過去との決別 #118
ティオがはじめに切った牌は『0-0』だった。
それを見て、それまで恐怖と緊張が入り混じり肩に力の入っていたドゥアルテは、フッと口の端を緩めてあざけるような笑みを漏らしていた。
「……ハ、ハハ! どうやら、お前の『運』も尽きはじめたようだな!」
それまで、ティオは自分が先攻となった場合、ほぼ漏れなく、『5-5』『2-3』『1-4』といった、一枚でボーナスチップが取れるような牌を出してきたのだが、今回は違っていた。
しかも、普段のゲームなら数字が全く描かれていない『0-0』は、最悪ゲーム終了時に手元に残っていたとしても、「合計0」であり、何もチップを支払わなくていい安全な牌だった。
当然、他に切れる牌がある時は、そちらを優先して切るのがセオリーである。
確かに『0-0』は、ダブル牌で受けは狭くなってしまうが、それでも、かかえていてもリスクの少ない牌を真っ先に切り捨ててきたのは、特にティオとのゲームにおいて、今まで見た事のない展開だった。
飄々とした表情を一切崩さないティオに、本能的に不気味なものを感じつつも、ドゥアルテは、フンと鼻で笑い飛ばした。
「さっき、『運』の悪い時こそ、自分のドミノの腕前でカバーするんだとかなんとか、ほざいてやがったよな? お手並み拝見といこうじゃねぇか! そんなツキのない手牌で俺様から逃げ切れるのかな?」
「ドゥアルテさんの番ですよ。どうぞ。」
ティオが、こちらの煽りに乗らず、事務的な笑顔を浮かべてテーブルの中央を手で指し示してきたので、ドゥアルテはやや不満げだったが、さっそく自分の手牌を切り出そうとした。
「……グッ!……」
しかし、その時改めて手元のスタンドに立てた牌を眺めて、自分の手牌に『0』の描かれたものが一枚もない事に気づいた。
ドミノゲームの熟練者の多くは、自分の牌を引いてきた時に、何の牌か覚える。
二人対戦となっても手牌は7枚なので、慣れてくれば自分の手牌を全て覚える事はさほど難しくなく、癖のように自然とやっているものだった。
しかし、策を練ったり他人の手牌を読んだりといった頭を使う作業が苦手なドゥアルテは、自分の手牌さえ覚える事をほとんどしていなかった。
この時は特に、ティオがスイスイと引いてはスタンドに立てる流れにつられ、なるべく早く自分も手牌を整えようという事ばかりに気を取られて、何の牌を引いてきたかを気にしている余裕がなかった。
今更ながらに確かめたドゥアルテの手牌は……
『3-3』『3-4』『3-5』『3-6』『4-5』『4-6』『6-6』で……
『3』が4枚も被っており、数字は『3』『4』『5』『6』という高目ばかりが集まり、『6-6』という最も大きな目のダブル牌もあるという、とても良い状態と言えるものではなかった。
正直、ティオの初手の悪さを笑っている場合ではないのだが。
(……べ、別に大きな数字の牌が多くても、俺には関係ない! 点数はどうでもいいんだよ! とにかく、今は「早上がり」だ! アイツよりも俺の方が先に上がれば、それで勝負は終わりだ!……)
確かに、ドゥアルテのその考えは間違っていなかった。
しかし、さっそく、『0』の入った牌が手牌にないために、山から牌を引いてこなければならず、手牌の数が増えて、必然的に早上がりから遠ざかってしまっていた。
「チッ!」と、忌々しそうに舌打ちしながら、乱暴な手つきで山から牌を引いてきたドゥアルテは、そこに描かれた数字を見て、更に激しく舌打ちする事になった。
一枚目……『4-4』……ダブル牌でもあり、目の数が多く、かつ『0-0』に繋がらない。
二枚目……『5-5』……こちらもダブル牌で、更に目の数が多く、やはり『0-0』に繋がらないので、場に出す事が出来ない。
三枚目……『0-4』……と、ここでようやく『0-0』に繋がる牌が引けて、なんとか自分の番を終えたドゥアルテだったが……
結果、手牌がゲーム開始時の7枚から2枚も増えて、9枚となっていた。
なりふり構わず早上がりを目指していた所に、全く真逆の望まぬ状況が降りかかってきた格好だった。
続いて、二巡目のティオの手は……
『0-1』と、ドゥアルテが先程『0-4』を置いた『0-0』牌の逆側に繋げた。
「合計5ですね。チップ5枚いただきます。」
「ハッ!『0-1』とは、またシケタ牌だな!」
ドゥアルテは、チップ箱から5枚黒チップを数えてティオに放りながら、悪態をついた。
確かに、『0-1』は『0-0』に次いで、目の合計数の少ない牌で、セオリー通りの打ち方をするなら、他に切れる牌がある場合、後回しにするべき牌だった。
(……アイツの手牌に『0』の入った他の牌がないのか?……それにしても、また下の牌かよ!……)
ドゥアルテの二手目は、先程の自分で出した『0-4』に『4-6』を繋げた。
『4-4』のダブル牌を先に処理する事も考えたが、ドゥアルテはまだ『6-6』を手牌に抱えており、『4-6』からの『6-6』を考えての一打だった。
ティオの三手目は、こちらも自分が出した『0-1』に繋げて『1-1』と横に伸ばす。
ドゥアルテの三手目、無事目論見通り『4-6』に繋げて『6-6』と出し、一番厄介なタブル牌を処理する事が出来た。
四手目、ティオはまた自分で出した『1-1』牌に『1-2』と順調に繋げていく。
と、ここで、ドゥアルテも、先程の自分で切った『6-6』に『6-3』と繋げ、これでドミノ列の端の目の合計が『2』『3』になり「合計5」となった。
「ハハッ! 合計5だぜ! おら、チップを寄越せ!」
「あー……さっきの分を取り返されちゃいましたねー。残念ですー。」
上機嫌でボーナスチップ5枚を受け取って自分のチップ箱にジャラリと入れるドゥアルテと、一応困り顔をしながらも淡々とチップを受け渡すティオだった。
□
(……ハハハ、ハハッ! 今は「早上がり」を狙ってるが、ボーナスチップはやっぱいいぜ!「合計5」で黒チップ5枚は、美味いよなぁ! 普段の赤チップなら50枚分もぶんどった事になるのかよ! 最高だぜ! 気分がいい!……)
ボーナスチップが決まった時、ドゥアルテの脳内にドッと強い快感が溢れ出ていた。
女との性交にも似た、いや、それよりもある意味強烈な中毒性のある刺激だった。
この瞬間の高揚感が忘れられず、ドゥアルテは、うら若い十五、六才の頃からずっとギャンブルを続けてきたと言っても過言ではなかった。
ドゥアルテは富豪の家に生まれ、特に幼少の頃は両親から溺愛されて育った。
父は、自分の分身として、また自分の築き上げてきた商売における偉業の継承者として、ドゥアルテを珍重し……
母は、幼い頃はまるで着せ替え人形のように彼を飾り立てては周りに自慢して喜んでいた。
世間の人々の目には、高価な服を着て、大きな屋敷に住み、豪華な料理を食べるという何不自由ない生活をおくるドゥアルテは、さぞかし幸運な人間に映った事だろう。
しかし、ドゥアルテからしてみれば、そんな裕福な生活は当たり前の事で、また、全ては親から与えられたものであった。
ドゥアルテ自身、父に期待され、物心ついた時から何人もの家庭教師に囲まれて英才教育を受けてきたが、成績はお世辞にも良いとは言えないもので、早々にサボる事ばかり考えるようになった。
また、サボった所で、使用人には厳しい父でさえ、「まあ、遊びたい盛りの子供だからな」と、ドゥアルテを大して叱る事なく甘く見過ごしていた。
嫌な事があるとすぐに文句を垂れて逃げ出す癖は、そんなドゥアルテの我儘がまかり通ってしまう環境のおかげで、矯正されないままにズルズルとドゥアルテは歳を重ね……
遂には成人する頃になると、もう父の注意の聞かず、毎日好き勝手に遊びまわるという状態に陥っていた。
ドゥアルテには、「自分が努力して何かを成し得た」という、いわゆる「成功体験」がなかった。
学業の成績の悪い自分がどう足掻いても、稀代の商才をもってナザール王国有数の商会へと事業を発展させていった偉大な父に遠く及ばない事は、ドゥアルテ本人も痛感している所だった。
両親からは溺愛され、周りからは羨まれていたドゥアルテだったが、自分自身や自分の成した事で、両親や周囲から褒められた経験は一度もなかったのだ。
そんなドゥアルテにとって、思春期に都の繁華街の娼館に通いだすと同時に手を染めた賭博は、大麻のように甘美なものだった。
ドミノで勝利すると、自分の手で勝ち取った「成功」の喜びを得られる。
それは、勝ち続けるまで金を積んで、相手の金が尽きるまで続けるために、必ず最終的にドゥアルテが勝つ、という酷くいびつなものであったが。
ドゥアルテは、繁華街で知り合った、彼の羽振りの良さにあやかろうという悪友達の誘いもあって、それからズブズブと二十年以上も賭博場に足繁く通い続けたのだった。
(……上がって勝つのもいいが、ボーナスチップは格別だよなぁ!……)
ドゥアルテは、ドミノゲームで特にボーナスチップを取るのが好きだった。
派手で目立つというのも、自分の存在を周囲に知らしめたい欲求の強いドゥアルテを喜ばせたが、何より「勝利」の形が分かりやすいのが良かった。
上がった後に相手の残った手牌の数を合計してその分のチップを貰うといった普段の勝ち方は、ドゥアルテにとっては、やや複雑で面倒で、勝利の酔いが薄いのだ。
それに比べて、ボーナスチップは、牌を出した直後にチップが貰え、自分の成功がより強烈に実感出来た。
このボーナスチップを当てた時の快感に、ドゥアルテはすっかり病みつきとなり、今となっては、この快感を得るためにドミノをしていると言っても良かった。
ドバッと脳内に、前後不覚に酒に酔った時に似た独特の陶酔がいちどきに溢れ出すその感覚に、ドゥアルテは深く酔いしれ……
その酔いの中に、見つかる筈もない、自分の生の実感や、自分の生きる意味を感じ取ろうとしていた。
□
「続けますね。……『1-3』と。」
ボーナスチップの受け渡しを終えた先攻のティオが、トンと五巡目、五手目となる牌を切り出したのを見て、ドゥアルテはハッと我に返った。
その『1-3』牌は、先程ドゥアルテが出し、ボーナスチップを取った『3-6』牌に繋げられたもので……
これで、ドミノ列の端は、『1』と『2』になった。
初手でティオが出した『0-0』牌にも後二つ牌を繋げられるものの、それは『0』の入った牌に限られる。
『0』ははなからドゥアルテの手牌になく、おかげで一巡目から三枚もの牌を山より引いてくる羽目になったのは記憶に新しかった。
改めて、ドゥアルテは現在の自分の手牌を確認したが……
ゲーム開始時からあった『3-3』『3-4』『3-5』に、一巡目で引かされた『4-4』『5-5』が加わったものの……
『0』どころか『1』『2』の入った牌が一枚もない状態だった。
(……クソッ! また引かされるのか!……と言うか、アイツどんだけ下の牌ばっかり持ってやがるんだ?……)
(……アイツが下の牌ばっかり持ってやがるせいで、こっちに上の牌が偏っちまったのか?……ア、アイツ、まさかこっちの手牌が上の牌ばかりだと踏んで、『6-3』に『3-1』を繋げて端を『1』にして、こっちの手を止めやがったのか?……)
ドゥアルテは、先程チラと思ったティオの手牌の数字の偏りをヒシヒシと実感し始めていた。
それに気づいて場を確認すると、今までティオが切った牌は、『0-0』『0-1』『1-1』『1-2』『1-3』と、見事に数の少ない牌ばかりだった。
また、ここに来て、初手の『0-0』牌がジワジワと効いてきていた。
はじめは、セオリーとしては初手で出す牌ではないと嘲笑ったドゥアルテであったが。
このドミノゲームのルールでは、「一番初めに場に出されたダブル牌は分岐する」となっている。
つまり、『0-0』には、最高で四枚の牌を繋げる事が出来る訳だ。
しかし、当然、それは『0』が描かれた牌に限られる。
ドゥアルテの手牌には、最初から『3-3』というダブル牌があった。
更に一巡目に引かされた『4-4』『5-5』もあり、これらのどれかが「一番初めに場に出されたダブル牌」となったのなら、ドゥアルテの手牌に多くある『3』『4』『5』といった牌を効率的に処理出来たに違いない。
しかし、初手でティオが『0-0』という、ドゥアルテにとってなんの利もないダブル牌を打った事で、その道筋は閉ざされてしまっていた。
(……クソ! コイツがメチャクチャな打ち方をするせいで……ん?……)
更に、ドゥアルテは場を眺めていて、今更ながら奇妙な事に気づいた。
(……コイツ、『1-1』牌を出した後に、なぜか『1-3』じゃなく『1-2』を出している。普通、数の多い牌を先に出すものなのに。……そして、俺が『6-3』を出した所で、その『3』を塞ぐように『3-1』牌を出して、端の目を『1』にしやがった。……)
(……コイツの手牌には、最初から『1-2』も『1-3』もあった。それなのに、なぜ今になって、このタイミングで『1-3』を出した?……)
(……ま、まさか、俺の手牌に『3』の入った牌が多い事を見抜いていた?……い、いや、そんなバカな! いくら何でも、そう断定するには情報が少な過ぎるだろう!……)
ある筈はない、と理性的には考えながらも、チラとテーブルの向かいを見やると……
ニコッと人懐こく笑いかけてくるティオの目が、こちらの手牌全て見透かしているかのような感覚を覚え……
ドゥアルテは、ゾクッと背筋に強い悪寒が走るのを感じた。
「どうぞ、ドゥアルテさんの番ですよ。」
「チッ!……手牌にないから山から引く。」
ドゥアルテはギリッと向かいの席のティオを睨みつけながら裏になっている山の牌に手を伸ばしたが……
その手は、いつしかブルブルと震え始めていた。
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☆ひとくちメモ☆
「ドミノゲームの定石」
場に出ているドミノ牌と同じ数字が描かれている牌を繋げるように置いて出していき、先に手牌が全てなくなった者が勝ちというルールのドミノゲームにおいて、早く出しておきたい牌というものがある。
『1-1』『3-3』『4-4』といった、同じ数字が描かれたダブル牌と呼ばれるものは、一種類の数字にしか繋げられないため、早く切っておきたい所だ。
また、負けた時に持っていると失点が多くなってしまう『6-6』『5-6』『5-5』といった目の数の大きな牌も、リスク回避のために優先的に処理される事が多い。




