過去との決別 #96
「……ティオ君、この後は、計画通り兄さんから、予定していた金額分、ドミノで勝つつもりなんだよね?……」
「……ええ、そうです。……」
チェレンチーは、ティオに歩み寄ると、向かいの席のドゥアルテ達に聞こえぬよう声を潜めて確認した。
「……予定の金額って……ティオ、お前、どんだけ勝つ気なんだよ?……」
「……換金にする時に手数料が掛かるので、それも含めて、まあザッとこれぐらいですかねー。……」
チェレンチーは、前もってティオから、あるものの購入資金として必要な額を聞いていたが……
ティオがテーブルの下で示した指の数を見て、この時初めて正確な額を知ったボロツは、思わず「んぐげ!」と、潰れたカエルのような驚きの声を上げていた。
□
そう、ティオが傭兵団の強化のために欲しがっているあるもの……
一つでも相当な金額だが、それを出来れば幹部の人数分用意したいというのがティオの希望だった。
一人頭最低銀貨300枚と考えて、十二人分ザッと概算で銀貨3600枚。
この『黄金の穴蔵』でドミノゲームに参加するため、国の軍部から傭兵団用に支給された資金である約銀貨300枚を使っているため、それを丸ごと回収する必要もあり、必要となる銀貨は合計約3900枚、大体4000枚と言った所か。
チップを現金に換金するには、二割の手数料が取られる事から、銀貨4000枚を持って帰るには、つまり……5000枚分の赤チップを稼がねばならない。
ボロツは、ティオが示した「赤チップ5000枚」というあまりの大金に青ざめていたが……
実はもう、目標金額までかなり近づいていた。
まず、ボロツが賭けていた外ウマが、既に赤チップ2000枚を超えていた。
後はティオがドミノゲームのみで稼いだチップだが……
今まで赤チップ卓で負けていった者達のチップは、一旦は貴族の三男やドゥアルテに回っていたのだが、今は最終的に巡り巡って勝ち続けているティオの元に集まってきている状態だった。
最初に負けてテーブルを去った材木問屋の負けは、赤チップ約150枚。
次に、地方の地主は、500枚分負けた所で、更にツケで500枚借り、返せないまま終わったため、合計約1000枚。
その後に入った貴族の男は100枚程負けた所で、「ゲンが悪い」と、恐れをなして帰っていった。
そして、最後に、ずっとドゥアルテと共にテーブルについていた貴族の三男が、150枚程負けた所でゲームを降りた。
ただし彼は、その負け分をドゥアルテに貸していた金を返させる事で補っており、また、ドゥアルテが渋って足りなかった分は、ティオが彼を勝負から下ろすために袖の下として渡していたため、実質プラスマイナスゼロで終えていた。
ちなみに、ティオが貴族の三男に銀貨50枚分の金を支払った事は、ドゥアルテがツケでチップを借りている際の待ち時間に、チェレンチーはティオから聞かされていた。
「……すみませんー。俺一人の判断で動いてしまってー。……」
「……い、いや。いいよいいよ、それは。元々ティオ君がドミノで勝って稼いでいたお金だしね。ティオ君がその方が有利だと考えた結果なら、僕は何も不満はないよ。……ああ、なるほど、それでいつの間にか箱の中のチップが減っていたんだね。……」
チェレンチーは驚きはしたものの、貴族の三男への賄賂に関して、ティオを責める気持ちは全くなかった。
貴族の三男から「金を返せ」と言われたドゥアルテが激昂して投げつけ辺りに散らばったチップを、チェレンチーは、ティオと従業員の老人と共に拾い集めたが、その後、ふとティオのチップが減っているのに気づいて不思議に思っていたので、かえって原因が分かってスッキリした気分だった。
あの時ティオは、「拾い忘れがありましたー! 届けてきますー!」と言って、自らチップを換金に行った貴族の三男を慌てて追っていったが……
実際は、チェレンチーの記憶通り拾い忘れたチップなどなく、ティオの自作自演であり、その時素早く銀貨50枚に換金出来る量のチップを自分の箱から持っていったのだと分かった。
誰にも気づかれずいつの間にかチップを持ち去る器用さは予想外だったが、それもティオならいとも簡単にやれたのだろうと、チェレンチーは妙に納得してしまっていた。
そんな一幕もあり、貴族の三男からは、賄賂の銀貨50枚分の出費を引いて、結果的に約100枚分のチップがこちらに動いた事になった。
そして、問題のドゥアルテだが……
おそらく、今晩は、赤チップ150枚程手元に置いた状態でゲームを始めたと推定される。
その150枚は、おそらく店側からツケで借りたものだろう。
ティオが赤チップ卓のテーブルに入ったのちの動きを追ってみると……
最初はティオが意図的に負けていたため、一旦は「久しぶりに大勝している」と貴族の三男に言われる程勝っていた。
材木問屋、そして、地方の地主の負けた分が、ドゥアルテに移動した状態だった。
しかし、ティオが残り赤チップ2枚という所から逆転をはじめ、地方の地主、その後に入った貴族の男、更に貴族の三男からも、チップを削り始めた。
そして、ついに、ティオの牙はドゥアルテの喉元にも届く。
貴族の三男に「貸した金を返せ」と迫られて、その時持っていたチップを全て彼に叩きつけて渡した。
これが、およそ赤チップ100枚であったが、おかげでチップがなくなり、ここで店から50枚のチップをツケで借りる事となる。
しかし、その金は、貴族の三男がテーブルを去るまでに見事に溶けていた。
そこからは、ティオとドゥアルテの一騎打ちとなった。
ドゥアルテは限度額いっぱいまでツケでチップを借り出し、800枚の赤チップをテーブルに積んでのゲームスタートとなったが、それもティオの前には、みるみる削られ、わずか2マッチでほぼ0となっていた。
そこに、ドゥアルテの命令であちこちから掻き集められるだけの金を掻き集めてきた番頭二人が現金を持ってやって来た。
その額、およそ銀貨1400枚。
しかし、それはチップに変える事は出来ず、まずは店から借りたツケを返さねばならなくなり、銀貨100枚が不足した状態に陥った。
ここで、ティオが、それを予見していたかのように、ドゥアルテが家から持ち出した母親のジュエリーを、外ウマに賭けて増やした自分個人の金で買い上げ、ドゥアルテは銀貨750枚を得た。
これにて、店へのツケを全額返済し、更に残った分を全てチップに替え、赤チップ約500枚を得る事になる。
加えて、ツケを返却した事で、また新たにチップを借りられるようになり、赤チップ500枚を借り出して、合計赤チップ1000枚余をテーブルに積み、ティオとの勝負を仕切り直す。
1マッチ目は、ティオが驚異の大勝を築き、850枚程勝つが、2マッチ目では負けが込み、増えたチップを400枚まで減らしてしまっていた。
そういった経緯を経て、今現在ドゥアルテは赤チップ約600枚を手元に持っている状態だった。
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改めて、今現在のティオの純利を計算してみると……
材木問屋の赤チップ150枚、地方の地主の1000枚、貴族の男の100枚は、順当に、最終的にはティオの元に集まっている。
ここまでで合計赤チップ約1250枚の勝ちである。
そして、貴族の三男は、約150枚の負けだったが、銀貨50枚を賄賂として渡したので、差し引き約100枚の勝ちとなり、合計1350枚。
ドゥアルテからは、まず、最初の手持ち150枚、次にツケで借りた50枚……
更には、一対一の勝負になった時に追加でツケで借りた800枚をも巻き上げた。
ティオ個人の金でドゥアルテの持ち出した宝飾品を買い上げた分は、傭兵団の資金の出納に入れずに考えて……
その後、更に400枚分勝った事になる。
つまり、ドゥアルテから、ここまで合計1400枚の赤チップを奪っていた。
赤チップ卓を囲んだ、他四人から得た1350枚とドゥアルテから得た1400枚。
なんと、その合計は2750枚にも及ぶ状況になっていた。
ここに、ボロツが外ウマで増やした約2000枚の赤チップを加えると、4750枚となり……
当初の目的の5000枚に、もう後一歩で手が届く所まできていたのだった。
改めて、ティオの超人的なドミノの腕前だけでなく、同卓となった相手プレイヤーの人心掌握、外ウマの勝ち方の調整をはじめとした卓越した戦略に驚かされる結果であった。
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(……そう、後少しで、目標を達成出来る。予定していた金額が集まる。……)
(……最初は、ドミノ賭博で、銀貨4000枚分も稼ぐなんて、さすがに夢物語だと僕も思っていた。でも、実際にティオ君は、もうその目標金額に近い所まで稼いでいる。そして、おそらく、このまま順調に後赤チップ約250枚分稼いで、計画を完遂させる事だろう。……)
(……でも……)
チェレンチーは、グッと唇を噛み締めると、ティオの肩に手を置いて彼に話しかけた。
気持ちの強さが、思わず力となって手にこもる。
「ティオ君、きみに、折り入ってお願いがあるんだ。」
「チェレンチーさん?」
赤チップ卓のテーブル席に着いているティオが振り返り、チェレンチーの酷く思いつめた様子を見て、長く伸ばしたボサボサの前髪の下でわずかに眉をしかめた。
「君を、雇いたい。」
「え?」
と、大きな丸眼鏡のレンズの奥で目を見開くティオに、チェレンチーは、自分のズボンのポケットを慌ただしく探って、中から小さな布の袋を取り出した。
それをティオの手に、両手で彼の手を握りしめるようにして渡す。
「ごめん、今、僕には、これだけした持ち合わせがないんだ。」
「これは……チェレンチーさんが、傭兵団に入ってから貰った給金ですよね?」
「うん。全然使わなかったから、なんとなく貯めていたんだ。ちょうど、大銅貨二枚分だよ。……本当は、もし賭博に失敗した時、補填の足しにしようと思って持ってきたんだ。いや、こんなんじゃ全然足しにならないのは、分かっているんだけどね。」
ティオは、手渡された袋を開いてチラと中を確認すると、すぐにまた閉じ、固く紐を縛った。
「これが、今の僕の全財産なんだ。本当に少なくてごめん。でも、きっと、その内仕事を見つけて、お金を稼いで、もっともっと払うよ。」
「だから、今夜、僕に君を雇わせて欲しいんだ。」
「俺を雇って、どうするつもりなんですか?」
ティオは、チェレンチーの真剣さに応えるように、真っ直ぐに向き直り、真顔で問うた。
「チェレンチーさん、あなたが、俺に望むものはなんですか? 俺に何をして欲しいんですか?」
「兄さんを……」
「兄さんを、ドミノで完膚なきまでに叩きのめして欲しい。」
「可能な限りチップを巻き上げて、どん底まで叩き落として欲しい。……そう、恐怖とトラウマで、もう二度と賭博に手を出そうなんて思えなくなる程に。」
チェレンチーは、険しい表情でハッキリとティオにそう告げた後……
フッと息を吐いて苦笑した。
「……このドミノの勝負で、兄さんがこれ以上負けなくても、今夜これ以上お金を失わなくても……いずれは、たぶん、そう遠くない未来に、兄さんが、ドゥアルテ家とドゥアルテ商会と共に破滅するのは、僕も良く分かってるんだ。」
「そう、僕やティオ君が、わざわざ手を下すまでもない。勝手に自滅していくのが、簡単に予想出来る。」
「でも、それじゃあ、僕の気が済まないんだ。」
「……それは、あのクソ兄貴を憎んでて、どうしても許せないって事なのか?」
と、全く表情を変えずジッとチェレンチーの言葉に耳を傾けているティオに代わって、ボロツが眉間にシワを寄せて尋ねてきたが……
チェレンチーは静かに首を横に振った。
「僕は、兄さんを憎んではいません、ボロツ副団長。もちろん、好きではないですけど。元々兄さんに対して、肉親の情のようなものもほとんど持っていませんでしたし。」
そして、顔を上げると、キッと再び険しい目つきに変わり、確固たる決意の元に語った。
「僕が許せないのは……あんな状態のドゥアルテ商会が、今も存続している事です。」
「ドゥアルテ商会は、腐ってもこの国有数の大商会です。このまま放っておいてもズルズルと経営は傾いて、やがては自然に崩壊するでしょう。しかし、それまでには、後数ヶ月か、半年か、まだまだ時間がかかる。今のドゥアルテ商会は、体のあちこちが腐り出した大きな蛇のようなものです。でも、図体がムダに大きいが故に、腐りきって、この国の経済から完全に消え去るまで、時を必要とするんです。」
「僕には、それが、どうにも我慢ならない。」
「見苦しい、みっともない、情けない。」
「長い間、ドゥアルテ商会に関わってきた人間として、また、一商人として、あんな状況の商会が、この国の経済にズルズルと存在し続けている事が、嫌なんです。」
「どうせいずれ訪れる終わりなら、今ここで、僕のこの手で、終わらせてしまいたい。先代当主である父さんに、仮にもドゥアルテ商会の未来を託された僕自身が、幕を降ろしたいんです。ドゥアルテ家とドゥアルテ商会に関わってきたこれまでの僕の全てに、今ここで、ケリをつけたいんです。」
「もちろん、これが、ただの僕のエゴだと分かっています。でも、今の僕は、そんな自分の意地を、なんとしても貫き通したい気持ちでいっぱいなんです。」
歯を食いしばり、爪が食い込む程ギュッと強く両の拳を握りしめるチェレンチーを、ティオはしばらくただ黙って静かに見つめていたが……
やがて、フッと柔らかく微笑むと、チェレンチーの固く握った拳を包むように握り返してきた。
ゆっくりと力の抜けてゆくチェレンチーの手を開かせ、その上に、先程受け取った、チェレンチーが傭兵団で貯めた金が入った小さな袋をそっと置く。
「チェレンチーさんの気持ちは、良く分かりました。……しかし、このお金は受け取れません。」
「ティオ君!」
再び両手でチェレンチーの手を包み込み、彼の手の中に給金の入った小袋を握りこませるように戻すティオに……
チェレンチーは、彼が自分の申し出を断ったのだと受け取り、悲痛な声で訴えるようにティオの名前を呼んでいた。
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☆ひとくちメモ☆
「傭兵団の資金繰り」
傭兵団の作戦参謀となったティオは、様々な方法で資金集めに奔走していた。
ナザール王国の軍部に掛け合って傭兵団用の資金をもぎ取ったり、城下町で情報収取の際に知った賞金首の居場所を警備兵に教えたり。
賭博場で稼ぐのは出来ればやりたくなかったようだが、短時間で大金を得るには、他に方法がなかった。




