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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第九節>最後の盤上
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過去との決別 #122

 

「……ど、どうするんですか、旦那様? 本当にあの青年から金を借りるつもりなんですか?……こんな事を言ってはなんですが、今日会ったばかりのあんな怪しい風体の子供を信用するのは、ちょっと……」

「……う、うるさい! そんな事は俺だって分かってる!……し、しかし、負け分のチップを支払う決まりを破ると、この賭博場から罰せられるんだよ!……」

「……い、いえいえ、ここは一つ彼から借りておきましょうよ! 快く貸してくれると言っているのですから!……その金でこの賭博場のツケを払い、彼への負け分を払い……そして、今夜はここでドミノ遊びはやめるべきです!……」

「……何を言っているんですか、君は。ここで勝負をやめたら、銀貨5000枚が手に入らなくなりますよ? たった一回あの子供に勝つだけで、銀貨5000枚ですよ? それがなかったら、明日からの商売をどうしたらいいんですか?……」

「……い、いや! これは、何か酷く嫌な予感がします。銀貨5000枚を得るために、ここで銀貨1500枚もの借金をするなんて、本末転倒じゃないですか?……更に、この先なかなか勝てずに勝負が長引いて、また彼から借金をする事になったとしたら?……な、なんだか、底なしの泥沼に足を突っ込んでいるような気がするんですよ! わ、悪い事は言いません! 今日はこの辺で切り上げておきましょう! もろもろの借金は、後日ゆっくり片づけるという事で!……」


 ドゥアルテが、3戦目の負け分のチップの支払いを巡って、ティオから金を借りようとしている所に、慌てて番頭達が駆けつけてきた。

 右から左からドゥアルテの耳に盛んに囁きかけていたが、彼らも必死なために、その抑えているつもりの声は、もはやハッキリと、チェレンチーや更に後方の従業員服姿の小柄な老人まで聞き取れる大きさになっていた。



 チェレンチーが分析するに、どうやら、ドゥアルテ、大番頭、番頭の三人は、それぞれ意見が違うようだった。


 まず、ドゥアルテは、『黄金の穴蔵』の制裁を恐れて、とにかく負け分のチップを店のルールに従ってティオに支払いたいようだった。

 そのためには、ツケを一旦全て返済する必要があり、その資金としてティオから金を借りる事もやむなしとという方向に心が揺れている。

 ドゥアルテがためらっているのは、自分より二十歳も年下の若造で、みすぼらしい貧乏人とバカにしていたティオから金を借りるのが自分のプライドに障る、という部分だけと言って良かった。

 借金をする事自体には、実はドゥアルテはあまり抵抗がない。

 金などいくら借りてもその内返せばいいと思っており、当然その手続きや金策は、番頭達に丸投げする腹づもりだったからだ。


 反対に、すっかり白髪だらけになった大番頭は、ティオから金を借りる事に抵抗があるようだった。

 理由は今夜初めて会ったばかりのティオについて、どのような人物か良く知らず、そんな信用のない人間から大金を借りるのは危険なのではないか、というごく一般的な不安からだった。

 一見まともな思考をしているように見えるが、良く発言を整理してみると、この大番頭は、ドゥアルテ商会の資金繰りのために、ドゥアルテにこのまま異常な高レートのドミノゲームを続けさせて、なんとか銀貨5000枚を手に入れたいと考えている事が分かる。

 どうやら、20戦もすればその内1戦は間違いなく勝てるだろうと踏んでいるようだった。

 その希望的観測による甘い見通しが一番の問題だと、チェレンチーは内心思っていた。


 もう一人、大番頭と共に、ドゥアルテに命令されてドミノ賭博用の資金を集めてきた四十代の小太りの番頭がその場に居たが、彼が現状に一番危機感を持っていた。

 チェレンチーが「目利きの能力」で観察した時に、三人の中で最も暗い影が薄かった、要するに、悲惨な未来に陥る可能性が低いと思われる人物だった。

 彼は、まだ、ドミノゲームがどのようなものか完全に理解していないながらも、この高レート勝負の異常さを肌感覚として気づき始めている様子だった。

 そこで、現在とりうる最善策として、賭博場のルールを守って現在の負け分を支払ったら、勝負を途中で降りて早々に撤退しようと、ドゥアルテと大番頭に必死に働きかけていた。

 もはや「20戦中一回でも勝てば銀貨5000枚」という、ティオが彼らの目の前にぶら下げた餌が、借金やツケを重ねる事で、最初に思った程旨味のあるものではないと目が覚めたようだった。


 しかし、現状、ドゥアルテと大番頭がまだティオの「銀貨5000枚」の餌にガップリと食らいついており、もう一人の番頭の意見は劣勢だった。

 また、中年の番頭は、ティオから金を借りる事に関してはとても肯定的だったが、チェレンチーはその理由を内心怪しんでいた。


(……たぶん、ティオ君が、社会的な地位や権力を持っていない、なんの後ろ盾もない若者だと見て、借金を踏み倒せると思っているんだろうな。……)


 チェレンチーがドゥアルテ商会で働いていた時、しっかり約束を交わし証文まで書かせても、借りた金をいつまで経っても返さない輩が一定の割合で存在していた。

 酷い時は、いつの間にか夜逃げをしてしまっていて、慌てて行ってみると、住居はもぬけの殻、人間は他国に出国済みという事さえあった。

 ドゥアルテ商会は、ナザール王国を代表する大商会であったため、商会の頭取であるチェレンチーの父が訴えれば、ある程度役人や兵士に動いてもらえたが、そのために「寄付」「献上」という形で王国の権力者に袖の下を渡す必要がままあった。

 それでも、多少の出費はしても、持ち逃げされそうになったもっと多額の金は取り返す事が出来たし、ドゥアルテ商会を騙して金を盗む事は無理なのだと世間に知らしめる効果もあった。


 しかし、それは、チェレンチーの父親が、ドゥアルテ商会の代表として、日頃からナザール王国の有力な貴族や官吏と積極的に交流を持ち、彼らに物品や資金などを融通して、太いパイプを作っていたから可能だった事である。

 確かに、どこの馬の骨とも知れない一傭兵であるティオには、借金を踏み倒された場合対処する方法はないように思われた。

 こちらの立場が弱いと見れば、いくら証文を書かせたからと言っても「今はちょうど手元にまとまった金がないので」「忙しいため後日また」といったような調子で、のらりくらりとかわそうとしてくるだろう。

 小太りな中年の番頭は、嫌な意味で商人として有能だとチェレンチーは思っていた。


(……まあ、正直、兄さんも、他のドゥアルテ商会の幹部達も、ティオ君からいくら多額の借金をしたとしても、それを素直に返すとは思えないんだよねぇ。……)


(……その辺、ティオ君はどうするつもりなんだろう?……まあ、ティオ君の事だから、確実に金を回収する算段があるからこそ、こうして自分から金を借りる事を、熱心に兄さんに勧めているんだろうけれど。……)


(それに……)

 と、チェレンチーは、彼らの思考の、また全く別の部分に、大きな穴がある事に気づいていた。

 当然それはティオも気づいているに違いなく、それどころか、彼らの話を立ち聞いた格好になってしまった従業員の制服姿の小柄な老人が、数歩前に進み出て、彼らに指摘しようとしてきた。


「俺から話しますよ。」


 そんな老人の動きを察していたらしいティオが、スッと手で老人の動きを遮って、穏やかな口調でそう言った。

 老人はティオの目を見ると、コクリと一つうなずいて、再び元の位置まで後退した。


「ドゥアルテさんも、お付きの方達も、何か誤解があるんじゃないですか? いや、大事な事を忘れている、と言った方がいいでしょうかね。」



「この1マッチ20戦のゲームは、途中で終われませんよ。」


「勝敗が確定するまで、絶対に続ける事になっています。」


 ティオは、背筋を正して真っ直ぐにドゥアルテに向かい、穏やかながらもハッキリとした口調で語った。


 相変わらずティオの態度は終始折り目正しいものだったが……

 このゲームが始まってから、いつもは極力抑え込んでいる自分の気配をチェレンチーの助言で解放した事によって、こうして静かに話しているだけで、ビリビリと辺りの空気が震えるような威圧感がほとばしっていた。

 チェレンチーの亡き父親は、ティオのように他人を気遣って柔和な態度をとるような人間ではなかったが、いつも無意識に強烈な存在感を発していたのを、チェレンチーは少し懐かしく思い出していた。

 今のティオから発散されるそれは、父よりも何倍も濃密かつ強烈な印象だった。


「途中で負けが込んできたからといって降りる事は出来ません。逆に、もう充分に勝ったからといって中止する事も出来ません。だって、ゲームの途中で『やっぱりやめた』なんて出来たら、自分に有利な場面でゲームを勝手に終わらせられるじゃないですか。それは、どう考えても不公平でしょう? そんなもの、とても勝負とは呼べませんよ。」


「この1マッチ20戦のゲームは……ドゥアルテさんが1戦でも勝って勝利するか。あるいは、俺が20戦全て勝って勝利するか。……とにかく、このゲームの勝敗が、勝者と敗者が、確実に決まるまで、決して終わる事はありません。」


「その事は、一番最初に確認した筈ですよね?……『この勝負は、一度始まったら、勝敗が決するまで絶対に降りる事は出来ない』……そういう決まりを定めましたよね?」


「フフ、ドゥアルテさんだって言ってたじゃないですか。『もう1マッチやろう、もう1戦やろうなんて、絶対に言わせない』って。正真正銘、これは一回こっきりの勝負で、そして、この勝負の決着がつくまで、あなたも、俺も、逃げ出す事は出来ないんですよ。」


 ティオは、その気配と話の内容に圧倒されているドゥアルテと、彼に寄り添うように身を竦めている番頭達にそう言い切ると……

 ふと思い出したように後ろを振り返った。


「当然、先程このゲームのルールを記した書類にも、この事はしっかりと記載してあります。ドゥアルテさんも、そちらのお二方も、充分内容を確認したのちにサインをしてこちらに書類を渡した事と思います。……何なら、もう一度確認しますか?」


 既に展開を読んでいたらしい従業員服姿の小柄な老人が、阿吽の呼吸とも言うべきタイミングで、懐から証書を取り出し、再びテーブルに歩み寄ってきた。

 番頭達二人が真っ青な顔になって身を乗り出したので、更にテーブルを周ってドゥアルテ陣営に近づき、書類を手渡す。

 ドゥアルテも気にはしているようだったが、簡潔にまとめられてはいるものの、読んだ所で理解が追いつかないので、番頭達の向こうからチラとのぞく程度だった。

 対照的に、番頭達二人は、交互に書類を手に取って、かぶりつくような勢いで内容を確認していた。


 それは、このドゥアルテとの最終戦に先んじて、特殊なルールでゲームが行われるため、途中で混乱のないようにと作成した証書だった。

 ティオが内容をまとめて筆記したものを、『黄金の穴蔵』側の従業員服姿の老人がチェックを入れ、不備がない事を承認した上でドゥアルテ側にも手渡され、ドゥアルテがサインをしたものであった。

 その時点でも、番頭達が隅々まで目を光らせていたのだが、どうやら勝利報酬の「銀貨5000枚」の部分に注意が偏り過ぎていて、「一度ゲームを始めたら勝敗が決するまで終われない」という重要な文言を軽く読み流していたようだった。

 改めて書類に目を通した番頭達の顔色が、哀れな程蒼白なものへとみるみる変わっていった。


 この、先程作成したばかりの書類は、ナザール王国の法律的には拘束力はなかった。

 しかし、『黄金の穴蔵』の中では、オーナーが認めた証書として絶大な効力を発揮する。

 しかも、書類の形式は綺麗に整えられ、ティオとドゥアルテのサインもなされており、両者の合意が得られているのを否定するのはもはや不可能だった。

 この証書がある限り、『黄金の穴蔵』側は、この賭博場を仕切る立場としての強制力を持って、この証書の内容に沿ったゲームを実行させる責務を負っていると言える。


 要するに……たとえ国の法とは異なるとは言え、この賭博場内においては、一度こうして正式に約束を交わしてしまった以上、証書の内容をしっかりと履行しない事には、一歩もこの店から外に出られない、と言う訳だ。

 誓約に反して、途中でゲームをやめて立ち去ろうなどとすれば、すぐさまいかつい用心棒達に取り囲まれ、元の壇上のテーブルまで引っ張ってこられて席に座らされ、ゲームの続行を強要される事になるだろう。

 実際、ドゥアルテの逃走を危惧したティオが、先手を打って従業員服姿の老人に頼んだために、現在ティオとドゥアルテ両者のすぐそばには、帯刀した用心棒が立たっていた。


「だから、さっきも言ったじゃないですか。もうこの勝負は、俺達だけのものではないと。」


「今や、外ウマにも多くの人が金を賭けています。中には全財産つぎ込んだ方も居るでしょう。まあ、俺の所の副団長とチェレンチーさんもですが。……こんな状況で、今更勝負をなかった事にする事も、途中でやめる事も、不可能なんですよ。『黄金の穴蔵』側に、多大な迷惑が掛かってしまいますしね。」


 ティオの口調は相変わらず飄々と軽やかながらも……

 この状況で『黄金の穴蔵』が、この勝負の中断や破棄を絶対に許しはしない事を匂わせていた。

 もし、約束を破ったのなら、『黄金の穴蔵』側から下されるであろう非情な制裁を想像し、ドゥアルテと番頭二人はこぞって恐怖で顔を歪ませ冷や汗を垂らす。


 そんなやり取りを、壇上の片隅で専用の豪華な椅子に腰掛けたオーナーが鋭い眼光で見つめていた。


「なんだなんだ? 勝負の続きはまだか?」

「どうしてゲームが止まっているのだ? こちらは大枚叩いて外ウマに賭けているんだぞ。早く再開してもらわねば困る。」


 テーブルの置かれた壇上の周囲に集った観客達の、不満げな声も聞こえてきていた。

 ザワザワと不穏なざわめきが大きくなってゆくこの状況に、ドゥアルテも番頭達も、キョロキョロと辺りを見回してひたすら焦り怯えていた。


 しかし、いくら後悔した所で、もう後の祭りであった。


 ティオは、従業員服姿の老人が証書を丁重に丸めて懐にしまい、再び後ろに退がるのを待って……

 まるで何事もなかったかのような、能天気な程明るい笑顔で言った。


「さぁ! と言った訳ですから、さっさとツケを返済して、チップを借りて、勝負を再開しましょう、ドゥアルテさん!」


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ティオの瞳」

深い森の奥を思わせるような落ち着いた緑色である。

チェレンチーの印象では、煌めきに満ちたエメラルドではなく、独特の柔らかな光沢を持つ翡翠のようである。

もっとも、ティオは常時分厚い古ぼけた眼鏡を掛けているため、彼の瞳をじっくり観察するのはなかなか難しい。

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