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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第九節>最後の盤上
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過去との決別 #113


(……兄さんは、本当は酷く臆病な性格だ。……)


(……いわゆる「小心者」と呼ばれるタイプの人間なんだろう。でも、それは、世間で言われるような悪い事じゃない。……)


(……兄さんは、生まれつきそういう性質の持ち主であって、それを無理やり矯正して直す事は不可能だ。だったら、そんな自分の性質を認め受け入れて、むしろ長所して伸ばすべきだと僕は思うな。……)


(……臆病ならば、自然と慎重になるし、危険に対しても人一倍敏感だ。様々なタイプの人間が居る社会において、そういった感覚を持つ者が集団に居れば、その集団は危機的状況に陥る場面を上手く回避出来るようになるだろう。……)


(……けれど、ドゥアルテ家では、兄さんのような臆病な性格は、全く望まれていなかった。世間一般でもあまり良い印象を持たれない事が多いけれど、ドゥアルテ家では特に、軟弱な思考や言動は軽蔑され忌避されていた。……)


(……なぜなら、父さんが、兄さんとは正反対と言っていいような性格、性質の持ち主だったからだ。……)


 兄とチェレンチーの父親である先代ドゥアルテ家当主は、豪胆な性格の人間だった。

 商人として、接客に必要な腰の低さと丁寧な対応は身につけていたものの、本質的には、大胆不敵といった言葉が良く似合う人物であった。

 判断力と決断力、そして行動力を併せ持ち、思いついた事は次々と実行に移す。

 ムダな迷いを持たず、周囲の人間をも引っ張って力強く歩み続けるような、そんな性格だった。

 集団においては、強いリーダーシップを発揮し、トップに立って、他者を導いていくタイプの人間である。

 父のような、典型的な指導者型の人間は、社会の中では数が少なく、故に、自然と良く目立ち、多くの人間に求められる場面も多い。


 しかし、父は、そうした強力な性質を持っていたせいか、自分とは真逆の繊細な人間とその心理を全く理解出来ていなかった。

 父にとっては、自分の性格や生き方こそが至高であり、それ以外の人間は劣った者という認識だった。

 そのため、当然、自分の後継者であり、自分が長年心血を注いで築き上げてきたドゥアルテ家とドゥアルテ商会を譲る人間には、自分と同等かそれ以上の強さを求めたのだった。


 父は兄の事を目の中に入れても痛くない程可愛がっており、兄がその臆病で小心な性格が原因で様々な失敗や不祥事を起こしても、例外的に酷く寛容だった。

 出来の悪い子供程可愛いとは良く言われるが、父の兄に対する感情はまさにそれで……

 いくつになっても頼りない兄を案じて、ずっと捨て置いていたチェレンチーを、将来的に彼の補佐とするべく、貧民街から拾い上げ厳しく教育を施した程だった。


 父は、意図的に兄に対して、「強くなれ」と圧力を掛けたつもりはなかっただろう。

 それでも、人一倍臆病な兄は、父が当たり前のように持っている強者至上主義の考えを感じ取り、そんな父の理想とは程遠い自分自身を、内心恥じて嫌っていたに違いない。

 そんな日常的な劣等感が、また、兄の性格を歪ませる一因となっていたのかも知れなかった。

 結局、兄は、父がドゥアルテ家の莫大な資金力を背景に自分に与えてくる豊富な小遣いで、欲しいものを買って身を飾り、水商売の女との享楽に溺れ、賭博にふけり、おこぼれにあずかろうと寄ってくる取り巻き達に担ぎ上げられるようになっていった。

 そうした中で、生来の臆病さを必死に隠蔽し、人を見下した横柄な態度をとる事で、他人に自分を大きく強く見せようとし続けた。

 そんな生活を十年、二十年と続けてきた兄の性格が、醜く歪まない筈はなかった。

 彼に執拗にいじめられてきたチェレンチーであるので、今更兄に同情する気持ちは更々なかったが……

 ただ、実の父親が世間の中でも稀有な強靭さを持つ人物でなかったら、兄ももう少し素直な心根のまま成長し、今はもっと別な生き方をしていたかも知れないと思う所はあった。



 しかし、兄が父を避けていたのは、父が意図せずドゥアルテ家の内に蔓延させていた強者至上主義的な思考にプレッシャーを感じていたためというだけではなかった。

 病巣は、もっと根深い所にあった。

 そう、兄は、元々、その持って生まれた臆病な性質故に、あの父が持つ独特な気配が恐ろしくてたまらなかったのだ。


 人当たりの良い商人としての体裁を取り去った父は……

 まるで、周囲に見えない重力を纏っているかのような圧倒的な存在感を放っていた。

 父のそばに近づくと、ズンと空気が重くなったかのように感じられる。

 父の発する一言一言が、頭にガンガンと響き、自分本来の思考を侵食してくるかのようだった。

 迷いのない強い眼差し、自信に満ち溢れた表情……

 どちらかと言えば小柄で、良く見れば顔立ちも、息子であるチェレンチーに似た丸顔の童顔なのだが、堂々たる貫禄が備わっているために、対峙した者は否応なく父の姿に威厳を覚えるのだった。


 世の中の多くの人間は、迷い多き人生を歩んでいる。

 そんな中で、チェレンチーの父のように、強い意思を持って、迷いなく行動する人物に出会うと、自然と寄ってきて後をついていくようになる。

 自分で判断するよりも、自分よりも優れた人物の判断に乗っかろうという、自分の人生を委ね、依存していく方向性を見せる。

 また、強者に付き従う事で、彼が生み出す様々な利潤にありつけるという利点もあった。

 強者は、弱者を束ねてますます大きく事業を展開し、そうして拡大した富が強者に協力した弱者にももたらされ、お互い利害が一致した関係を築いている様子を、社会では良く見かける。


 他者を圧倒し、引きつけ、多大な影響を与える、そんな父のような性質は、「リーダーシップ」と呼ばれるものだろうと、チェレンチーは思っていた。

 あるいは、「カリスマ性」とでも言うべきか。


 だが、世間一般では珍重されるそんな父の性質も、兄に至っては、臆病な性格が高じて、強力なリーダーシップに惹きつけられる以前に、そのあまりに圧倒的な存在感を前にしただけで、もう震え上がってしまっていた。

 ズズッと空気が重くなり、ビリビリと皮膚が痙攣するかのごとき父の迫力に、兄は耐えられなかったのだろう。

 そう、それこそが、兄が父を厭い、寄りつかなった一番の原因だったのだ。



(……兄さんは、一度、父さんの目を盗んで商会の金を持ち出した事があったけれど、父さんが生きている間は、それ以降一度も商会の金に手をつけようとはしなかった。……)


(……従業員達は、さすがに心を入れ替えたのだろうと噂していた。……でも、たぶん、それは違う。兄さんの性根はそんな事では変わらない。……)


(……兄さんは、ただ単に、あの時今までになく激怒している父さんを目の当たりにして、怖くなったんだ。普段から父さんの無意識に発する威圧感を嫌っていた臆病な兄さんだ。あの時の父さんは、兄さんに対しては、少し困った顔をしただけで全く怒っていなかった。でも、いつまで経っても消えた金を見つけられない不甲斐ない従業員達をズラリと並べて、烈火のごとく怒り狂っていた。父さんが従業員達を叱りつける、その姿をそばで見ていた兄さんは、それだけで身が凍える程恐怖し、あの一件がトラウマになってしまったんだろうな。……)


(……だから、父さんを怒らせるような事態を招く事を避けて、もう二度と商会の金に手をつけなかったんだ。あの、遊ぶ金ならいくらでも欲しいと思っているような兄さんが、だ。喉から手が出る程欲しい金を諦めざるを得ない程に、父さんを恐れていた。……)



 そんな兄の臆病さは、今晩もいろいろな場面で散見された。


 チェレンチーの観察の結果では、兄は、まず、ボロツのような見るからにガタイが良く人相の悪い人物を怖がっていた。

 『黄金の穴蔵』が雇っている帯刀した用心棒達に対しても同様の反応が見られた。

 また、カラスの羽で出来たマントを纏った異様な風体の『黄金の穴蔵』のオーナーのような、なにやら怪しげな人物に対しても、ドゥアルテの横柄な態度はなりをひそめる傾向があった。

 オーナーについては、この賭博場の最高権力者であるというのも、兄がひるむ原因であったと思われる。

 相手が自分より強いと見ると、途端に弱気になるのがいかにも兄らしい反応だった。

 本人は必死に平静を装って小心ぶりを隠そうとしているのも、チェレンチーには見慣れた光景だった。

 逆に、壇上の雑事を担っている従業員の制服姿の小柄な老人のような、自分よりも弱そうな外見で、腰の低い姿勢で接してくる人間に対しては、兄は、ここぞとばかりに威張り散らしていた。



 チェレンチーは、大一番であるこの最後のドミノゲームにおいて、兄に確実に勝利する策として、そんな彼の軟弱な精神に揺さぶりを掛ける事を思い立った。

 凶悪な面構えのいかつい大男であるボロツをこちら側の席の近くに立たせる事も考えたが……

 それは実行に移さなかった。


 ボロツよりももっと効果的に兄の精神を乱す事が出来る、兄が最も苦手とするタイプの人物が身近に居たからだった。

 カリスマ性とリーダーシップを兼ね備え、世間では人々に畏敬の念を持って賞賛されていた父を、兄は何よりも怖がっていた。

 そんな、父以上に強烈な存在感を持つ人物を、チェレンチーは一人知っていたのだ。



「ティオ君、鍵を外すんだよ!」

「……」


 チェレンチーの言葉に、ティオは珍しくポカンとした顔でしばし固まった後、首を傾げた。


「チェレンチーさんが外せと言うならやぶさかではないですが、どこの鍵ですか?」

「君がいつも自分自身に掛けている鍵だよ!」

「俺、自分に鍵なんて掛けてませんけど?」

「ああっ!……えーと、そうじゃなくって、うーん……鍵って言うのは、例えでね、ほら、ティオ君って、いつも自分の心と言うか、精神と言うか、そういう部分に鍵を掛けているみたいに、自分自身を抑制している部分があるだろう?」

「……」


 身振り手振りを交えて一生懸命説明してくるチェレンチーを前に、ティオは一応考えを巡らせている様子を見せたが、やがて、キッパリと言い切った。


「いえ。ありませんよ。」

「い、いやいや、あるよ! 今もそういう状態だしね。……え? ひょっとして、自覚ないのかい? ずっと無意識でその状態だったの?」

「……すみません、俺にはチェレンチーさんの言っている事が全く分からないです。」

「……うわぁ。本当に全然自覚なかったんだね。……」


 チェレンチーは、なんとかティオに自分の意思を伝えようと、腕組みをし眉間にシワを寄せて、必死に頭を回転させながら、言葉を選んで語った。


「あのね、ティオ君。もし君の気を悪くしてしまったら申し訳ないんだけれど、僕の感じている事を率直に言うとね……」


「ティオ君は、日常的に、他人の前で自分を抑え込んでいる所があるように思えるんだ。」


「ああ、えっと、自分の意見をハッキリ言わないとか、嫌な事があってもニコニコ笑って我慢しているとか、そういうんじゃないんだよ。その辺は、ティオ君は、コミニケーション能力が凄く高いし、嫌なものを黙って耐えるような性格でもないから、何かあればいつもしっかり意思表示する人だと、僕は考えているよ。」


「ええと、つまりね、僕が言いたいのは……ティオ君が生まれながらにして持っている性質の事なんだよ。雰囲気って言ったらいいのか、気配って言ったらいいのか。とにかく、人の性質って、こう、その人の周囲に、目に見えない煙のように漂っているものだよね。ほら、優しい人はふんわりと暖かい雰囲気を感じるし、逆に、冷たい人はピリピリするような鋭い雰囲気を感じる。そういう事ってあるでしょう?」


「でも、ティオ君は、そんな元々の自分の雰囲気を、隠してしまっているように感じるんだよね。まるで、扉を閉ざして、鍵を掛けて、外に空気が漏れないようにしているかのようにね。」


「……」

 ようやくティオもチェレンチーの話の意図を少しずつ理解してきた様子で、アゴに手を当てて真面目な顔で考え込んでいた。


「これは、僕の推理でしかないんだけれど……ティオ君が、ほとんど無意識の内に、自分の本来の雰囲気を押さえ込んでしまっている理由は……鍵を外して気配が漏れてしまったら、周りの人達が戸惑ってしまうから、なんじゃないのかな?」


「ティオ君は、本当は、自然と人目を引く、とても目立つ人間なんだと僕は感じてるよ。だけど、ティオ君本人はそれを全く望んでいない。だから、知らず知らずの内に、自分の気配をなるべく隠すような状態にしてしまっているのかなって思ったんだ。いや、僕には、自分本来の雰囲気を隠す方法とか、全然分かんないんだけどね。でも、ティオ君が、それをしている状態だっていうのは、なんとなく分かるんだよ。」

「ああ、まあ、確かに、極力目立たないようにとはいつも思っていますね。」


 と、そこで、ティオは、ハッと何かを思い出した様子で、パッと顔を上げ、ポンと手を叩いた。


「ああ、そう言えば、以前、今のチェレンチーさんと同じような事を言われた事がありました。」


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ティオの過去」

ティオは自分の過去を話したがらないため、傭兵団に入るまでに何があったのかを詳しく知る者は居ない。

ただ、北の大陸の生まれである事、戦災孤児で身寄りがない事、貧しさから盗みに手を染め、一時期は盗賊団に入っていた事などがわずかにティオ本人の口から語られている。

目を見張る程の見事な筆記技能は、ティオ曰く「独学で身につけた」らしい。

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