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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第八節>黒色の決断
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過去との決別 #104


(……え?……)


 チェレンチーは、何事もなかったかのように目の前でティオが証書を作成し、従業員の制服姿の小柄な老人が内容に間違いない事を確認しているのを見つめながら、一人密かに冷や汗を垂らしていた。


(……い、今、ティオ君、サラッととんでもない条件を追加しなかった?……)


 そうこうする内にも老人の手からドゥアルテに書類が渡り、一刻も早く勝負を始めたいドゥアルテがほとんど目を通さずサインをしようとするも……

 番頭達が慌てて止めて、書類を受け取り、二人して目を皿のようにして内容を確認していた。


(……ボーナスチップは、この『黄金の穴蔵』における通常のルールでは、「ドミノ牌を出した時、ドミノ列の端の目の合計が5の倍数になった場合、相手プレイヤーから貰える」もので、「合計5の時はチップ1枚ずつ、合計10の時はチップ2枚ずつ」となっている。……)


(……確かに、ティオ君が言う通り、最大四人で対戦出来るドミノゲームでは、「合計5となって他プレイヤーからチップ1枚ずつ貰う」場合、3枚貰える事になる。そもそも、この『黄金の穴蔵』では、どうしても人数が足りない場合以外は、四人で卓を囲むのが一般的だ。……)


(……しかし、これが一対一のゲームとなると、「合計5」を揃えても、対戦相手が一人しか居ないため、チップは一枚だけしか貰えず、ボーナスチップのありがたみが薄い。……)


(……でも、元々この『黄金の穴蔵』の通常ルールでは、一番先に手牌をなくして上がった者が勝利し、その時点で他プレイヤーは、手元に残っている牌の目の合計分のチップを勝者に支払う事になっている。今まで見てきた感じからすると、勝った人間は、1戦につき20枚から30枚のチップの稼ぎが見込める。……)


(……それに比べて、ボーナスチップは、狙って揃えるのが難しい割に、四人対戦でも「合計5」でたった3枚しかチップが貰えない。……よって、この『黄金の穴蔵』では、ボーナスチップを狙うより早上がりを狙う戦法を取る者が圧倒的多数だ。……まあ、派手好きで周りに自分の力を誇示したがる兄さんは、ボーナスチップを取るのに固執していたけれど。……大抵の人は、ボーナスチップは無理に狙い過ぎると早上がりの流れを狂わせため良くない、と認識しているようだった。たまたま自分の番に5の倍数が揃ったらチップが貰えてラッキーだ、ぐらいに考えている感じだ。……)


 番頭達は、隅々まで証書を見て、話し合った内容との食い違いがない事を確認すると、ホッと安心した様子でドゥアルテに返していた。

 そんな彼らの反応からも、ドゥアルテが自分で書類を読んで正誤を判断出来るとは思われていない事が察せられる。

 ドゥアルテは、待たされて少し苛立ったような表情を浮かべつつも、ティオの前から従業員の老人が持ってきたサイン用の机に向き直り、ザザッとなんのためらいもなく自分の名を記していた。


(……今日初めて賭博場に来てドミノゲームに触れたような番頭達が気づかないのも無理はない。……まあ、兄さんは元々物事を深く考えるたちじゃないしなぁ。……)


 チェレンチーは、一気に増した緊迫感を受けて口の中に溜まった唾をゆっくりと嚥下した。


(……兄さんも、番頭達も、ティオ君が変更したボーナスチップの扱いの重大さを全く認識していない。ティオ君と一対一の勝負になってから、あれだけポンポンとティオ君にボーナスチップを取られていたっていうのになぁ。まあ、あの時は、通常通り「合計5でチップ1枚」の支払いで、インパクトの強さに反して支出が僅かだったから、甘く見ていたんだろう。……)


(……でも、この先の勝負で適応される新しいルールは違う!……)


(……合計数分のチップを支払うなんて……もし「合計10」を二回取れれば、それだけでチップ20枚の儲けになる! 早上がりした時と同じだけの利益が見込めるんだぞ! それだけ、ボーナスチップを取る重要度が上がる事になる!……これは、もはや、さっきまでのドミノゲームとは全く違うゲームになったと言っても過言じゃない!……)


(……「ボーナスチップは合計数と同数のチップを支払う」という改訂を提案した当人のティオ君は、そのドミノの腕から言っても、当然この影響を良く理解している筈だ。……あれだけ狙いすましてボーナスチップを次々取っていた訳だから、この先の勝負でも、貪欲にボーナスチップを取っていくつもりなんだろう。それが「合計数と同じ枚数のチップ」というルールに変わったのなら、とんでもない量のチップがティオ君の懐に転がり込んでくる事になる。それを計算しての提案なんだろうな。……)


 チェレンチーは、最終戦への準備を着々と整え、虎視眈々とドゥアルテの資産を狙うティオの……

 一見いつもと何も変わらない、緊張感のない能天気な笑顔を横目に見ながら、プツプツと肌が泡立つ感覚を覚えていた。


(……あんな提案をしたぐらいだ、ティオ君は、最終戦では大量のボーナスチップを取る腹づもりに違いない。そして、ティオ君にはそれを可能とするだけのドミノの腕があるのは、ここまでの戦績で実証済みだ。……)


(……それでも……勝敗の基準は「1戦で稼いだチップの数が多い方」ではなくて、あくまで「先に自分の手牌を場に出し切って上がった方」だ。いくらボーナスチップを稼いだとしても、ティオ君が一戦でも兄さんより先に上がれなければ、即敗北が決まって、それまで稼いだチップは全て兄さんに返却すると先程の証書にも書かれていた。……)


(……つまり、ティオ君は……1マッチ20戦の変則勝負で、20戦全勝し、かつその20戦中に出来る限り兄さんからチップを搾り取るつもりなんだ。また、その無謀とも思える勝負を勝利で終わらせ、山のようにチップを稼ぐ確固たる自信が、ティオ君の中にはあるという事だ。……)


(……「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と、ティオ君は、この賭博場に来る前に言っていた。危険は重々承知の上で、ここぞという場面では、リスクを冒してでも勝負に出なければ、大きなリターンを得る事は出来ない、と。それこそがティオ君の考え方の根幹であり、そして、そんな大勝負に打って出るだけの、度胸と知略と技能を、彼は持ち合わせている。……)


(……ぼ、僕だって、ティオ君が強いのは良く知っている。彼が、ドミノゲームだけじゃない、頭脳が勝敗を決する全ての局面において、常人では考えられないような結果を叩き出す事も。……そ、それでも……)


(……1マッチ20戦……その20戦を全くの無傷で、一敗さえもせずに、勝ち続けて終えるなんて事が……ほ、本当に可能なんだろうか?……)


 ティオの事を、彼の逸脱した頭の良さを含めて心の底から信頼しているチェレンチーでさえも……

 彼が最後に挑む事になるドゥアルテ相手の勝負の勝利条件の厳しさを前に、さすがに、不安で心が揺れるのを止められなかった。



「では、この証書は『黄金の穴蔵』側で預かっていてもらえますか? 中立な立場という事で。」

「承りました。」


 ティオは、テーブル越しに投げるようにドゥアルテが渡してきた書類を一瞥し、そのまますんなりと従業員の制服を着た小柄な老人へと手渡していた。

 チェレンチーが思うに、ティオの事なので、そのほんの一瞬で、ドゥアルテのサインが間違いなく書かれている事を確認したのだろう。

 ちなみに、ティオのサインは、ドゥアルテに先んじてその隣に「ナザール王国傭兵団、作戦参謀、ティオ」と記されていた。


 チェレンチーも、ティオのミドルネーム、苗字といった細かい個人情報は知らなかった。

 ティオからは「俺の名前はティオです」としか聞かされておらず、いつも飄々とした彼が、一方でどこか、過去や内面に踏み込ませない雰囲気を漂わせているのに気づいていたため、チェレンチーはずっと追求せずにいた。

 都に自分の家を持って住むような人間はファミリーネームを持つ者が多かったが、もっと下層の人間や、都の外の農民などは、決まっているのは名前だけという事も珍しくなかった。

 一見浮浪者のような風体でフラフラと諸国をさまよい歩いているティオの名前が「ティオ」のみというのも、特に不思議ではなかったのだが。

 ティオ本人も、さすがに名前だけでは自分を特定するのに不十分だと思って、「ナザール王国傭兵団、作戦参謀」という立場も書き込んだのだろう。


「……ハァ……」

「どうかしましたか? 何か不備でも?」

「あ、いえ、そういった訳ではありません。」


 ティオが差し出した完成した証書をうやうやしい態度で受け取った小柄な老人は……

 その中身を、老いた目を細めてしばらくジイッと見つめていたが、やがて、深く嘆息していた。

 それに気づいたティオが不思議そうに首をかしげると……


「とても字がお上手なのですね。」

「そうですか? 褒めて下さってありがとうございます。一応、傭兵団の作戦参謀をしている身ですからね。これぐらいは出来ますよ。」

「いや、本当に、こんなに見事な筆跡はこの歳まで生きていて見た事がございません。証書の形式も適切かつ明確で、しかも、驚く程速く書き上げていらっしゃった。……正直、ここまでの技能と知識を持っている人間は、ナザール王城の高官の中にもおりますまい。」

「アハハ。いやいや、褒め過ぎですよ、ご老体。お世辞がお上手だ。」

「いえ、決してお世辞などではありません。……失礼ですが、あなた様はどこでこのような技術を習得なされたのでしょうか?」


 賭博場『黄金の穴蔵』に属する人間が、客のプライベートに深入りするような事を尋ねてくるのは予想外で、チェレンチーは小さな丸い目を見張った。

 とは言え、老人の言う通り、ティオの筆記能力は王宮の文官として充分通じるレベルで、みすぼらしい見た目のうら若い彼が一体どこでそんな技能を身につけたのかは、正直チェレンチーも気になる所ではあった。

 思わずティオに問い掛けたくなる気持ちも分からないではない。


「独学です。」

「……え?」


 ティオはニコッと笑って答えると、混乱する老人を前に、もう話は済んだとばかりにクルッと背を向けて椅子にかけ直していた。


(……ああー、それ、僕も言われたなぁ。ティオ君のいつものあの感じだから、嘘か本当か良く分かんないんだよなぁ。僕の勘では、なんとなく本当のような気がしているけれど、あの技能を独学で身につけたって事になると、ますます嘘みたいな話になっちゃうんだよなぁ。ま、まあ、それもティオ君ならあり得ると思ってしまう所もあるんだけどねぇ。……)


 ティオの、見た目によらず警戒心が強くかたくなに自分の身の上を語ろうとしない態度に、従業員服姿の老人も圧倒された様子で、それ以上店員と客という立場を踏み越えて彼に質問しようとはしてこなかった。


「あ、そうだ!……その書類作成用の机と筆記用具一式ですけれど、この後また使う事になるかもしれませんので、このままこの場に置いておいてもらってもいいですか?」

「え?……あ、はい。分かりました。」


 ふと思い出した様子でティオが老人に声を掛け、老人は、「後でまた使うかもしれない」と言うティオの意図が分からないような顔をしていたが……

 客の頼みであるので、彼の望み通り、赤チップ卓の壇上から片づけようとしていた机や紙やペンなどを、テーブルのそばに置いたままにしていた。



「なぁなぁ! 俺は、そろそろ外ウマに賭けに行ってきてぇんだけどよ!」


 最後の勝負の条件がまとまり、その内容を書面にしたためるという作業が終わったのを待ち変えていたかのように、ボロツが勢い込んで話しかけてきた。

 確かに、そろそろ勝負が始まるというこの状況で、いつまでも外ウマの賭けを募集しているとは思えない。

 まだまだ外ウマ専用のカウンターには人が詰めかけいたが、『黄金の穴蔵』側でも他の部署から臨時で従業員を掻き集め、次々受付を完了させていっていた。


「そうですね。外ウマで増やしていた傭兵団用の資金を、最後に上限いっぱいまで賭けようという話でしたものね。」

「あ! そっちか!……いやぁ、俺は、自分の金の事しか頭になかったわ。」

「……まあ、ボロツ副団長の金は好きに賭けてもいいですけど、傭兵団用の資金は、間違いなく『俺が勝つ方』に賭けて下さいよ?」

「わーかってるってぇ! つーか、俺の金も全額お前に賭けるつもりだっつーの! ったりめぇだろうがよ!」


 ティオは、最後の勝負を前にテンションが上がっているらしいボロツにバシバシ背中を叩かれて「痛い!」を連発しながらも、ズボンのポケットにしまってあった外ウマの木札をボロツに手渡していた。

 一枚は傭兵団の資金を賭けている方で、もう一枚はボロツの個人的な所持金を賭けているものだった。

 外ウマ用のカウンターでは、この木札に書かれた番号と帳面の番号を照らし合わせて、誰がどのプレイヤーにいくら賭けているかを記載し、厳密に管理していた。


 ティオから受け取った二枚の木札を手に、「じゃあ、行ってくる!」とすぐにも立ち去りそうな勢いのボロツを、チェレンチーが慌てて呼び止めた。


「ぼ、僕も一緒に行きます、ボロツ副団長!」

「あん?……心配すんなって、チャッピー。今までだってちゃんと賭けてきてたんだ。今回もバッチリだぜ。いや、今回は特に気をつけて、絶対間違いのないように賭けてくるからよ。」

「い、いえ、そうではなくて、ですね……」


 チェレンチーは、慌ただしくズボンのポケットから、ドゥアルテを完膚なきまでに負かしてほしいとティオに願いでた時に取り出した小さな袋を引っ張り出していた。

 ティオには受け取ったもらえなかったが、みすぼらしい小さな布の袋の中には、チェレンチーが傭兵団で過ごしたこの約一ヶ月で得た報酬である銀貨二枚が入っていた。


「ぼ、僕も、この自分のお金を外ウマに賭けたいんです! もちろん、ティオ君が勝つ方に!」


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「ティオの筆記能力」

大商人であるドゥアルテ家で子供の頃から英才教育を施されてきたチェレンチーが驚愕する程、ティオの筆記能力は高い。

文字を書く速さ、正確さ、文言の適切さ、文字の配置のバランスなどが完璧なだけでなく、文字そのものも機能的な美しさを持って完成されている。

ただし、極度の刃物恐怖症のため、ペンは羽ペンしか使用出来ない。

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