過去との決別 #111
まずはゲームを開始する前段階として、先攻後攻を決める作業が行われる。
全て裏側にされ良く混ぜられたドミノ牌をそれぞれのプレイヤーが一枚ずつ引き、出た目の合計数の一番大きかったプレイヤーからゲームが開始される。
四人対戦の場合は、そこから一戦ごとに左回りに順番がずれていく事になるのだが……
今回はティオとドゥアルテ二人の一騎打ちであるので、必然的に、一戦ずつ先攻後攻が交代で回ってくる事になる。
その、最初の一戦でどちらが先攻を取るかを決めるのが目的だった。
ドミノゲームは、基本的に先攻が有利だ。
先に手牌を全て出し切った方が勝利となるルールにおいて、両者の手牌の枚数が同じでかつその手牌を全て場に繋げられるという状態だとすると、先に順番が来た方が早く上がれてしまうからだった。
まあ、1マッチ全20戦の中で、交互に先攻後攻が入れ替わるので、平等ではあるのだが……
一戦でも負けるとそこでこの勝負の負けが確定してしまうティオの立場としては、初戦はまずは先攻を取っておきたい所だった。
「どうぞ。」
と、ティオがにこやかに譲ったので、ドゥアルテは「フン」と鼻を鳴らしては、先にドミノ牌を一枚山から引いて手元で裏返した。
「『0-4』だ。」
「俺の方は……」
ティオは、ドゥアルテに続いて山から一枚牌を引いてくると、パタリと表に返した。
「『6-6』です。俺の方が数字が大きかったですね。」
ニコリと笑ってそう言うティオを、ドゥアルテは忌々しげにテーブルの向かいの席から睨んだ。
一方で、ティオの後ろに立って息を殺していたチェレンチーは、内心ホッと胸を撫で下していた。
引き続き、従業員の制服を着た小柄な老人が、二人が引いた牌を裏返して山に戻し、また念入りにシャッフルする。
先程の行為は、「先攻後攻を決める牌をどちらが先に引くか」という順番を決める、言わば先攻後攻決めの前段階の作業であった。
裸チップ卓などでは、面倒なので、一回だけ引いて順番を決めてしまう事も多いのだが、大金の掛かったレートの高いテーブルでは、公正を期すために、「二度引いて決める」というやり方が行われる事も多かった。
「では、『6-6』を引かれたお客様から、どうぞ。」
老人に促され、ティオがドゥアルテに先んじて山から一枚、いかにも適当に選んだといった様子で牌を選び、裏返した。
「『6-6』です。」
ザワッと、周囲に居た人間に衝撃が走り、思わずどよめきが起こっていた。
一応、ドゥアルテも、ティオに続いて牌を引き、『2-4』を出したが……
「ダブルシックス」と呼ばれる『0』から『6』までの数字の組み合わせが一組ずつある全28枚の牌の内で、最も合計数の高い『6-6』の牌を先にティオが引いた時点で、ドゥアルテがそれ以上の数を引ける筈もなかった。
ティオはいつものように平然とした、なんの緊張感もない表情を浮かべていたものの……
二回続けて『6-6』という、全28枚の中で最も数の大きい牌を引いた事で、従業員の老人をはじめ、ドミノを良く知る『黄金の穴蔵』側の人々は驚きを隠せない様子だった。
そんな異様な空気の中、ティオはクルッと振り返って、チェレンチーに、少年のような無邪気な笑顔を向けてきた。
「チェレンチーさん! 最初からこんな牌が引けるなんて、この勝負、俺、相当ついてますね! 絶対勝ちますよ!」
「そ、そうだね、ティオ君。」
ニコニコ嬉しそうに笑うティオの前で、チェレンチーは、やや引きつらせながらもなんとか笑顔を取り繕いながら、内心確信していた。
(……ティオ君、さっき従業員のお爺さんがドミノ牌を調べていたあの短い間に、しっかり牌の裏表を覚えたんだな。……)
チェレンチーは、ティオがたまたま運良く『6-6』牌を二回引いたとは考えていなかった。
ティオはこれまでずっと、「運」という不確かなものには頼らないプレーをしてきていた。
いや、むしろ、ゲームから「運」の要素を極力排除して頭脳戦で勝負出来る状況を意図的に作り出し、自分が有利に戦える場へとさり気なく相手を引きずり込んでゲームに臨んでいた。
そんなティオが「ついている!」などと本心から言う筈もない。
これは、逆に、「もう牌は全て覚えたので、後はほぼ頭脳戦です」という意思表示だとチェレンチーは察していた。
「チッ! 相変わらず、引きだけはいいな。だが、まだ勝負は始まってもいないぜ。こんな所で運を使うとは、バカな野郎だな。いくらお前が『バカヅキ』だからって、これから先20戦もすれば、必ずどこかで運が途切れる。その時がお前の一巻の終わりだ!」
先攻をティオに取られたドゥアルテは、当然の事ながら、それがティオの技量によるものだとは全く気づいていない様子で、悔し紛れに言葉を吐き捨てていた。
一方で、従業員服姿の老人は、慌てて冷静さを取り戻し、ティオとドゥアルテ両者から、引いたドミノ牌を預っては山に戻し、みたび念入りにシャッフルした。
最後に牌を整えたのち数歩後ろに下がると、胸に手を当て深々と頭を下げて言葉を発した。
「それでは、これより『1点につき黒チップ1枚』というレートによるゲームを行いたいと思いますが、ここでお二方にお願いがございます。」
「なにぶん、『1点につき黒チップ1枚』というレートによる勝負は、我が『黄金の穴蔵』でも初めての事であります。また、この勝負に外ウマで参加されているお客様も多くいらっしゃいます。」
「そこで、万が一にも手違いが起こらないように、このゲームに限り、我が『黄金の穴蔵』の人間がテーブルのそばでゲームの進行を見守らせていただきたいと思います。……構いませんでしょうか?」
老人の提言に、ティオは即座に笑顔で「どうぞどうぞ」と答え、ドゥアルテもそれに対抗するかのように、椅子にふんぞり返って「好きにしろ」と言っていた。
「では、そちらの者がドゥアルテ様の手牌が見える位置で見守ります。私は、こちらで同様に見させていただきます。もちろん、私もそちらの者も中立の立場で観戦し、お二方どちらかの有利になる事も不利になる事もいたしません。何か不測の事態が起こった時のみ、検証させていただくという形で、それ以外は一切お二人の勝負には干渉しませんので、ご安心下さい。」
既に準備を整えていたらしく、老人が振り返ってうなずくと、どこかの部署から呼ばれて来ていたらしい従業員服姿の中年男性が、壇上の端に控えて立っていた所から、丁重な態度で中央のテーブルに近づいてきた。
そして、中年男性が、ドゥアルテの後方から彼の手牌とテーブルの上を視野に入れる形で監視し、老人も同じようにティオの後ろ、チェレンチーより更に一二歩下がった位置で監視態勢に入った。
更に……
「これは、私もじっくりと見させていただきますかな。」
と、『黄金の穴蔵』のオーナー自身も、自分専用の椅子を、ティオとドゥアルテが向き合うテーブルの真横に移動させて、観戦に集中する態勢に入った。
もちろん、オーナーの後ろには、帯刀した用心棒が二人控えており……
『黄金の穴蔵』側は、オーナーをはじめとして三人かがりでこのゲームの進行を逐一観察する構えとなったのだった。
これで、誰にも気づかれずにイカサマを働くのはまず不可能な状況となった訳だが……
元々ティオとしてはイカサマをする気は更々なかったので、むしろ自分の無実を証明する証人が増えて、好都合といった所だった。
(……も、物々しいな。……こんなにジッと見られていると、やっぱりどうしても落ち着かない気分になるなぁ。……)
チェレンチーはドキドキと緊張で高鳴る胸を手で押さえつつ、自分の前の椅子に掛けているティオの姿を確かめた。
ティオは、のんきに「うーん」と伸びをしたり、首を左右に傾けてコキコキ鳴らしたりと、一向に固くなった様子は見えなかった。
(……ア、アハハ。まあ、ティオ君がこの程度の事を気にしてプレーにアラが出たりする筈ないよね。……)
いつも通りのマイペースで飄々としているティオの様子に、ホッとするやら、呆れるやらのチェレンチーだった。
しかし、一方で、チラと視線を投げると、向かいの席のドゥアルテの表情がだいぶこわばったものに変わっていた。
それまでは「早くゲームに勝って、大金を奪ってやる!」と意気込んでいたのだが、さすがに『黄金の穴蔵』側の露骨な厳戒態勢を前に、事態の重さを実感し始めたらしく、顔は青ざめ額に脂汗を浮き出させている。
この状況で、リラックスしていつも通りのプレーが出来るとはとても思えないが、かと言って、ドゥアルテには「やめてくれ」と、オーナーをはじめとした『黄金の穴蔵』の人間を相手に、監視や観戦を拒否する度胸もなかった。
ドゥアルテにとっては、思わぬ苦境での勝負となってしまった現状に、チェレンチーは黙ったまま苦笑した。
(……兄さんも、いよいよ追い詰められてきた感じだなぁ。これは、こちらにとって好都合だ。……)
『黄金の穴蔵』側の人員の移動が済むと、さっそく従業員服姿の小柄な老人が、やや声を張って宣言した。
「それでは、準備も整いましたので、いよいよゲームを始めさせていただきたいと思います。」
□
「おおおぉ!! 待ちかねたぜ!」
「いよいよ世紀の一戦の始まりですな! 嫌が応にも胸が高鳴るというものですぞ!」
「いけぇ、ドゥアルテ! 小僧を潰せぇ! 俺の全財産はお前に賭けたんだからなぁ!」
ゲームの開始を告げる老人の声と共に、ドオッと津波のごとく周囲の客達から歓声が湧き上がる。
その音量は今宵の『黄金の穴蔵』の騒動の中でも一際大きく、多くの人々の狂気と熱気に満ち溢れていた。
その狂乱のどよめきを聞いて、ドゥアルテがビクッと体を震わせキョロキョロと辺りを見回しているのを、チェレンチーは冷めた目で見つめていた。
それまでは、自分の事で頭がいっぱいで周囲の様子が目に入っていなかったドゥアルテの耳にも、「1点につき黒チップ1枚」という史上初の高レートの勝負を前に興奮した観客達の大音量の歓声が届き、ようやくハッとなった様子だった。
ドゥアルテは、味方である番頭達や、敵であるティオとチェレンチー、更には『黄金の穴蔵』側の目もある中で、なんとか冷静な態度を保とうとしていたものの……
ギュッと硬く握り締めてテーブルの端の置かれた兄の拳がブルブル震えているのを、チェレンチーは見逃さなかった。
(……商人としての資質や素養がないというものあるけれど、こういう所も、兄さんがドゥアルテ商会の頭取に相応しくないと僕が思う一因なんだよね。……)
(……兄さんは、昔からプレッシャーに弱かった。……)
(……こんな言い方は良くないかもしれないけれど、有り体に言うと……「小心者」だ。……)
(……これまで兄さんは、ドゥアルテ家の莫大な資産を背景に金に物を言わせて、自分に立ち向かってきた人間を強引にねじ伏せてきた。尊大で傲慢ないつも他人を見下したような態度は、そんな金の力にどっぷりと依存する事で成り立っていたんだ。……)
(……いや、兄さんは昔から酷く臆病だった。そんな自分の情けない本質を隠すために、他人に対して過剰な程攻撃的かつ高圧的に振舞っていたんだろうな。弱い犬程良く吠える、とは言うけれど。兄さんは、ずっと、ドゥアルテ家の金を湯水のように使い、惜しみなく周囲にばら撒いて、強者の虚像を作り上げていた。そんな兄さんの被った高級で分厚い張りぼてに騙された者も多かった事だろう。……)
(……でも、もう、それも終わりだ。……)
(……居丈高な態度を保てなくなる程打ちのめされ、自分を守ってくれていた金を根こそぎ奪われるのも、今や時間の問題だ。……)
重大な勝負を目の前に四方八方から襲いくる異常なプレシャーに対して内心震えているのを必死に隠そうとしているドゥアルテと……
対照的に、いつもと変わらぬのんきな笑顔で、「はいはーい! どーもどーも! 応援ありがとうございますー!」などと熱狂する観衆相手にヒラヒラ手を振っているティオを見比べ……
チェレンチーは、フウッと、胸の奥に溜まっていた息を吐き出した。
(……何しろ、相手はティオ君だ。……)
(……兄さんにとって……いや、誰にとっても、最恐最悪の相手だ。……)
(……今まで必死に張っていた虚勢をことごとく引き剥がされ、一巻の終わりとなるのは、果たしてどちらなんでしょうね。ねぇ、兄さん?……)
読んで下さってありがとうございます。
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☆ひとくちメモ☆
「ドミノ牌」
賭博場『黄金の穴蔵』のドミノゲームで使われている牌は「ダブルシックス」と呼ばれるものである。
「0」から「6」までの数字が、一つの牌に、『0-0』のように、サイコロの目を二つ繋げた形式で描かれている。
ドミノ牌は上下の区別はなく、全ての数字の組み合わせが一種類ずつ入って、全部で28枚となっている。




