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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第九節>最後の盤上
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過去との決別 #116


 ティオはチェレンチーの更に後方に立っていた従業員服姿の小柄な老人に呼びかけて、自分の今までのプレーが『黄金の穴蔵』のルールに抵触しない事を短く確認していた。


(……ま、待て! コイツが言っている「今日初めてドミゲームをした」っていう話は、まあ、まず、また嘘をついているとして……コイツがかなりの玄人となると、これから始まるゲームが、思っていたより厳しい戦いになったりしないよな?……)


(……い、いや、それは、さすがにないか。多少腕が立つとは言っても、いくらなんでも1マッチ20戦中1戦も負けないなんて、そんな人間離れした事が、こんな若造に出来る筈がない。……それに、ここまでコイツが勝ってきたのは、やはりただの運だ。ドミノの経験があろうがなかろうが、結局はバカヅキして調子に乗っているだけだ。……)


 ドゥアルテは、ティオの言動から彼の情報を幾分上方修正したのち、改めて考えて、自分の有利と勝利は揺るがないと判断した。

 勝負の前からティオの独特な雰囲気に気圧されて縮こまっていた自分を鼓舞しようと、いつものようにふてぶてしい態度で唇の片端を持ち上げる。


「フン! まあ、いい。多少はドミノが出来るようだが、お前がツキだけで勝っているのに変わりはないからな。」

「ツキ、ですか。確かに、ギャンブルには必ず『運』の要素が絡んできますね。」


 ティオはドァウアルテの挑発をまるで気にしていない様子で、至って素直に返答した。


「『運』だけは、俺にもどうにも出来ません。……私見ですが、『運』は、良い時もあれば悪い時もあり、決して一定ではなく、予想不可能な不規則な波のようなものがあると思っています。」

「そうだ! そして、お前の『運』は、もう尽きたんだ! 今は俺にツキの流れが来てるんだよ! ここからは、お前は落ちていくばかりだぜ! ハハハハハッ!」

「でも、今夜一晩ゲームを続けていて、俺はトータルでずっと勝ち続けていましたよ? 上がり下がりする『運』だのみだけで、果たしてこんなに安定して勝ち続けられると、あなたは本気で思っているんですか、ドゥアルテさん?」

「は、はあ?……じゃ、じゃあ、ツキ以外のなんだって言うんだよ? まさか、勝ち続けてきたのは自分のドミノの腕がいいから、とか言い出すんじゃねぇだろうな?」

「俺は強いですよ。」


「自分で言うのもなんですが、おそらく、べらぼうに強いです。まあ、少なくとも、ドゥアルテさんが考えているよりは、遥かに強いです。」


 ティオは、最後の大一番の勝負を前にして、腕を組み、静かに宣戦布告するがごとくに語った。

 その口調は相変わらず、能天気に思える程明るく、飄々として掴み所のないものだったが……

 今のドゥアルテは、そんなティオの言葉の奥に、一分の揺らぎもない確信がある事をピリピリと感じ取っていた。


「俺、ドミノは今夜が初めてでしたけど、カードやダイス、他にもいろいろギャンブル自体はやった経験があるんですよ。まあ、全然面白くないし、好きでもないので、どれも路銀を稼ぐ程度ですぐにやめましたけどね。」


「世界には様々なギャンブルがありますね。地方色豊かなものだったり、逆に、遠く離れた土地でそっくりなものが行われていたりと、文化の伝搬や人々の交流の軌跡の一端として考えると興味深い面もありますね。まあ、それはさておき……どんなギャンブルにも、本質的な共通点があります。さっきドゥアルテさんも話していた『運』の要素です。」


「『運』あるいは『ツキ』と呼ばれるものがあって、それがいい時は勝てて、悪い時は負ける。要するに、ギャンブルは『運』次第。……そう考えている人も多いようですが、俺は違います。」


「どのギャンブルでも、強者はコンスタンスに勝っています。たとえ『運』が悪くて負ける時があっても、致命的な程大きくは負けない。一回の勝負における勝ち負けは当然ありますが、トータルで見れば勝ちが多くなる。……どうしてか? そういった強者は他の人間よりも強い『運』を持っているからなのか?……まあ、広い世界には、豪運だけで勝ち続けるような博徒も、もしかしたら居るのかもしませんね。俺はまだ会った事はありませんが。」


「おそらく、ギャンブルに勝ち続ける人間の多くは、俺と同じスタンスでしょう。自分でどうする事も出来ない『運』は仕方ないとして……それ以外の部分を、きっちりと隙なく仕上げる。つまり、自分の技量や経験、知識で練り上げ、勝ちをより多く拾い、負けをより少なく抑えている訳です。当然、それにプラスして『運』が良ければ尚更勝つでしょうし、悪い場合も酷い負け方はしないものです。だからこそ、それをしていない、『運』だけを頼りに勝負している者より、勝つ機会も儲けも増えるのは当然と言えます。」


「『運』以外の部分でいかに勝つか。それが『腕の良し悪し』と言うものではないんですか?」


「……ハ、ハハ……お前が言っている事がハッタリじゃないのなら、つまり、お前は、ドミノの腕で俺を遥かに凌いでいて、その腕でこれまでずっと勝ってきた。そして、更に、今から俺を倒すつもりだって事か? ずいぶんな自信だな!」

 ドゥアルテは、7枚全ての牌を引き終え、描かれた数字を確認すると、パッと見て分かりやすいように手元のスタンドで並び順を入れ替えていた。

 一方で、ティオは、引いた牌を引いた順のままスタンドに差した初期状態から、特に何もいじろうとしなかった。

 ティオは、純粋無垢な子供のような笑顔でニッコリと笑って言った。


「それはそうでしょう。自分の腕に自信がなければ、『20戦中1戦でも負けたら終わり』なんて、とんでもない勝負を持ちかけたりしませんよ。」


「正直、どんなに研鑽を積んだ所で、『運』だけはどうしようもないのですから、ドゥアルテさん、あなたにももちろん勝つ可能性はある訳です。いくら俺が強くても、負ける時は負ける。それがギャンブルというものです。……しかし……」


「この勝負、俺は勝ちますよ。全力で勝ちにいきます。絶対に勝ってみせます。」


 ティオは、凛とした張りのある声でそう言い放つと、自分のスタンドに立てた手牌に向かって手を伸ばした。


「準備は終わったようですね。それでは、お待ちかねの最後の勝負を始めましょうか!」


 ティオは、チラと振り返って、自分のプレーを監視している従業員服の小柄な老人と、この賭博場『黄金の穴蔵』のオーナーに視線を送り、ゲームの開始を伝えた。

 最後に、自分のすぐ後ろに立っているチェレンチーを、視線を合わせるように真っ直ぐに見つめ、ニコッと明るい笑みを浮かべる。

 そして、改めて、これからゲームの行われる目の前のテーブルへと向き直り……

 スタンドの一番左端に立てていた牌をピタリと指で摘み抜き取った。


「俺の先攻ですね。では、まずはじめの一枚を切ります。」


 そう言って、トッと、テーブルの中央に置いたティオの牌に描かれていた数字を見て、その場に居合わせた誰もが息を飲んだ。


「『5-5』で、合計10になりました。チップ10枚いただきます。」



 待ちに待った「1点につき黒チップ1枚」という史上初の高レート勝負が始まったのを知り、赤チップ卓のある壇上の周りに集っていた観衆はドッと沸き立ったが……


「チ、チップ10枚だぁ!?」


 すぐにドゥアルテの驚愕した声が響き、それを聞いた前列の観客から、後方へと動揺の波が伝わっていった。


「ど、どういう事だ、小僧? 合計10なら、チップは2枚……」

「あれ? お忘れですか、ドゥアルテさん?……この勝負に限り、『ボーナスチップは合計の目の数と同じにする』という約束を交わしましたよね?」

「え、ええ?」

「先程したためた、このゲームでの取り決めを記した書類にもきちんと書いてありますよ。なんだったら、確認しますか?」

「……あっ!……そ、そう言えば、そうだった。……」


 ティオは、後ろを振り返って、このゲームのティオ側の監視の役割を担っている従業員服の小柄な老人に軽く手を挙げた。

 老人は、すぐにティオの意図を汲み取り、コクリとうなずいて懐から丸めた書状を取り出すと、テーブルに近づいて広げたものをドゥアルテに向けて示した。

 しかし、ドゥアルテは、その書状を改めてじっくりと読み確認するような事はしなかった。

 それよりも前に、確かにティオとそんな話をしていた事を思い出したからだ。

 元より、ドゥアルテは、長ったらしい書面をいちいち読むのを面倒だと嫌って避けるような人間である。


(……そ、そうだ。……コイツの雰囲気が変わって、それに少しばかり驚いて気を取られてたせいで、すっかり忘れちまってたな。……)


 ティオの主張が正当であると認識した途端、ブワッと嫌な汗が顔中に吹き出してきていた。

 それを知ってか知らずか、向かいの席のティオは小首を傾げて補足した。


「二人対戦になるこの勝負では、いつも通りのルールで行なっていると、合計5でもボーナスチップが一枚しか貰えません。それではあまりに旨味がないという事で、『合計した目の数分のチップを貰う』というルールに改定したのですよね? 合計の目の数とチップの数が同じなら、支払いも分かりやすいですしね。」

「そ、そんな事、言われなくても分かってる! ちょっとうっかりしただけだ!……ほら、持ってけ!」

「ありがとうございます。」


 他人に間違いを指摘されたり何かを教えられたりといった、自分が上に立てない状況がことさら嫌いなドゥアルテは、いつもの調子でカッと頭に血をのぼらせて、自分のチップ箱からチップを鷲掴み、ティオに向かってテーブルの上に放った。

 ティオは礼を述べると、ばら撒かれたチップから、指で一枚ずつ手元に引き寄せて10枚きっちり受け取り、残りをドゥアルテに押し返した。

 ティオがこういった動作を丁寧に行なっているのには、ドゥアルテ側、ティオ側、それぞれプレイヤーの後方に一人ずつ『黄金の穴蔵』の従業員が立って、ゲームに不正がないか厳しく監視しているため、彼らに状況を分かりやすく見せるという配慮があった。

 対照的に、ドゥアルテが彼らの事など念頭にないのは、怒りに任せて数も数えずチップを放ってきた事からも明白だった。

 この勝負に適応される特殊なルールをしたためた書類を預かっている小柄な老人は、再び丁寧に書類を丸めて懐にしまいつつ、ティオが受け取ったチップの数が10枚である事を確認して、また後方へと下がっていった。


(……チッ! いきなりチップを10枚も取られるとは、ついてねぇな! と言うか、アイツ、自分が一番最初に切り出す時、ボーナスチップを取り過ぎじゃないか? 何度も初手で『5-5』を出しやがって!……まあ、たまたま運が良かっただけだろうけどな!……)


 ドゥアルテはしばらく怒りに我を忘れてそんな事を考えていたものの、ティオに「どうぞ、あなたの番ですよ」と言われ、慌てて自分の手牌に視線を戻した。

 しかし、ドゥアルテの手元のスタンドに立てた牌の中には、「5」の入ったものが、運悪くなかった。

 そこで、しぶしぶ山から一枚引いてくる事となった。


(……い、いや、待てよ!……「合計の目の数分のチップを払う」って……今の一瞬でチップ10枚も飛んだのかよ! しかもこれは、いつもの赤チップじゃないんだぞ! 一枚当たり金貨一枚相当の黒チップじゃないかよ!……)


 この時になって、ようやくドゥアルテは事の重大さを実感しつつあった。

 ジワリと、自分の足元に冷たく黒い霧が漂いはじめているかのような感覚を覚える。


(……コイツに、「取れるボーナスチップが少ないので、増やしませんか?」と誘われた時は、美味い話だと思って、あまり深く考えずに乗っかっちまったが……)


(……「1点につき黒チップ1枚」のこのレートで、「合計の目の数分のボーナスチップ」ってのは……正気の沙汰じゃないぞ!……)


(……今の一瞬で、赤チップ換算なら100枚の損失だ!「1点につき赤チップ1枚」のいつも通りのルールなら、普通にゲームをしていても、何戦も負け続けなけりゃ100枚もマイナスにならないってのに! それを、あのたった一瞬で!……)


 ドゥルテは、山から引いてきた牌の表を見て、『5』が入っていなかったため、チッと大きく舌打ちすると、もう一度山に手を伸ばした。


(……お、俺は、まさか……マズイ選択をしちまった、訳じゃない、よな?……)


(……い、いや……)


(……俺が悪いんじゃない!……コ、コイツが、俺をはめたんだ!……)


 思わずチラと向かいの席のティオに視線を上げると、それに気づいたティオがニッコリと笑い返してきた。

 そこには、相変わらず悪意は欠けらも感じられなかった。

 物腰柔らかで、誰に対しても丁寧な態度をとり、どこか人懐っこい愛嬌をも感じさせる笑み。

 しかし、それまで「世間知らずのガキ」となめてかかっていたその笑顔が、ドゥアルテにとって、今は、底なしの真っ暗な沼にはまったかのような恐怖を感じる対象に変わっていた。


 足元を漂い出していた冷気が脛に、太ももに絡みつき、ゾクゾクと体を這い上ってくる感覚に、ドゥアルテは、無自覚の内にブルブルと震えていた。

 新たに山から引いてきた牌を、思わずポトリと取り落す。

 その牌にもまた、「5」は描かれていなかった。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「最終戦のボーナスチップ」

賭博場『黄金の穴蔵』において、普段は「ドミノ列の端の目の合計が5の倍数になった時」に、その牌を出した者はボーナスチップを取る事が出来るルールだが、その枚数は、「合計5なら1枚」「合計10なら2枚」となっている。

しかし、最終戦では、「ドミノ列の端の目の合計が5の倍数になった時」という条件は変わらないものの、取れるチップの枚数が「合計5なら5枚」「合計10なら10枚」というルールに変更された。

このルール変更は、ティオの提案であった。

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