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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第九節>最後の盤上
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過去との決別 #117


「ドミノ! 上がりました!……1戦目は俺の勝ちですね。」


 ドゥアルテが、「ドミノ列の端の目の合計が『5』の倍数となるように牌を出した時、対戦相手から目の合計の数分のボーナスチップを貰う」という慣れないルールに動揺している内に、あっという間に最初の一戦が終わっていた。


 ゲーム終了までに場に出せずに自分の手元に残った牌の目を数えて、その合計数分のチップをティオに支払うと……

 いつの間にか、ドゥアルテの二つあったチップ箱の片方は空になっていた。


 ドゥアルテがゲーム開始時に所持していた黒チップは、162枚。

 その内150枚が、この賭博場『黄金の穴蔵』から、上客の特権として利息のないツケで借り出したものだった。

 しかも、片方の箱に詰まった100枚分の黒チップは、最終ゲーム直前に、自分の前にチップ箱をより多く積みたいという見栄のために、追加で上限いっぱいまで借りたものだった。


 しかし、その一方のチップ箱に入ったチップが、最初の1戦で尽きてしまっていた。

 100枚きっちりと入っている方ではなく、62枚と、黒チップに替えられなかった半端な赤チップが何枚が入っていた方の箱ではあったが。

 そこに入っていた筈の62枚の黒チップが、ちょうど綺麗に、精算で消えていた。


「……う、ぐ!……」


 さすがにこれには、いつも横柄な態度で虚勢を張っているドゥアルテも、はた目に分かる程恐怖に顔を歪めていた。

 仮にも二箱分あったチップの片方が完全になくなってしまったのは、視覚的にもドゥアルテに大きな衝撃を与えていた。


(……バ、バカな! たったの1戦で60枚以上もの黒チップが取られた、だと!?……や、やはり、ボーナスチップの損失が大きかったんだ! 一気に10枚も持っていかれたから!……こ、このままだと、俺の手持ちのチップが何戦もしない内に尽きるかもしれないぞ!……い、いやいや、そんな事はない! そもそも、いくら途中でアイツが勝った所で、俺が1戦でも勝てば、そこでこの勝負は終わるんだよ! それまでにアイツがいくら勝とうが、こっちがいくら負けようが、関係ないんだよ!……い、いや、でも、やはり、ボーナスチップには気をつけるようにして……)


 ドゥアルテが、黒チップが空になったチップ箱を見つめながらブツブツ呟いている様子に、後ろで見守っていた番頭達が心配して声を掛けてきた。


「だ、旦那様、しっかりして下さい! これは、我々ドゥアルテ商会の運命がかかった大事な勝負なのですぞ!」

「ま、まだ勝負は始まったばかりじゃありませんか、旦那様! 次こそは勝てますとも! どうか落ち着いて下さい!」

「……う、うるさいぞ、お前ら! 自分達は何もしないで、ゴチャゴチャゴチャゴチャ! 戦ってるのは、この俺なんだぞ! ドミノの素人は黙って引っ込んでろ! あまりうるさく騒ぎ立てるようなら、この店から摘まみ出すぞ!」


 精神的に追い詰められているドゥアルテには、彼を案じる番頭達の言葉は、逆に、まるで自分を非難する言葉のように聞こえていた。

 遠回しに、お前が下手を打ったせいで負けたのだと責められているかのように感じてしまう。

 余裕がなくなってますます不機嫌になり、ひたすら当たり散らすドゥアルテを恐れた番頭達は、先程より後方に下がって沈黙したものの、勝負の行方を気にしてテーブルの上をジッと見つめていた。


「まずは、一つ。」


 一方でティオは、枚数の増えた黒チップを、一枚、自分のチップ箱から摘み出し、トッとテーブルの端の邪魔にならない場所に置いた。

 1マッチ20戦もするとなると、今何戦目か分かりにくくなると思った末の配慮のようだったが……

 何戦目か数えるだけの目的のために惜しみなく黒チップを取り出して置いた事で、それを見たドゥアルテはカッと怒りで頭を沸騰させていた。


「これで、後残り19戦。ここに20枚のチップが並んだ時、俺の勝利が確定します。……俺にとっては、勝利へのカウントダウンですね。逆に、ドゥアルテさんにとっては、破滅へのカウントダウンとなりますが。」

「お、お前なんかに、20戦もやすやす勝たせるものか! 次は、次こそは、俺が必ず勝って、お前の息の根を止めてやる!」

「フフ。では、2戦目は、先攻後攻が入れ代わって、ドゥアルテさんが先攻ですね。……そろそろ、次の1戦を始めましょうか。」

「ああ!」


 ドゥアルテは荒っぽい手つきで裏に返したドミノ牌をテーブルの上で混ぜ合わせた。

 後ろで監視してた従業員が、弾き飛びそうにな乱暴な勢いに顔をしかめてやや身を乗り出したものの、なんとか注意を受ける事はなくシャッフルが終わる。

 そうして、今度は、ドゥアルテ、ティオ、の順で交代交代に山から牌を引いていった。



 先程の第1戦の結果を受けて、外ウマに賭けている観衆達は……


「あー、一回じゃ決まらなかったかぁ。」

「まあ、まだ始まったばかりですからな。あまりすぐ終わってしまっても、興がないというものですよ。」

「次こそは!」

「何回戦目でドゥアルテが勝利を決めるか、それを賭けた方が良かったんじゃねぇのか?」

 

 ややざわついていたものの大きな混乱はなく、引き続き観戦を楽しんでいる雰囲気だった。



 観客が気楽な様子でいたのは、彼らが壇上のテーブルでのやり取りを詳細に知る事が出来ないためというのもあった。

 段差があり、更にテーブルの上であり、場に出された牌の種類やプレイヤーの手配の内容はもちろん、一戦の勝敗後にやり取りされるチップの数も、彼らにははっきりと見る事が出来ない。

 ボーナスチップが決まったり、手札に出せる牌がなく山から引いてくる時に限り、プレイヤーの反応や牌を取る位置から大体察せられる程度だった。

 観客が確実に知る事が出来るのは、『黄金の穴蔵』側から発表される、一戦ごとの勝敗であった。

 正直、プレイヤー達がいくらボーナスチップを取ろうと、一戦でどれ程チップが移動しようと、外ウマの勝敗に関係のない事なので、さほど興味がないというのが実情だった。

 ドゥアルテとティオ、どちらが先に上がり、その一戦で勝利するか、そこに人々は注目していた。

 とは言え、その一戦の勝敗も、全20戦の内たった第1戦目が終わったばかりであって、ドゥアルテが早々に勝ちを決められなかったのを惜しいとは思っていても、まだ機会はいくらでもあるだろうとの楽観的なムードが漂っていた。



 そんな中、ドゥアルテは、鬼のような形相で息を荒げて、ダン! と最初の牌を切り出していった。



「これで二つ目、と。」


 ティオが、自分のチップ箱から黒チップを一枚抜き取り、また、パチリとテーブルの端に並べた。

 2戦目がティオの勝利で終わり、1戦目の勝利に続いて、二枚目のチップを置く事になったのだった。


 ティオとしては、極めて作業的に淡々とテーブルの端に置いていたが……

 それを見ていたドゥアルテは、心臓が握り潰されるような精神的苦痛を味わっていた。


 結局、2戦目も、ドゥアルテは至極あっさりと負けた。

 牌を出せない状況に陥り、山から引いて手牌が増えたり、やっと出せたと思っても次の自分の打牌に繋がらない数字の描かれた牌だったり。

 一方で、ティオは、順番が回ってきて切り出したはじめの1枚目から最後の7枚目まで、一度も牌を手詰まりさせる事なくスムーズに場に出していった。

 当然山から引いてきたりもせず、手牌七枚から始めて、七巡でしっかりと上がっていた。

 気がつくとスルスルと先に上がられている、というのは、このテーブルにティオが入った時から、彼が勝つ時のお決まりのパターンだった。

 あまりにすんなりと上がるので、他のプレイヤーの印象に残らないのだが、間違いなく勝っているのはティオだった。


 それに加えて、2回戦も、ドゥアルテはまだ「ボーナスチップ」の事を引きずっていた。

 途中で、ティオが二回「合計5でチップ5枚」を取ったせいもあり、ビクッとして心臓が痛い程ドクドクと不安で高鳴り、しばらく頭の中が真っ白のまま牌を打っていた。

 そして、負けた。

 ……まるで、既定路線であるかのように。


(……わ、悪い夢でも見ているみたいだぜ。……)


 ドゥアルテは、先程まで満タンに100枚の黒チップが詰まっていた筈のチップ箱に手を伸ばし、もう半分以下になったチップを掴んでは、パラパラと箱の中に落とした。

 悪夢だと、これは現実の出来事ではないと、思い込みたい所だが、手に触れるチップの感触がそれを痛烈に否定してくる。


「……酒……い、いや、水だ! 喉が乾いた! 水を持ってこい!」


 ドゥアルテはゴチャゴチャしたままの頭の中を整理しようと、珍しく酒ではなく水を要求し、彼の後ろで監視していた従業員が慌てて飲食物を売っているカウンターへとオーダーを通していた。

 程なくジョッキに入った水が運ばれてきて、ドゥアルテはそれをゴクゴクと一気に半分程煽った。

 口の端から水が溢れ、アゴを伝ってボタボタと上等な上着の胸元に落ちたが、ドゥアルテは気にする風もなく、ダンとジョッキ一旦置くと、ハンカチではなく上着の袖でゴシゴシと濡れた口元を拭いた。


(……お、落ち着け……落ち着け……フウ……)


(……俺は、ボーナスチップの事に気を取られ過ぎだ。……)


(……確かに、5枚、10枚、とポンポン黒チップを取られるのは痛い。これが普通の勝負だったら、早く上がるのを優先するんじゃなく、ボーナスチップを取るのを優先した方が、儲けが大きくなる所だ。だから、ボーナスチップに注意するのは大事な事だ。……)


(……しかし、このゲームは特殊ルールだ。20戦する内、俺が1戦でも勝ったら、俺の勝ちになる決まりだ。だから、俺にとって、途中の負けは、どうでもいいんだよ! 1戦で何点負けようが、ボーナスチップをいくら取られようが、俺は気にしなくていいんだ! 俺は、ひたすら、一手でも早く、アイツより先に上がる事だけを考えていればいい!……そうだ! そうなんだ! 本当は分かっていたんだ、そんな事、俺は最初っから! でも、アイツがボーナスチップの量を釣り上げたせいで、つい慌ててうっかりしちまってた。……だが、もう、俺は正気に戻ったぜ! 残念だったな、クソガキ! ハハハ、ハハッ!!……)


(……俺の方がずっと有利なんだ! 簡単に勝てるんだよ!……)


(……それに対して、アイツはどうだ?……この俺相手に20戦も勝ち続けなきゃいけない! アイツが必死に点数を稼いだり、ボーナスチップを狙ってくるのは、そうしないと儲からないからだ。アイツは、儲けのために点を取ると同時に、勝つために俺より先に上がらなきゃならない。しかも、20戦全てにおいてだ。……一方で俺は、どういう形でも構わない、アイツから一勝奪えばいいんだ! それだけで、銀貨5000枚が手に入る! 当然、それまでの負け分も全部チャラだ!……そう、そうだ! この勝負、はじめから、俺の方が圧倒的に有利なんだよ!……)


(……俺は、勝てる!……勝てる!……勝てる! 勝てる! 勝てる!!……)


 ドゥアルテは、ようやく少し自分の置かれた状況を理性的に整理し、自分が冷静さを取り戻しているのを実感した。

 再びジョッキを手に取ると、一口二口水を飲み、ジョッキを置いた。

 中にはまだ半分近い水が残っていたが、とりあえず喉は潤ったし、沸騰したように混乱していた頭を冷ます事も出来た。

 飲み水の役割は終わったと感じたが、また後で喉が乾くかもしれないと思い、取っておく事にしたのだった


(……とにかく、ボーナスチップの事は忘れるんだ。ボーナスチップなんて、アイツが自分の儲けを上げ、俺を動揺させるために設定した、単なる罠だ! だから、ボーナスチップを警戒して打ち方がブレるなんてのは、アイツの思う壺ってヤツだ。……そんな事より、早上がりだ、早上がり! 俺がすべき事は、早上がりだけだ。大勝もしなくていい、格好良く勝たなくてもいい。アイツより先に上がれば、それでいいんだ!……)


 火事場の馬鹿力とは言うが、ドゥアルテは、今までになく精神的に追い詰められたせいで、彼には珍しく合理的に戦術を思索し、順当な打開策を見出していた。


「お、おい! 何ボーッとしてるんだ! さっさとやるぞ!」


 闘志を取り戻したドゥアルテは、裏返した牌を慌ただしく混ぜ合わせ始めた。


 それまでティオは、彼が水を頼んで飲んでる間、特にせかすでもなく、向かいの席で腕組みをして静かに待っていたのだったが、ドゥアルテが復帰したので、それに合わせて、既に裏返し終えていた自分の牌を、ドゥアルテのものと一緒に混ぜだした。

 ティオの手つきは落ち着いており、ドゥアルテが希望に目を輝かせている様子を見ても、特に驚いたふうもなかった。


 ティオの面には、いつもと何も変わらない、飄々として心の内が掴めない笑顔が貼りついたままだった。

 ドゥアルテは、そんな一見人畜無害そうなティオから漏れてくる、その見た目とは対照的なピリピリとひりつく気配に、反射的にビクリと肩を震わせながらも……

 グッと唇を噛み締めて、シャッフルを終えた山から自分の手牌となる牌を引いて、手元のスタンドに順次立てていった。


「では、先攻は俺に戻って、3戦目ですね。……いきます。」


 ティオは、とうに自分の手牌を整理し終えてドゥアルテが準備を済ますのを待ったのち、スイと、スタンドから一枚牌を引き抜いて、トッとテーブルの中央に切り出した。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「黒チップ」

賭博場『黄金の穴蔵』では、四種類のチップが貨幣の代わりに使われているが、その中で最も高価なのが黒チップである。

黒チップ1枚は、赤チップ10枚分に相当し、金貨1枚が黒チップ1枚と交換される。

(※金貨1枚は、現代の日本円換算で、10万円ぐらいの設定です。)

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