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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第九節>最後の盤上
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過去との決別 #120


「えーっと……ドゥアルテさんの残った手牌は『3-3』『3-4』『3-5』『4-4』『5-5』『5-6』なので、ピッタリ50点ですね。……黒チップ50枚いただきます。」

「……うっ!……」


 ドゥアルテは、分かってはいたものの、敢えて自分のチップ箱に入っていた黒チップを一枚一枚箱から出しながら数えていった。

 10枚でひと塊りにして、その塊を、一つ、二つ、三つ、四つ……

 しかし、そこまでだった。

 もう、五つ目の塊を作るだけのチップが、ドゥアルテのチップ箱には残っていなかった。

 パラパラ、と、残った二枚のチップを、ドゥアルテは唇の端を歪めて、テーブルの上に落としてみせた。


「チップが無くなった。残念だが、今回の勝負は、俺の負けのようだな。」


 そう、もう2戦目の負け分を支払った時に、ドゥアルテのチップは、100枚入るチップ箱の半分を明らかに切っていたのだ。


 この最後の1マッチが始まった時、ドゥアルテは『黄金の穴蔵』側からツケで限度額いっぱいまでチップを借り、二箱のチップ箱を手元に置いていた。

 二箱の内、一つは100枚満タンに黒チップが詰まっており、もう一つには62枚の黒チップと端数の赤チップが何枚かある状態だった。

 それが、たった3戦で見事に空になり、更にはマイナスに転じてしまっていた。


 ティオからこの1戦の負け分が「黒チップ50枚」だと聞いて、足りない事を知っていたドゥアルテはギクリとしたが、これはもうどうしようもない状態だった。

 無い袖は振れない。

 払える黒チップが無い以上、この勝負を続けるのは不可能だとドゥアルテは判断し、渋々自ら敗北を宣言した。


 誰かに負かされる悔しさは確かに感じていた

 子供のように我儘で自己中心的なドゥアルテは、こんなふうに大敗すると決まって癇癪を起こしていたが……

 しかし、この時は、どこかホッとしている感覚が胸の奥にあった。


 一見ヘラヘラした緊張感の欠けらもない能天気な若造に見えるティオから、テーブル越しでもビリビリと感じられる強烈な威圧感は、小心者のドゥアルテにとっては、居心地悪い事極まりなかった。

 それに加え、今までしていたいかにも初心者といった演技をやめた事で、ティオの打牌は鋭さを増し、ゲームのスピードが一段も二段も上がっていた。

 迷いなくスパスパ手牌を切り出し、洗練された手つきで矢継ぎ早に牌を場に並べてゆくティオのリズムに、いつしかドゥアルテはすっかり乗せられ、流れを止めるような熟考をせず、その場の勢いでなんとなく次々と牌を切ってしまっていた。

 自分のテンポでゲームが出来ていないという不快感は、ますますドゥアルテのプレーを大味の隙だらけなものへと劣化させていた。


 そして、何より、ポンポンと続けざまに高額のボーナスチップを取ったかと思うと、いつの間にかスルッと全ての手牌を出し切って上がっているティオの常人離れしたゲームプレイ振りに……

 気がつくと、ドゥアルテは、意識の表面では否定しつつも、心の奥底では恐怖を覚え始めていた。

 ティオがボーナスチップを取るたびに、ズキリと心臓が痛むような心持ちがする。

 先に上がられて点数を読み上げているのを見ると、息が苦しくなって喉を掻きむしりたくなる。

 果ては、ティオがただトンと牌を切っただけで、ビクッと身が竦み、たまたま目が合ってニコッと笑いかけられただけで、ドッと背中に気持ちの悪い汗が噴き出してきた。


 ドゥアルテには、ティオという人物と彼から感じる異様な気配を、上手く自分の頭の中で分析し言葉にして把握する事は出来なかったが……

 それでも、(……何かがマズイ……ヤバイ……)という危険な感覚だけは、プツプツとドゥアルテの肌を泡立たせていた。

(……一秒でも早く、この場を離れたい! 離れなければ!……)

 そんな無自覚の怯えが、ドゥアルテにすんなりとこの勝負における負けを認めさせていた。

 負けた事が悔しくない訳ではないが、(これで、この恐怖と苦痛から解放されるなら、いっその事負けても構わない)そんな気持ちになっていた。

 

 この勝負に勝ったのなら、ティオから銀貨5000枚分のチップが貰えるという約束だったが、それは諦めた。

 また、この勝負のために注ぎ込んだ『黄金の穴蔵』からツケで借りた銀貨1500枚相当にあたる赤チップも返せないままとなってしまうが……

 それについては、追い追いどうとでもなるだろうとドゥアルテは特に危機感をいだいていなかった。

 生まれた時から金で苦労をした事のない彼は、番頭達に任せておけば、商会の運営で適当に稼いでくるだろうと、実にぼんやりとした希望的観測をしていた。


 既に、後方でドゥアルテのゲームを見守っていた番頭達が何か苦情を言い募ってきそうな気配を感じていたが……

 負けてしまったものは仕方がないと、テーブルの上にドミノ牌やチップを散らかしたまま、さっさと椅子を引いて席を立とうとした。



「待って下さい、ドゥアルテさん。」


 と、すかさずティオの声が追ってきた。

 逃げ出そうとするドゥアルテを、目に見えない鎖で黒チップ勝負のテーブルに縛りつけようとするかのごとくに。


「ああん? なんだ? 支払いのチップが足りないってか? ハッ! お前も小せぇ男だな!……足りないのは黒チップ8枚分か。まあ、その内払ってやるよ。今日は手持ちがもうねぇんだよ。見れば分かるだろうが。」

「この3戦目の支払い黒チップ50枚をきっちり支払ってもらうのも当然ですが……俺が言いたいのは、そうではなくて……」


「勝負はまだ終わっていませんよ。」


 テーブルに肘をついて指を組み、ニッコリと笑ってそう言うティオに、ドゥアルテは内心ゾクゾクと恐怖を感じながらも、表面上は訳が分からないといったふてぶてしい態度をとっていた。


「一体どこに行こうというのですか、ドゥアルテさん?」

「ど、どこに行こうと俺の勝手だ! お前にとやかく言われる筋合いはない!」

「そういう訳にはいきません。当然の権利として、口は出させてもらいますよ。……まあ、この勝負の決着がつくまではどこにも行けない、と言うか、この『黄金の穴蔵』から一歩も外には出られないと思いますけれどね。ドゥアルテさんだけでなく、この俺もですが。こんな、店中の客や従業員までも巻き込んでの大勝負の途中で退出するなど、『黄金の穴蔵』側が許してくれる筈ないでしょう? 外ウマにだって、たくさんの人が大金を賭けているんです。……もう、この勝負は、あなたと俺だけのものではないんですよ。」

「……そ、そんなのは、俺の知った事じゃない! 周りが勝手に盛り上がっただけだろうが!」

「……フウ……まだ状況を理解していないようですね。困りましたねぇ。……本当はこんな事はしたくないんですが。」


 ティオは、わざとらしく大袈裟に肩を竦めてため息をついた後、後ろを振り返って自分を監視していた従業員の制服姿の小柄な老人にニコニコ明るく話しかけた。


「すみませーん。もしもの事があると困るので、ドゥアルテさんのそばに用心棒の方を控えさせてもらえますかー? この壇上から逃げ出そうとしたら、すぐに取り押さえられるようにお願いしますー。……あ! ドゥアルテさんだけでは不公平なのでー、俺の方にも同様に用心棒の方をつけて下さいー。万が一俺が逃げようとしたら、容赦なく縛り上げてもらって構いませんのでー。」

「お、おいっ!!」


 ティオの要望を聞いた小柄な老人が、「なるほど」と言うような表情でうなずくのを見て、ドゥアルテはダン! と椅子を蹴って立ち上がり、悲鳴のような声を上げていた。


「な、なんでそんな事をする必要がある!?」

「アハハ。ヤダなぁ、そんな深刻に受け取らないで下さいよー。これはあくまで念のためですってー。いざという時の保険ですよー、保険。」

「お、俺は奴隷でも犯罪者でもないぞ! 俺は、自分の好きな時に、好きな事をする! それは、お前も、この店も、誰も、縛る権利はねぇんだよ!」

「ええ、確かに、ドゥアルテさんの人生は自由ですよ。あなたの選択であなたの好きに生きたらいいでしょう。あなたがどこで何をしようと、俺は一切口を挟む気はありませんし、この店の方々だって同じ考えでしょう。」


「ただし、それは、このゲームを終え、支払いも全て済ませてからの話です。」


「まあ、とにかく、座って下さい。」

 と、ティオに促され、また、さっそく従業員服の老人が呼んだらしい帯刀した用心棒達が急ぎ足でこちらに駆けつけてくるのを見て……

 ドゥアルテは、苦虫を噛み潰したような顔にビッシリと冷や汗を受かべて、ゆっくりと元の自分の席に着いた。


「……し、しかし、もう俺には払うチップは無いと言っただろう? これ以上勝負を続けるのは無理なんだよ!」

「無いなら借りればいいじゃないですか。ドゥアルテさんは、これまでも『黄金の穴蔵』から、たくさんのチップをツケで借りてきたじゃないですか。たかだか黒チップ8枚、借りられないなんて言いませんよね?」

「は、はぁ?」


 終始ニコニコ笑っているティオと、対照的に、ずっと困惑顔のドゥアルテ。

 と、ティオの要請で従業員の老人が呼んだ用心棒達が、それぞれティオとドゥアルテの後方に一人ずつ配置についたため、ドゥアルテはチラチラとそちらの方にも視線をさまよわせた。

 ドゥアルテが本来は酷く小心である事を知ってか知らずか、老人がドゥアルテの監視に呼んだのは、大柄ではないものの、四十代後半の眼光鋭く裏社会の貫禄を感じさせる男で、ドゥアルテはチラと目が合うと、途端に青ざめた顔でサッと視線を逸らしていた。

 ティオの後ろについた者も、ドゥアルテの方とさほど変わらない人相と風格の持ち主だったが、ティオはいっとき笑顔で「どうもー、よろしくお願いしますー。」などとヒラヒラ手を振ったのち、何事もなかったかのように前に向き直っていた。


「お、俺は、もう『黄金の穴蔵』から上限いっぱいまでツケでチップを借りてるんだぞ! これ以上借りられるか!……お前もさっき見てただろうが! 借りたチップ分の代金を全て『黄金の穴蔵』に返さないと、次のツケは借りられないんだよ! だから、俺がコイツらに言って金を持って来させたんだ!」


 ドゥアルテは、用心棒の男がそばにやって来た事で、ますます身を寄せ合うように縮こまっている自分の後ろの番頭達を、グイと反らした親指で指し示した。


「またすぐコイツらを走らせて追加で金を持って来させるのは、さすがに俺にも難しいぞ。銀貨1500枚だからな。」

「そういった事情は、俺も良く分かっています。」


 確かに、番頭達が持って来たのは、ドゥアルテ商会やドゥアルテの屋敷を引っ繰り返す勢いで掻き集めてきたものだった。

 ドゥアルテの母親である先代夫人のコレクションの宝飾品まで無許可で持ち出して金に換えようとしていた事からも、資金の逼迫ぶりが知れると言うものだ。

 その宝飾品を、ティオがかなり色をつけて買い上げたおかげで、なんとか『黄金の穴蔵』に溜まったツケを返す事が出来たという有様だった。


 ティオは、無害そうな笑みをいっそう満面に浮かべて、いかにも親切心で言っているといった雰囲気を醸し出しながら続けた。


「つまり、今ある『黄金の穴蔵』へのツケを全額返済すれば、またツケでチップが借りられる、と言う事ですよね?」

「……あ、ああ。」

「要するに、ドゥアルテさんの手元に、ツケを返し切るだけの金があればいい訳です。具体的に言うと、銀貨1500枚ですね。」

「そ、そうだ。だが、今の俺には……」

「その銀貨1500枚。俺が貸しますよ。」


 「はあぁ!?」と、ドゥアルテはますます混乱で顔を引きつらせ、一方でティオは、聖人を思わせる慈愛に満ち溢れた微笑みをドゥアルテに向けていた。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「賭博場へのツケ」

賭博場『黄金の穴蔵』では、上顧客にのみ、ツケでチップを貸し出している。

ツケで貸し出せるチップの上限は、客の信頼度や資産などによって違い、ドゥアルテは銀貨1500枚相当の赤チップ1500枚まで借りる事が出来た。

これは、『黄金の穴蔵』におけるツケの最高額であった。

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