過去との決別 #119
「クソッ!」
ドゥアルテが山から引いた一枚目の牌は『5-6』で、『0』『1』『2』のどの数字も入っていなかった。
このままでは、場に出す事が出来ないため、引き続き二枚目の牌を引く。
今度は『1-4』が出て、なんとか『1-3』に繋げる事が出来た。
まるでそれを見越していたかのように、間髪置かず、ティオは六巡目にして6枚目の牌を手牌から切り出して、『1-2』に『0-2』を繋げた。
これで、ドミノ牌の端は『0』と『4』となった。
一番初めのダブル牌である『0-0』にも繋げられるが、『0』の入った牌に限られるため、場に出せるのは『0』か『4』のどちらかの数字が入った牌と、更に選択肢が狭まっていた。
しかも、ティオは、ここまで一枚も山から引かず、自分の順番が来るごとに手牌を一枚ずつ順調に減らしていっており、もう手牌は残り一枚の状態となっていた。
対するドゥアルテは、先程自分で出した『1-4』に『4-5』と、セオリーどおり、出せる牌の中でも最も数の多い牌を繋げたが……
残りの手牌は『3-3』『3-4』『3-5』『4-4』『5-5』『5-6』と6枚も残っていた。
『4-5』から『5-5』『5-6』といった目の多い牌を繋げられる見込みもあるが、もう六巡目が終わり、次は滞りなく進めば七巡目、最後の一巡となる。
続く次のティオの番で、残り一枚の牌を出されてしまえば、この一戦はティオの勝利となる。
まさに、ドゥアルテにとっては、もう後がない状態だったが……
(……い、いや、アイツの最後に残った一枚が、場に出せる牌だとは限らないぜ!……今繋げられるのは、『0』か『5』だ。そのどちらかの牌をアイツが運良く持っている確率は……)
しかし、そんなドゥアルテの祈るような楽観的な考えに反して、ティオは戸惑いなく最後の一枚を自分の手元のスタンドから引き抜くと、ト、と場に切り出していた。
それは、最初の『0-0』牌に繋がる三枚目の牌として置かれた『0-3』であった。
(……グッ! さっきもそうだったが、今頃『3』の入った牌を!……)
結局ティオが『1-3』や『0-3』の牌を遅くまで抱えていたおかげで、初期状態で『3-3』『3-4』『3-5』『3-6』と4枚も『3』の入った牌を持っていたドゥアルテは『3-6』以外の牌を場に出す機会がないまま沈む羽目になっていた。
「ドミノ! 今回も、俺の勝ちでしたね!」
ティオはニコッと無邪気な少年のような表情で嬉しそうにドゥアルテに微笑みかけ、ドゥアルテはギリリと歯切りすると同時に、脂汗を額にビッシリと浮かべていた。
□
「……強い……いや、強いなんて次元じゃない……」
「……もはや、異常だ……」
ティオの背後に立って勝負の行方を見守っていたチェレンチーは、その微かな囁きを拾っていた。
毎夜博徒達が死闘を繰り広げる賭博場『黄金の穴蔵』は、今現在、いつになく騒然とした空気に包まれていた。
特に、赤チップ卓のテーブルの置かれた壇上の周囲や外ウマの客のために並べられた長椅子の周辺は、先程の3戦目の勝敗を受けて、ザワザワと騒がしかった。
「三連勝だと!?」
「マズイぞ、あの若造、ツキを取り戻しちまったようだぜ!」
「いやいや、まだ全20戦の内たったの3戦。これからどうにでも引っくり返る事でしょう。」
観客達が、口々に感想や予想を言い合う中……
チェレンチーの耳が反応したのは、自分のすぐ後ろから聞こえてきた声だった。
ティオは、相変わらず背筋を正してテーブルの席についており、何かを気にしてこちらを振り返るような事はなかった。
ティオには聞こえていなかったのか、あるいは、聞こえていたが気づいていない振りをしていたのか、それはチェレンチーには判断がつかなかった。
チェレンチーが反射的に声の聞こえた方をチラと振り返ると、そこには、まるで空気のように気配を殺して、例の従業員服姿の小柄な老人が立っていた。
赤チップ卓でプレーを始めてから見てきたかの老人の動向によると……
彼はただの一介の従業員ではなく、この賭博場『黄金の穴蔵』のオーナーの古くからの使用人であり、オーナーから多大な信頼を得て、この重要な赤チップ卓周りの雑用を任されている事が察せられた。
確かに、老人の対応は、丁寧かつ迅速で、まさに痒い所に手が届くといった感のある確かな仕事振りだった。
チェレンチーが視線を向けている事に気づくと、老人はすぐにハッとなって、また感情のない置物のような気配に戻った。
この勝負における『黄金の穴蔵』側の監視役の任務にのみ集中しようとしている様子だった。
先程の一言二言の小声の発言は、そんな冷静沈着に徹する老人が、珍しく思わず漏らした心の声だったと思われる。
(……「強いなんて次元じゃない。もはや異常だ。」かぁ。……ま、まあ。確かにその通りだよね。……)
チェレンチーも前に向き直り、思わず苦笑していた。
今までのゲームでは、いかな赤チップ卓での勝負と言えど、プレイヤーの手牌をのぞき込めるのは、本人とその付き添いの人間だけであった。
ティオで言えば、ティオの他には、チェレンチーと、一時期ボロツも見ていた事があった。
ドゥアルテは、彼の言いつけで賭博用の資金を掻き集めてきた番頭達二人が途中から後ろに立って見守っていた。
しかし、ティオとドゥアルテの最後の勝負が、『黄金の穴蔵』始まって以来の「1点につき黒チップ1枚」という破格の高レートで行われる事となり、それに応じて『黄金の穴蔵』側の監視の目がかつてない程厳しくなった。
ティオとドゥアルテの間で、一枚で金貨一枚相当の価値を持つ黒チップが動くというのもそうだが、この店に来ていた客達のほとんどが外ウマに賭けているという状況もあって……
イカサマはもちろんの事、もし、ちょっとしたゲームのルールの間違いやチップの受け渡しのミス等があってはならないと、ティオとドゥアルテ、双方の後方に一人ずつ監視役の人間を立たせる事となった。
監視役の従業員は、当然、自分の監視対象の手牌やゲーム中の牌の流れを詳細に見る事が出来る場所に位置取っていた。
ティオの監視担当は、例のオーナーの古くからの使用人であったという小柄な老人だった。
来店初日にして赤チップ卓に入る事自体異例中の異例だというのに、更にこの特別な場所で、二十歳にも満たないティオが堂々と勝ち続けてきた状況からして、老人はティオの事を只者ではないと思っている様子だったが……
実際に、初めて彼の手牌とゲームプレイの有り様をつぶさに見て、その異常な程の強さを目の当たりにしたらしい事が、先程思わず漏らしたつぶやきから感じられた。
ゲーム開始時、ティオの手牌は、『0-0』『0-1』『0-2』『0-3』『1-1』『1-2』『1-3』と、見事に数の少ない牌ばかりが揃っていた。
それだけでも充分稀有な事だが、その後、まるでドゥアルテの牌を知っていたかのような絶妙な牌の切り出しで、彼に場に牌を出させるのを止め、何枚も山から新たな牌を引かせて手牌を増やさせた。
一方で、自分は一度もロスする事なく、七巡目にして7枚の手牌を全て出し切り、最速で上がっていた。
それは、はじめから緻密に計算され、明確に見えていた一筋の道を辿るかのごときゲームプレーだった。
まあ、実際にティオは「裏側からでもドミノ牌を区別出来る」ため、裏になっている山から牌を引いてくる時も、ドゥアルテの手牌も、全て筒抜けなのだが……
それをティオ本人から聞いて知っているチェレンチーさえ、ティオの牌の扱いが滑らかかつ自然過ぎて、とても裏を見て意図的に牌を選んでいるとは思えない状態だった。
いや、ただ「裏側からドミノ牌を区別出来る」だけでは、ここまで精緻なゲームプレーをする事は不可能だろう。
「牌を見分けられる」だけでなく、相手の思考をトレースし、ゲーム終了までの牌の流れを完璧に読み切っているからこその、この淀みないプレースタイルなのだ。
ズバ抜けた知能、記憶力、観察力、洞察力、頭の回転の速さに加え……
「1点につき黒チップ1枚」という普通の人間なら体が竦んで手が止まってしまうような高レートでも、なんの重圧も感じていない肝の座り振り、自分の読みを信じ切る事の出来る度胸と潔さ。
それらが、一つも欠けずに備わっていて、はじめてなせる技だった。
もし自分にも牌が見分けられたとしても、とても真似は出来ないだろうと、つくづくチェレンチーは思っていた。
まして、タネを知らない後ろの老人が、ティオのプレーをつぶさに見て、その異常な程の強さに驚くのも、無理からぬ事だと感じていた。
□
「納得がいかないって顔してますね。」
「……ムッ!……」
ティオが手牌を出し切り「ドミノ」と宣言して3戦目が終わっても、ドゥアルテは苦虫を噛み潰したような顔で固まっていた。
ティオの方から苦笑いを浮かべて切り出してきたが、ドゥアルテは上手く自分の頭の中に浮かぶ疑問を言語化出来ず、口ごもったままだった。
それを代弁するように、ティオがペラペラと解説する。
「俺が『0-0』『0-1』『1-1』のような数の少ない方の牌から捨てていったのはおかしい、って思ってます?」
「……う……あ、ああ。……」
「確かに、通常のドミノゲームでは、数の多い牌から出していくのがセオリーでしょう。なぜなら、対戦者に先に上がられた時、その時点で自分の手元に残っていた牌の目の合計分のチップを、上がった対戦者に支払わなければならなくなるからです。負けた時の失点は、少しでも少ない方がいいですからね。だから、複数の牌が場に出せる状況なら、目の大きい牌の方を優先するのが合理的です。」
「しかし、今回の勝負は、いつもとは少し変わったルールで行なっています。俺は、一回でもあなたに負けたら、この1戦だけでなく、この勝負全てに負けてしまう。だったら、はじめから『負けた時のリスクを減らす』なんて考え方はしなくていい訳です。手元に数の大きな牌が残ろうが小さな牌が残ろうが、負けた時点で一巻の終わり。だったら、牌の目の数に関係なく、自分の次の手牌が出しやすくなるような牌を切っていくべきでしょう?」
「……あ……そ、そうか。確かに、お前は負けたら終いだったな。それでなりふり構わない切り方をしてたって訳か。なるほど。」
「ああ、でも! ドゥアルテさんは、俺の真似をしない方がいいですよ! あなたは、これから20戦全敗して俺にその負け分を支払う羽目になる訳ですから、一戦一戦での負けは、少ないに越した事はないでしょう? ドゥアルテさんは、いつも通り、数の大きな牌を優先的に切っていった方がいいと思いますよ。」
「……ウ、ム……」
ドゥアルテは、ニコニコ笑って親切そうに語るティオの言葉を、一度は納得して飲み込みかけたが……
すぐにハッとなって、バン! とテーブルを叩いた。
「お、おい! 適当な事を言うな! 俺だって、一戦でもお前に勝てばそこで勝負が決まるんだよ!……だったら、優先すべきは『数の大きな牌を先に捨てる事』じゃなく、『目の数に関わらず、とにかく牌を場に出して先に上がる事』だろうが! つまり、お前の戦法と何も変わらない筈だぞ!」
「あー、ハハハー。バレちゃいましたー?……確かに、お互い第一優先事項は変わりませんね。あなたは俺より先に上がる事、俺はあなたより先に上がる事。……まあ、ドゥアルテさんが先に上がる事だけを考えていればいいのに対して、俺は一戦一戦でなるべく多くの点数を取りたい、つまりチップを稼ぎたいので、いろいろ考えなきゃいけないんですけどねー。」
「チッ! ペラペラペラペラ、良く回る口だな! 危うく騙される所だったぞ! まったく、油断ならないガキだ!……フン! 誰が、お前なんかに20戦も連続で負けるものか!」
「ハハハ!……でも、ドゥアルテさんはこれからも『数の大きな牌を優先して捨てた方がいい』と言うのは、俺の本心からのアドバイスなんですけどねぇ。」
ティオは、ヘラヘラとした笑みを浮かべたいつもの掴み所のない雰囲気のままに、自分のチップ箱からまた一枚、黒チップを取り出すと……
既にテーブルの端に置いていた二つのチップと一直線になるように、パチリと並べた。
「これで三つ。後十七ですね。」
そして、更にだらしなく相好を崩して、さも嬉しそうに笑ってみせた。
「いやー、それにしても、やっぱり『早上がり』は大事ですよねー! 5の倍数を揃えた時に貰えるボーナスチップが格段に増えたとは言え、ボーナスチップ狙いにかまけ、うっかり上がるが遅くなって負けでもしたら、目も当てられませんもんねー。いや、ホント、早く上がれて良かったなぁー!」
そんなティオの能天気な発言に、思わずドゥアルテはグッと唇を噛み締めていた。
そう、ちょうどこの3戦目、ドゥアルテはようやく、一気に跳ね上がったボーナスチップの衝撃から脱却し「早上がり」を最優先事項としてゲームを仕切り直したつもりだったのだ。
しかし、結果は、手牌が悪く何枚も山から牌を引かされてモタモタしている内に、ティオにスイッと簡単に上がられてしまった格好だった。
おまけに、ティオに「早上がり」の重要性を説かれ、「そんな事は俺だって百も承知だ!」と苛立つドゥアルテだった。
ティオは不機嫌そうに突っかかってくるドゥアルテをカラカラと笑って軽くやり過ごし……
「さて」と、話題を変えた。
「じゃあ、早く次の勝負を始めましょうよ。」
「フン! 分かっている!」
「あ、その前に、この一戦での負け分のチップの支払いをよろしくお願いしますね、ドゥアルテさん。」
そうティオに言われて、ドゥアルテはようやくハッとなった。
いつの間にか一箱の半分以下に減っていた手元の自分のチップに目を落とし、サアッと顔を青ざめさせていた。
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☆ひとくちメモ☆
「ドミノゲームのルール」
賭博場『黄金の穴蔵』で一般的に行われているルールはあるが、細かな部分ではプレイヤー同士の同意によって改変する事が可能である。
「1点につき黒チップ1枚」という非常識な高レートとなったこのマッチでは、1マッチ20戦し、その内一戦でもティオが負ければドゥアルテの勝利が決まる、という取り決めをしていた。
勝負の前、この1マッチ限りの特殊ルールは、ティオが詳細に書類に記載し、『黄金の穴蔵』側に預けてあった。




