表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第九節>最後の盤上
257/445

過去との決別 #121


「ああ、ちょっと分かりにくかったですかね?」

「わ、分かりにくいとかいう話じゃねぇ! お前ごときが、銀貨1500枚なんて大金をどこに持ってるって言うんだよ!」


 ドゥアルテは、見るからに質素な身なりのティオの発言を、大言壮語と嘲笑ったが……

 ティオはスッと自分のチップ箱に手を伸ばすと、先程従業員が持ってきた空のチップ箱にいつの間にか満タン近くまで貯まっていた黒チップを何枚か指で摘んでドゥアルテに示した。


 そう、ティオの前には、元からあった黒チップ用の三箱のチップ箱に加え、四箱目が並べられいた。

 ゲーム開始時、ティオは赤チップ2750枚分を黒チップに替え275枚持っていたが、そこに新たに得たドゥアルテの約100枚の黒チップが加わったため、三つでは入りきらなくなり四つ目まで使う事になったのだった。

 まだ先程の3戦目の50枚分の受け取りが済んでいないので、これが更に増える予定であった。


「俺には、ほら、ドゥアルテさんから支払われた黒チップがありますから。これを現金に替えれば、銀貨1500枚は充分にありますよ。」


「これをお貸ししますので、それで『黄金の穴蔵』へのツケを全額返済して、そして新たなツケでチップを借りて、3戦目の負け分をキッチリ俺に支払って下さい。」


「あ、当然の事ですが、俺がこれからドゥアルテさんに貸す銀貨1500枚は、俺とドゥアルテさんの個人間の借金になります。正式な借用書を直ぐに作成しますので、確認してサインをお願いします。」


 ドゥアルテは、ティオの説明に一応は耳を傾けたものの、主に感情面で納得がいかない様子で、顔を真っ赤にして噛みついてきた。


「俺がお前から金を借りるだぁ?……冗談じゃねぇぞ! 死んでもお断りだぜ!」

「まあまあ、落ち着いて下さい。ドゥアルテさんの気持ちも分かりますが、しかし、ドミノゲームの負け分はキッチリと耳を揃えて支払うのが、ここ『黄金の穴蔵』の鉄の掟でしょう? もし、アナタがいつまでも支払わないという態度を変えないつもりなら、俺はこの店の客として『黄金の穴蔵』側に、アナタの『ルール違反』を訴える事になりますよ。この店でルールに反した人間がどういう扱いを受けるのか、常連のアナタなら良く知っているでしょう?」

「……う、ぐっ!……」


 ドゥアルテは、自分の背後に立っている剣を腰に提げた男と、同じようにティオの後ろに控えている用心棒を交互に見遣り、ギリギリと奥歯を噛み締めつつダラダラと冷や汗を流し続けた。


 確かに、ドゥアルテは、もう人生の半分以上の年月を賭場で過ごしてきており、その間何度か、イカサマやチップの偽造などで『黄金の穴蔵』側に凄惨な制裁を受けた者を目撃していた。

 『黄金の穴蔵』は、ルールを守って綺麗に遊び気前良く金を落としていく客には下にも置かないうやうやしいもてなしをする一方で……

 借りていたツケを返せなかったり、揉め事を起こして賭博場の施設を破壊したりといった客に対しては、恐ろしく冷酷で、家屋敷ごと没収して素っ裸で都の大路に放り出すような対応を見せていた。


 そんな様子を、ドゥアルテは今まで、全く自分に縁のない出来事と思ってきた。

 見せしめに店の真ん中で身ぐるみを剥がされて裸で土下座させられ泣いて詫びている大の大人の男者達を、他の客同様ゲラゲラ笑って酒のネタにしていたのだったが……

 そういった『黄金の穴蔵』の制裁が、ひょっとしたら自分の身に及ぼうとしているのかも知れない……

 そんな想像が初めて頭の中にうっすらと浮かび始めたドゥアルテは、カタカタとテーブルの下で膝が震え出していた。



「そんなに心配しないで下さい、ドゥアルテさん。」


 低くも良く通るティオの声は、ことさら優しい声色と相まって、恐怖に染められようとしてたドゥアルテの頭の中に、まるで天から光の差すごとく燦然と響き渡った。


「この勝負、全部で20戦する内に一戦でもあなたが勝てば、それで勝利が決まるんですよ? そして、あなたが勝利したら、この勝負においてそれまであなたが俺に払っていたチップは全てあなたに返す事になっています。つまり、それまでの負け分は、全てチャラになるんです。……まあ、俺が20戦全て勝った場合には、あなたには20戦分の負け分を払ってもらう事になりますがね。あなたは、俺がまず『20戦全勝する事はない』と踏んでいるのでしょう?……だったら、何の問題もないじゃないですか!」


「あなたがこの勝負に勝利すれば、20戦中一戦でも勝てば、あなたが負け分として支払ったチップは全て返却される。という事は、つまり……まあ、手間はかかりますが、俺からいくら金を借りていたとしても、結果的にその金は全て返す事が出来るんですよ。要するに、借金なんて全部なかった事になる訳です。おまけに、あなたが勝利すれば、俺はあなたに銀貨5000枚分のチップを別途支払う制約もしています。」


「それから、あなたに金を貸すと言っても、俺は利子は一切取りません。……有り体に言ってしまうと、あなたに金を貸す事で、俺はあなたとこの先もこの勝負を続けられる訳ですから、俺にとっても有益なんです。俺はあなたを助けるために、慈善事業で金を貸すのではありません。あくまで自分のために、自分の利益のために、金を貸すのです。……ドゥアルテさんは大商人ですよね? だったら、これが、お互いに利のある取引だという事が良く分かると思います。」


 ドゥアルテの説得に入ったティオの弁舌は鮮やかだった。

 一見ドゥアルテにとって都合の良い点ばかりを並べ立てているように見えるが、決して嘘はついてはおらず、自分の権利もしっかり混ぜ込んで語っている。

 説明は、あまり教養のないドゥアルテにも分かるようになるべく平易に、それでも理解出来ない部分は、(なんとなく大丈夫そうだな)と思い込ませて押し通す雰囲気を漂わせていた。

 ティオの持つ圧倒的な求心力はそのままに、相手の心理を良く把握し、相手の立場に立って、親身に丁寧に、常に柔らかな笑顔でもって語りかける事で、スルスルと相手の頑なな心に入り込んでいく。

 人たらしな性分と口の上手さが相乗効果を醸し出すという、第三者の冷静さを持ってはたから見ているとむしろ恐怖さえ覚える手腕だった。


 しかし、ティオにジッと見つめられ切々と話しかけられている対象のドゥアルテは、(このまま負け分のチップを支払わないと『黄金の穴蔵』から制裁を受ける)という恐怖に駆られた心理状況にあるために、ますますティオの術中にはまっていった。

 窮地で自分に手を差し伸べてくるティオが、まるで救いの神のように思え始めている。

 ティオは、ドゥアルテの説得に「飴」と「鞭」を上手く使い分けていたが、「鞭」を『黄金の穴蔵』に設定する事で、自分を完全に「飴」に見せかけていた。


(……今の兄さんには、「チップが払えないなら、またツケでチップを借りられるように、俺が金を貸しましょう」と言ってきているティオ君が、先の見えない暗闇に差す一筋の光のように見えているのかもしれないけれど……)


(……そのティオ君こそが、兄さんを取り巻いている暗雲を生み出している元凶なのだって、まるで気づいていないよね。……)


(……ティオ君は、決して兄さんの味方なんかじゃない。……兄さんを、経済的にも心理的にも、どん底に突き落とそうと企んでいる、兄さんにとって最大の敵なんだよ。……)


 二人のやり取りをティオの後方で黙って見守っていたチェレンチーは、心底ティオが自分の味方で良かったと思っていた。

 ティオの甘言と洗脳の巧みさに、畏敬の念を持ってただただ舌を巻くばかりだった。



 一方でチェレンチーは、頭の中のソロバンを弾いて、実際にティオがドゥアルテに金を貸す事で発生するであろうこまごまとした事務的な手続きを計算していた。

 もちろん、自分の腹違いの兄が、そういった細かい確認を怠り、「なんとなく」という雰囲気で取り引きを進めるだろう事を予想していた。


(……まず、兄さんが『黄金の穴蔵』へのツケを全て返済するには、銀貨1500枚が必要だ。それをティオ君が貸す事になると、今ティオ君の手元に現金はないから、当然、稼いだチップを換金する事になる。客同士でのチップの貸し借りは『黄金の穴蔵』側の規則で禁止されているからだ。……)


(……そして、チップを現金に替える時に、手数料として『黄金の穴蔵』側に二割持っていかれる。つまり、ティオ君が兄さんに銀貨1500枚を貸すために必要となるのは、赤チップ1875枚。黒チップなら、不足のないようにすると、188枚は要る計算になる。つまり、黒チップ38枚が手数料として無くなってしまう。結構な出費だけれど、ティオ君と兄さんの間でチップを貸し借り出来ない以上、これは必要経費として飲まなければならない。……)


(……もし、兄さんが勝った場合、ティオ君から個人的に借りていた金は、ティオ君が賞金として支払う事になっている銀貨5000枚から支払えばいい。それでも足りない場合は、ティオ君が返却したそれまでの負け分の黒チップを換金して支払う事なるだろう。こちらも、当然手数料で『黄金の穴蔵』側に二割持っていかれる事になる。銀貨1500枚分の借金を返したいなら、黒チップ188枚使う訳だ。まあ、手数料分の損失なんて、兄さんの頭にはまるでないんだろうなぁ。こちらとしても、万が一にでも負ければ確実に破産する訳だから、負けた時の損失なんて、考えるだけムダだなんだけれどね。……)


(……問題は、この勝負にティオ君が勝っても、兄さんに銀貨1500枚を貸し付けると、それだけで黒チップ38枚が手数料で無くなるという点だ。……)


 チェレンチーは、自分の前にある、黒い上着に身を包んだティオの背中をジッと見つめた。

 ティオの心中を図る事は、いくら目を凝らして見た所でチェレンチーには到底叶わなかったが、ただ、彼なら、この状況下でもきっとなんとかしてくれるだろうという、頼もしさと信頼感を感じていた。


(……当然、ティオ君は、そんな事は良く理解しているだろう。兄さんに銀貨1500枚を貸し付けると、黒チップ38枚分の損失が出るという事を。……でも、それでも敢えて、これだけ熱心に金を貸し付けようとしているのは、ここで兄さんに金を貸す事で、ゆくゆくもっと大きな利益を見込んでいるからだ。黒チップ38枚分を補って余りある利潤をだ。……)


(……ティオ君自身が説明したように、ここで兄さんが負け分のチップの支払いを拒否し、『黄金の穴蔵』側から規約違反として強制退場を命じられたら、この勝負が今ここで終わってしまう事になる。それは、兄さんが恐れる状況でもあるけれど、ティオ君としても望んでいない結末だ。……)


(……ここまでの三戦で、ティオ君の儲けは、まだ黒チップ170枚。……たぶん、ティオ君が想定している、「勝ち」は、こんなもんじゃない。どうにか、兄さんを、この黒チップ卓と化したテーブルに縛りつけて、きっちり20戦付き合わせ、その20戦の間に搾り取れる限りのチップを、金を、資産を、搾り取るつもりに違いない。そして、その利益は、兄さんに銀貨1500枚を貸し付ける事で発生する黒チップ38枚分の損失を大きく上回ると予想される。……)


(……とは言っても……兄さん側も、宿敵である相手プレイヤーのティオ君から借金をしてまでゲームを続行するという綱渡りのような状況だけれど、ティオ君だって、この先一戦でも負ければ、今までの勝ち分が一瞬で消えて、逆に莫大な借金を抱えるという、今にも崩れそうな崖の突端を慎重に息を潜めて歩いているような状態な訳だ。……)


(……お互い、自分の首に縄の掛かった死のゲーム。……負ければ、その瞬間に足元の床が開き、穴の中に落ちて、首が絞まる。一巻の終わりだ。……そばで見ているだけで胃がキリキリ痛むような、限界の勝負が続いていく。……)


(……金銭感覚がすっかりザルになっている兄さんでも、そろそろこの状況を理解し始めているんじゃないかな? だとしたら、あの人一倍小心な人が、いつまでこの異常な緊張感に耐えられるだろうか?……)


 チェレンチーは、テーブルの向こうで顔を青くしたり赤くしたりしながらキョロキョロと落ち着きなく視線をさまよわせているドゥアルテの姿を冷めた目で見つめ、続いて……

 ドゥアルテとは対照的に、ゲーム開始から何も変わらず飄々とした態度で腕を組んで、ドゥアルテの返答を待っているティオに視線を向けた。


(……本当に、ティオ君の神経はどうなっているんだろう? 見た目に反して図太いと言うか、恐ろしく肝が座っていると言うか。この状況下で、動揺も焦りも恐怖も、全く感じられないままだ。……)


 チェレンチーは、のんきにふわぁっとあくびをしているティオに苦笑しつつ、心の中でドゥアルテに語りかけた。

 今となっては完全に自分の敵となった腹違いの兄に、実際に声に出して忠告する気は更々なかった。


(……兄さん、分かっているんですか? ギャンブルは、もちろん、運も腕の良し悪しも大事ですけれど、実はかなりの部分、精神的な強靭さが勝敗を左右しているんですよ。……大金の賭かった強烈なプレッシャーにさらされながら勝負を続けていく内に、緊張や興奮や怯えで冷静さを失ってしまったら、きっと悲惨な事になりますよ。そんな理性が崩れて生まれた隙を、ティオ君は決して見逃してはくれないでしょう。……そう、この勝負、兄さんの心が折れたら、たぶん、そこで、ティオ君の勝利が決まる事でしょう。……)


(……きっとこれが、兄さんにとって最後のドミノゲームになるんでしょうね。せいぜい、今まで自分が浸ってきたギャンブルという行為の、底なし沼の恐怖を味わってほしいと思いますよ。どうか、精一杯あがいてみせて下さい。……)


(……頑張って下さいね、兄さん。……もちろん、僕は、ティオ君を応援しますけれども。……)


読んで下さってありがとうございます。

ブクマ、評価、感想、いいね等貰えたら嬉しいです。

とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「チェレンチーの容姿」

やや痩せ気味で身長は平均的だが、ふっくらとした頰が特徴的な童顔であるため、一見少し太って見える。

髪は灰金色の柔らかな巻き毛で、大人しそうな雰囲気と共に、実年齢(27歳)以上に若く見える要因となっている。

ちなみに、その見た目は、チェレンチーの父を知る人間が初見で彼の息子である確信する程に、とても良く似ている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ