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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第七節>過去との決別
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過去との決別 #80


「……チェレンチー?」


 ふと、名前を呼ばれて、チェレンチーは顔を上げた。

 向かいの席のドゥアルテのそばに立っていた番頭二人の内、四十代半ばの男の方が、まるで不思議なものを見るかのようにこちらをジッと見つめていた。


「やっぱり、チェレンチーだ。」

「おお、本当だ。気づかなかった。」


 老年の大番頭も、もう一人の反応を知って、こちらに視線を送り、目を見開く。

 ドゥアルテの命令で掻き集めて来た金を渡しに来た二人は、今まで周りの様子を見るような余裕がなかったのだろう。

 今現在、ドゥアルテが彼らの持って来た金をテーブルの上に全て広げ、『黄金の穴蔵』側の従業員達が金額を数えているために、やる事がなくなって、ようやくテーブルの向かいに目が行った、といった感じだった。


「……お久しぶりです。」


 チェレンチーは、少し考えた後、他になんと言っていいか分からなかったので、苦笑を浮かべながら短くそう答えた。

 やはり、大番頭と番頭の二人は、なぜチェレンチーがこんな所に居るのかといったような疑問に満ちた表情を浮かべていた。

 あるいは、傭兵団に入った事までは知っていたが、その後何も噂を聞かなかったために、もう死んでいるとでも思っていたのかもしれない。

 ドゥアルテが「あのクソ虫が傭兵団に入って死んでくれて良かった」などと語っていたのを、半ば信じていた可能性もあった。

 それなのに、紛れもないチェレンチー本人が、こうして元気そうな様子で、見慣れない黒い上着を身にまといスッと背筋を伸ばして立っているのを見て、まるで死人にでも会ったかのような驚きがあったのだろう。


「チェレンチーさん?」


 番頭達が来てゲームが中断したため、それまで腕組みをしてジッと待っていたティオが、振り返ってチェレンチーを見つめてきた。

 かつての同僚に話しかけられて動揺していないかと心配したのだろうと察したチェレンチーは、慌ててニコッと笑顔を返し、改めて番頭達に向き直った。


「お二人共、お元気そうで何よりです。」

「あ、ああ。……お、お前の方は、今何をしているんだ?」

「僕は傭兵団で働いています。戦闘は苦手なので、主に事務方の仕事を手伝っています。」

「そ、そうだったのか。……い、いや、しかし、どうしてこんな所に?」

「それは……実は傭兵団の予算では買えないものがありまして、その資金を稼ぐために来ているのです。」

「ええ? 傭兵団の資金を稼ぐために、賭博場に?」


 ナザール王国有数の大商会の上層部で長年働いてきた堅物の商人である番頭達は、資金の工面に賭博場に来ていると聞いて、思わず嫌悪感をあらわにしていた。

 世間での悪評もあるのだろうが、(さすがは噂に聞くならず者の寄せ集め集団の考えそうな事だ)と、バカにしたような呆れたような雰囲気を感じた。


「何かおかしいですか?……ああ、俺はティオと言います。チェレンチーさんとは、傭兵団で共に仕事をしています。」

「あ……は、はぁ。」

「そちらも、商会の運営資金が足りずに困っているのを、このドミノゲームでドゥアルテさんが買って穴埋めするといったような事を先程話していましたよね? 俺達がこの店で傭兵団の資金を稼ぐ事と、なんの違いがあると言うのですか?……ああ、俺はちゃんと勝っていますから何も問題ありませんよ。でも、そちらは……まあ、いろいろと大変そうですねぇ。」

「……うぐっ!……」


 ティオが話に加わってきた事で、番頭達はあっという間にティオの口八丁にやり込められ、苦い顔つきになっていた。

 慌ててチェレンチーがポンポンとティオの背を叩き「ティオ君!」と止めたので、ティオもおどけた表情で肩を竦めて口を閉ざしたが。


 番頭達はまだ何かチェレンチーに言いたげだったが、それを遮るように『黄金の穴蔵』の従業員の老人が声を発した。


「ドゥアルテ様、あなた様の所持金、全て数え終わりました。」



「金貨132枚、銀貨86枚、銅貨248枚でした。……全て銀貨に換算すると、1408枚となります。銅貨48枚分は銀貨には換算出来ません。」

「分かった。じゃあ、今すぐ、銀貨1400枚分だかを全部チップに替えろ。俺はさっさと勝負の続きがしてぇんだよ。」


 番頭達が必死の思いで掻き集めてきた商会に残っていた最後の回転資金と思われる現金を、ドゥアルテが迷わずチップに変えると言い出したので、当然番頭達は彼を止めようと慌てたが……

 ストップが掛かったのは、思わぬ所からだった。


「この貨幣をチップに替える訳にはいきません。」


 そうハッキリと言い切ったのは、チップ交換の仕事をしている従業員二人と共にドゥアルテの所持金を数えていた、この賭博場のオーナーの使用人でもあるという小柄な老人だった。

 彼ら三人の働きにより、商会の番頭達が持ってきた金は全て、金貨、銀貨、銅貨にしっかりと分類され、それぞれ十枚づつ重ねられて並べられていた。

 おかげで、小柄な老人が先程言った金額が間違いのない事が、誰の目にもすぐ見て分かる状態となっていた。


「はあ? 一体どういう事だ? 金はちゃんとここにあるだろうが!」


 当然、ドゥアルテはカッとなって老人に食ってかかってきた。

 椅子から立ち上がり、相手が小柄な老人であるという事もお構いなしに、ガッとその胸ぐらを掴む。

 その様子を見て、壇上に置かれた豪華な椅子で葉巻をふかせていた『黄金の穴蔵』のオーナーが、顔色を変えて「お客様!」と声を上げた。

 ティオも、思わず椅子から腰を浮かし、止めに入ろうという様子を見せるが……

 ドゥアルテに胸ぐらを掴まれている老人本人が、チラとこちらを見遣って「大丈夫です」と言うように、軽く手を挙げて制した。

 エンジの従業員の制服を着た小柄な老人は、ドゥアルテに対して、少しもひるむ事なく言葉を続けた。


「申し訳ございませんが、お客様は、現在当店からツケでチップ1500枚借りている状態でございます。」


「また新たなチップを必要となさっているならば、まずは現在店側が貸しつけている1500枚分のチップの代金を全て支払って下さいませ。」

「この俺に、ツケのチップの代金を払えだぁ? テメェ、良くもそんな事が……」

「あなた様だけにお願いしている訳ではありません。これは当店『黄金の穴蔵』のルールでございます。この店にいらっしゃっているお客様には、誰でも等しくこの店のルールに従ってもらうのが決まりです。」


「もし、この当店のルールが守れなければ、たとえ赤チップ卓の常連客のお客様であろうとも、即刻この店から立ち去ってもらわなければなりません。」

「グッ!」


 老人の、半ばシワに埋もれた冷たい程に冷静な小さな目に見据えられ、ドゥアルテもようやく、自分の意見が通る場面ではないと理解した様子で、パッと放り出すように老人から手を放した。

 トトッと、バランスを崩しかけた老人を、素早く椅子から立ち上がって動いていたティオが、サッと背中に手を当てて支える。

 老人はすぐに自分でしっかりと足を踏みしめて立ち直り、ティオに丁寧に礼を言っていた。


 ドゥアルテは、苛立ちまぎれにバシバシとテーブルの天板を叩き、地団駄を踏むように床を蹴りながら言ってきた。


「じゃあ、ツケの金を支払えば、またチップが借りられるって訳だな?」

「はい。その通りでございます。」

「よーし、分かった。なら、払ってやろうじゃないか。それで文句ないだろう?」

「はい。……しかし、お客様が現在持っていらっしゃる金額では、店が貸しつけたチップの代金に足りません。」

「は、はあぁ? なんだって? 金が足りないだと!?」

「さようでございます。」


「お客様は当店の特別な顧客でいらっしゃいます。ですから、こちらといたしましても、必ず代金をいただけると信用して、チップを貸し出しております。もちろん、利子はつけておりませんし、貸し出したチップの代金にも二割の手数料は掛かりません。ですが、こちらとしてもそれだけお客様を優遇させていただいておりますので、その代わりとして、貸し出したチップの代金は、きっちりと支払っていただきたく存じます。」


「有り体に言うならば……銀貨1500枚をお支払いいただけるまで、お客様には、チップ一枚たりともお渡しする訳には参りません。また、銀貨1500枚という金額を、銅貨一枚たりともまける訳にはいきません。……これが当店のルールでございますので、どうかご理解下さいますよう。」


「ドゥアルテさんが今持っている現金は、銀貨1408枚でしょう? 要するに、銀貨1500枚には、後銀貨92枚足りないって事ですよ。その銀貨92枚をどこからか工面してきて、きっちり銀貨1500枚支払わなければ、新しいチップは借りられないんですよ。」

 と、よろけた小柄な老人を支え助けた後、自分の席に戻ったティオが淡々と解説をつけ足した。


 ドゥアルテは、目の前に銀貨1400枚相当の現金があるのに、それがすぐチップにならず、まずは店側に溜めたチップ1500枚分のツケを先に払わなければならない、というルールになかなか納得がいかないようだったが……

 早くゲームを再開して、ここまでに失った金を取り戻したい一心から、その『黄金の穴蔵』側のルールを飲む事を決めたようだった。

 とは言え、ティオが補足説明したように、店へのツケを返しきるには、銀貨が92枚足りなかった。


(……な、なるほど。金を持ってきた番頭達に『黄金の穴蔵』側が用心棒を二人もつけていたのは、金を無事運んでくるための護衛というだけじゃなく……店のツケを確実に回収するための「監視」の意味もあったのか。……)


 チェレンチーは、従業員の老人の話の内容から、帯刀した用心棒に挟まれるように番頭達がやって来た物々しい様子に納得がいった。

 しかし、まだ足りない分の金を兄がどう補填するのかは全く予想がつかず、首を傾げていた。

 一方でティオは、まるでこれから何が起きるのか知っているかのように、テーブルの上に肘をついて組んだ指の上にアゴを乗せ、楽しげにニコニコ笑っていた。


「おい。お前ら。」


 すると、ドゥアルテが、グルリと振り返って、再び二人の番頭を見た。

 そして、ズイッと、至極当然といった様子で腕を伸ばす。


「あれを出せ。」

「……え?」

「『え?』じゃねぇんだよ。俺の命令通り、ちゃんと持ってきてるんだろうな? 持ってこなかったら、お前ら二人とも即刻首だって言ったよな?」

「は、はい。……し、しかし、旦那様、これは奥様の持ち物でして……勝手に持ち出した事がもし奥様に知られれば、大変な事に……」

「いいから出せって言ってんだよ! 俺はドゥアルテ家の当主だぞ! あの家では俺が一番偉いんだぞ! ババアの顔色なんかうかがってんじゃねぇ!」


 ドゥアルテはほぼ恫喝する勢いで怒鳴りつけ、中年の番頭が恐る恐る懐から取り出した袋を、バッと奪い取っていった。

 すぐに袋の口を開き、中を確認して、ニマリと唇の端を歪めて笑う。

 おそらく、ドゥアルテが欲しがっていたものがそこに入っていたのだろう。

 チェレンチーが訝しげに見守っていると、ドゥアルテは、先程番頭達が集めてきた金を袋を逆さにしてテーブルの上に無造作にぶちまけたのと同じ要領で、袋の中身をばら撒いた。


「ああっ! ちょっと、ダメですよ、そんな乱暴な!」


 思わずティオが青い顔をして止めようとしたが、どうにもならなかったようで、顔半分を手で覆って悲痛な面持ちをしていた。


(……こ、これは!……)


 チェレンチーも、ドゥアルテがテーブルの上にジャラジャラとぶち撒けた袋の中身を見て、息を飲んでいた。


 そこには、様々な宝石が散りばめられた、ネックレス、指輪、腕輪、耳飾り、ブローチなど、さまざまな宝飾品がキラキラとシャンデリアの灯りに輝いていた。

 繊細かつ豪華な金や銀の細工を見るに、一目で女性用の装飾品と分かる。

 どれも見事な作りで、あしらわれている宝石も質の良いものばかりであり、間違いなく一級品と言えるジュエリーの数々だった。

 ドゥアルテが番頭達に無理を言って持ってこさせた状況、持ち出した事を夫人に知られてはマズイといった会話の内容、商会では宝飾品はあまり扱っていない事……

 それらの事柄から総合して推察するに……


(……あれは、奥様のコレクションなんじゃないのか?……兄さん、本人に黙って、奥様が大事にしている宝飾品を番頭達に持ち出させたのか? なんて事を!……)


 驚愕したチェレンチーがドッと冷や汗を吹き出す目の前で……

 ドゥアルテはテーブルの上にばら撒いた中から、紫の宝石をちりばめた黄金に輝くネックレスを指に摘み上げ、ジャラリとかざして見せた。


「どうだ。見事だろう。……これだけあれば、充分ツケが返せるよなぁ。」


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ドゥアルテの宝飾品」

賭博場『黄金の穴蔵』のツケの支払いに窮したドゥアルテは、自分の母親の宝石箱から、番頭達に命じて宝飾品を持ち出させていた。

先代当主の妻であるドゥアルテ夫人は、贅沢を好む人間で、頻繁に自分用のドレスやジュエリーを新しく仕立てていた。

元はドゥアル家の屋敷の本館で暮らしていたチェレンチーも、夫人の浪費癖については良く知っていた。

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