過去との決別 #114
「なんと言うか、俺も、一応傭兵団に入るような人間な訳ですよ。詳しくは話せませんが、過去にいろいろあって、それで、なるべく人目につかないようにって程ではないですけど、悪目立ちはしたくないなって思っていました。」
「いや、本当は傭兵団なんて物騒な所、入るつもりはこれっぽっちもなかったんですよ? チェレンチーさんも知っての通り、俺、酷い刃物恐怖症で、武器関係はまず持てませんしね。それに、何より、暴力絶対反対の平和主義者ですから!……それなのに、なんで傭兵団で作戦参謀なんてやっちゃってるのか、自分でも頭を抱えている状況でして。気の迷いと言うか、悪い方の運命のいたずらと言うか。……おっと、話が逸れてしまってすみません。その辺は、今は置いておいて……」
「以前、事情があって、とある場所で働いていた事があるんですよ。」
毛足の長い真紅の絨毯の敷かれた壇上のドミノゲームのテーブル席に着いて、観客達の外ウマの手続きが終わるのを待っていたティオは、目を細めて語った。
その表情からは、昔の事を思い出しているのが感じられたが、同時に、その過去の記憶が、ティオにとってあまり楽しいものではなかった事も察せられるような渋いものだった。
「俺が望んだ訳じゃないんです。強制的に叩き込まれたって感じでして。凄ーく嫌だったんで、なんとかさっさとノルマをこなして、一ヶ月弱で辞めてやりましたよ。」
ティオはいつものようにあまり自分の過去の事を話したくない様子で、いつ、どこで、なぜ、といった背景を断定出来る情報が意図的に省かれていたが……
どうやら、過去の一時期、事務処理のような仕事を振られていた事があるようだった。
ティオの事なので、すぐに作業内容に適応し、驚異的な成果を上げていた事だろうとチェレンチーは想像した。
「そこの仕事場の教師、いや、上司、かな? とにかく、俺より上の立場に居て俺に仕事を次から次へと命令してきた人間なんですけど、ソイツが、あ、いや、その人がですね、俺が仕事場にやって来た時、開口一番言ったんですよ。」
「『お前は、存在感がうるさい!』って。」
「それで、『鬱陶しくて我慢ならないから、そのうるさ過ぎる存在感を抑えろ!』って。……こっちとしては、『はあ?』ですよね? 存在感がうるさいってなんなんでしょうね? 未だにさっぱり分からないんですよ。おまけに『存在感を抑えろ!』ですよ。そんなのどうやるんだって話です。俺に死ねとでも言うんですかね?」
ティオはどうやら、その上司の事を相当煙たがっていたようだ。
毎日毎日、顔を合わせるたびに、「全然抑えられてないじゃないか!」「もっと抑えろ!」「そんなんじゃやっていけないぞ!」と口うるさく注意されたらしいので、ティオの所感ももっともだとチェレンチーは思った。
(……でも、「鬱陶しい」と言いながらも、それだけティオ君に頻繁に寄ってきて話し掛けてきてたって事は……その上司の人は、本当は結構ティオ君の事を気に入っていて、気に掛けていたような気がするんだよね。……)
しかし、ティオはその仕事場に居た頃かなりやさぐれていたらしく、山のように振られる仕事は着実にこなしながらも、上司の好意にはまるで気づいていなかったようだった。
ちなみに、その上司という人物は、ティオの倍ぐらい年上の男性であるらしかった。
「とにかく、ずっと喋ってるんですよ。男であそこまで口数の多い人間は、俺も初めて会いましたよ。しかも、一見他愛ない世間話をしているように見えて、腹の中では緻密な計略を練っていたりするので、油断がならないんです。女好きで軽薄そのものの性格なのに、実際は恐ろしく頭の回転が速くて、腹黒く抜け目のない策略家なんです。……正直、苦手な人でしたね。出来ればもう二度と会いたくないです。」
ティオに心底げんなりした顔でそこまで言わせるという事は、性格や生活態度に難ありとは言え、余程切れ者だったに違いない。
そんな人物故に、ティオの持っている特殊且つ強烈な雰囲気に、初めて会った時から敏感に気づいていたのだろう。
(……なんとなく、だけど……その人、僕と似た感覚の持ち主のような気がする。僕が他人の人となりが分かるのは、「商品の目利き」の延長線上で会得したものだけれど。ひょっとしたら、その人は、僕よりもっと詳細に他人の性質を見抜く感性を持っていたのかも知れない。……)
(……ま、まあ、そういう人には、ティオ君は、もはや人間とは思えない、さぞかし異質な存在に感じられただろうなぁ。……)
ともかくも、その上司の下で働きながら、毎日口うるさく注意されたため、ティオは初めて意図的に自分の「存在感」を抑える事を試みたらしかった。
上司曰く「まあ、既に無意識にやってはいたようだが、俺に言わせればまだまだだな。」との事だった。
「存在感を抑える」ように言われても、その方法がまるで分からなかったティオだが、そこは器用なティオの事なので、「あー、違う違う、そうじゃない!」「少し良くなったが、まだ全然ダメだ。」という上司の感想を参考に試行錯誤を重ね……
約一ヶ月程で、ほぼ現在のような状態を意識しなくとも維持出来るようになっていた。
「うん、ギリギリ許容範囲ってとこかな。それでも、俺のような勘のいいヤツは、お前の気配に気づくぞ。まあ、ここに来た時は十人中三、四人は気づく状態だったからな。それを、今では、二十人中一人以下ぐらいに抑えられた状態を保てるようになったのは、かなりの進歩だ。だが、これで終わりじゃないぞ。これから先の事を考えたら、お前はもっと……」
「あ、じゃあ、明日から、俺、もうここに来なくてもいいですよね。いえ、今すぐ辞めます。イママデアリガトウゴザイマシタ。」
「って、ま、待て待て待て!ってか、お前『ありがとうございました』が思いっきり棒読みだったぞ! 感謝なんて、これっぽっちもしてないだろう!……って、荷物をまとめるな! 行くな! 辞めるな! 待てぇー!」
上司としばらく口論した結果、「仕方ないから、これを全て片づけ終えたら辞めてもいい。」と言って、未処理の書類が窓際までギュウギュウに詰め込まれた一室を押しつけられるという理不尽な処遇を受けたティオだった。
しかし、それも、意地になったティオが驚異的なスピードでその日の内に片づけて、見事仕事場を辞め、翌日から行かなくなったとの事だった。
そんなティオを、上司がどんな顔をして見送ったのか、チェレンチーにはもはや想像がつかなかった。
□
(……ある程度予想はしていたけど、実際体験すると、圧倒されるなぁ!……)
チェレンチーは、最後のドミノゲーム開始と共に、ティオがずっと抑え続けていた自分本来の存在感を解放した状態を目の当たりにし、ジワリと、握りしめた手の平に汗が滲んでくるのを感じていた。
(……思っていたより、ずっと強烈だ。何年もの間父さんのそばに居て、こういう雰囲気には慣れている筈の僕でも、体の奥からなんとも言えない震えが込み上げてくる。……)
おそらく自分が今感じているヒリヒリとした緊張感は、絶対的な強者を目の前にした時、生物の本能として発揮される第六感のようなものなのだろうとチェレンチーは推察していた。
例えば、自分が地を這う小さな蟻だったのなら、相対的に小山のごとき巨大な姿の人間を見て、恐怖を感じずにはいられないだろう。
相手の何気ない動作で、意図せず踏み潰されて、あっけなく命が尽きるかもしれない。
また、人間が地面に穴を開け、水を流したのなら、コツコツと築き上げた地中の巣が、自分の生活環境が、一瞬にして壊滅する事もあるだろう。
生きるも死ぬも、自分の命も未来も、相手の掌の上にあり、ほんの気まぐれで、大きく変化し、運が悪ければ崩壊する事態が起こるのだ。
幸いティオは、小さな命を弄んで潰すのを楽しむような性格ではなく、むしろ、自分の周囲の微細な存在も出来うる限り気に掛ける人物だった。
そのため、彼の周りでは大きな被害は起こらなかった。
むしろ、ティオの存在が、周囲の小さく弱いものを外敵から守っているような所さえあった。
それでも、ティオがその気になれば、この場に居る人間全てを滅ぼす事はあまりにもたやすい。
……そんな不思議な感覚が、チェレンチーの、本能の在りかである胸の奥底から、フツフツと気泡のように浮かんできていた。
また、ティオ自身は、暴力を嫌い、平和と平穏を願って、極力静かに暮らしていたとしても……
彼の存在自体が、その破格さ故に、常に暴風をまとい豪雨と雷を絶え間なく落とす嵐のような混乱を周囲に招いてしまう性質を持っていた。
それは、元々無秩序だった場所に、思いがけない平安をもたらし……
逆に、何事もなく静閑だった場所を、一変して争いと混迷の渦に沈めるような性質のものだった。
良くも悪くも、周囲に強烈な変化を与えてしまう。
激しい大雨が、大地に水という恵みをもたらし、遠くの山から土を運んでは、肥沃な土壌を作り上げる一方で……
時に、堤防を決壊させ、家々や村を飲み込んで、何人もの死者をも出す甚大な被害を起こすのに似ていた。
ある時は、天の救いのごとく幸運に働く事もあれば、ある時は、その反対に、あまりにも理不尽に不幸を呼び寄せる事もあった。
ティオは、間違いなく自分達と同じ人間であったが……
たった一人で天災と同等の影響を及ぼす、非常識な程人間離れした存在でもあった。
ティオ自身、そんな自分の性質をある程度自覚しているのだろうとチェレンチーは感じていた。
故に、他人と距離を取り、本来の自分を極力押さえ込んでは、なんとか世間一般の人々に混じって生活している。
彼が、ひと所に留まる事を嫌い、世界各地を一人転々と旅して回っているのも、巨大な自然災害のごとき自分の影響を一定の場所に溜めないないためという理由もあるように思われた。
いつも能天気な程飄々とした笑顔を浮かべているティオであったが、あまりに特異過ぎる彼の人生が、どんな苦悩や孤独をはらんでいるものか……
ティオが、その心の中で、いかなる辛酸を耐えているものか……
それは、もう、チェレンチーの想像の範疇を遥かに超えた所にあった。
(……思った通り、兄さんには効果覿面みたいだなぁ。……いや、想像以上かも。……)
ティオの強烈な存在感が元となって発生しているビリビリと肌がひりつくような気配に、もうすっかり飲まれている様子のドゥアルテの様子を、チェレンチーはティオの背中越しに冷静に見つめていた。
亡き父の威圧感にも耐えられず必死に避けていた兄であるので、その父を遥かに超えるティオの纏う空気の重さを目の当たりにして、ドゥアルテの顔面は哀れな程蒼白になっていた。
ドゥアルテは特に勘のいい方ではなかったが、人一倍臆病な性質のために、亡き父やティオのような強い存在感を放つ人間に対しては過敏に反応するようだった。
チェレンチーでさえ、ビリビリと電流に当てられるような感覚を覚えるのだから、ドゥアルテにとっては、薄皮一枚の喉元にギラリと光るナイフを突きつけられているがごとき恐怖で震えが止まらないのだろう。
「存在感の抑制」を解いたティオの前で、顔中にビッシリと冷や汗をかき、ブルブルと震える指で山から牌を引いては、何度も取り落としたり、手元のスタンドに挿し損ねたりしているドゥアルテの姿を見ると……
うっかり同情の念が湧きそうになるチェレンチーだったが、すぐにそんな自分の甘さを叱咤して捨てた。
(……そもそも、兄さんを徹底的に倒してほしいとティオ君に頼んだのは僕だし、ティオ君の強烈な存在感で兄さんを怯えさせる作戦も、僕がティオ君に吹き込んだものだ。……)
どうやら、チェレンチーの思惑は見事に当たり、ドゥアルテの精神を大いに揺さぶる事が出来ているのは、今後の勝負に明るい展開を予想させた。
(……それにしても……)
と、チェレンチーは頭の片隅でチラと思っていた。
(……ティオ君のかつての上司という人が、ティオ君に「存在感を抑える」事を熱心に身につけさせたのも、良く分かるなぁ。……)
真っ青な顔で落ち着きなく視線をさまよわせているドゥアルテ程ではないにしても、番頭達も、オーナーも、オーナーの使用人の小柄な老人も、用心棒達も、そしてチェレンチーさえも、ティオの解放した存在感の強さに息苦しさを覚える程だった。
ゲームが開始された途端、皆の緊張で壇上の空気が一変したのがはっきりと分かった。
(……こんなに周りの人間に圧力が掛かり続けていたら、日常生活に支障をきたしかねないものね。上司の人は、ティオ君の将来を心配して、「存在感を抑える」ように特訓させていたに違いない。……たぶん、根は凄く親切でいい人なんだろうな。まあ、ティオ君には、性格的な問題も含めて毛嫌いされているみたいだけど。……)
「存在感がうるさい!」とティオに言った上司に出会う以前から、ティオは自分が周囲の人間を妙に緊張させている事に気づいていたのだろう。
そして、上司が言う通り、「存在感の抑制」は既に無意識にやっており、上司に初めて会った時、「十人中三、四人が気づく」レベルまで発散を落とせるようになっていたようだ。
それを、その仕事場に居た一ヶ月の間に、二十人に一人、余程敏感な人間なら気づくという状態を保てるようになるまで鍛えさせた。
チェレンチーからしてみれば、その上司の慧眼にも、彼の無理難題に訳が分からないながらも見事に応えたティオにも脱帽だった。
(……でも、これは僕の勘だけど……)
チェレンチーは、ジワリと吹き出してくる額の汗を手の甲でぬぐいながら思った。
(……ティオ君は、今もまだ全てを解放していない。……)
(……今の状態で何パーセントぐらいかは、僕には見当がつかないんだけれども。……)
(……ティオ君は、凄く優しい性格だからなぁ。周りの人達の事を思って、無意識の内に抑え込んでいる部分がある気がするんだよね。本人は全開のつもりでいても、きっと自覚なく制御しちゃってるんだろうなぁ。……)
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とても励みになります。
☆ひとくちメモ☆
「チェレンチーの能力」
商人の才覚に長けたチェレンチーは、物品の良し悪しを見抜く事が出来る。
良いものは光に包まれて見え、逆に、悪いものは暗く影が掛かったように見える。
その延長線上で、人間の性質や現在の状態、将来の社会的価値なども分かり、時にその人物が歩む未来をも予想出来たりするが、いわゆる「未来予知」とは違い、その人物に変化が起こると、未来の予想も変わってくる。




