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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第十節>長き旅路(後編)
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過去との決別 #140


 また、向かいの席の若い男がクスッと小さく笑った気がした。

 カッとなって、ギリっと睨みつけると、男は長い指でスッと、前回のドゥアルテの番に切った『2-6』牌を指し示した。


 ……これは、悪手でしたねぇ。……


 ……やはり、あなたは『2-6』を手牌に持っていたんですね。ともあれ、この『2-6』を四巡目に出すなら、『6-6』の分岐にではなく、俺が出した『2-5』の方でしょう。俺の手牌に「6」の入った牌がないのは、一巡目に俺が山から引いてきているので明らかです。ならば、『6-6』の分岐は、自分の手牌に他に出せるものがなくなるまで放っておいても問題ない。『2-5』を『2-6』と塞いで列の端を「6」にすれば、俺が牌を出せそうな場所を確実に一つ潰せるという利点もありますよ。……


 ……まあ、今となっては後の祭りですね。……ところで、あなたの番ですよ?……


(……う、うるさい! うるさいうるサイウルサイ!……)


 男の言っている事は、論理的かつ的を得ていた。

 ドゥアルテの手牌には、まだ『0-6』『1-6』という、二つも「6」の入った牌が残っていた。

 男の言うように、『2-5』に『2-6』を繋いでおけば、まだ一つ残っていたであろう『6-6』の分岐にどちらかの牌を出す事が出来、また『2-6』につなげてもう一つの「6」の牌も出せた事だろう。


 ドゥアルテは、この一戦の開始当初、自分の手牌に「6」の入った牌が6枚も揃っているのを見て、列の端を「6」でブロックして、相手の打牌を止める計画をぼんやりと描いていた。

 しかし、ドゥアルテの手腕では細部まで隙なく計略を巡らす事が出来ず、相手の男の手牌についても、「6」の入った牌を持っていない、というぐらいしか予想がついていなかった。

 その結果、当然と言うべきか、ドゥアルテは逆に男に列の端の目を『2』『3』『4』に絞られ、出せる牌がなくなってしまったのだった。


 ドゥアルテは、仕方なく山に手を伸ばし、裏になっている牌から一枚引いてきた。

 引いたのは……『5-5』……どこにも繋げられない牌だった。

 舌打ちをして、二枚目……『1-5』……これも出せない。

 三枚目……『0-2』……ようやく繋げられる牌が出たので、これを『2-5』の横に並べた。


 間髪置かず、向かいの席の若い男がドゥアルテが出したばかりの『0-2』に繋げて『0-3』と打ってきた。

 これにより、列の端の目の数は『3』『4』の二種類に減って、またドゥアルテは手牌に出せる牌がない状態に陥っていた。


(……クソッ! コイツ、わざとなのか?『0-2』のままなら『0』に『0-0』か『0-6』が繋げられたってのに!……)


(……うぅ……気分が、悪い……視界が、グラグラ揺れて、は、吐きそうだ……あ、頭が、割れるように、痛い……)


 ドゥアルテの前に、いや、目の前の若い男の背後に、目に見えない巨大な金属の壁がそびえ立っているかのようだった。

 それが、自ら振動し、休みなく不快な金属音をドゥアルテの耳の奥に響かせてくる。

 辺りの風景に黒い亀裂のようなものが無数に入って見え、ゴシゴシと目を擦って、なんとか、ぼんやりとだが視界を確保する。


 ドゥアルテは、冷や汗をダラダラ垂らしながら、歯を食いしばって必死に山から牌を引いた。

 一枚目は……『0-5』と、『3』『4』のどちらにも繋がらない牌だったが……

 二枚目……『1-3』が出たので、すぐに先程男が出した『0-3』に繋がるように並べた。


 他にも『3-3』や『2-3』に繋げるという選択肢もあったのだが、もう、ドゥアルテには、そんな事を考える余裕すらなくなっていた。

 ドァウルテの狭まった視野は、盤上全体の状況を把握する力を失い、ほんの少し前の出来事しか考えられず、対戦相手の男が置いたばかりの牌に引っ張られるように『1-3』牌を置いたのだった。


 またすぐに、男が、トッと『1-3』に『1-4』を繋いでくる。

 これで、ドミノ列の端の目の種類は、ドゥアルテの出した牌で『1』『3』『4』と増えたものが、あっという間に『3』『4』のみに戻っていた。


 ドゥアルテは、手牌に出せる牌がなく、三たび山から引かされる羽目になった。

 もうこの時点で、自分が勝利する可能性が果てしなく遠のいている事は自覚していたが、一度始めた勝負は必ず終わらせなければならない。

 そんな流れの中で、ドゥアルテの思考は、ゲーム開始時の積極的な攻めの姿勢から、消極的な守りの体勢へと移行していた。


(……こ、この回もダメだった、か……せ、せめて、失点を少しでも減らして、支払うチップを最小限に抑えたい……)


 ドゥアルテは、震える指先で、裏になっている山の牌を一枚取り手元に引き寄せて、描かれている数字を確認する。


 一枚目……『2-2』……『3』『4』には繋がらない。

 二枚目……『0-1』……これも繋がらない。


 もう半分以上減った山の牌が、酷く遠くに見えた。

 まるで、乾いた砂塵の舞う砂漠をあてどなく歩んでいるかのような気分になる。

 開いたままの口に、風に混じった砂が入り込んでくる錯覚に、無意識の内に肌が赤くなるまでゴシゴシと、豪華な金糸の刺繍の施された上着の袖口でぬぐった。


 三枚目……『2-4』……やっと『3』『4』に繋がる牌が出た。


 無辺の砂漠で小さなオアシスを見つけたかのごとく、ドゥアルテは小躍りし、喜び勇んで……

 前回対戦相手の男が出した『1-4』に『2-4』を継いだ。

 この時点で、他にも『4-6』という、『2-4』を置ける場所があったのだが、やはりドゥアルテの目には入っていなかった。

 しかし、幸いこの『2-4』は『1-4』に繋げる方が効果的だった。

 問題は、その利点に、ドゥアルテ本人がまるで気づいていない事だった。


 ……フウ……


 向かいの男が、小さく息を吐いて沈黙した。

 そして、次に出そうと手にしていた牌を、そっと自分の前のスタンドに戻した。


(……な、なんだ?……)


 更に、男は、先程ドゥアルテの出した『2-4』牌を視線で真っ直ぐに捉えたまま、片手で頬杖をついて静止した。

 自分の手牌を出してくる気配が全くない。

 ドゥアルテは、何事かと男の顔を穴が開く程見つめたが、男の表情に何も変化はなく、相変わらず、高額なレートで綱渡りの勝負を行なっているとはとても思えない程落ち着き払ったものだった。

 ゲームを行なっている当人でありながら、全く勝敗に興味がないかのような、一抹の執着も執念も感じさせない、むしろ、退屈でつまらないといったふうの、淡白で飄々とした様子だった。


(……な、なんだ、なんだなんダナンダ? ど、どうして次の牌を出してこない?……ひょっとして、出せる牌がない、のか?……)


(……な、なんだ、そうかそうカソウカァ! よし、よしよシヨーシ! つ、ついに、このムカつく若僧の打牌を止めてやったぞ! お、おオオ、オレオれ俺の執念が、コイツを追い詰めたんだぁ!……)


 ドゥアルテは、身を乗り出して唾を飛ばしながら、精一杯男を煽った。


(……オイオいおい! どうしたどウシタ?……さっさと打てよ! 打てる牌がないんなら、山から引いてこいよ!……ハハハ、ハは、はははハハッ!……)


 ……俺の番でいいんですよね? まあ、もう充分待ちましたしね……


(……ん? なんの事だ? 負け負けまケ惜しみかぁ?……)


 次の瞬間、ドゥルテは、予想もしなかった言葉が男の口から静かに発せられるのを聞いた。


 ……マギンズ。チップ15枚いただきます……



(……マ、マギ、ンズ?……マギンズ、だって?……)



 「マギンズ」……その言葉は「愚か者」「マヌケ」といった意味を持つ。

 このドミノゲームのルールにおいては、ボーナスチップの取り忘れを指摘する言葉だった。


 ドゥアルテが『2-4』を打った時、ドミノ列の端の目は「2」「3」「3」「3」「4」となり、合計15となっていた。

 しかし、混乱と混濁の続く意識下で、ドゥアルテは完全にそれを見逃していた。

 ボーナスチップが確定するのは、ドミノ列の端の目の合計が5の倍数になった時ではない。

 5の倍数になった牌を出した者が「端の目の合計が5の倍数になったので、ボーナスチップを貰う」と、自身の打牌でボーナスチップが取れる状態になった事を宣言しなければならないのだ。

 気づかずにやり過ごして、次のプレイヤーの順番に進むと、ボーナスチップを受け取る権利は消滅してしまう。

 それどころか、他のプレイヤーから「ボーナスチップの宣言し忘れ」を指摘される「マギンズ」という言葉を言われると、逆に取れた筈のボーナスチップ分のチップを払わなければならなくなるのだった。


 「マギンズ」は、そう叫んで指摘したプレイヤーのみがボーナスチップを受け取るというのが、巷では一般的なルールだったが……

 ここ『黄金の穴蔵』に来るような猛者達が宣言し忘れたボーナスチップを見逃す訳もないため、誰が最初に指摘したかで揉めないよう、複数人でプレーしている時は、対戦相手の誰かが指摘すれば、全員にチップを支払う決まりになっていた。

 合計5で1枚のチップを全員から貰える所を気づかずに「マギンズ」されると、逆にチップを1枚ずつ他プレイーヤ全員に払うという寸法だ。

 現在ドゥアルテは、一対一でゲームをしているため、対戦相手の男がチップを持っていく事になった。


 しかし、打牌の直後は「マギンズ」は出来ない。

 これも、牌を出した本人が宣言する前に、他のプレイヤーが「マギンズ」と言ってボーナスチップを横取りすると混乱が起こるために定められた、この賭博場独自の規則だった。

 ボーナスチップを取れる打牌をした人間が、宣言をせずに牌から手を離して大まかに3秒程経った後から「マギンズ」と言う事が出来る、というローカルルールがそれだった。


 今回、相手の若い男は、ドゥアルテの打牌後、30秒以上待ち、ご丁寧に「もう俺の番でいいんですね?」と確認までしてきていた。

 それでも何も気づかずにいたドゥアルテは、当然のごとく男に「マギンズ」を宣言され、チップを15枚支払う事になってしまったのだった。



(……マギンズ……お、俺が、マギンズ?……この、俺が?……)


 対戦相手の若い男に「マギンズ」を受けた事は、ドゥアルテの心に大きな衝撃を与えていた。


 「マギンズ」は、ドミノ賭博に浸っている者にとって、穴があったら入りたい程恥ずかしいミスだった。

 ボーナスチップの数え忘れや数え間違えは、ドミノを始めたばかりの初心者がやる事であり、熟練者は全くと言っていい程犯さない失態である。

 どんな人間にもミスはあるものだが、金の奪い合いをしている賭博場において、自分が周囲に「下手クソ」「バカ」などと思われる状況は、一般的に忌避されていた。

 ティオのように、わざと牌を倒して表を見せたり、マギンズされたりと、「自分を弱く見せる」者はよっぽどの変わり者で、大抵の人間は自分を「強者」に見せようと必死に虚勢を張っている。

 弱さを見せれば、周りの博徒達が小鼠を前にした蛇のごとく舌なめずりをし、寄ってたかって金を巻き上げようと攻めてくるためだった。


 このドミノ賭博の場において、「マギンズ」を受けるという事は、都の大路の人ごみで盛大に尻餅をついて転ぶ事以上に恥辱にまみれた行為である。

 しかも、ここは王都一の賭博場『黄金の穴蔵』であり、選ばれた強者だけが席に着く事を許される赤チップ卓のテーブルだった。

 ドゥアルテの認識において、この場所で「マギンズ」される事は、絶対にありえない事、許されない事だったのだ。


(……あ……ああぁ……)


 ドゥアルテは、指先を頭に突き刺す勢いで両手で頭部を締めつけ、低く呻いた。


 ボーナスチップを取る事は、ドゥアルテにとって、特別な意味を持っていた。

 ドゥアルテが、数ある賭博の中でもドミノに惹かれどっぷりと浸かったのは、このボーナスチップのルールがあったからと言っても過言ではない。

 ボーナスチップを取った瞬間、ドッと脳内に溢れ出す高揚感……

 ……周囲の人間を制しひれ伏させたという支配欲の充足……

 ……自分の力で勝利と金をもぎ取ったという擬似成功体験の甘美さ……

 ……実際は自分が悲しい程に凡庸であるという劣等感に悩まされているが故の、他者より優れた人間なのだという証拠を得たかのような錯覚の優越感……

 その感覚に溺れ、ほんの一瞬のまばゆさと偽りの酔いを欲し……

 ドゥアルテは、今までどれ程の金と時間と労力を、ドミノにつぎ込んできた事だろうか。

 それは、自分の人生を惜しみなく消費する事を代償に得ていた、ドゥアルテにとっての最上の宝だった。


 そんな、自分が人生の中で何よりも惹かれ欲していた宝であるボーナスチップを見逃してしまった事実は、ドゥアルテに大きな絶望を与える事となった。

 まるで、自分の体を、剣で袈裟懸けに、深く鋭く大きく切り裂かれたかのようだった。

 ……自分の生きる活力が、気力が、意欲が……

 ……自分の存在意義が……生きる意味が……傷つき、壊れ、崩壊してゆく……


(……う、うあああぁぁぁあぁーー!!……)


 ピシリ、と音を立てて、何かが割れ砕ける音が、ドゥアルテの頭の中に響き渡っていた。


読んで下さってありがとうございます。

ブクマ、評価、感想、いいね等貰えたら嬉しいです。

とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「中央大陸」

この世界で最も大きな大陸で、多くの国があり、文化的にも発展している。

特に、中央大陸の覇者と呼ばれるアベラルド皇国は、広い国土に高い経済力と最強の軍事力を持って名を馳せている。

ナザール王国は、中央大陸南東の小国群の一つである。

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