ドゥアルテにサインだけ書かせたのち、ティオに戻していた。

 借用書と交換で受け取る黒チップ150枚も、大番頭が数え確認して、ドゥアルテのチップ箱に詰めていた。



「……お……おい……おい、お前……」

「え? 俺ですか? なんでしょう?」


 一度、一戦が終了した時に、ドゥアルテが胸を強く押さえて荒い息の下からティオに話しかけてきた事があった。

 ギロリとティオを睨みつけようとしたのだろうが、ティオがキョトンとした顔でドゥアルテの目を見つめ返した途端、ブルルッと恐怖に身を震わせて、サッと視線を逸らしてしまった。


「……お、おま、お前、こんな事をして、楽しい、のか? おま、お前は、俺よりも……ググッ……ずっと、強いんだろう? そ、そう言ったよな?……そ、それなのに、弱い俺を、一方的に、叩きのめして、勝って、楽しいか? こ、こんな、弱い者いじめのような、意地の悪い事を、して!……」


 その発言からするに、プライドの高いドゥアルテも、もう、ティオの強さを認めざるを得なくなっているようだった。

 しかし、それでも、自分の思い通りにならなければすぐに癇癪を起こす自己中心的な性格の彼には、不満はあり余る程あるらしかった。

 十五年以上もの間、陰湿ないじめを、抵抗を許されない弱い立場のチェレンチーに対して執拗に続けていたお前がどの口で、といった内容の訴えではあったが……

 ティオは、そんなドゥアルテに対しても、一人の人間への敬意を払った対応を崩す事なく、穏やかな口調で丁寧に答えた。


「楽しいかと聞かれれば、全く楽しくありませんね。……前にも言いましたが、俺はそもそもギャンブル自体面白いと思った事がないんですよ。でも、この勝負に勝つ事は、俺に課せられた重要な役目ですからね。しっかりと自分の責務を果たそうと思っていますよ。」


「それから、俺はこの勝負が始まる時に、あなたに言いましたよね?『俺は強いですよ』と。一応、教えられる情報は開示したつもりです。それに、充分にハンデも設けましたよね?」


「……ハ、ハンデ?……」

 なんの事か全く分からないといった表情を浮かべるドゥアルテに、ティオは補足した。

 半開きのままのドゥアルテの口の端からは、もう拭く事も忘れられた涎が垂れ、間の抜けた彼の顔にいっそう愚鈍な印象を与えていた。


「この勝負、1マッチ20戦の内、一度でもドゥアルテさんが勝てば、あなたの勝利。一方俺は、20戦全て勝たなければ勝利出来ない、一度の負けも許されない。ドゥアルテさんが勝った時に、俺があなたに銀貨5000枚の賞金を支払う、というのをさて置いても、どう考えても、この勝負、あなたと俺の勝利条件に差があり過ぎるとは思わなかったんですか? こんな、明らかに自分にとって不利な条件での勝負を俺が提案したのは、なぜだと考えたんですか?」


「ああ、なるほどー。俺がたまたま運良く勝ち続けていて、調子に乗っていて、そしてバカだから、こんな無謀な勝負を挑んできたのだと思った訳ですかー。いやいや、それじゃあ、俺に利益は出ないですよね?……え? 敢えて無謀な勝負を挑んで、この賭博場の顔とも言えるあなたに勝利する事で、自分の強さを皆に知らしめたいと思っていた? ハハハ! 俺にそんな欲求は皆無ですよ。俺は単純に、損得勘定で動いていただけです。読みが外れたようですね、ドゥアルテさん。」


「『1マッチ20戦。その内一戦でも勝てばあなたの勝利が決まり、賞金として銀貨5000枚を俺があなたに支払う。』この条件なら、あなたが喜んで乗ってくると踏んで提案したんですよ。俺の利益なら、20戦の間にあなたから負け分を搾り取る事で得られます。何しろ『1点につき黒チップ1枚』というとんでもない高レートですからねぇ。1戦につき50点程勝っていくとして、全20戦で約1000点、黒チップ1000枚の利益が見込めるという訳です。あ、もちろん、現金化するには、『黄金の穴蔵』側に手数料を支払う必要はありますが。それでも、銀貨8000枚分の儲けが出る計算です。後、うちの副団長が、前もって分割しておいた傭兵団の資金を外ウマに賭けています。当然俺が勝利する方にね。その分の利益も最初から計算に入れています。」


「そう、俺は、はなからあなたに銀貨5000枚を払う気なんてなかった。俺は、この勝負に勝てる、20連勝出来る、という確信があったからこそ、この勝負を持ちかけたんですから。銀貨5000枚は、あなたを釣って、この黒チップ勝負の場に引きずり出すためのただの餌です。」


「俺の本当は目的は、この20戦であなたをとことん負けさせる事です。チップが足りなくなった時は、俺から借金をさせ、『黄金の穴蔵』側へのツケを返済させ、すぐにまたツケでチップを借りさせ、それを勝負の終わりまで延々と続ける腹積もりでした。なかなか上手い具合に事が進んだでしょう? あなたは、今まで、俺に何枚借用書を書きましたか?……え? 分からない? はあ、そうですか。まあ、あなたが忘れても、あなたがサインした借用書は俺の手元に確かにあるので、何も問題はありません。」


「まあ、そう言った訳で、この一見あからさまにあなたに有利な条件は、俺があなたを陥れるために仕組んだ罠だったという事になりますが……」

 ティオは、喋りながら、また一枚、シュッと書きあがった銀貨1500枚を貸し付ける借用書に自分の名前をサインすると、ドゥアルテのそばに控えていた大番頭に手渡した。

「まあ、しかし、あなたが今更それを知った所で、もう引き返す事は出来ませんからね。あなたは、負けたら負けた分だけ、借用書に自分の名前を書き続けなければならない。もはや、逃れる事は不可能です。だからこうして、俺も正直にタネを明かしているという訳です。……はい、さっそくサインをお願いします。」


「嫌だなぁ。そんな怖い顔しないで下さいよー。確かに俺は、あなたを罠にはめるような真似はしましたが、俺に勝てると踏んで勝負に乗ったのは、あなた自身でしょう? 自分の決断には、きちんと自分で責任を持たないといけませんよー、一人の大人として。」


「それに、さっきも言いましたが、『1マッチ20戦する内に一度でも勝てば、あなたが勝利する』というハンデをつけましたよねー?」


「俺は、自分があなたより遥かに強い事を知っていました。だから、普通にやってはあまりに不公平だと思って、ちゃんとあなたにも勝てる見込みのある条件を提示したんですよ。まあ、それでも、俺は負けるつもりはこれっぽっちもありませんでしたけれども。」


「俺は何も鬼や悪魔じゃないんですよ。……え? お前は悪魔だろうって? ハハ、酷いなぁ。まあ、ボロツ副団長をはじめ傭兵団の団員達にも良く言われますけれどもね。……でも、俺にだって良心はあるんです。俺なりに、きちんと公平を期して、その上であなたに勝つつもりで、この勝負を持ちかけたんです。それが『20戦する内に一度でも勝てば、あなたが勝利する』という条件だったんですよ。」


「ほら、普通に、20連勝するのって大変でしょう?……あー、いや、そうでもないかなぁ。弱い振りをするために、わざと時々負けたり、ぎこちない手つきで牌を倒してみせたり。それから、あなたがこの勝負まで赤チップ卓を去らないように、適度に勝たせて、他の人間に負けを集中させ、一人ずつテーブルから追い出すとか。ああいう小細工は面倒だし、あれこれ気を使うので、割と疲れるんですよねぇ。それに比べれば、今は素のままでプレー出来ていて、随分楽ですよ。あ、代わりに退屈で眠くなりますけれども。ふわぁ……おっと、言っているそばから、失礼しました。」


「さて、じゃあ、新たにツケで借り出してもらったチップから未払い分も回収しましたし、勝負の続きを始めましょうか。」

 と、うーんと伸びをしてニコリと笑うティオに対して……

 ドゥアルテは恐怖で顔を歪め、駄々っ子のようにブンブンと首を横に振った。

「アハハ。ですから、もう逃げられないんですってば。諦めてさっさと残りの回数を消化していきましょうよ。サクサク進行すれば、それだけ嫌な事も早く終わりますよ。」


「それに、まだ、ドゥアルテさん、あなたにも勝つ見込みはあるかもしれないじゃないですか。『たった一度』俺から勝てばいんです。『たった一度』ですよ。」


「まあ、俺はさっきも言ったように、これっぽっちもあなたに負けるつもりはありませんけれどもね。」


「この勝負、これまでも、この先も、決して、一度たりとも、俺は、あなたを勝たせません。全力であなたを潰します。」


「さあ、続けましょう。」



「……い、嫌だいやダイヤダ……な、なんでなんデナンデ、こんな事になった?……お、おかしいおかシイオカシイ、ダロウ?……」


「……ど、どど、どうしてどウシテ、ドウシテこんな人間が、い、居る?……つ、つつつ、つよ、強い、つよイツヨイ……か、勝てないかてナイ、お、おお、俺には、勝て、ない、ないなイナイ……」


「……い、嫌だいやだいヤダイヤダ! も、もう、嫌ダァ! いやだあアァァ!!……」


 1マッチ20戦の勝負の後半は、悲惨な状況となった。

 それまで必死に勝とうとする事でなんとか精神を保っていたドゥアルテだったが、心が完全に折れた後は、みるみる理性が崩壊していっていた。

 勝負が進むごとに正気がすり減っていき、憔悴しきった虚ろな表情で終始ブツブツ呟いている。

 時折、「ギャアアァァーーッ!」といきなり奇声を上げるので、そばに立っていた監視役の『黄金の穴蔵』の従業員が肩を叩いて注意したが、一向に直る気配はなかった。

 一戦終わるたび、ドッとテーブルに突っ伏すように倒れ込み、ゼイゼイ息を切らせてなかなか起き上がれない。

 やがてゲーム中でさえ、力の入っていないその体は、フラフラと前後左右に大きく揺れだし、大番頭と監視役の従業員の二人がかりでドゥアルテの両側に立って支える形でゲームを進行させるまでになっていた。


 そんな状態のドゥアルテではあったが、ある時、新しい一戦が始まろうとすると、バッと椅子を蹴って立ち上がった。

 テーブルの向かいで席に着いて待っているティオに、クルリと背を向け、ダッとどこかへと走って逃げようとした。

 すぐにそれに気づいて、ドゥアルテの席の後方に控えていた用心棒が駆け寄り彼を捉えようとしたが、それよりも前に、足がもつれて自らドウッと転倒していた。

 逃げようという様子を見せた事で、わらわらと四方八方から手の空いていた用心棒達が集まってくる。


「大丈夫ですか? ドゥアルテさん?」


 ティオも自ら席を立って、ドゥアルテのそばに歩み寄ったが……


「……ああ、ああぁぁぁーー!! よ、寄るな、よるナ! ああ悪魔アァァーー!!……うっ! げえぇ!……」

「ド、ドゥアルテさん!?」


 ティオの姿が視界に入った途端、ドゥアルテは目を剥いて後ずさったのち、ビチャビチャッと吐いていた。

 長く続く極度の緊張と恐怖に精神が侵され、その影響が肉体にまで及んだ末の嘔吐だった。

 ヒクヒク痙攣しながら、何度も何度も、胃の中が空になっても尚吐き続けるドゥアルテ様子を見て、心配したティオは、かがんで彼の背に手を伸ばしたが……

 その手を、チェレンチーがそっと掴んで止めた。

 こちらに視線を向けたティオに、チェレンチーは黙って静かに首を振り、彼をテーブルの自分の席まで戻させた。

 ティオは、席に着いてもまだ気になる様子で、慌てて集まってきた従業員達に囲まれているドゥアルテの姿を見つめていた。


「……大丈夫ですかね? 吐いたものの内容物のほとんどは、飲んでいたワインのようでしたが、少し鮮血が混じっていました。ストレスで胃に潰瘍が出来てしまったのかもしれません。……『黄金の穴蔵』側に預けている俺の荷物の中に、胃に効く薬草があるんですが、この状況で俺が薬を渡したら、毒だと疑われるかもしれないですよね。困ったなぁ。」

「ティオ君、気持ちは分かるけれど、君は今あまり兄さんに近づかない方がいいよ。『黄金の穴蔵』の人達に任せよう。」

「そ、そうですね。こういった状況には慣れているでしょうし。適切な対応をしてくれる事でしょう。」

「あの……それでね、ティオ君。お願いなんだけれど……」


 本気でドゥアルテの身を案じているらしいティオに、チェレンチーは眉尻を下げた困り顔で頼み事をした。


「もう兄さんが限界みたいだから、その、ちょっと気配を抑えてもらえないかな? 僕が言い出した事なのに悪いんだけどね。ティオ君のその重い気配が漂っている状態だと、兄さんは最後まで勝負に耐えられない思うんだ。」

「え? そうなんですか? それは悪い事をしましたね。すぐに抑えます。」


 ティオは、素直にチェレンチーの言葉に応じ、コクリとうなずいた。

 すると、みるみると、ティオの周りに漂っていた濃密で重厚な、まるで重みがあるかのような、かつピリピリと肌がひりつく感覚の空気が引いていった。

 気がつくと、いつものように、能天気に思える程緊張感のない雰囲気をティオはその身に纏っていた。

 もう、誰の目にも、ボサボサの髪に古びた大きな眼鏡を掛けた奇妙な見た目に反する事のない、どこか鈍臭そうで人の良さげな、妙にニコニコと愛想だけはいい青年にしか見えなくなっていた。


(……フウ。ちょっとホッとしたよ。……こんな事、ティオ君には言えないけど、実は、僕自身も結構辛かったんだよねぇ。……)


(……毒、と言うのは正しくないけれど、ティオ君の周りの空気が重過ぎて、長時間そばに居ると、ジワジワ心と身体が蝕まれていくような感じがしてたんだ。これは確かに、昔のティオ君の上司が「抑えろ!」って言うのも分かるなぁ。その人のおかげで今のティオ君があるかと思うと、全然知らない人だけど、ちょっと感謝してしまうよ。……)


 チェレンチーは、ドゥアルテのようにゲーゲーと吐く程ではないにしても、チリチリと痛みだしていた自分の胃をシャツの上からそっと撫でて労った。

 その時チラと、そばに居たティオの監視役の従業員服姿の小柄な老人と目が合ったが、彼も同じように腹をさすっており、二人は黙って苦笑し合った。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ティオの過去」

ティオが話したがらないため、謎に包まれているが、ティオの今までの発言からわずかに垣間見られる部分もある。

ティオは、どこかで事務仕事をしていた事があるらしい。

そこの上司については、彼の性格や、こき使われた事で、ティオ本人はあまり良く思っていないようだが、いろいろと影響を与えた人物であったようだ。

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