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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第六節>嵐の只中
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過去との決別 #76


「ハハハ! どうだ、この俺の圧倒的な力は!」


 ドゥアルテは店から借りたチップをわざとテーブルの自分の目の前に並べさせて、居丈高に笑った。

 テーブルに二人きりとなり、向かいの席に移動した対戦相手のティオと、いつも彼の後ろに立って控えているチェレンチーに見せびらかしたかったのだろう。

 ドゥアルテの幼稚な精神が感じられる行動だった。


(……ある程度予想はしていたけれど、凄い額だ。……)


 チェレンチーはドゥアルテの前に並んだ木箱を静かに見つめながら、内心冷や汗が止まらなかった。


 チップを入れる木箱は、チップが綺麗に収まるように仕切りがついており、その仕切り一つ分で、チップ20枚が余裕を持って入る設計だった。

 仕切りは一つの箱につき、5個スペースがあるので、木箱一つでおよそチップ100枚と考えられる。

 中には、仕切りをあまり気にせず適当にチップを積み上げるボロツのような人間や、わざと自分の勝ち分を分かりにくくするために整えないティオのような者も居るだろうが……

 今ドゥアルテの前にあるのは、店側が貸し出したばかりのものであり、チップが整然と整えられていたので、概算がしやすかった。


 チェレンチーが見た所、ドゥアルテの前に並べられた木箱は8個。

 全て赤チップが入っているので、ザッと総数800枚……銀貨800枚、金貨なら80枚分の金額相当であった。

 しかし、ドゥアルテは、先程も赤チップを50枚店側から借りており、おそらく、それ以前にもツケで借りた分はあると思われる。

 チェレンチーの勘では、賭博場『黄金の穴蔵』がドゥアルテに設定した、貸し出すチップの上限は1500枚といった所か。

 もちろん、店側としてはドゥアルテの資産から回収出来ると踏んで、そのチップ上限を設定しているのだろう。


 確かに、ドゥアルテ家の総資産から考えれば、赤チップ1500枚にあたる銀貨1500枚は、手数料の20%を含めても一見大した割合ではないと思われるが……

 問題は、ドゥアルテ家が商家という事だった。

 ドゥアルテ家の固有の資産である、王都の一等地にある屋敷や土地と、それに伴う家具調度品などの不動産はともかくとして……

 大通りに構えた店や、地方にもいつくかある店舗をはじめとして、ドゥアルテ商会が有している大量の資産や資金には、扱う商品の仕入れや使用人達の給金、店舗の維持費など、商売を続けていく上で必要不可欠なものが多く含まれている。

 それに、もし、いくら大金を出して大量に商品を仕入れたとしても、全く売れなければ、その仕入れ金は回収出来ずに消える事になる。

 また、取引相手が「後で支払う」もしくは「後で回収する」という、売掛金や買掛金も多い。

 商売を営んでいく上で、自由に動かせる資金は多くとも、それは必ずしも「ドゥアルテ商会」の財産という訳ではなく、常に流動的なものであって、大袈裟に言えば、今日金貨1000枚あったものが明日には1枚もないという状態もありうるのだった。

 そして、ドゥアルテ商会はナザール王国に名の知れた大商会であり、そうした「流動的な資金」は商売の規模に伴い莫大な額にのぼっていた。


 兄は、ドゥアルテ商会の金は全て自分のものだと思っているようだったが……

 その莫大な額の金銭は、大規模な商売を手掛けるために必須な回転資金であり、それが欠ければ商いが傾きかねない重要なものであった。

 そう、例えるなら、ドゥアルテ商会という巨大な体の命を支える血液のごときものなのだ。

 それを良く理解しているチェレンチーには、銀貨1500枚という金額は、青ざめて冷や汗が止まらない大金だった。

 しかも、兄は、これを「ツケ」で店から借りている。

 そこから想定されるのは、もう博打を打つのに自分の自由になる手持ちの金を使い切ってしまっているという事実だった。

 店からチップをツケで借りる以前に、兄がどれ程博打でドゥアルテ家の、そしてドゥアルテ商会の金を散財したのか……

 チェレンチーは、もはや、まともに推察する気力も起きなかった。


(……間違いなく、ドゥアルテ商会は、今存亡の瀬戸際にある。……)


 カリスマ的な大商人であった父の元で長年下働きをしながらつちかってきたチェレンチーの商人としての勘が、はっきりとそう告げていた。


(……おそらく、兄さんは、かなりの額をドゥアルテ商会の維持に必要な資金から持ち出している。……)


(……父さんが亡くなるまでは、商会の運営資金には決して手をつけないようにしていた筈だ。しかし、今、ドゥアルテ商会のトップは兄さんだ。自分の権限で、商会に必要な金まで使い込んでいるに違いない。……)


(……それでも、こうして遊ぶ金が足りず、賭博場から「ツケ」でチップを借りているとなると、ドゥアルテ商会内部は、ギリギリの所まで追い詰められていると考えられる。……)


 チェレンチーは、視線を、ドゥアルテの前に並べられた大量のチップから、目の前で真っ直ぐに背筋を伸ばして椅子に座っている威風堂々たるティオの背中に移した。


(……今ここで、ティオ君が、僕に事前に話した通りに兄さんから大量の金をドミノで巻き上げたのなら……)


(……それは、必ずや、ドゥアルテ商会の息の根を止める決定打となるだろう。……)


 無知と愚かさ故に、自分が現在立っているのが今にも崩れそうな崖の突端だとも知らず、他人から借りた大量のチップの前で浮かれている兄の姿を、チェレンチーは、小さな丸い目を細めて冷ややかに見つめていた。


(……兄さんは、さっき去っていった貴族の人が言っていたように、こうやって勝ってきたんだろうな。……他の人間には出せない大金を目の前に積んで、負けても負けても、次々に金を継ぎ足して。金の力で、勝ってきた。……)


(……普通の人間なら、こんな大金の山を見たら、それだけで萎縮してしまう。同じ額の負けでも、大金を持っている金持ちの負けと、ほんの少しの手持ちしかない一般人の負けでは、意味合いが違う。基本的に、賭博は、無限の賭け金を持っているような金持ちを相手にした時、決して勝てない遊びだ。所詮は金の力で相手をねじ伏せる事が出来るマネーゲームだ。……)


(……でも、今兄さんの立場は揺らいでいる。自慢げに目の前に積み上げているのは、賭博場から借りたチップ、『見せかけの力』だ。兄さんの金の出所のドゥアルテ家も兄さんが自由に使える金が尽き、商会も存亡の危機だ。……)


(……そして、何より……)


(……これから兄さんが勝負する相手は、ティオ君だ。……)


(……おそらく、兄さんが今まで会ったどんな相手よりも、ティオ君は強い。もちろん、いくら大金を目の前に積んだ所で、ティオ君は微塵も動揺しないだろう。そして、どんなに大金があったとしても、それを根こそぎ奪い取る事が可能な、破格の実力の持ち主でもある。……)


(……ティオ君は、兄さんの、最恐最悪の敵だ。……)


 チェレンチーは、平静さを必死に保ちながらも、全身に湧き出る冷や汗と共に口内に込み上げてくる何かを、ゴクリと飲み込んだ。


「いやぁ、凄いチップの山ですねー。さすがは、この都一、いや、このナザール王国一の大金持ち、ドゥアルテさんだなぁー。」

「フン! 小僧、この俺様を敵に回した事、泣いて後悔させてやるぜ!」


 一見驚いている風で、実際はいつもと変わらない飄々とした態度のティオと、もう自分が勝ったものと確信して腕組みをして胸を張るドゥアルテ。


(……「裸の王様」とは、まさに今の兄さんの事だな。……)


 チェレンチーは、これから目の前のテーブルで起こる事への悪い予感に震えつつも……

 逃れられない大きな運命が差し迫っているという諦めに似た感情を、一人密かに胸にいだいていた。



 ドゥアルテと一対一の対決に向けて、実は事前にティオとチェレンチーも動いていた。

 ドゥアルテが店側から限度額いっぱいのチップを借り出すのに、しばらく時間がかかった。

 この隙に、ティオは後ろを振り返ってチェレンチーを手招きし、顔を近づけて耳元で囁いた。


「……チェレンチーさん、もうこの先、サインは必要ありません。その事を、ボロツ副団長にも伝えてきてもらえますか?……」

「……あ、う、うん。それは分かったけれど……ティオ君のサインなしで、どうやって外ウマに賭ければいいんだい? ボロツ副団長の判断に任せていたら、せっかく増えたお金がみるみるなくなっていってしまうと思うんだけど?……」

「……簡単な事ですよ。サインが要らないというのは、それだけ選択がシンプルになったという意味です。つまり……」


「……ここから先は、全て俺に賭けるんです。……」


「……まあ、俺が勝ち続けるとなると、外ウマで俺に賭けた時の配当金の倍率は徐々に下がるでしょう。それだけ儲けは薄くなりますが、ドゥアルテさんに賭けた所で、儲かりませんからねぇ。それに、この一対一の状況下で、傭兵団の仲間である俺に賭けないというのは、どうにも不自然でしょう?……」


 「確かに」とチェレンチーがうなずくと、ティオはおどけたように笑って言った。


「……ボロツ副団長には、俺を応援しているんだってちゃんと周りにアピールしながら賭けるように言っておいて下さいね。嘘でもなんでもいいので、とにかく派手に応援するようにって。……」

「……ハハ、嘘だなんて。ボロツ副団長は、本心から、ティオ君の事を応援しているよ。……」


 そして、ティオから伝言を受けたチェレンチーは、素早く外ウマのテーブルに居るボロツの所に行きその旨をしっかりと伝えたのだった。


「……確かに、俺にずっと賭け続けるのが不自然じゃないように応援してくれとは言いましたけど……」


 ティオは、チラと外ウマの方を見遣って、珍しく気まずそうに形のいい唇を噛んでいた。


「……何もあそこまでやってくれとは言ってませんよぅ!……」


 ティオが視線を逸らした先には、ボロツが椅子の上に立ち上がって腕をブンブン振り回しながら叫んでいる姿があった。


「そーれ! 頑張れ頑張れ、ティーオ! 俺ら傭兵団の、自慢の作戦参謀ぉー! 腹黒、鉄面皮、冷血漢ー! 勝って勝って勝ちまくれー! フレーフレー、ティーオ! そいやそいや、ティーオ!」


 あまりにうるさく騒ぐので、すぐに用心棒達が飛んできて押さえ込まれていたが。

 ティオは、恥ずかしさが極まったらしく、テーブルに乗せた腕に突っ伏すように真っ赤になった顔を隠していた。

 ボロツのあまりに思い切りのいい豪快な応援に、思いがけずフッと和んだチェレンチーは、そんなティオの耳元に囁いた。


「……ティオ君、なんだったら、僕も応援しようか?……頑張れ頑張れ、ティオ君ー!……」

「……ちょっ!……や、やめて下さいよー、チェレンチーさーん!……」


 ガバッと赤くなった顔を上げて抗議してくるティオに、チェレンチーは思わずフフと笑みを零した。



「二人でプレーする場合は、最初の手牌は、三人の時より更に1枚増えて、7枚でしたよね?」

「ああ、そうだ。」


 準備が整い、ティオとドゥアルテは、卓上で裏返したドミノ牌を良く混ぜると、まずは順番を決めるために各々一枚ずつ引いた。


「『0-4』だ。」

「『6-6』です。俺の方が数字が大きかったので、俺からですね。」

「チッ! こんな時だけ大きな数字を引きやがるな。たかが順番決めで勝った気になってるんじゃねぇ。順番なんて、どうでもいいんだよ。」


 毒づくドゥアルテを「アハハ」と笑ってサラリとかわし、再び良く混ぜた牌の山から、今度は手牌を、ティオが先で交互に引いていく。

 程なく、二人の目の前の木のスタンドに、お互い7枚のドミノ牌が揃った。


「では、始めましょうか。」

「ああ、お前からだろう。さっさと切れ。」

「はいはい、順番通り俺から。」


 そう言って、ティオはスイッと手牌を1枚スタンドから抜いて手に持つと、パチリと、赤い敷布の敷かれたテーブルの中央に置いた。


「『5-5』で合計10。チップ2枚いただきます。」


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「チップ制度」

賭博場『黄金の穴蔵』では、ドミノゲームでの勝敗による金銭の移譲、飲食物の購入、店側によるサービスの提供など、場内の行動を全てチップで行う規則になっている。

客は、店に入ったのち、まず現金をチップに替え、そのチップを使って遊ぶ仕組みである。

交換する金額によりチップの種類が変わり、銀貨1枚(約一万円)は赤チップ1枚となっている。

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