過去との決別 #141
(……七巡目で「マギンズ」を受けた事が、引き金になったなぁ。……)
(……かろうじて踏みとどまっていた兄さんの心は、あれで完全に折れた。……)
(……この勝負、もう、兄さんに勝ち目はない。……)
落ちくぼんだ目とこけた頰に浮かぶ影が一層濃くなり、乱れた髪も相まって、実年齢より一気に十歳以上老け込んだようなドゥアルテの姿を、チェレンチーは、テーブルの向かいに座ったティオの背中越しに静かに見つめていた。
1マッチ20戦中12戦目のゲームは、七巡目にドゥアルテがティオからマギンズの洗礼を受けた後も、粛々と続いた。
七巡目、後攻のティオは、ダブル牌『3-3』に『3-5』を繋げて、ゲーム開始当初、山から引いて一枚増えていた手牌を順調に減らし、残り一枚となった。
八巡目、ドゥアルテは、その『3-5』に『5-5』と繋げる。
途中、何度も山から引かされた時に手牌に加わった目の大きなダブル牌『5-5』をなんとか処理するも、既に手遅れだった。
後攻のティオが、残っていた最後の一枚である『0-4』を『4-6』に繋げて、ドミノ列の端の目は「0」「2」「3」「5」「5」となり、合計15でボーナスチップ15枚を得ると同時に「ドミノ」と宣言をして……
12戦目も、ティオの勝利で終わった。
結局、ドゥアルテは、ゲーム終了時に『0-0』『0-1』『0-6』『1-5』『1-6』と5枚も手牌を残しており、失点20。
それに、ボーナスチップ分の支出45を加えると、この一戦で、65枚ものマイナスを出す結果となっていた。
「これで十二。残り、八。」
自分のチップ箱から黒チップを摘み取り、テーブルの端に並べているチップの列に一枚加えながら、ティオは淡々とした口調でそう言った。
そして、正面に向き直ると、ドゥアルテに向かってニッコリと微笑みかけた。
「さて、ドゥアルテさん、支払いのチップが足りないようですね。……またお金をお貸ししましょうか? 先程と同じ要領でいいですか?」
「……」
糸の切れた人形のように、ぐったりと虚ろな目で椅子に掛けていたドゥアルテは、コクリと小さくうなずき、それを見たティオは、「では、さっそく借用書を作成しますね! 少しお待ち下さい!」と応えると、『黄金の穴蔵』の従業員が運んできた筆記用の小机にサッと向き直っていた。
前回、現金化を省略して、ティオの出したチップから『黄金の穴蔵』側の手数料分を引いたものをドゥアルテに渡すというという話し合いがついていたため、今回はあっさりと短時間で作業が終わった。
ドゥアルテは、茫然自失の状態で、ミミズが這ったような力ないサインをティオが作成した借用証書に記し、それと交換に黒チップ150枚を得るが、その内の35枚をさっそく、12戦目の未払いに充てる羽目になった。
チェレンチーが予想していた通り、借金の手順が簡略化された事により、借りる側であるドゥアルテの心理的抵抗が著しく低下している様子だった。
それ以前に、今の憔悴しきったドゥアルテにまともな判断が出来るとはとても思えなかったが。
□
「……わ、私は……い、いや、俺は、もう限界だ! 今すぐ、ここで、ドゥアルテ商会を辞めさせてもらいます!」
「え? な、何を言い出すんだ、君は? 辞めてどうすると言うんだね?」
ドゥアルテがティオから四度目の借金をして新たな黒チップを受け取っているかたわらで、ずっとドゥアルテの後ろに立って勝負の行方を見守っていた二人の番頭の内、四十代半ばの男の方が、ダン! と足を踏み鳴らして叫んでいた。
相変わらずぼうっとした状態で、何が起こっているのか理解していない様子のドゥアルテに代わって、総白髪の大番頭が慌てて男を引き止めるも、男はその手を険しい顔で思い切り振り払った。
「ドゥアルテ商会を辞めてどうするか? それは俺にだって分からない! ただ、このまま商会に残り続けるよりはマシだって事だけは分かりますよ!……旦那様は何を考えてるんだ? いや、何も考えてないからこんな事が出来るんだ! こんなに次々と借金をするなんて! しかも相手は、素性もしれない怪しい若造じゃないか!」
「し、しかし、金を借りない事にはゲームを続けられないのだよ。そ、それに、旦那様が勝てば、実質借金は帳消しになる上に、銀貨5000枚が手に入るのだぞ?」
「『銀貨5000枚』か。俺も、最初はその言葉に釣られましたけれどね。でも、こんなに借金を重ねて、もし、あの男が20戦全勝してこの勝負が終わったら、どうするつもりなんですか? もう、ここまでだけで銀貨1500枚の借用書に四枚もサインして、借金の合計金額は銀貨6000枚になるんですよ?」
「だ、だから、それは、これから、旦那様が勝って全部なかった事に……」
「勝てるんですか? 本当に?……どうやら、相手は相当な手練れようじゃないですか。ここまで全く歯が立たなかったのに、これから急になんとかなるとは、俺にはとても思えませんね。しかも、肝心の旦那様がこんな状態じゃあ、全く期待は持てませんよ。」
「き、君ィ、旦那様の前で失礼な事を言うんじゃない!」
「いいえ! この際だから、ハッキリ言わせてもらいますよ!」
「逆に、あなたに聞きたいですね、大番頭。これから、旦那様が奇跡的に逆転して勝利し、銀貨5000枚を手にしたとして、確かに今のドゥアルテ商会の危機を一時的にしのげるかもしれません。でも、それだけです! またすぐに金がなくなって、俺達は東奔西走させられる事になる! なぜか? それはそうでしょう、肝心の商会の頭取が、商売のイロハも分かっていない酷い指示を出すだけでなく、商会の大事な回転資金を賭博につぎ込んで、商会を窮地に追いやっているんですからね! こんな人の下で真面目に働くなんて、冗談じゃない! 馬鹿馬鹿しくってやってられませんよ!」
「なんで、俺がこんなろくでなしのためにあくせく走り回らなきゃいけないんだ! しかも、感謝も報奨金もなく、逆に罵倒されて給与を削られるなんて!……確かに、俺も先代にはお世話になりました。右も左も分からなかった俺に、商売のやり方を叩き込んでくれたのは、先代です。恐ろしく厳しかったですけれどね。しかし、今となってはとても感謝していますよ。……でも、俺が恩があるのは先代であって、跡を継いだこの馬鹿息子じゃない! 俺も、先代に恩義を感じて、ここまでコイツについてきましたがね、それも、もう限界です! このままドゥアルテ商会に居た所で、俺には、コイツと共倒れする未来しか見えません!」
中年の番頭は、溜まっていた鬱憤をぶちまけるように一気にまくし立てた後、心が決まって少し気分が落ち着いた様子で、興奮した真っ赤な顔から、憮然とした表情に変わった。
そして、改めて、ドゥアルテと大番頭の二人から離れる意味合いを込めるかのように、二、三歩後ろに退がった。
「そんな訳で、俺はここで失礼させてもらいます。まあ、期待していませんが、後日、未払いの給与と退職金の話をさせて下さい。」
「ま、待ちなさい、君!」
「嫌です! 俺には、養わなきゃならない妻と子供達が居るんだ! こんな所で潰れる訳にはいかないんだよ! 明日から、さっそく次の勤め先を探しますよ! ああ、忙しい! それでも、こんなヤツのために無駄働させられるよりは、どれ程ましか!」
「大番頭。あなたも、早めに見切りをつけた方がいいですよ。ドゥアルテ商会の肩書きが地に落ちる前に次の職場を探さないと、いい勤め先がなくなりますよ。まあ、あなたは、伴侶には死に別れ、もう子供達も巣立っていて身軽でしょうから、この馬鹿と心中したいと言うのなら、どうぞご勝手に。しかし、俺は真っ平御免です!」
まともに反論出来ないでいる白髪頭の大番頭を前に、中年の番頭は、ドゥアルテと大番頭に深々と頭を下げ「今まで大変お世話になりました」と事務的に礼を述べた後……
背筋を正してクルリときびすを返すと、赤チップ卓のテーブルのある壇上を足早に降りていった。
賭博場の出口に向かって真っ直ぐに歩いく途中、壇上の周りを取りまり巻いている外ウマの観客の壁に行き当たったが、「どけ!」と肘で押して強引に人垣を抜けていった。
(……あの人に見えた影は、一番薄かった。ドゥアルテ商会の頭取が、父さんの死で兄さんに代わってから、あの人も相当苦労したんだろうな。でも、あの人なら、他の場所でもやっていけそうな気がする。……)
チェレンチーは、自分の「目利き」で中年の番頭を見た時の事を、立ち去っていく彼の後ろ姿を黙って見送りながら思い出していた。
情に流されない冷静で客観的な状況判断や、利益と損失を素早く勘定し、それにのっとって自分の行動の指針を決めている所を見るに、いかにも商人といった人物だとチェレンチーは男を評した。
そんな所を亡き父に見込まれて、ドゥアルテ商会で商人としての経験を積み、番頭の地位まで上り詰めたのだと思われる。
これまでに身につけた技術や知識があれば、他の商会や商店に行っても頼りにされる事だろうとチェレンチーは考えた。
なんなら、ドゥアルテ商会で部外秘となっている取引先との関係や、組織運営のノウハウなどを、自分を雇い入れるのなら教えるという手土産を用意するぐらいのしたたかさが、男にはあった。
(……大番頭は、これまでの人生をずっとドゥアルテ商会で過ごしてきた人だ。忠誠心があって父さんの信頼は厚かったけれど、自立心に欠けるし頭が固い所がある。自分がトップに立つのではなくて、トップを補佐するこまごまとした事務仕事が最も得意なタイプだ。……あの人は、最後まで兄さんについていくかもしれないなぁ。歳も歳で、今から大きく生き方を変える事も難しいだろうし。まあ、それもあの人の選ぶ人生か。……)
自陣営が一人減って心細げな表情を浮かべている大番頭をしばらく見つめた後、チェレンチーは無言のまま目を伏せた。
□
「……つ、強ぇ……」
「え?」
「い、いや、あの若い兄ちゃんだよ! 見た目はあんなだけど、ドミノの腕はおっそろしく強ぇな!」
赤チップ卓のテーブルのある壇上の周りに押し寄せてきていた外ウマに賭けていてる観客の一人が、ポツリと漏らした。
それを聞いて、たまたま隣に立っていた男がいぶかしげな顔をする。
「はあ? 何言ってるんだ、お前。あの若造は単なる『運』がいいだけだろう? 太いツキの流れが来てるから勝ってるだけだろう?」
「そんな訳あるかよ! いくら『運』が良くったって、腕が良くなきゃ12連勝も出来る訳ねぇっての! さっきだって、七回連続ボーナスチップ取ってたんだぜ! そんなの狙ってやらなきゃ無理だろうがよ!」
「え、それは……いやぁ、しかし、ま、まさか……」
「俺達博徒は、ツキの流れが来てる時は、それに上手く乗る。ツキの流れが悪い時は、なるべく落ちないようにする。そういうもんだろ? それが博徒の腕の差ってヤツじゃねぇのか? だったら、ああしてずっと勝ち続けてるあの兄ちゃんは、『運』がスゲーいいんだとしてもよ、それをガッチリ掴む『腕』も持ってるって事だよなぁ!」
「……あ、ああ、まあ。……」
男の話に、いつしか、隣に居た男だけでなく、周囲の人間も耳を傾け始めていた。
すると、男は、伸びをして大きく手を振り、声を張り上げた。
「おおい、若い兄ちゃんー! 頑張れよぉー! 応援してるぜぇー!」
「お、おい! 騒ぐなって!」
隣に居た男が慌てて止めるも……
声援に気づいた壇上のティオが、軽く手を挙げてニコッと笑って応えたのを見て、叫んだ男は大興奮していた。
「おおぉ! 見たかよ、今の! メチャクチャ余裕のある顔してたよな! 点数を黒チップでやり取りしてる上に、一戦でも負けたらそこで終わりだってのに、全然肩に力が入ってねぇ! ありゃあ、大物だぜぇ!」
「それに比べて、ドゥアルテを見ろよ! なんだか死人みたいな顔色じゃねぇか? 背中も小さく丸めちまって、さっきからまるで覇気が感じられねぇぜ。ありゃ、ダメだな。あんな見た目のヤツが勝ってるのを、俺は見た試しがないぜ。」
男の言葉に周りの観衆は壇上のティオとドゥアルテを改めて観察し、中には男の意見に感心するように思わず唸っている者も居た。
隣に立っていた男が、騒いでいる男の肩を掴んで揺さぶった。
「お、おい! お前、あの若造に賭けたのか?」
「いや、俺は、ドゥアルテに有り金全部賭けたね。」
「はあぁ? なんだよそれは! なに、敵を応援してるんだよ! アイツが勝ったら、お前は全額スっちまうんだぞ!」
一人で騒いでいる男の能天気さに、やり取りを聞いていた周りの者達からドッと笑いが起こるが、本人は気にかけていない様子で、腕組みをして至って満足気に言った。
「まあ、賭けた金はもったいねぇが、こんなスゲー勝負が観れたんだ。観戦代って事にしとくぜ。……いやさ、もうここまで来たら、応援するしかねぇだろ、あの兄ちゃんをよ。」
「俺は、正直、あの兄ちゃんが20連勝して勝つ所が見てぇんだよ。今はよ。」
思い切りのいい男の発言に、隣の男も心を打たれた様子で、しばらく言葉を失っていた。
ザワザワと今までとは何か雰囲気の異なる小さなざわめきが観衆の間に広がっていったかと思うと……
チラホラと、あちこちからティオを応援する声が上がり出していた。
赤チップ卓の元に集った人々のほとんど全てがドゥアルテに賭けている状況だったが、それでも、先程の男と同じように、ティオの勝利を望む者が増えていた。
自分の外ウマの採算を度外視にしても、法外なレートの黒チップ勝負で20連勝を果たして勝利するという空前絶後の偉業をこの目で見てみたいという欲求が、人々の間でまさりだしていたのだった。
人々は奇跡を欲し、それを目撃する瞬間への期待で、少しずつ沸き立ち始めていた。
(……人は強者に惹かれる。それは、人間の本能なのかもしれない。……)
(……時に、自分より優れた者をうらやみ、自分と比べて劣等感にさいなまれる事もあるけれど、その根本にあるものは、「絶対的な強者」への憧れだ。その感情がねじ曲がると、ねたみや引け目に繋がるんだろう。兄さんのように。……)
(……ティオ君……君は本当に強いね。君の強さは、地べたを這いつくばるように生きている多くの人々の心を、暗雲に穿たれた小さな隙間から差し込む閃光のごとく、まばゆく鋭く貫く。……)
チェレンチーは、ティオという強烈な暴風をまとった存在に影響され、周囲の人々の心情が変わってゆく様子を冷静に見つめると同時に……
自身も、今まさに、ティオのその強い輝きに目の奥を焼かれるごとく、否応なしに彼に引きつけられているのを感じていた。
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☆ひとくちメモ☆
「外ウマ」
賭博場『黄金の穴蔵』では、赤チップ卓の勝負にのみ、外ウマに賭ける事が出来る。
テーブルでドミノをプレーするのは最大四人だが、誰が勝つかを予想して金を賭ける事で、他の者達もゲームを楽しめるという趣向だった。
ティオとドゥアルテの勝負では、ドゥアルテに賭けた者が圧倒的に多かった。




