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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第十節>長き旅路(前編)
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過去との決別 #133

 

「まあ、人間つい感情的になる事はあるものですよね、ドゥアルテさん。でも、物に当たるのは良くないですよ。このドミノ牌、とても品質の良い物です。きっと専門の職人の方が一つ一つ丁寧に製作しているのだと思います。もっと大切にしなくては。」


 ティオは、ニッコリと笑って、例の『1-2』牌をテーブルの上に置き、ススッとドゥアルテの方に押しやった。


「そして、これがドゥアルテさんの残った牌ですね。と言う訳で、牌の目の合計は「3」ですから、チップ3枚お願いします。」

「……う……うぅ……」


 ティオ本人が「これは自分への暴行には当たらない」と主張し、それを『黄金の穴蔵』側の従業員服姿の老人が受け入れた事で、ドゥアルテがティオへ向かってドミノ牌を投げつけた行為は不問となる流れとなっていた。

 7戦目において、全ての打牌でボーナスチップを取った上に先に上がって勝利したティオに対して、憎悪の感情を燃やしていたドゥアルテではあったが……

 自分の短絡的な行動が招いた混乱を、なんとその憎っくき相手であるティオに助けられた形で収められ……

 今や、もう、何も言えなくなってしまっていた。

 まだ、ティオへの苛立ちは腹の中にあるものの、自分の肩に置かれていた用心棒の手がスッと引いていった事で、心底ホッとしたのも、また事実だった。


(……あ、危ねぇ。うっかり死ぬとこだったぜ。これからは気をつけないとな。……)


 さすがのドゥアルテも、『黄金の穴蔵』側の制裁の恐ろしさに身を震わせ反省した。


 とは言え、この一戦、負けた事で支払ったのはたったチップ3枚ではあったが……

 ティオに取られたボーナスチップは、合計七回「5」「10」「10」「10」「15」「15」「20」と、しめて85枚に及んでいた。

 この7戦目だけで、なんと計88枚という大量の失点を許してしまう結果となった。

 先程限度額いっぱいまでツケで借りた筈の150枚が、気づけばたったの一戦で半分以下に減っていた。

 傍目から見ても明らかなだけでなく、自分でも痛い程身に染みて感じる大惨敗であった。


(……クソッ! 後一枚だったってのに! もう少しで、俺は勝てたんだ! そうだ、もう少し、ほんのちょっとの差だった!……)


 ドゥアルテは3枚分の黒チップを自分のチップ箱から数えて取り出し、テーブルの上に置くと、向こうへと押しやりながら必死に考えていたが……

 相変わらず緊張感をまるで感じさせない、能天気に思える程飄々とした笑顔を浮かべたままそのチップを受け取った向かいの席の黒髪の青年を見た時……


(……もう少し?……もう、少し……だったのか? 本当に?……)


 ……目の前の青年を倒すには、後一枚足りなかった……

 ……わずかな差だった、ほんの少しだった、もうちょっとだった……

 そう、思考の上っ面の方ではグルグルと考えているといるのに反して、自分の心が、実感として、全くそう感じていない事にドゥアルテは気づいた。


(……勝て、ない……)


(……俺は、コイツに……勝てる気が……しない……)


(……全く……しな、い……)


 ゾワゾワと不吉な悪寒が足元から体を這い上がってくる。

 今まで確かにそこにあった筈の、毛足の長い真紅の絨毯の敷かれた床が、いつの間にか、グズグズに溶けた真っ黒な泥に変わっており、座っている椅子ごとズルズルと吸い込まれ、落ちていきそうな感覚を覚えて……

 ドゥアルテは、慌ててハッと我に返り、頭の中に満ちてくる嫌なイメージを追い出そうと、濡れた犬のようにブンブンと激しく首を横に振った。


「いやぁ、危なかったです。たった一枚の差での勝利でしたね。」


 その時、テーブルの向こうから思いがけない声が聞こえてきて、ドゥアルテはハッと顔を上げた。

 思わず真っ直ぐに目が合ってしまった、傭兵団の作戦参謀を自称するティオという青年は、相変わらずヘラヘラと笑っていたが……

 その、全く悪意のない笑みが、ドゥアルテにとっては、自分を地獄に引きずりこむ死神のように感じられ、恐ろしくてたまらなかった。


「いくらお金が欲しいからって、やっぱりボーナスチップの狙い過ぎは良くないですよねー。アハハハハ。まあ、狙い通りに上手くいってくれたので良かったですけれどー。毎回こんなふうに行くとは限りませんからねー。やっぱり、儲けを追い過ぎず、ほどほどでやめておくのが安全ですねー。アハハ。」

「……何を、言ってやがるんだ?……」

「はい?」

「狙ってやった、だって? 狙い通りに上手くいった? はぁ?……確かに、テメェは、さっきの一戦で、七回全てボーナスチップを取ってたが、そんなもの、狙って出来る訳ねぇだろうが! テメェは、ただ単に、運が良かっただけなんだよ!」

「うーん。……前にも言いましたが、俺には『運』とか『運の流れ』とかいうものは良く分かりません。俺は、そういう『良く分からないもの』『不確定なもの』に頼るのは嫌いなので、あまり考えに入れていません。……とは言え、先程の一戦で不確定で邪魔な要素がほとんど働く事なく俺の戦略が上手くいったのは、まあ『運が良かった』と言えなくもないですね、逆説的に。」

「……チッ! テメェの話は、いつも訳が分からない! わざと難しい事を喋って俺を混乱させようとしてるんだろう!」

「いえいえ、特にそんなつもりはありませんよ!……でも、そうですね……」


「逆に問いますが……ドゥアルテさんは、七回連続のボーナスチップを、全て『運』だけで取れると考えているんですか?」

「……え?」

「いやぁ、ハハハ、それはいくらなんでも無理でしょう! そんな豪運、たとえあったとしても、ここ一番、この大事な最後の黒チップ勝負の中で、ピンポイントで引き出せる訳ないですよ。まあ、少なくとも俺には不可能です。」


「だから、きちんと策略を練って、それを実行したんですよ。」


 ドゥアルテは、全身が凍てつくような冷気を感じ、カチカチと歯の根の合わない状態ながらも、向かいの席でおどけるように笑っている青年を必死に睨み据えた。



 子供の頃、夜ベッドに入ってもなかなか眠りにつこうとしないドゥアルテに困り果てた母親が、こんな話をした事があった。

 真夜中には、人知れず真っ黒な悪魔が屋根の上で踊っていて、それを見つけてしまった子供は、悪魔に連れていかれては、頭からガリガリと食べられてしまうのだと。

 だから、子供は、夜になったら早く眠らなくてはいけないのだと母親は言った。

 悪魔を見ないように、悪魔に見つからないように。


 母親は、寝つきの悪いドゥアルテを持て余して、ちょっと脅したつもりだったのだろうが、臆病なドゥアルテは、その話を聞いて心の底から恐怖に震えた。

 十五歳を過ぎる頃まで、その時母親が適当にした作り話を本気で信じており、夜が怖くて仕方なく、いつも頭から毛布を被ってベッドの中で震えていた。

 必死に、悪魔から逃げ続けていた。

 決して見つからないように、捕まらないように、息を潜めて、ジッと夜の過ぎるのを待っていた。

 それなのに……


 今、ドゥアルテは、ずっと一生懸命逃げ続けてきた夜の悪魔と、目が合ってしまった心持ちだった。

 悪魔は、確かに、夜に踊っていた。

 深い闇の中で、誰よりも、何よりも、闇そのもののような真っ黒な姿で……

 けれど、楽しげに笑いながら、無邪気な子供のように踊っていた。



「……ぜ、全部、お前の計算だった、だと? むしろその方が不可能だろう! 狙って七回も連続でボーナスチップが取れるものか!……」

「どうやら、ドゥアルテさんは、計算というものを舐めていますね? 俺がしている計算は、あなたがぼんやりと想像しているような、そんな大雑把なものではありませんよ。……さすがに全てボーナスチップを取ろうとしたら、そうですね、針に糸を通すような精密かつ正確無比な計算が必要となります。もちろん、大前提として、出来うる限りの情報収拾と情報分析は欠かせません。俺は、それだけの下準備と綿密な計算をして、この一戦の勝ち筋を描いていたんです。そして、そんな自分の判断を信じて、実行に移した。……言い換えるなら、お互いが山から牌を引き終えてこの一戦が始まった時、既に俺は、七回ボーナスチップを取って勝利する事を確信していた訳です。結果、その通りになりましたね。」

「……」


 ドゥアルテは、相変わらず飄々とした態度のティオの、一見淡々としている言葉をそのまま飲み込んでしまいそうになったが……

 慌てて、夢中で反発した。


「……つ、つまり、それがお前の言う『強さ』だって事か?『運』なんかじゃなく、実力で勝ってきたって事なのか?」

「そうです。」


 勢い込むでもなく、茶化すでもなく、ただ事実をありのままに伝えるかのようなティオの静かな肯定を、ドゥアルテは声を裏返らせて精一杯笑い飛ばした。


「……ハハ……ハハハハハッ! こりゃあいい、なんでも思いのままってか?」


「じゃ、じゃあ、教えてくれよ、天才プレイヤーさんよぅ!」


 バン! と大理石のテーブルの上に設置された木製の天板を叩くように手を置いて立ち上がり、もう片手でビッと向かいの席のティオを指差しながら、ドゥアルテは言った。

 声は震え、必死に虚勢を張った表情も半ば恐怖と驚愕が入り混じって、酷い歪みようになっていたが。


「お、お前、この赤チップ卓に来たばっかりの頃は、ずいぶん負けが混んでたよなぁ? そうそう、いっときは手持ちがたった赤チップ2枚になった事もあったっけ? そ、それから、この前のマッチだって、後半の4戦は全部お前の負けだったぜ?」


「本当に、お前がドミノの腕が良くて、ずっと『実力』で勝ってきたって言うんなら、あんな事は起こらないじゃねぇのかよ? え?」


 「フム」と、ドゥアルテの問いに、ティオは腕組みをして顎に手を当て、少し考える様子を見せた。

 (やっぱり、さすがに言い逃れ出来ないか!)と、片頬を引きつらせて醜い笑みを浮かべたドゥアルテに、ティオは静かに語り始めた。


「うーん、なんて説明したらいいんでしょうかねぇ。……まあ、とりあえず、局所局所を見て考えてはダメですよ。いや、細かい所をじっくり見るのも大切な事ではあるんですがね、まずは全体像を掴まなくては。物事の全体を常に頭の一番真ん中に置いて、そこから根や枝葉を伸ばすように細部を見るんです。葉っぱ一枚、枝一本見ただけで、あなたには大樹の全てが分かりますか? まあ、世の中には、何気ない葉っぱ一枚というほんのわずかな手がかりからも、全体像をかなり明確に推測し描き上げて把握する人も居る事は確かですが。」

「……は、はぁ? 一体なんの話だ? ま、また、俺を、口先で煙に巻こうとしてやがるのか?」

「ですから……俺は、確かに、負けた場面もありました。ドゥアルテさんの言うように、赤チップ二枚になった事もあったし、先程のマッチでも後半はずっとあなたに負けていました。そこだけ切り取ってみれば、俺は負けてばかりのさぞ弱いプレイヤーに見える事でしょうね。」


「でも、俺のプレーは、そこだけではなかった筈ですよね。」


「赤チップ二枚になったり、1マッチの後半の4戦全て負けたり……そういう状況は強烈ですからね。人の記憶に強く残るんです。そして、俺が『弱い』という印象を植えつける。実際、先程のマッチで、後半あれだけ俺に勝っていたからこそ、ドゥアルテさんは、『今は俺にツキがある。勝てる流れが来ている。こんなヤツ相手に20戦中1戦でも勝てば銀貨5000枚も貰えるなんて、美味い話だ。』そう、考えた訳でしょう?」


「しかし、そこまでの戦績を改めて考えてみて下さい。この最後の1マッチが始まる前の時点で、俺の手元には、赤チップ換算約2750枚のチップがありました。つまり、総合的に俺は勝っていた訳ですよ。」


「今晩、この赤チップのテーブルに座った人達が次々賭ける金がなくなって去っていったのを、ドゥアルテさんも覚えていますよね? まあ、中には、所持金が尽きる前に切り上げるという賢明な判断をした方も居ましたけれども。でも、みなさんこのテーブルを去る時は、もれなく負けていた。スタート時をプラスマイナスゼロとすると、全員マイナスの結果だった訳です。」


「一方で俺は、今もこのテーブル席に座っています。なぜか? 答えは簡単ですよね? 俺が勝ったからです。……この席に座った時に赤チップ50枚、途中で足りなくなって更に赤チップ50枚を現金と交換しましたが、さっきも言ったように、この1マッチが始まった時点で、俺の所持していた赤チップは約2750枚です。手持ちの現金をつぎ込んだ100枚を差し引いても2650枚分は、このテーブルに座ってから稼いだ事になります。……ね? 俺は、ちゃんと勝っていたでしょう?」


「ギャンブルは、結果が全て。違いますか? 途中で一時的に大勝しても大負しても、最終的に儲けを出した者が勝ちです。そう言う意味で、俺は『勝者』なんですよ。」


「……よ、要するに、戦績にかなり浮き沈みがあったが、今までは運良く勝ってたって話だろ?」

 ドゥアルテが、ティオが遠回しに明かしている戦略を、まさに先程の言葉通り「大樹の一葉しか見ていない」思考で返答してきたので、さすがのティオも困った顔で、しばしポリポリと頰を掻いていた。

「んー……まあ、もう、いいか。これが最後の勝負ですし、この勝負が終わるまで、あなたはこの場から逃げられない訳ですしね。」


「一言で言うと、俺はわざと負けていたんですよ。」


 ニッコリと笑ってサラリと白状したティオに対し、ドゥアルテは信じられないといった様子で、目を剥いて食ってかかってきた。


「わ、わざと? な、なぜだ? そんな事をする意味が分からない! お、お前の言っている事は嘘だ! お前は嘘つきのクソ野郎だ!」

「自分が理解出来ないものを、全て『嘘』だとか『悪』だとか、すぐそう決めつけてかかるのは、良くないと思いますよ、ドゥアルテさん。」


「うーん、まあ、俺にもいろいろ考えがありましてー。……例えば、さっきの1マッチの後半で負け続けていたのは、主にあなたをこの最後の勝負に誘い込むためですよ。あれだけ俺が負け続けていれば、あなたは、しばらくこのまま自分が勝てると考えるでしょう?『運』が自分に味方している、そう思ったでしょう?」

「……お、俺にこの勝負をさせるためにわざと負けていた、だって?……じゃ、じゃあ、赤チップたった2枚まで減らしたのも、わざとだって言うのか?」

「ええ。」

「は、はあぁ? 残りたった2枚まで一回チップを減らして、そこから逆転するなんて、そんな綱渡りみたいなプレーがわざと出来る訳ないだろうが!」

「出来るからこそ、やったんですよ。実際、俺はあの状態から一転、勝ち続けてここまで儲けた訳ですしね。」

「で、出来たとしても、だ! お前の言ってる事は、嘘に決まっているが、たとえそんな事が出来たとしてもだ、何の意味がある? そこまでの危険を冒す必要なんてないだろう! 自由自在に勝ったり負けたり出来るって言うなら、ずっと勝っていればいいだけだろうが!」

「チップを残り2枚まで減らした理由はいくつかありますが、まあ、少なくとも、あれで俺が『初心者がビギナーズラックで勝ってきただけで、ドミノの腕がいい訳じゃない』と思ったでしょう? 俺を舐めて油断してくれると、こちらとしてもやりやすくなりますからね。他の理由は、まあ、秘密って事で。」

「ひ、秘密?」

「あまり勝ってばかりいると、いろいろ都合の良くない事もあるんですよ。適度に負けつつ、総合的には勝って、コツコツ儲けを積んでいく、というのが俺の描いていた戦略でした。俺は、ただその計画通りに打っていただけです。」

「か、勝ち続ける事の、何が良くないって言うんだ? 適度に負ける理由が、まるで分からないぞ!」

「だから、それは秘密ですってば。好きに想像して下さい。」


 ティオはニッコリ笑って、そこで思わせぶりに話を切り上げた。


「事実、俺は勝つべき所はきちんと勝ってきましたよ。……ほら、実際今だって、俺は20戦中1戦でも負けたら終わりという条件な訳ですから……」


「ここまで全て勝っているでしょう?」


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「黒チップ」

賭博場『黄金の穴蔵』で使用されるチップは、何も色がついていない「裸チップ」、白く塗られた「白チップ」、赤く塗られた「赤チップ」、そして、黒く塗られた「黒チップ」の四種類がある。

裸チップ1枚は銅貨1枚と同等の価値があり、同様に、白チップは銅貨10枚、赤チップは銀貨1枚、黒チップは金貨1枚の価値がある。

※金貨1枚は、作中では日本円換算10万円相当の設定です。

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