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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第九節>最後の盤上
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過去との決別 #123


 結局、自分の取るべき行動が勝負を続ける以外にない事を悟ったドゥアルテは、ティオに金を借りて『黄金の穴蔵』のツケを返済する決断をした。

 ドゥアルテの付き添いである番頭達二人も、不安で顔を青ざめさせながらも、彼の後ろで黙って見守っていた。


「まあ、正直、金を借りる相手は、俺の他に選択肢がないんですよね。何しろ、銀貨1500枚も一度にポンと貸してくれるような人間は、この賭博場の中に俺以外居ないでしょうし。おまけに、俺は利子は一切取りませんから、お得ですよー。」


「ただし、借用書はきちんと書いてもらいますよ! 後で『金など借りてない!』とか言われても困っちゃいますのでー。……と言う訳で、ちょーっとお待ち下さいねー。今、ササーッと借用書を作っちゃいますー。」


 ティオはそう言いなが、自ら一旦席を立って、壇上の隅に邪魔にならないよう置かれていた、筆記用の小型の机を「よいしょっ」と持ち上げた。

 慌てて、ティオの後ろに控えていた小柄な老人をはじめとした『黄金の穴蔵』側の従業員が手伝って、机を中央のテーブルのティオの席のそばへと持っていく。


「紙を買いたいのですが。後、ペンの使用代とインクの代金もまとめて支払います。」

 ティオは、黒チップ以外の端数のチップが入ったチップ箱の中から赤チップを取って提示したが……

「い、いえいえ! 代金は必要ありません。これはサービスとさせていただきます。」

 と、従業員服姿の小柄な老人が慌てて止めてきた。

「いやぁ、それは申し訳ないですからー。……それに、こんな事を言うのもなんですが、一見の客である俺が、この賭博場相手に、あまり借りを作りたくないのですよね。」

 しかし、ティオはそれを断り、少し問答があったのち、結果老人が折れて、赤チップ一枚を受け取っていた。


(……ああ、そう言えば、ティオ君がこの勝負のルールを記した証書を作成した後に「また使うかもしれないので、置いておいて下さい」と言って、従業員達があの筆記用の机を片づけるのを止めたのだっけ。……あの時点で、もう、チップが無くなった兄さんに自分が借用書を書いて金を貸す状況を予想していたのかぁ。……)


 再び小型の机に向かい、『黄金の穴蔵』側から買い上げた上質な紙の上にスラスラと羽ペンを走らせるティオを、チェレンチーは納得するようなあっけにとられるような気持ちで見つめていた。

 チラと、借用書の作成を待っている小柄な老人と目が合うと、かの老人も同様の事を考えていたようで、二人はなんとも言えない苦笑を無言で交わした。



(……さて、今回ティオ君が作成している借用書だけれど……これは、先程書いた「この勝負のルールを記載した書類」とは訳が違う。……貸し借りした金の金額、契約がなされた日付、そして、契約した両者のサイン。これらが揃っているとなると、これはナザール王国の法律にのっとって正式な「借用書」と見なされる。つまり、あの証書があれば、こちらは正当な権利として借金を取り立てる事が出来る訳だ。……)


(……まあ、正式な借用書があっても、「今は金がない」と言って、実質支払いを逃れようとする人間は多いんだけれどね。そして、兄さん達はティオ君をなめてかかっているから、おそらく踏み倒す気満々だろうなぁ。だから、こんなにホイホイと無防備にティオ君から金を借りてしまう訳だ。……)


 「取り立てる時に相手がそれに素直に応じるか」という問題はあったが、ティオは、確かに、ドゥアルテに金を貸し付け、借用書にサインをさせる事に成功していた。

(……まあ、取立てに関しては、ティオ君の裁量に任せるしかないよね。後でちょっと話を聞いておこう。……)

 と、チェレンチーは考え、その場では口を挟まずにおいた。


「では、こちらの内容を確認の上、サインをお願いします。」


 ティオは、書き上げた書類のインクが乾かぬ内から、「文字に触れないように気をつけて下さいね」と注意の言葉と共に、テーブル越しにドゥアルテに手渡した。

 ここまで、机に向かってから、ものの一分とかかっていなかった。

 従業員達が、ドゥアルテがサインをしたのち、再びすみやかに筆記用の机を壇上の隅へと片づける一方で……

 ティオは換金後「銀貨1500枚」になるように、自分のチップ箱からチップを出してテーブルに並べた。

 手際良くかつ分かりやすいように、黒チップ188枚を10枚ずつ積み上げて置き、それを従業員服姿の小柄な老人が、数を確認の上、銀製の盆に乗せて換金用のカウンターに持っていく。

 程なくして帰ってきた時、盆の上の内容は、金貨150枚と端数の赤チップ5枚に代わっていた。

 ティオはその内赤チップ5枚を自分の、赤、白、裸チップ用のチップ箱へと戻し、金貨150枚はドゥアルテのサインが入って完成された借用書と交換で彼に受け渡した。


 しかし、ドゥアルテが、ティオから借りた金貨150枚を手にとって喜ぶいとまはなかった。

 すぐにまた、『黄金の穴蔵』のツケの清算のために、従業員服姿の老人によってドゥアルテの元から持っていかれる事になったからだった。


「これで、ドゥアルテ様が当賭博場から借りていたツケは全てなくなりました。そのため、新たにツケでチップを借りる事が可能となりましたが、どうされますか?」

「か、借りるに決まってるだろう! さっさと黒チップを持ってこい!」

「いか程お持ちいたしましょう?」

「当然、限度額いっぱいだ!」

「承りました。では、黒チップ150枚をご用意いたします。少々お待ち下さい。」


目を血走らせたドゥアルテの叫びに、一旦は少し後方に離れていた番頭二人が、慌てて小走りに寄ってくる。


「だ、旦那様!」

「うるさい! どうせまたゴチャゴチャ文句を言いに来たんだろう? 勝負をするのは、俺だ! お前らはいちいち口出しするな!」


「それに、どうせ俺が次の一戦で勝てば、ツケなんてすぐに返せるんだよ! 一度でも俺が勝てば、この勝負は俺の勝ちだ! そして、銀貨5000枚が手に入る! そうだろう?」

「た、確かに、その通りでした! 次こそは、きっと勝てるに違いありません!」

「分かったのなら、さがっていろ! そばでチョロチョロされると気が散るんだよ!」

「は、はい! どうか、頑張って下さいませ!」

「フン!」


 白髪頭の大番頭は、また大量のチップをツケで借りようとするドゥアルテを止めに入ったものの、結局は「一勝して銀貨5000枚が手に入れば全て問題は解決する」と言うドゥアルテの言葉に納得して、祈るように老いた手を擦り合わせながら後方に戻っていった。

 一方で、四十半ばの小太りの番頭は、どこかもう呆れ果てたような諦めてしまったような顔で言葉を発する事なく、ドゥアルテと大番頭のやり取りを見届けた後、冷めた表情のまま黙って元の位置に帰った。



(……兄さんが一気に限度額いっぱいまでチップを借りたのは、対戦者であるティオ君への対抗意識もあるんだろうけれど……ちまちまと負け分の支払いに足りない分だけ借りるのが面倒だったんだろうなぁ。……)


 と、チェレンチーは、ティオの後ろで体の前で手を重ねるいつもの体勢ジッと立ったまま、静かに考察していた。

 こういう、金銭に対する意識が大雑把なのは商人として致命的な欠点なのだが、その点に関しては細かい筈の番頭達がついていても、ドゥアルテ本人が全く言う事を聞かないのだからどうしようもなかった。


(……と言うか……これまで『黄金の穴蔵』にジワジワとツケを溜めていて……それを、今晩一気に返済して……そしてまた、限度額いっぱいまで借りて……こんな事をしていたら、兄さんでなくても、感覚が狂うな。……)


(……しかも、現在進行中のゲームは「1点につき黒チップ1枚」という常識外れの高額レートだ。実際、ゲーム開始時兄さんの手元にあった162枚の黒チップは、たったの三戦で溶けてしまった。……そこへ、ティオ君が気軽に銀貨1500枚を貸し、『黄金の穴蔵』側でも、ツケが完済された事で、また快くツケでチップを貸してくれるようになった。……)


(……借りる、使う、借りる、返す、借りる……しかも、一回に動く金額が非常識な程大きい。こんな事を続けていたら……いや、もう既に、か……)


(……兄さんの「タガ」は、外れてしまっている。……)


 おそらく兄はまだ気づいていないのだろう、とチェレンチーは思った。

 チェレンチーからは、もうドゥアルテの足元には、大きく底の見えない泥沼が広がっているように感じられていた。

 粘度の高い真っ黒な泥は、とうにドゥアルテの足を飲み込み、ジワジワと脛から膝、膝から太腿へと這い上がってこようとしている。

 自分がそんな状況に居るのだと気づいていたら、恐ろしくてとても正気を保っていられないだろう。


 フッと、この赤チップ卓の壇上で、財産の多くを失った地方の地主の姿がチェレンチーの脳裏に思い出される。

 彼も、ティオの忠告で正気に戻るまでは、目を血走らせ、息を荒げて「次だ! 次こそは勝てる! 早く次のゲームをしよう!」とのめり込んでいた。

 四方八方真っ暗な闇に取り囲まれていると言うのに、本人だけは、輝かしい幻の光を見つめて、いつになっても手の届く事のないそれを夢中で追いかけていた。

 そして、この闇の沼を進むたびに、彼の持っていた大切な「何か」が零れ落ちていく事に気づいていなかった。

 それは、金銭や資産にとどまらず、人間関係や、正常な精神、理性などにも及び……人間として生きるために大事なものであるとも言えた。

 自分の人生を、命を、人間性を、賭けてゲームを続け、そして、ゲームを続ければ続ける程、それらを擦り減らしていく。


(……あの地方の地主の男は、ティオ君の標的じゃなかった。だから、ティオ君は、必要以上に彼の人生が壊れてしまうのを案じて、完全に闇の沼に落ちてしまう寸前で彼の手を掴んで引っ張り上げてくれた。……)


(……でも、兄さんが相手では、ティオ君は一切助け舟を出さないだろう。今回ばかりは、手加減も、容赦も、全くない。……)


(……元々兄さんは、ティオ君の標的だった。この賭博場に来る前から、カモとして金を搾り取ろうと計画を立てていた相手だ。……)


(……それに加えて、僕がティオ君に頼んでしまったからなぁ。この機に徹底的に兄さんを潰して欲しいと。……)


(……ティオ君は、本来はとても優しい人だ。争いを嫌い、戦いを厭い、自分が人を傷つけるのも、人が傷つくのを見るのも、好きじゃない。……それでも……)


(……一度「やる」と決めたら「やる」のが、ティオ君だ。……)


(……僕に出来るのは、後はもう、見届けるだけ。兄さんがこの先どんな目に遭うとしても、僕は、最後までここで、目を逸らさずに見つめ続けよう。……)


 チェレンチーは、『黄金の穴蔵』からツケで借りたチップがドゥアルテの手元に補充された事で、3戦目の未払いの負け分が粛々とティオに支払われる様を、沈黙を保って後方からジッと見つめていた。


 残っていた42枚の黒チップに、足りなかった黒チップ8枚が、新たに借り出したばかりのチップの中から追加され、合計50枚の黒チップがティオの手に渡った。

 そして、二人は仕切り直した所で、いよいよ4戦目が開始された。


「おおっ! ようやく再開したぞ!」

「もう4戦目かぁ。……そろそろ勝って、決着つけろよ、ドゥアルテぇ!」

「いけぇー!」

 ゲームが再開したのを知って、壇上を囲んでいる観客達が、各々外ウマの木札を握りしめドッと盛り上がる。


 ツケとは言え、手元に約150枚もの黒チップがある事で精神的に勢いを取り戻したドゥアルテは……

 不摂生で黄ばんだ目をギラギラと光らせながら、ドミノ牌を力強く打ち出してきた。

 後ろで見守る番頭達も、拳を握りしめ、前のめりで彼のプレーを食い入るように見つめる。


「ドミノ。」


 ティオは、自分のチップ箱から黒チップを一枚摘まみ取り……

 テーブルの端に並べていた三枚の黒チップの続きに、トンと置いた。

 それは、ゲームが再開されて、十分と経たない間の出来事だった。


「これで四つ、と。後、十六ですね。……まだまだ先は長いなぁ。ペース良く行きましょう! さ、次、次!」


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「ティオの筆記能力」

王都の中流階級以上の人間がかろうじて文字が読めるぐらいの水準である中で、ティオの筆記能力は、幼い頃から英才教育を受けてきたチェレンチーが舌を巻く程に高かった。

何種もの書体を使い分け、複雑な飾り罫を模写してみせた事もある。

どこで学んだのかと尋ねると「独学です」との返答が返ってきた。

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