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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第九節>最後の盤上
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過去との決別 #112


「おーい! ティオー、チャッピー! 頑張れよー!」


 騒然とする場内に、遠慮のない音量で野太い声が響いてきた。

 チェレンチーが視線を巡らせると、熱狂する観衆の只中でさえ、巨体のボロツの姿はすぐに見つかった。

 いつの間に意気投合したのか、周囲の見知らぬ客達と肩を組んですっかり盛り上がっている様子だった。


「楽しそうだなぁ、ボロツ副団長。」

「まるで他人事って感じですね、まったく。」


 ティオは少し唇を尖らせていたが、チェレンチーはアハハと苦笑した。

 「1点につき黒チップ1枚」という異様な高レートで行われる勝負を間近で見る緊張に耐えられず、「悪い!」と潔く謝って戦線離脱したボロツであったが……

 どうやら外ウマの観客達の中で、いつもの豪快さを取り戻したようで、チェレンチーは、ホッと安堵のため息をついていた。

「まあ、そばで鬱陶しくオロオロされるよりは、マシですけどね。」

 などと、ティオは辛口な言葉を吐いていたが、語気は内容に反して柔らかで、本心ではチェレンチーと同じく、ボロツが元気そうにしている姿を見て安心している様子だった。


「……では……」


 ティオは、一旦目を閉じ、二、三度深呼吸すると、ゆっくりと瞼を開いて言った。


「勝負を始めましょうか。」



「先攻の俺からですね。」


 そう言って、ティオは、テーブル中央に裏返されている全てのドミノ牌の中から、一枚を手に取った。

 その動きには一分の迷いもなく、さもなんの感情も持たずに適当な牌を掴んだかのように見えた。

 それを、スイッと引き寄せると、手元のスタンドにスッと立てる。

 その動きは、指先から手や腕に到るまで、全くムダがなく滑らかだった。


(……な、なんだ?……)


 テーブルの向かいの席で自分の番が巡ってくるのを待ちながら、その様子を見るともなく見ていたドゥアルテは……

 なぜか、ビリリと頰の皮膚が引きつるような感覚を覚えていた。


(……何か、変だ……今までと、何かが違う……)


 理由がまるで分からない。

 しかし、相手プレイヤーである、まだ二十歳にも満たない若造の何気ない所作を見ていただけなのに……

 なんとも言えない息がつまるような不快な感覚が、ジワジワとドゥアルテの体を侵食していた。

 肌の表面の水分が飛び干上がったかのごとき、ヒリヒリとした痛覚を覚える。

 それは、一度遊興の旅で行った、見渡す限り砂原の続く国の苛烈な真昼の熱風を思い起こさせるものだった。


「どうしました? ドゥアルテさん?」


 思わず固まっていると、腹違いの弟であるチェレンチーが「ティオ」と呼んでいたその青年が、こちらに向かって問い掛けてきた。

 口調も声色も表情も、本気でこちらの事を心配しているような、丁重で紳士的な態度だった。


(……ヒッ!……)


 しかし、ドゥアルテは、そんなティオと目が合った瞬間、ゾワゾワと背筋に強烈な悪寒が走っていた。

 ……その異様な感触の源が、自分の中に否応なしに生まれくる「恐怖」の感情だとドゥアルテが気づき自覚するのは、まだもう少し先の事だった。


「あなたの番ですよ。牌を取らないんですか?」

「う、うるさい! そんな事、言われなくても分かっている!」


 ドゥアルテは、とっさに視線をテーブルの真向かいに座ったティオから切って、バッと手近な牌を掴むと自分の元に引き寄せた。

 目の前のスタンドに立てようとするも、混乱していて溝に牌が差し込めず、二度三度とカチカチ音を立てて外したのちに、ようやく押し込んむ事が出来た。

 その後、チラと視線を上げてティオの姿を見たものの、すぐにまたバッと、すっかり青ざめた顔を伏せて目を逸らした。


 一方でティオは、そんなドゥアルテの奇妙な反応に気づいているのかいないのか、ドゥアルテが自分の牌を取るのを待って、次の順の自分の牌を、またスイッと引いては迷いなくスタンドに立てていた。



 ゲームが開始された瞬間から、ティオを見るドゥアルテの淀んだ目に恐怖の感情が生まれた事に、チェレンチーは気づいていた。

 しかし、実は、異変は、対戦者のドゥアルテだけにとどまるものではなかった。

 ドゥアルテ程怯えたり動揺したりと顕著ではないものの……

 彼の後ろに立つ番頭達も、妙にこわばった表情を浮かべていた。

 この賭博場のオーナーは、しばらく静止したように手に持ったタバコを宙に浮かせたままで、やがてジジッとつけた火が葉を燃やしてゆく音により、ハッと我に返って、慌てて口の端に咥えていた。

 チェレンチーは、なんとなくチラと振り返って、自分の斜めやや後方に居るティオの監視役である従業員服姿の小柄な老人を見たが……

 老人は、シワに埋もれた小さな目をカッと見開き、口も呆然と半開きになったままだった。

 すぐに、チェレンチーの視線に気づいて、スッと事務的な無表情に戻っていったが、そのこめかみには一筋の冷や汗が垂れていた。


(……ハハ……)


 こうなる事を、チェレンチーはある程度は予想していた。

 いや、この事態をティオに求めたのは、他ならないチェレンチー自身だった。

 しかし、この場で唯一今の状況が起こる事を知っていたチェレンチーまでもが……

 ブワッと全身に鳥肌を立てて震えていた。


 実際に目の当たりにしたその威力の強さに、目に見えない大波に、見事に飲まれてしまっている自分自身を省みて……

 チェレンチーは、苦笑せずにはいられなかったのだった。



「なるほど。ドゥアルテさんの苦手なものを彼に見せて、動揺させ、ドミノゲームでのミスを誘う、と言う訳ですね。」


「それは効果的な作戦ですね。それで、ドゥアルテさんの苦手なものって、一体なんなんですか?」


 まだこの勝負が始まる前、ティオを確実に勝たせるためにチェレンチーは一計を案じた。

 元々ドゥアルテのドミノの腕はいいとは言いがたく、また、論理的な思考や相手の手牌を読む事もしない身勝手なプレーばかりしていたが……

 チェレンチーが発案したのは、そのドゥアルテの精神に揺さぶりを掛け、冷静さを失わせて、更に判断を鈍らせるための仕掛けだった。


「兄さんは……ティオ君、きみの事が、とても苦手なんだよ。」


 ティオはそれを聞いて、少し複雑な顔をした。


「俺って、そんなに赤の他人に嫌われるような雰囲気があるんですかね?……いや、誰も彼もに好かれたいとは思ってませんけど。特に、ドゥアルテさんのような面倒な方には、存分に嫌ってもらって自主的に遠ざかってもらえるとありがたいですけどね。」


「しかし、俺の気づかない内に周りの人達に不快な思いをさせているかと思うと、どうも……うーん……」


 ちょっとしょげている様子のティオの誤解を解こうと、チェレンチーは顔の前で両手をブンブンと振って慌てて言った。


「い、いや、不快って訳じゃないんだよ! そうじゃなくって、ティオ君が持つ独特な気配がね、兄さんは苦手なんだよ。だから、ティオ君がその気になれば、兄さんをかなり動揺させられると思うんだ。もちろん、兄さんは動揺している事を必死に隠そうとするだろうけれど、長い付き合いの僕には一目瞭然だよ。誰にでも出来る訳じゃないんだ。でも、ティオ君なら、出来る。」


「ティオ君は、兄さんにとって最も苦手なタイプの人間だからね。」



 チェレンチーは、実は兄が、亡き父を恐れていた事を知っていた。


 父は兄を溺愛しており、兄には何かにつけて甘い対応をしていた。

 兄がせがめば小言を添えながらも小遣いを渡し、後継ぎとしての責務である勉学や訓練を放棄して毎夜歓楽街を遊び歩いていても、あまり強く言ってはますます兄が父を疎ましがって家に帰ってこなくなるため、ほぼ放任している状態だった。

 そんな父であったので、兄も漬け込んで金をせびったり、好き勝手に遊び呆けていたのだったが……

 本質的な父の性分、一人の人間として見た時の父を、兄は内心密かに嫌っていた。

 父のそばに自分からやって来るのは、金など何か欲しいものがある時か、父にしてほしい事がある時だけで、特別用事がなければ父に寄り付こうとはしなかった。

 父の意向で、家に居る時は食事を共にとっては、夫人を含め親子三人で家族団欒らしく話をしていたりもしたが、兄はその時間も苦痛に思っている様子で、何かと外に遊びに出掛けていって父とのふれあいを避けていた。

 「まあ、もう子供ではないからな。」と、父は少し寂しそうにこぼし、兄が外を遊びまわっている理由を、大人になった故の親からの独立心や反抗心と捉えているようだったが……

 チェレンチーは、ずっと、そんな兄の態度に違和感を覚えていた。


 そして、とある事件をきっかけに、チェレンチーは兄の本心に気づく事となる。



 ある時、ドゥアルテ商会で、店に保管してあった経営に必要な資金がいつの間にかなくなったという事件が起こった。

 その頃、父はまだ病に倒れる前で、自ら毎日商会に足を運び、最前線で従業員達の指揮を執っていた。

 一方、チェレンチーは、一介の下働きとして、倉庫に商品を運び込んだり、店舗に勤める従業員からの要望に合わせて店に商品を補充したりといった雑用を主にこなしていた。

 店の回転資金が忽然と消えた事が発覚すると、すぐに商会を挙げての大騒動となった。


 チェレンチーは、はじめから、珍しくここ数日「次期頭取として商会の仕事を見たい」などと言って商会に顔を出していた兄の事を怪しいと思っていたが、決して口に出す事はなかった。

 その時のドゥアルテ家では、兄を疑ったり悪く言ったりすれば、彼を溺愛している父の逆鱗に触れるのは目に見えていたからだった。


 なくなった金はなかなか見つからず、ついに痺れを切らした商会の頭取である父は、従業員達を一人一人呼びつけ、事情聴取という名の取り調べを始めた。

 なくなった金は、商会の部門ごとの最高責任者か番頭達しか入れない鍵の掛かった部屋の金庫に厳重に保管されており、その部屋に入室するにも、頭取である父の許可が必要であったため、一介の倉庫番であったチェレンチーはすぐに疑いが晴れたのだったが。


「一体どこの誰だ! 金は商人にとって命も同じだ! そんな大事な金を、しかも、わしの金を、無断で盗みだすとは! 絶対に許さん! 必ずや犯人を見つけ出して、わしのものを奪った罪を償わせてくれるわ!」


 消えた金は銀貨200枚程で、ドゥアルテ商会にとってはそれ程大打撃という額ではなかった。

 しかし、商人としての矜持を著しく傷つけられた父は、今までになく怒り狂い、従業員達を怒鳴りつけ、何度も帳簿や商品を確認させていた。

 しばらくの間、商会には緊迫した空気が満ち、誰もが青ざめた顔で黙々と業務をこなしていた。


 そして、ついに、番頭の一人が、予想に反して大事になってしまった状況に耐えきれなくなって、自白した。

「……じ、実は、お坊っちゃまに頼まれて、金庫のある部屋のドアを開けました。……」

 番頭の話によると、兄は「父さんに金を持ってくるように頼まれた」と語ったそうだ。

 前例のない事だったが、兄は父が地方の支店に行っているのを見計らって商会にやって来ており、父本人に確認が取れないまま、結局押し通られてしまったらしかった。


 さっそく、兄が呼び出され、父に話を聞かれる事となった。


「……ご、ごめ、ごめんよ、父さん! お、俺、手持ちが足りなくて、ちょっとだけ借りたんだ。ほ、本当だよ! すぐに、元通りに返すつもりだったんだよ!」


 しかし、兄の話では、持ち出した金は賭博でスって今は手元に何も残っていないとの事だった。

 兄は、こんな大事になるとは全く思っておらず、父が怒り狂っているのを見て怖くなり、今まで言い出せなかったと語った。


 豪商の家の息子として生まれ、ずっと何不自由なく暮らしてきた兄だったが、商売における金銭の重要性がまるで分かっていないらしい事が感じられる言動だった。

 遊ぶ金欲しさに店の金をくすねたバカ息子のせいで、何日も業務後に取り調べを受け、擦り切れる程繰り返し帳簿を確認し、店舗の隅から隅まで金を探す羽目になった従業員達は……

 ようやく事件の真相が解明され、ホッと胸を撫で下ろすと共に、内心、兄の身勝手で無責任な行動に腹を立てていた。


「そんなに小遣いが欲しかったのか? なぜ、わしに早く言わないのだ。」

「ごめんなさい、ごめんなさい、父さん!……お、俺、父さんに迷惑を掛けたくなかったんだ! 自分一人でなんとかしようと思ったんだよ!」


 その場に居合わせた誰もが、さすがに、商会中の従業員を巻き込む事になったこの事件の張本人である兄を、頭取である父が厳しくたしなめるだろうと考えていた。

 しかし、騒動の結末は思いがけないものだった。

 犯人が自分の息子だと知った途端、父の怒りはスッとどこかに消え去り、目の中に入れても痛くないといったいつもの態度で兄に語りかけていた。


「そうかそうか、わしの事を気遣ってくれたのか。それは嬉しい事だ。」


「しかし、店の金を黙って持ち出してはダメだぞ。あれは商売に使うものだからな。金が欲しくなったら、これからは、いつでも遠慮せずわしに言うのだぞ。」


 父はそう言って、笑顔で気前良く兄に小遣いを与えると、彼の不始末をあっさりと不問に処してしまった。

 そして、呆然としているその場に集まっていた従業員達を、パンパンと手を叩いて急かした。


「ほらほら、さっさと働かないか、お前達! いつまでサボっているつもりだ! この数日、業務が滞っていた分を必死に働いて取り戻すのだ!」


 「は、はい、旦那様!」と、呼び出されていた者達は慌てて自分の仕事の持ち場に戻り、バカ息子のせいで出来た損失を補填すべく奔走する羽目になったのだった。


 チェレンチーはその場に居なかったので、実際に見ていた訳ではなかったが、しばらく従業員達の間でこの事件は不満の感情と共に盛んに囁かれていたため、嫌でも耳に入ってきた。

 そして、普段の兄に対する父の態度を良く知っていたチェレンチーには、自然と一連の流れを想像する事が出来た。


 商売に関しては常に厳しく、従業員達にも鬼のように恐れられていた父だが、結局、この一件で兄を咎める事は一切なかった。

 そんな頭取である父の反応を見て、従業員達は内心、戦々恐々としていた。

 頭取が息子に甘い事は知っていたが、こんな様子では、これに味をしめて、またいつあのバカ息子が店の金を持ち出すかもしれないと考えたのだ。

 兄の行動を諌められる者は父しか居ないというのに、その父が最も兄に甘いというのが、大いなる悩みの種であった。


 ところが、従業員達の予想に反し、兄はこれ以降、二度と店の金に黙って手を出す事はなかった。

 金が欲しい時は、父に言われた通り、父本人の所にねだりに行って、商会の方には無関心を通り越して嫌悪感があるかのように寄りつかなかった。

 従業員達はホッとする一方で不思議がって、「さすがにお坊っちゃまも反省されたのか?」「心を入れ替えられたのなら良かった」としばらく噂していた。


 しかし、チェレンチーだけは、なぜ兄が、父の生前商会の金に一切手を出さなかったのか、その真相を察していた。

 兄が店の金を持ち出した、後にも先にも一度きりの出来事となったこの一件で、チェレンチーは、兄のある性質に気づいたのだった。


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「ドミノゲーム」

様々なルールで遊ばれているドミノだが、同じ目の牌を繋げていく事がゲームの流れとなっているものが多い。

最初に、全て裏返した状態から、各プレイヤーが順番に牌を引いていき、規定の枚数を手元に揃える。

その時、見やすいように、専用のスタンドに牌を立てていく。

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