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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第八節>黒色の決断
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過去との決別 #105


「ハッ! おい、チェレンチー! ゴミ虫野郎!……お前、賭博には手を出さない主義じゃなかったのか?」


 チェレンチーが自分の全所持金である銀貨二枚を全て外ウマに賭けると話しているのを、テーブルの向こうの席で頬杖をついていたドゥアルテが聞きとがめたらしく、いきなり話に割り込んできた。

 チェレンチーは、取り出した小袋をギュッと手の中に握りしめると、下卑た笑いを浮かべている兄の方に顔を向けた。


「親父の言いつけだもんなぁ。商人は決してギャンブルはするなって。俺も、耳にタコが出来るぐらい親父から繰り返し聞かされたぜ。まあ、知ったこっちゃねぇけどな。もう親父は死んじまったしな。うるさく言うヤツは誰も居ねぇ。」


 「コイツらがピーチク騒ぎやがるけどな。」と、後ろに立っている番頭達にチラと視線を投げて、ドゥアルテは続けた。


「チェレンチー、お前は、昔からずーっと親父の言いなりだったよなぁ。なんでも言う事を聞くいい子ちゃんってか? いや、犬だな! 親父にとってのお前は、自分の投げた棒を取ってくるだけの聞き分けのいい犬だ! ハハハハハッ!……もう親父は死んじまったが、『ギャンブルは絶対にするな』って親父の言いつけを守らなくていいのかよ、クソ犬チェレンチー! 家に居た時は、俺に何度も注意してきたくせによぅ!」

「……」


 チェレンチーをバカにして笑いたいだけの下品なドゥアルテの物言いに、チェレンチーは思わず一時言葉を切ったが……


「僕はもう、父さんの言う事を聞くのはやめたんですよ、兄さん。」

「ああ? なんだって?」

「父さんは亡くなりました。そして、僕も、今は完全にドゥアルテ家と縁が切れました。……確かに、父さんは僕に様々な教育を施して、商売に関してもいろいろな事を教えてくれました。それについては、とても感謝しています。でも、もう僕は、今までのように、父さんの言いつけをひたすら守っていくような事はしないつもりです。」

「はあ? 親父に言われなきゃなんにも出来なかったお前が、どうやって親父の命令を無視してやってくって言うんだよ?」

「自分のやるべき事は、自分で考えます。ただただ忠実に父さんに言われた事に従う生き方は、もう終わりにしたんです。もちろん、兄さんや奥様の言う事も、聞くつもりはありません。」


「かつての僕は、兄さんの言う通り、犬のように自分の主人の言う事を聞いて生きていました。でももう、僕には、主人は居ない。誰も、僕の主人ではない。僕の行動も、僕の心も、誰にも縛る事は出来ない。」


「僕は自由だ。そして、自由の代償として、自分の行動に、人生に、責任を負っている。……だから、これからは、自分が何をして何をしないかは、自分自身で良く考えて、自分自身としっかりと話し合って、そうして決めようと思っています。自分の人生の責任は、自分で取るつもりです。」


「僕は、ティオ君が勝つ方に僕の全財産を賭けます。僕は、この勝負において、兄さんが負けると確信していますから。兄さんは、ティオ君には勝てない、絶対に。」


「……チェ、チェレンチー、お前ぇ!」

 どんなに酷く扱っても、弱々しい表情で泣きながらジッと耐えているだけだったチェレンチーが、まるで別人のように、はっきりとした意思を持ち、静かな中にも強い決意を秘めた顔でこちらを真っ直ぐに見つめ返してくるのを見て……

 余程ドゥアルテは腹が立った様子で、顔を真っ赤にし歯を剥き出しにして怒りをあらわにしていた。

 しかし、チェレンチーは、そんなドゥアルテの幼稚な恫喝には全く反応せず、なんの感情の揺らぎも見せない冷めた表情で、関心なさそうにスイッと視線を外していた。


「よーう! 言うようになったじゃねぇか! 男を上げたな、チャッピー!」

「うわっ! ボロツ副団長!?」


 どうやらチェレンチーとドゥアルテのやり取りを見ていたらしいボロツが、チェレンチーの健闘を讃えるかのごとく、バシバシと肩を叩いてきた。

 ボロツとしては力加減をしているつもりなのだろうが、先程背中を叩かれていたティオは、まだ少し気にしている様子で、腕を後ろに回して背中を撫でていた。

 チェレンチーもティオの二の舞になりそうだったが、ティオよりも圧倒的に体力がなかった事から、すぐにゲッホ、ゲホッと咳き込み、慌ててボロツが叩くのをやめたので、被害は少なくて済んだ。


「いい顔つきになったな、チャッピー! それでこそ、この国最強の軍団、俺の傭兵団の一員だぜ!……よし! 外ウマに賭けるんだろう? 俺も行くから、ついでに一緒に行ってきてやるぜ! その金寄越せよ!」

「え?……で、でも……」

「チャッピー、お前、あの人混みの中に突っ込んでいけんのか? 外ウマのカウンターだけじゃなく、チップ交換のカウンターも、スゲー黒山の人だかりだぞ!」


 チェレンチーが視線を巡らせると、確かに、今夜最後の外ウマであり、『黄金の穴蔵』史上初の「1点につき黒チップ1枚」という超高レート勝負でもある次のゲームに賭けようと、ほぼ店中の客が押し寄せてきていた。

 元々外ウマで遊んでいた者達や、他の卓でドミノゲームに興じていた者達だけでなく、夜も遅くなったため手仕舞いして、チップを現金に戻したのちのんびり観戦していた者達も、騒ぎを聞きつけて外ウマに参加しようと詰めかけ……

 おかげで、外ウマの受付カウンターだけでなく、チップ交換のカウンターも、従業員達が大慌てで動き回っている状態だった。

 こんな中に、ひ弱な自分が入っていこうとした所で、突き飛ばされて押し出されるのが関の山だとチェレンチーも察した。


「……僕の分も一緒にお願いします、ボロツ副団長。」

「おうよ、任せとけ!」


 チェレンチーがペコリと頭を下げながら差し出した銀貨二枚が入った小袋を、ボロツはしっかりと受け取ったのち……

 見送るチェレンチーとティオに背中を向けたままブンブンと太い腕を振って応え、のっしのっしと大股で歩き去っていった。

 チェレンチーがしばらく目で追っていると、人混みの中でもゆうに頭一つ飛び抜けているボロツは、まるで子供でも相手にするかのごとく、ギュウギュウに集まっている男達を、グイと掴んではポイと投げるように追いやり、またグイと掴んでは追いやるという行為を繰り返し、強引に自分の前に道を切り開いていっていた。

 まあ、途中からは、ボロツに掴んで放り出されるのを恐れた者達が、ボロツが近づいてきたのを察知した途端、自らササッと道を開けるようになっていたが。



「あー、今、ボロツ副団長が賭けましたねー。ガクッと俺の方の配当金の倍率が下がりましたよー。」


 しばらく経った頃、外ウマのカウンターの奥の壁に掛かった板に書き出された配当金の倍率を見ていたティオが、頬杖をついてこぼしていた。


 外ウマの配当金の倍率は、そのプレイヤーに賭けられた金額が多ければ多い程少なくなる。

 普通はほぼ、プレイヤーに賭けた人数に比例して賭けられた金額の総額が多くなり、倍率が下がって、的中させた時の儲けが薄くなるのだが……


「俺はドゥアルテだな!」

「私もだ!」

「おい、誰か、相手の若造に賭けるヤツは居ないのか? 今なら、大穴で一攫千金が狙えるぞ!」

「いやぁ、さすがに20連勝は無理だろう。あの若造、確かにここまでドゥアルテ相手に優勢に勝負をしていたが、それでも勝率は最高で6割ちょっとと言った所だった。最後の方は、連敗だったしな。やはり、流れはドゥアルテにある。」

「誰もあの小僧に賭けないと、ちっとも配当金が上がらないだろうが。このままじゃ儲からねぇ。」

「まあ、こう言うのは、賭けに参加したってだけで話の種にはなるからな。記念だよ、記念。」


 中には、「俺は一発当てたいから大穴狙いだぜ!」と言う人間も居たものの、ドゥアルテが勝つだろうという予想が大勢を占めていた。

 ドゥアルテは、1マッチ20戦する内に一回でも勝てば勝利が確定するが、逆にティオは、20戦連勝して終わらねばならず、あまりの勝利条件の難易度の違いに、ティオに賭ける者が少なくなるのは必然だった。

 配当金の倍率は、両者プレイヤーに賭けられた金の総額で単純に決まるという訳ではなく、外ウマを取り仕切っている『黄金の穴蔵』側が手数料として何割かを持っていった後に分配する事になるため……

 尚更、片方のプレイヤーに客の予想が集中すると、倍率が下がって、人気のプレイヤーに賭けた客は、ほとんんど儲けが出なくなってしまうのだった。


 そういった仕組みと、ドゥアルテが勝つと予想している者が大半だった事から、最初はティオに賭けた時の倍率は15倍、20倍と恐ろしく高かったのだが……

 ここに、ボロツが、外ウマの上限いっぱいまでチップをティオに賭けた事により、大きく天秤が傾いた。

 ティオの勝利に賭けた人数は少なくとも、各プレイヤーに賭けられた金額の総額で倍率が変動するため、ボロツが出した赤チップ1000枚が全てティオに乗って、ググッと一気に倍率が下がったのだった。

 今は、ティオが勝った時の配当倍率は4倍から5倍の辺りをさまよっていた。

 さすがに、いかな『黄金の穴蔵』と言えど、一度の勝負で外ウマに赤チップ1000枚も賭ける人間は他に居る筈もなかった。


「まあ、こればっかりはしょうがないですね。4.5倍の配当金で良しとしておきましょう。」


 ティオは頬杖をついて外ウマのカウンターの方を眺めながら、まるで他人事のように軽い口調でつぶやいていた。



 ボロツが外ウマに賭ける手続きにカウンターへと赴いている間に、赤い絨毯の敷かれた壇上でも、着々と最後のゲームへの準備は進んでいた。


「両替をお願い出来ますか?」


 ティオは、これまでドミノゲームで勝って稼いできたチップを示して、例の従業員服の小柄な老人に話し掛けていた。

 現在、チップ交換のカウンターは外ウマに参加するために現金をチップに変えようという者達で混み合っており、そこに自ら出向いていって順番を待とうものなら、ゲームの開始に支障をきたしかねない状況だった。

 そこで、ティオは、赤チップ卓の客の特権を利用して、このテーブル周りの雑用を一手に担っている老人に願い出たのだった。

 老人もすぐにティオの意図を察したらしく、コクリとうなずいて答えた。


「お任せ下さい。」

「では、俺の手持ちのチップを、出来る限り黒チップに替えて下さい。」

「了解しました。しばらくお待ち下さい。」

「助かります。」


 ティオがチップを預けると、老人は恭しく受け取って、すぐに二人の従業員を呼んだ。

 担当部署の責任者である黒服の人間ではないが、従業員の中では年かさな事と手際の良さから、確かな働きぶりを買われているベテランなのだと知れた。

 小柄な老人は、二人の従業員と共に、ティオから預かったチップを数え改めると、混み合っているチップ交換のカウンターとは別のルートで、そのチップを黒チップに替える手筈を整えた。

 赤チップ卓の客を待たせる事のないようにと以前から取られていた特別待遇の制度を利用して、出来る限り早くティオのチップを替えてくれるようだった。


「ドゥアルテさんも、今の内に手持ちのチップを黒チップに交換しておいた方がいいですよ。」


 ティオは、自分のチップを交換に出し終えると、手続きが終わるのを待つ間、なんとはなしにテーブルを挟んで向かいの席に座っているドゥアルテに話し掛けた。


「何しろ、この先は1点につき黒チップ1枚というレートの勝負です。黒チップ以外のチップは、出番がありません。赤チップも、それ以外の種類のチップも、全て、ね。」


「フン! そんな事、お前に言われなくても分かっている!……おい、誰か!」

 自分の前に積まれた赤チップの入ったチップ入れの箱を指差しながらティオが指摘するのを聞いて、ドゥアルテはまたぞろカッとなった様子だった。

 暗に、「赤チップをいくら積み上げていても、何の意味もない」と揶揄されたのが分かったのだろう。

 すぐにティオを真似て、自分の持っているチップを駆けつけてきた従業員に突き出し「全部黒チップに替えろ!」と命令していた。


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「傭兵団員の生活」

ナザール王国が内戦で足りなくなった兵士を補うために募集した傭兵団では、寝食が無償で提供されていた。

と言っても、古い兵舎に詰め込まれ、食事も最低限のものであったが。

作戦参謀となってから、ティオは資金繰りに奔走して、傭兵団の日々の生活の質を飛躍的に向上させた。

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