過去との決別 #77
いよいよ、ティオとドゥアルテの一対一の勝負が始まった。
壇上での勝負の進行を受け、いつしか、赤チップ卓の周りに設置された外ウマ用の長椅子の周りには、黒山の人だかりが出来上がっていた。
「おい! 押すなよ! チップが零れちまっただろうが!」
「そこのお前! 外ウマに賭けてもいないのに、椅子に座るのはやめろ!」
集まってきた客達の熱気も、人が密集している不快感で殺気立っているというだけでなく、どこか一種異様な狂気を帯び出していた。
まず、新参者が飛び入りで赤チップ卓に入る事自体珍しいと言うのに、この店の誰もが知っている赤チップ卓の常連客が、一人、また一人と、大敗してテーブルを去っていくという異常事態に、見物や外ウマの客達は、お祭り騒ぎを通り越して、もはや混乱しているかのようだった。
「しっかりしてくれよ、ドゥアルテー! 俺はお前に賭けてるんだからなー! この『黄金の穴蔵』の本物の博徒の実力を見せてやれー!」
「ポッと出の小僧になんて負けるなよー!」
興奮のあまり、『黄金の穴蔵』では禁止されている野次も、どこからか引っ切りなしに飛んでくる。
一触即発、まるで火打ち石を叩いたら爆発を起こしそうな、空気中に火薬の粉でも舞っているかのような、騒然とした空気だった。
ドゥアルテを鼓舞する者達は、身なりのいい中上流階級の者が多かった。
仲間意識からだろう、見るからに貧しそうなティオが金持ちの代表のようなドゥアルテに勝つのが気に食わないらしい。
ドゥアルテの性格の悪さは皆良く知ってはいるが、今は彼を応援しておきたい気分のようだった。
「頑張れよー、眼鏡の兄ちゃんー! 応援してるぞー!」
「スカした金持ちなんて、身ぐるみ剥いでやれー! ケツの毛まで毟ってやれー!」
一方でティオの応援は、真逆の客層の一般庶民だった。
庶民が上流階級の人間を打ち負かすという、彼らにとっては夢のような出来事が今目の前で起ころうとしている事に酷く興奮していた。
ティオを自分達に重ね、彼を応援する事で、普段は手の届かない遥か上に居る人間を叩きのす事が出来るという感覚に酔っていた。
チェレンチーはふと気がついたが、ティオを応援している者達の中には、今までティオが勝負してきた顔ぶれが混ざっていた。
特に印象に残っているのは、この賭博上で初めてゲームに入った裸チップ卓で気さくにティオにドミノのルールを教えてくれた大工の男。
他には、白チップ卓でティオをテーブルに招き入れてくれた、潰れた肉塊のような外見の行商の男も居た。
相変わらず気取った仕草で足を組んで悠々と椅子に腰を下ろしている貴族の三男の姿もあった。
不思議な事に、ティオがドミノで負かして金を巻き上げてきた人間のほとんどが、彼に嫌悪や憎悪の気持ちを向けていなかった。
むしろ「さすが俺を負かしただけの事はあるヤツだ! 初めからアイツは只者じゃないと思っていたんだ!」などと、ティオと勝負して大敗した事を自慢げに語っていたりする。
人徳、という言葉は少し違うかもしれないが、今まで接してきた人々がこぞってティオを応援しているこの状況は、ティオの性格を含め、彼の持つ不思議な資質故かもしれないとチェレンチーは思った。
『……それに、彼らがここで所持金を全額スらずに店に残ってくれれば、後々俺達の役に立ってくれるかもしれませんよ。……』
ふと、ティオがそんな事を言っていたのを思い出す。
それは、ティオが、大工の男が居た最初の裸チップ卓を去る時に、ボロツに答えた言葉だった。
「もっとアイツらから金を搾り取れただろう?」と言い募るボロツに、ティオは飄々とした笑顔を見せていた。
ティオは基本的に「金」というものへの執着がまるでない人間である事を、チェレンチーは今までの彼との付き合いで知っていた。
ティオは、今夜の目的であるドゥアルテ以外の客からチマチマ小金を集める気は、はじめから毛頭なかったのだろう。
ドゥアルテと一対一で戦う計画の「仕掛け」の一部でしかない彼らを、一文無しにして店を立ち去るまで追い詰めるのは、ティオの本意でない。
そう、むしろ彼らにはなるべく多く店に残ってもらい、このドゥアルテとの一騎打ちの場面で盛り上げてもらった方が、ティオにとって都合が良かった。
もっと言えば、店中が熱狂する程盛り上がり、外ウマに賭ける人間の数が増えれば増える程、ボロツが賭けているこちらの外ウマの儲けも増えるというものだ。
(……ティオ君は、この状況を最初から想定していたのか。……)
今実際に目の前の状況を目にして、ようやく、あの時のティオの言葉の意図を知り……
チェレンチーは、もう今夜何度目か分からなくなっていたが、ティオの頭のキレと巧妙な策略にひたすら圧倒されていた。
□
「『0』『4』『6』で、合計10になりました。チップ2枚貰います。」
「おっと、今度は『2』『3』『4』『6』で、合計15ですね。チップ3枚いただきます。」
「ドミノ!……上がりました。俺の勝ちです。」
ドゥアルテとの一対一の対戦が始まって以降、ティオは順調に勝ち続けていた。
チェレンチーが驚いたのは、とにかくティオがボーナスチップを取る回数の多い事だった。
裏からでもドミノ牌の区別が完全につくとは言え、余程頭の回転が良くなければ、これ程的確にドミノ列の端目の合計で5の倍数を作る事は不可能だろう。
ティオのプレースタイルは、1戦1戦で取れるボーナスチップは可能な限り取るものだった。
初心者である事を同卓の対戦者にアピールしていた最初の頃、ティオは、わざと「マギンズ 」されたり、うっかり相手にボーナスチップを取らせたり、最後の1牌を出させたりするような牌を切っていたが……
その時、ほとんど、ティオ自身はボーナスチップを取らなかった。
手牌をスルスルと滞りなく出していく。
出す牌がなくなって山から引いてくるような事やパスする事がない状態を保ち、最小ターンで切り出していき、誰よりも早く上がる……
つまり、早上がりでの勝利を目指すスタイルで勝ち続けていた。
その展開にあまりにも淀みがなく、いつもあっさりと勝つために、対戦者達は皆「あれ?」と不思議そうに首をかしげる程だった。
ティオの勝ち方は、静かにして素早く、相手にとっては「気がついたら、いつの間にか負けていた」状態だったと思われる。
そのせいで「ツキだけで勝っている」とも思われていたが、それもティオの思惑通りだったに違いない。
その頃の戦いでティオがほとんどボーナスチップを取らなかったのは、自分の「勝ち」を印象づけないためだったのだろう。
ボーナスチップは、派手ではあるが、早上がりした時対戦者から貰える残った牌の目の合計分のチップに比べれば、ずっと少ない。
目立つ事よりも実利を取るのが、いかにもティオらしいとチェレンチーは思っていたのだったが……
(……ボーナスチップを「取れなかった」んじゃなくって、「取らなかった」だけだったんだなぁ。……)
そう気づいたのは、ティオがこの赤チップ卓で本格的に勝ち出してからだった。
この赤チップ卓のテーブルに着いても、ティオはまだ、自分の所持するチップが残りたった2枚になるまでは、ひたすら負け続けていた。
しかし、それもティオの計画であったようで、そこからは起死回生の巻き返しを見せはじめた。
その時に、チェレンチーは、ティオが以前より良くボーナスチップを取っている事に気づいた。
当然一枚も手牌を止める事なく、自分の番が来るたびに次々と出していき、誰よりも早く上がる……そんな早上がりのスタイルはそのままに、ティオは要所要所でボーナスチップもきっちりと取るようになっていた。
ティオ自身は、飄々とした態度のままだったが、より勝ちに対して貪欲なプレースタイルになったとチェレンチーは感じていた。
そんなプレースタイルが、ドゥアルテとの一対一の対戦になって、また変化していた。
相変わらず、ティオは「手牌に切る牌がないので山から引いてくる、またはパスをする」という状況に陥る事はまずなかった。
たまに山から引いても、すぐに繋げる牌を引いてきており、対戦者のように上手く繋がる牌が引けずに、2枚3枚と山から引き続ける事は皆無だった。
まあ、裏からでも牌を完全に見分ける事が出来るティオならば、当然の結果ではあったが。
「パス」を宣言する時もあったものの、もう既に対戦者が山から引ける上限の枚数の牌を引いた後の事で、引くものがなくなったために「パス」をするのであり、さほど不利になっている様子はなかった。
ティオのプレーの基本は、やはり「早上がり」での勝ちであり、このドミノゲームの王道とも言える勝ち方だった。
しかし、ドゥアルテとの対戦が始まってからというもの、そんな「早上がり」を続けながらも、ティオは、取りうる限り全てのボーナスチップを取りはじめた。
ますます勝利に貪欲になった、とも言えるが、実際は、ボーナスチップは、派手なだけであまり儲けにならない。
まだ四人対戦の時は、「合計10でチップ2枚」を自分以外の対戦者三人から貰い、計6枚のチップが稼げたが、対戦者が減るにつれて、実入りが悪くなる。
三人対戦のゲームなら、自分以外の二人からなので、「合計10でチップ2枚」では4枚にしかならず、現在はドゥアルテと一対一の状態なので、たったの2枚しか奪えなかった。
「『2』『3』で、合計5です。チップ1枚下さい。」
「『1』『4』『5』『5』で、合計15。チップ3枚お願いします。」
それでも、ティオはポンポンとボーナスチップを取り続けていた。
狙い過ぎると、「早上がり」の流れを狂わせるリスクがあると言われるボーナスチップを、どう見ても意図的に狙っていっていた。
まあ、もっとも、全ての牌が裏からでも分かる事と、卓越した頭脳を持つティオの前では、そのリスクさえもほぼないも同然だっただろうが。
とは言え、そのボーナスチップの取り方は、不自然な程に過多だった。
(……ティオ君の行動に、意味のないものなどない。この滅茶苦茶なチップの取り方にも、必ず意味はある。……)
(……まあ、なんとなく推察出来るけれど。……)
チェレンチーは、ティオの対戦相手のドゥアルテを見て、思わず苦笑いを浮かべそうになるのをこらえた。
そう、ドゥアルテは、ティオがボーナスチップを取るたびに、面白い程怒りをあらわにしていた。
眉を釣り上げる、唇の端を引きつらせる、眉間にシワを寄せる……そんなふうに、あからさまに表情が変わっていた。
また、手にしていたドミノ牌をバシッと打ちつけるように卓上に置いたり、ゴブレットのワインを煽ったり、椅子の脚を蹴ってみたりと、全く抑える事なく態度にも出していた。
(……兄さんは、大きな子供だ。自分の思い通りにならない事、気に入らない事が起こると、それを受け入れられず、ひたすら機嫌が悪くなる。酷い時には、さっきのように、癇癪を起こして暴れる。周囲の物や人に当たり散らす。……)
そう、ティオがポンポンと見せびらかすようにボーナスチップを取る意味は、まさにそれだった。
ドゥアルテの機嫌を損ねる事。
自分の感情を制御出来ない、また、人前で苛立ちを抑えられないドゥアルテは、ティオに次々とボーナスチップを取られ、いとも簡単に怒りを爆発させていた。
見事に、ティオの術中にはまっていた。
(……ドミノゲームは、「運」だけのゲームじゃない。緻密な頭脳戦も要求される。そして、頭脳戦に要求されるのは、「冷静さ」だ。「冷静さ」を欠けば、それだけミスも多くなる。……)
元々、ドゥアルテの打牌は勢いと気分に任せたものだった。
頭を使うのが苦手なため面倒がってろくに相手の手牌を読まない、というだけでなく……
相手の事など気にせず自分の思うように打ちたいという我儘さや、自分はいつも勝者であるという根拠のない傲慢な自信が加わって……
貴族の三男も指摘していたように、プレー自体が非常に「雑」だった。
それを、今までは、負けても負けても無限に金を積み上げるという金の力と、居丈高な態度で対戦相手を威圧する事で、なんとなく誤魔化していたのだろう。
しかし、ティオ相手には、それは全く通用しないものだった。
金に興味のないティオは、いくらドゥアルテが目の前に大金を用意しようと、心は微動だにしなかった。
また、前々からチェレンチーは思っていた事だが、ティオは、見た目によらず肝が座っており、強面の元ゴロツキだらけの傭兵団においても、全く怯える事なく団員達に対応していた。
傭兵団一の凶悪な見た目のボロツに対してさえ平気で軽口を叩くようなティオが、ドゥアルテごときが少し苛立って凄んでみせた所で、動揺する筈もなかった。
ティオのボーナスチップ連発を受けて、そのたびに舌打ちをし、苛立ちを増していくドゥアルテとは対照的に……
ティオは、ボーナスチップを取ると嬉しそうに笑うものの、それさえもドゥアルテを煽るための演出というだけで……
彼から感じる気配は、まるで、波一つない湖面のように凪いでいた。
澄みきった水が延々と鏡のごとく静止した状態で保たれ、わずかな綻びも見せない。
頭脳戦に必要な要素……頭の回転の早さ、ズバ抜けた記憶力、冷静さ、ポーカーフェイス……
その全てを、ティオは持ち合わせていた。
まさに、頭脳戦をするために生まれてきた人間であるかのような、極めて高い適性の持ち主だった。
そんなティオ相手に、ただでさえ下手なドミノの腕が、怒りで冷静さを欠いてますます鈍くなっては、もはや、結果は火を見るより明らかだった。
「チッ!……ようやく引いたか『2-4』だ!」
「では、俺は『4-3』です。これで、『2』『3』『5』で合計10、ボーナスチップ2枚いただきます。」
ティオは、ドゥアルテが山から引いた三枚目にしてようやく繋げた牌の隣に、待ち構えていたように最後の手牌を出して、高らかに宣言した。
「そして、『ドミノ』です。この一戦も、俺の勝ちですね。」
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☆ひとくちメモ☆
「外ウマ制度」
賭博場『黄金の穴蔵』にたった一卓だけある赤チップ卓の勝負にのみ、外ウマに賭ける事が出来るようになっている。
外ウマ専用のカウンターで、赤チップ卓のプレイヤーの誰にいくら賭けるかを告げてチップを渡すと、専門の従業員が対応してくれる。
各プレイヤーに賭けた時の配当金の倍率は、カウンターの後ろの壁に掛けられた板に、従業員によって都度書き出されて示されている。




