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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第七節>過去との決別
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過去との決別 #92


「……じょ、冗談じゃねぇぞ! ようやく親父が死んで、ドゥアルテ家もドゥアルテ商会も、全部俺のものになったって言うのに、それを丸ごと渡せだぁ?……あれは、みんな俺のものだ! 俺の金だ! 俺が好きに使うんだよ! 誰にも邪魔はさせねぇぞ! お前なんかに、渡してたまるかぁ、チェレンチー!」


 激昂したドゥアルテが、バン! とドミノ専用のテーブルを叩いて腕を振り回したせいで、上に置かれていたドミノ牌がバラバラと赤い絨毯の上に散らばった。


「親父が生きてた時みたいに、また貰った小遣いでチマチマやってけだって? この俺が、どんだけ親父の顔色をうかがって息苦しい思いをしてたと思ってんだ! 二度とゴメンだぞ、あんなのは! 俺は自由に生きてぇんだよ! それの何が悪い? ドゥアルテ家当主でありドゥアルテ商会頭取の俺が、自分のものを自分の好きに使うのは、当たり前だろうが!」


「ドゥアルテ家の存続? ドゥアルテ商会の維持?……知った事か、そんなもの! 悪いのは俺じゃねぇ! 悪いのは全部、ちゃんと働いて金を稼いでこないコイツら従業員のせいだ! だから、コイツらの給料を無くして、もっと働かせればいいんだよ!」


 また自分の思い通りにいかない事態を前に癇癪を起こしだしているドゥアルテを前に、番頭達が慌てて口を挟んできた。


「……さ、さすがに、旦那様から商会経営の全権を取り上げるというのは……」

「もう少し、穏やかな方法は考えられませんか? 旦那様にも経営に携わってもらいながら、チェレンチー様は、あくまでその補佐をするという形で……」


 このままでは交渉が決裂してしまうと思った番頭達は、チェレンチーをなだめるように折衷案を提示してきた。

 いつまでたっても子供じみた自己中心的な思考の抜けないドゥアルテを説得するのはもう無理だと身に染みているらしく、話の通じそうなチェレンチーに訴えてきたのだろう。

 しかし、チェレンチーは、表情をこわばらせるだけで、全く譲歩する様子を見せなかった。


「それが出来たら、僕もここまで強硬姿勢に出ていません。実際、この一ヶ月、お二人は兄さんを支えてドゥアルテ商会の仕事を続けてきたのでしょう? それで、どうなりましたか? 上手く回りましたか?……無理だったのでしょう? でなければ、現在ここまで商会の経営が逼迫している筈がありません。」


 先代当主であった父に鍛えられた生え抜きの番頭達には、チェレンチーの意見が徹頭徹尾正論である事が理解出来ていたのだろう。

 二人とも早々に渋い表情で黙り込んでしまっていた。

 チェレンチーは、一人まだ納得のいっていないドゥアルテも含め、三人に向かって更に理屈を説いた。


「兄さんが商会経営の権限を持ったままで、健全に商会を運営していくのが無理だという事は、既にもう、父さんが答えを出しています。」


「父さんは、自分の息子である兄さんの事をとても可愛がっていた。まさに目の中に入れても痛くないと言える程に。……でも、そんな父さんでさえ、自分が生きている時、兄さんには商会の経営に一切手を出させなかった。兄さんには商いの算段は到底無理だと分かっていたからでしょう。」


「本来なら、後を継ぐべき人間には、代替わりの前から少しずつ仕事に関わらせ経験を積ませていくものです。だからこそ、経営者が変わってもスムーズに事業が継続出来る。……でも、父さんはそれをしなかった。もちろん、兄さんが商会の事業に興味がなく積極的に関わろうとしなかったという理由もあるでしょうけれど。」


「父さんでさえも、後を継がせようと思っていた兄さんを、自分が生きている時は、そばで仕事の手伝いをさせるどころか、明らかに商会の経営から遠ざけていたのです。それはすなわち、兄さんに関わらせては、商会の運営に不都合が生じると判断していた事に他なりません。……皆さんも知っての通り、父さんは生粋の商人でした。決して意味のない行動はしない。特に商売の上では、必ず利害を考えて動いていました。そんな父さんが、兄さんを商会の経営に徹底的に触れさせないという姿勢を生涯崩さなかった。それが、もう、何よりの答えでしょう。」


「あの商才の塊のようだった父さんに出来なかった事が、この僕に出来るとは到底思えません。……番頭であるお二人も、この一ヶ月、兄さんの元で必死に商会の利益を出そうと奔走してくれていたと思います。けれど、結局上手くいかなかった。別に僕は、お二人を責めている訳ではありません。あなた方でも、僕でも、誰であろうとも、無理なものは無理だと言いたいだけです。」


「もし優秀な人材をどこかから商会に連れてこれたとしても、兄さんが権限を握っている限り、それは同じ事でしょう。……僕はまだ、先代当主である父さんの息子で、兄さんとも血が繋がっています。そして、何よりも、父さんに『ドゥアルテ家とドゥアルテ商会を頼む』と託され、その約束を果たしたいと思っています。……でも、仮に優秀な人材が見つかったとして、その人間には、僕のような決意も義務も情ありません。兄さんを頭取に置いたままでドゥアルテ商会の経営を立て直すなどという無理難題に、身を粉にして果敢に取り組んでくれるとは、到底思えません。優秀な人物なら尚更、素早く見切りをつけて、もっと好条件の職場に身を置く事を考える事でしょう。」


「そう、僕だって、父さんとの約束がなければ、こんな面倒な事には関わりたくないというのが正直な気持ちです。僕は、もう、ドゥアルテ家を勘当された身ですしね。」


 達観した冷めた表情で苦笑いを浮かべるチェレンチーに、それでも番頭達は、最後の一糸に縋るように言い募った。


「し、しかし、前の旦那様はチェエンチーさんに言っていたのでしょう?『兄を助けて、ドゥアルテ商会を守ってほしい』と。」

「そ、そうですよ、チェレンチー様! あなたが先代に頼まれたのは、あくまで、ドゥアルテ商会を継ぐ今の旦那様の『補佐する事』であって、今の旦那様から全ての権限を剥奪して、自分一人で商会の経営を担う事ではなかった筈です!」

「わ、我々も、そう想像していました。前の旦那様が、常々あなたに『ドゥアルテ商会を頼む』と言っていたのは、私達も良く知っています。し、しかし、ドゥアルテ商会を継ぐのは、今の旦那様の筈です。先代は何度もそう言っていました。」

「そ、その通りです! 先代との約束を守りたいと言うのなら、ドゥアルテ商会の頭取はあなたのお兄様である、今の旦那様であるべきなのではないですか?」


 ドゥアルテは、不満そうな態度をあらわにしながらも、黙って番頭達の様子をうかがっていた。

 とにかく、チェレンチーが提示した条件は、到底彼には納得出来るものではなかったが、その理由を理路整然とチェレンチーに説明する知性も知識も交渉能力も、ドゥアルテは持っていなかった。

 そんな彼と違って、かのドゥアルテ商会の第一線で働き続けてきた番頭達は頭も口も良く回るため、自分の代わりにチェレンチーを言い負かしてくれるとでも思っていたのかもしれない。


 チェレンチーは、フッと目を伏せ、自分の脳裏に刻まれている亡き父を思い出しながら語った。


「確かに、僕は父さんから、兄さんを支えてドゥアルテ家とドゥアルテ商会を守っていくように言われました。」


「僕が兄さんに代わってドゥアルテ家当主となり、同時にドゥアルテ商会の頭取となる事は、きっと父さんの望む所ではないでしょう。」


「僕は父さんに、子供の頃から商人としての知識や技術を叩き込まれてきました。商会ではずっと下働きもしていましたし、父さんが倒れてからは看病のかたわら父さんの仕事の補佐をしていたのは、お二人も良くご存知だと思います。」


「そう、父さんは、僕をドゥアルテ家とドゥアルテ商会のために、心血を注いで鍛え上げてきた。そうした結果が、今のこの僕という訳です。……そして……」


 チェレンチーは、ゆっくりと伏せていた目を上げると、真っ直ぐに番頭達を見据えた。

 腰の低さ、人当たりの良さ、他者の意図を敏感に汲み取る感性、自分の考えを詳細に伝える表現力……

 相手の心づもりを良く理解した上で、しっかりと相手を納得させ、極めて自然に自分の望む結論へと導く話術の妙……

 そんな商人として一分の隙もなく完成された気配が、今のチェレンチーからはひしひしと漂っていた。


「今の僕が、一商人として出した結論は……『現状のまま兄さんに権限を持たせた状態では、ドゥアルテ家とドゥアルテ商会の存続は不可能』……というものでした。」


「これは父さんの願いに反する解決法なのかもしれません。しかし、だからと言って、僕自身の判断は変わりません。……そこで、父さんの兄さんや奥様に対する思いを踏まえた上で、僕なりに出した答えが、先程話した『僕が兄さんに代わって、ドゥアルテ家とドゥアルテ商会を管理する。そこで出た利益を、兄さんと奥様に分配する。』という構想です。これ以外にドゥアルテ家とドゥアルテ商会が存続していく方法はないと、僕は確信しています。」


「もう、僕の中で答えは出ています。お二人が何を僕に訴えても、兄さんが何を言っても、僕の考えは変わりません。そして、僕がドゥアルテ家に戻る条件は、最初にお伝えしました。……もう一度繰り返すと……」


 チェレンチーは、今一度、顔の前に手を掲げて、指を一本、もう一本と立てながら言った。


「その一、『ドゥアルテ商会の経営の最高決定権を、僕に一任する事』……その二、『僕がドゥアルテ家の当主となり、財産の全てを管理する事』……この二つです。」


「この二つの条件が満たされないのなら、僕はドゥアルテ家に戻る事はありません。」


「一切譲歩はしません。僕が示した条件を飲むか、あるいは、拒否するか。その二択です。」


「と言った訳で、僕が兄さんとお二人に伝えたい事は全て伝えました。後は、皆さんの問題です。良く考えて、返事を聞かせて下さい。」


 そう言って、一旦言葉を切ったチェレンチーだったが、ふと思い出したように、穏やかな笑顔でつけ足した。


「あ! でも、まだゲーム中でしたね。出来たら、なるべく早く結論を聞かせて下さい。他の方々を僕達の私的な理由でいつまでもお待たせしてはいけませんから。」



 チェレンチーから決定的な最後通告を突きつけられ、さすがの古参の番頭達も、しばらく呆然として言葉が出ない様子だった。

 落ち着かなげに様子をうかがっていたドゥアルテが、取りつく島のないチェレンチーに番頭達が圧倒されるのを見て、慌てて「おい!」と、呼びつけ、ハッとなった二人が、テーブルに寄っていった。


「結局、どういう事なんだ? 一体どうなったんだ?」

「ど、どういう事と、言われましても……」

「こ、ここから先は、私達では決められません! チェレンチー様の処遇は旦那様に決断していただかないと!」


 チェレンチーがドゥアルテ家に戻る条件を明示し、またその理由も懇切丁寧に説明したというのに、未だ話の内容を把握出来ていないらしいドゥアルテを前に、番頭達はひたすら困惑していた。

 ドゥアルテ商会が存亡の瀬戸際に立たされているこの状況で、全く危機感のない主に対し、必死に抑えてはいても、どうしても不安と不信の感情が顔に浮かんでいた。


「いやはやー。ドゥアルテさんにとって、とってもいい話じゃないですかー。」


 思いがけない所から能天気な声が聞こえてきて、パッと反射的に、ドゥアルテと番頭達はそちらに目を遣った。

 それは、ドゥアルテと同じ赤チップ卓のテーブルの向かいの席に座って、彼らの話が終わるのを静かに待っていた傭兵団のうら若い青年だった。

 ドゥアルテが着ている、たっぷりと布地を使う事で袖口を膨らませたシャツとは対照的に、ムダのない直線的な白いシャツを身につけ、襟元に鮮やかな群青色のリボンタイを結んでいる長身の青年は……

 伸ばしっぱなしのボサボサの黒髪に、大きく分厚いレンズの入った眼鏡を掛けているという奇抜な外見だったが、全体から感じられる気配は、年相応の瑞々しいものだった。

 おそらく、この賭博場の客で一番年下と思われる、一見全くこの場に不釣り合いな二十歳にも達していない若さでありながら……

 この賭場の中心である赤チップ卓のテーブル席に座り、全く臆する事なく飄々とした態度で微笑んでいた。


「要するにー……面倒な事は、ぜーんぶチェレンチーさんが引き受けてくれるので、あなたは商売の事も家の事も考えずに気楽に遊んでいられるって話ですよ。あなたの遊ぶお金も、ちゃんとチェレンチーさんが用立ててくれると思いますよ。」

「……ティオ君!……」


 チェレンチーは、そんな青年の言葉を聞くと、パアッと、それまで緊張でこわばらせていた顔を綻ばせていた。

 ドゥアルテや番頭達にはあくまで事務的な態度で接していたのとは対照的に、その黒髪の青年に対しては、大きな信頼と好感を抱いているのがはた目にも良く分かる表情を浮かべていた。


「それで、ドゥアルテさん、結局どうしますか?」


「あなたが、先程のチェレンチーさんの提示した条件を受け入れると言うのなら、チェレンチーさんはドゥアルテさんの側に戻る訳ですから、俺もそんなあなたに弓を引くつもりはありません。」


「今夜のドミノの勝負はここで終わりという事で、清算をして引き上げます。」


「しかし……」

 と、チェレンチーにティオと呼ばれた青年は、背を正して真っ直ぐにドゥアルテ達を見つめ、穏やかながらも良く耳に残る声で言った。


「もし、あなたが、チェレンチーさんの提案を受け入れず、結果チェレンチーさんがそちらに戻らなかった場合、あなたは依然、俺にとってはドミノゲームの相手であり倒すべき敵です。当然、勝負は続行させてもらいます。」


「ああ、もちろん、あなたがまだ勝負を続ける事を望めば、ですがね。」


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ドゥアルテ商会」

ナザール王国一二を争う大商会であり、扱っている商品は多岐に渡る。

王都の一等地に大きな本店を構え、地方にもいくつもの支店を持つ。

業務内容によって様々な部署に分かれており、部署ごとの責任者を番頭達が取りまとめ、そこから上がってきた案件を頭取が最終決定するという統制のとれた組織形態で運営されていた。

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