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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第十節>長き旅路(前編)
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過去との決別 #137


 チェレンチーが「少し二人きりで話をさせて下さい」と目配せすると、一体何の話だろうという疑問を顔に浮かべつつも、ドゥアルテのそばに居た番頭達は、距離を取るように大人しく離れていった。


「『最後の話』だと?」

「ええ。たぶん、この勝負が終わって店を出たのなら、僕はもう二度と兄さんに会う事はないでしょう。そんな予感がしているんです。これが今生の別れとなりそうです。」

「ハッ! ソイツはめでたいな! 昔からお前を見てるとムカついて仕方なかったんだよ、ゴミ虫野郎! これでお前とスッパリ縁が切れるかと思うと、清々するぜ!」

「まあ、そんな訳ですから、最後に兄さんと話をしておきたいと思ったんですよ。この先兄さんは、まともに話が出来る状態じゃなくなってしまうかもしれませんしね。話をするなら今しかないかなと。」

「話が出来る状態じゃなくなる? どういう意味だ?」

「……」


 チェレンチーはドゥアルテの問いには答えず、背中で腕を組んだ姿勢で、どこか遠くを見つめるように目を細めた。


「王城の一角に傭兵団の兵舎があるんです。その近くに、花が咲いていたんですよ。」

「はあ? 一体なんの話だ?」

「春になると咲く黄色い花です。その植物は、低木で茂みを作るように育ち、初春に咲く花の鮮やかで明るい黄色が春の象徴のように美しいために、この都では庭に植えて楽しんでいる人も多いようです。病害虫が少ない事から手入れが楽で、特に丁寧に切り揃えなくてもそれなりに見栄えがするのも、人気が高い理由らしいです。そうそう、独特の甘い香りも好まれています。」

「……」


 ドゥアルテは、いきなり何かの花の話をしだしたチェレンチーから完全に興味が失せた様子だった。

 元より、ドゥアルテに季節ごとの花を愛でるような趣味はなく、付き合っている水商売の女達へのプレゼントも専らドレスやら宝飾品やらの高級品を適当に選んでいた。

 そんな、まるで無視するかのようになんの反応も示さなくなったドゥアルテに構わず、チェレンチーは一人淡々と話を続けた。


「父さんが亡くなったのは、もう一ヶ月半も前の事になるんですね。なんだか、あっという間のようにも、酷く昔のようにも感じますね。」


「そう、あの頃は、季節の変わり目とは言え、寒く厳しい冬の気配が強く残り、暖かな春はまだ遠く感じられていました。」


「父さんの亡くなった日も、僕はいつものように、ベッドに横たわる父さんのそばにつき添っていました。父さんは、もう、一日の内ほんの数時間程しか意識がはっきりする時がなくなっていて、その時間も日に日に短くなっていましたよね。それでも、意識がはっきりしている時は、商会の仕事を気にして、番頭達が持ってきた報告書を僕が読んで父さんに説明したり、父さんの決定をメモして番頭達に伝えたりしていました。」


「ところがあの日、兄さんは、奥様と連れ立って父さんの見舞いにやって来ましたよね。そして、奥様は僕に街へ使いに行ってくるよう言いつけました。僕は、衰弱している父さんのそばを離れるのは心配でしたが、父さんは二人が看病してくれる事をとても喜んでいたし、奥様に頼まれたので、ほんの小一時間程屋敷を離れました。そうそう、奥様の使いの内容は、宝飾店に注文して作らせていた黒い宝石をあしらったブローチを受け取ってくる事でした。」


「そして、僕がブローチを受け取って帰ってくると、父さんはもう亡くなっていたんです。兄さんと奥様は、一通り悲しんだ後、葬儀の準備をしなければと言って部屋を出ていきました。僕は、突然の事に驚きながら、部屋に残っていた医者に話を聞いたんです。医者が言うには、医者が駆けつけてきた時には、もう父さんは酷く苦しんでいる状態で、いくらもしない内に亡くなってしまったのだそうです。まあ、あの時の父さんの容体では、いつ急変してもおかしくはなかったので、医者も寿命が尽きたのだろうと言っていましたよ。むしろ、ここまで持ちこたえた精神力が凄いと話していました。」


「そうして、医者も部屋を後にして、一人になった僕は、亡くなった父さんの体を清めはじめました。濡らした布で体を拭き、服を着替えさせようとしました。その作業の一環として、僕は、父さんの最後の苦悶の表情を、顔を撫でさする事で和らげようと思ったんです。見開いていた目に瞼を下ろし、涎を垂らして大きく開いたままだった口を閉じさせて。」


 チェレンチーは、まるですぐ目の前に亡くなったばかりの父の遺体があるかのように、手で瞼を閉じる仕草をし、続いて、片手でアゴを支えもう片手で開いた口を閉める動作をして見せた。

 そんなチェレンチーの話に、死や病にことさら怯える小心なドゥアルテは、亡くなった時の父の恐ろしい形相を思い出したのか、眉間に深いシワを刻み嫌そうに顔をしかめていた。

 やがて、こんな湿っぽい不快な話をとうとうと語るチェレンチーに我慢出来なくなったらしく、腕を振るって彼を追い払おうという様子を見せたが、その時……


「その時、僕は、ふと気づいた事があったんですよ、兄さん。」


「亡くなった父さんの口の中から、甘い匂いが漂っていたんです。そう、あれは、花の香りでした。春になると小さな黄色い花を溢れるようにつけ、独特の甘い香りを強く発する、良く知られた花です。ドゥアルテ家の庭の片隅にも、あの花木は植えられていましたよね。」

「……ま、窓から、花の匂いが入ってきたんじゃないのか? それか、母さんの香水の匂いだろう。あのババアは年甲斐もなく、いつも鼻が曲がる程香水をドレスに振り撒いてるからな。」

「それが、あの日はまだ寒くて、庭の花は咲いていなかったんですよ。それに、奥様の使っている香水には、あの花の匂いに似たものはありませんでした。あの後、葬儀の準備で屋敷中の人間が忙しく立ち働く事になりましたが、僕もその作業に追われながら、暇を見て密かに、庭の花木の状態や奥様の持っている香水の種類を確認したので、間違いありません。」

「……」


 本来なら、屋敷中が慌ただしい雰囲気に包まれている機に乗じて、チェレンチーが無断で夫人の部屋に立ち入った事を咎めるべきなのだろうが……

 そこまでドゥアルテは頭が働いていない様子だった。

 途中までは、陰鬱な話題だとしかめっ面をしていたドゥアルテが、「父の遺体から花の匂いがした」と聞いた途端、サアッと真っ青な顔になっていた。

 実は、チェレンチーは、夫人の部屋に忍び入って化粧台を調べるような事はしていなかった。

 夫人がやって来るといつも辺りに強烈な香水の匂いが漂っていたので、その匂いの種類を大体覚えてしまっていた、というのもあったが、父の遺体から独特な甘い香りを嗅いだ時に、ピンと閃き、確信のようなものを得ていたからだった。

 そして、その予想が間違いでなかった事を、今、目の前で自分の兄の反応を見て実感していた。


 チェレンチーは、少し屈んで、ドミノゲームのテーブルの前の椅子に座っている兄の耳元に顔を近づけ、声を潜めて言った。


「ところで、知っていますか、兄さん?……あの庭の片隅に植えられていた黄色い花の咲く木には、毒があるのだそうですよ。」

「……!!……」

「貴婦人の間では、有名な話だったようですね。なんでも流行りの小説の中で、主人公が自分を裏切った恋人を殺そうとして用いた事で、高貴なご婦人方の間に知れ渡ったのだとか。いえ、毒と言っても、ほんの一滴で人一人を殺す程のものではないようです。でも、もし、一度に大量に摂取したり、あるいは、体の弱っている人間が服用した場合は、不幸にも亡くなってしまう事もあるようです。」

「……」

「それにしても、不思議ですね。なぜ、父さんが亡くなった時、口の中からあの毒花の甘い匂いがしたのでしょう? あの日は、まだ庭の花の咲いていない寒い時季でしたが、僕の調べた所によると、香りを楽しむために花を乾燥させたものを売っていて、比較的簡単に手に入るらしいですね。もちろん、その乾燥させた花弁にも毒はあって、香りがいいからといって間違って煎じて飲んだりしたら大変な事になるようです。」


「もしかして……僕が使いに出て屋敷を離れている間に、誰かが父さんに、あの花を煎じたお茶を飲ませた……とか?……」

「チェ、チェレンチー!」


 ドゥアルテは、思わずドンと、強く握りしめた拳でテーブルを叩いて、バッと顔を上げ、斜め前方に立つチェレンチーを睨みつけていた。

 突然ドゥアルテが激情を爆発させたのを見て、番頭達や『黄金の穴蔵』側の監視役がビクリとするが、すぐにチェレンチーが彼らに視線を向けて、申し訳なさそうに苦笑した。

 ドゥアルテが睨んでいる当のチェレンチーが至って冷静だった事と、ドゥアルテが頻繁に癇癪を起こす人間であるのが知れ渡っていたために、皆(ああ、いつもの事か)と言った様子ですぐに鎮まった。

 何かまたドゥアルテがチェレンチーにカッと腹を立てているようだが、ただの兄弟のいざこざだろうから、下手に首を突っ込んで巻き込まれないよう、そっとしておこう、という雰囲気だった。


「……お、おま、お前ぇ! し、知って……」

「お静かに、兄さん。周りの人達に聞かれてしまいますよ。まあ、僕は、聞かれた所で、痛くも痒くもありませんが。」


 ドゥアルテは、小声でチェレンチーに諭されて、慌ててキョロキョロと周囲を見遣り、声の音量を下げた。

 周りの人間は、ドゥアルテが腹違いの弟に怒っているように思えただろうが……

 そばに居るチェレンチーには、兄の乱れた前髪が冷や汗で額に貼りつき、半開きの唇がブルブルと震えているのがはっきりと見えていた。

 そう、ドゥアルテは怒りではなく、恐怖にひきつり、動揺し、震えていたのだ。


「……な、なぜ、黙っていた?……」

「……証拠がありませんでしたから。いや、あの時集めようと思えば、いくつかの証拠は集められたかもしれません。何しろ、兄さんと奥様のやり方は、ずいぶん行き当たりばったりのようでしたから。遺体を清めていた僕が気づいてしまう程に。……でも、僕はそれはしませんでした。僕がいくら証拠を集めたところで、あの家で発言力のなかった僕の話を皆が信じてくれるとはとても思えませんでした。それに、父さんはもう亡くなってしまっていて、たとえ事実をつまびらかにしたところで、生き返ったりはしないんです。下手に騒いで屋敷の皆を混乱させるより、厳粛に葬儀を執り行って父さんを静かに見送りたいと、僕は思ったんですよ。父さんは、最後の最後まで、兄さんと奥様を大切にしていました。だから、僕が二人を糾弾する事を望んではいないだろうとも考えました。……」

「……そ、そうだそうだ! お、俺と母さんは、父さんのためにやったんだよ! 長い間ベッドに寝たままで苦しがってたからな、可哀想だと思ったんだ!……い、いや! やろうと言い出したのは、母さん、あのババアだ! お、俺は止めたんだよ! で、でも、あの強欲ババアが、どうしても早く財産が欲しいって言って聞かなかったんだ! お、俺は悪くない! 俺は何もしてない! ただ見てただけだ! 全部あのババアがやったんだよ! 毒を用意してきたのも、飲ませたのも、アイツだ! お、俺は、人が来ないかドアの所で見張ってただけだ! お、俺は、母さん、あのクソババアに逆らえなかったんだよ!……」

「……」


 ティオとの黒チップ勝負で神経を擦り減らしていた状態だったドゥアルテは、チェレンチーが予想していたよりもずっと簡単に、少し揺さぶっただけで当時の状況を自白してくれた。

 その口の軽さは、今が好機だとは思って話しかけたチェレンチー当人でさえ、内心拍子抜けする程だったが、チェレンチーは、商人らしい腹芸で一切顔には出さずにいた。



 ドゥアルテの言っている事に嘘はない様子だった。

 自分に都合の悪い事実を捻じ曲げている部分があるとすれば、「早く財産が欲しかった」のは、夫人だけでなくドゥアルテ自身も同じだった、という点だろう。

 父に毒を盛る事を思いついたのも、実行したのも夫人だというのに間違いはないだろう。

 ドゥアルテ自身は、病で死にかけている父の姿を見るのも怖がる程小心な男だ。

 自分から手を下して父の命を奪おうという大胆な発想はしないし、たとえ思いついたとしても実行になど移せない。

 やはり主犯は夫人であり、兄の方は、夫人に逆らえなかったのと、「ドゥアルテ家の莫大な財産が手に入る」という甘言に共鳴して、協力する事になったのだろう。

 まあ、チェレンチーも、兄の性格からして、それは予想していた事だったが。


 そして、四六時中父のそばについて看病や仕事の補佐をしていたチェレンチーが邪魔だったため、街に使い出させ、その間に兄を見張りに立たせた状態で、夫人が黄色い毒花を煎じた茶を父に飲ませた。

 程なく、父は毒で苦しみだした。

 健康な大人なら、一時的な嘔吐、腹痛、手足の痺れなどで済んだかもしれないが、生憎父は寝たきりで体が弱り切っていた。

 それでも、その激しい苦しみはしばらく続き、騒ぎを聞きつけ様子を見に来た侍女が慌てて医者を呼んだものと思われる。

 しかし、医者が駆けつけた頃には、時既に遅く、五分と経たず父は力尽きて死亡してしまった。


 後は、チェレンチーも知っている通りだった。

 兄と夫人は、医者とチェレンチーの前でひとしきり父の死を悲しむ振りをした後、葬儀の準備をしなければと早々に部屋を後にした。

 医者も、もう病人が亡くなってしまっては手の施しようがなく、荷物をカバンに詰めて部屋から去っていった。

 そうして、一人残されたチェレンチーは、父の遺体を清めようと作業を始め、父の口から香る、あの黄色い毒花の匂いに気づいたという訳だった。


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「ドゥアルテの母親」

元はある地方豪族の長の娘だったが、商売を広げようとしていたチェレンチーとドゥアルテの父である先代当主が、その地方での影響力と資金的な援助を期待して結婚に漕ぎ着けた。

そのため、やがて商会の方が莫大な利益を上げるようになっても、父は妻に頭が上がらない所があった。

性格は高慢かつ自己中心的で思いやりに欠け、基本的に自分以外の人間を見下している。

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