過去との決別 #73
「あー! 間に合ったぁ! セーフ!」
ドタバタドタバタと見ているだけでうるさく感じる程の滑稽な身振り手振りで追いかけてきたティオを……
ちょうどチップ交換のカウンターの所まで来ていた白い衣装に水色のマントを羽織った貴族の三男は、鬱陶しそうな目で見つめてきた。
「……なんだい? 僕に何か用かな、傭兵団の参謀君?」
「これです、これ! 一枚拾い忘れたものがあったので、渡しに来たんですー!」
ティオが手に持ってかざした一枚の赤チップを見て、貴族の三男も合点がいったらしく、パシッと奪うようにそのチップを受け取った。
「フン。一応礼は言っておくよ。僕は由緒正しい貴族の家柄の人間だからね。礼節は重んじているんだ。」
そうして、クルッと背を向けて、チップ交換のカウンターに向き直った。
カウンターの向こうでは、エンジ色の従業員の制服を着た若い男性が、対応についた。
「……で? 君はそこで何をしているんだい? もう用事は済んだのだろう? さっさとテーブルに戻りたまえよ。」
「いやー、アハハ。俺も、ついでにちょっとチップを換金しておきたいなぁー、なんて思いましてー。」
ティオは、ゴソゴソと黒いズボンのポケットに両手を突っ込むと、中から無造作にチップを取り出して、バラバラとカウンターの上に置いた。
ティオの対応についた若い女性が、慌てて掻き集めて数え始めるが……
「ちょうど銀貨50枚になると思いますー。」
「え?……あ! そ、そうですね! 赤チップ62枚に白チップ5枚、ピッタリあります! 今交換いたしますので、少々お待ち下さい!」
貴族の三男は、ティオが先程までと何も変わらぬ能天気な表情で、かなり高額な金を交換してもらっている様子を、ついあっけにとられて見てしまっていたが……
ハッと我に返ると、カウンターの向こうの従業員相手に自分の作業をさっさと済ませようとした。
「それじゃあ、この換金したばかりの金を再びチップに替えてくれ。」
「え? そ、それでは、先程のチップより少なくなってしまいますが……」
「いいからさっさとしてくれ! チップの貸し借りは禁止なんだろう? しかし、一回現金に替えて、金でやり取りをしたというのなら問題はない筈だよ。そして、今この金は僕のものだ。それを何に使おうが、例えば再びチップに替えようが、僕の自由だ。……さあ、分かったのなら、早くしてくれ。僕はまだ、この先大事な勝負があるんでね。」
「は、はい! 承りました!」
しかし、貴族の三男が現金化したばかりの金の入ったトレーを、係りの若者に向かってグイッと押しやろうとした、その時……
パシッと、その腕を誰かが掴んでいた。
動きを止められ、貴族の三男は、不機嫌な目を自分の腕を掴んでいる相手に向けた。
「何をするんだ?」
「……チップに交換するのは、ほんの少しにしておいた方がいいですよ。……そう、赤チップ5枚もあれば足りるでしょう。……」
ティオは、訳が分からずポカンとしている貴族の三男の腕から、そっと手を離すと、その直後、ズイッと自分の手前に換金されて出てきた銀貨50枚の乗ったトレーを男の方に押しやった。
「……それから、これを受け取ってもらえませんか?……」
「……そして、この金を受け取ったのなら、このマッチを最後に、勝負を降りて下さい。……」
「……」
貴族の三男は、しばらく目を見開いてティオを見据えたまま、その場で固まっていた。
一言も言葉を発しなかったが、ティオの意図が全く読めないといった表情をしていた。
そんな男に、ティオは静かな口調で語った。
いつしか、ティオの面からは、間の抜けた能天気な笑みが跡形もなく消え去り……
波一つない澄んだ湖面を思わせるような、冷ややかなまでに静かで理知的な気配が漂っていた。
「俺の目的はあなたではありません。そう、もう一人のプレイヤー……チェレンチーさんの腹違いのお兄さんでもある、ドゥアルテです。」
「俺は、そろそろ仕上げにかかりたいと思っていた所なんですよ。これ以上あなたが赤チップ卓に同席していては、俺の計画の障害になります。まあ、それでも俺は、目的に向かって粛々と事を進めるつもりですが……」
「その過程で、あなたには、今以上の被害が及ぶ事になるでしょう。」
「しかし、それは、俺の望む所ではありません。先程言ったように、俺の目的は、当初から一貫してドゥアルテだけです。ヤツから限界まで金を引き出すのが、今夜の俺の最終目標なんです。」
「ですから、あなたには、出来ればこの辺でご退場願いたいのですよ。」
「あなたが、今ここで、俺の差し出した金を受け取って、このマッチを最後に勝負を降りると約束してくれるなら、残りの3戦、俺はあなたが負けないようにプレーする事を約束します。あなたの失点は赤チップ5枚以内に抑えましょう。不安なようなら、もう少しチップに替えてもらっても構いませんが、また現金に戻すと余計な手数料がかかって金が減りますから、正直お勧めしません。」
「……参謀君?……」
ガラリと雰囲気が変わり理路整然と説得してくる様子に、ひたすら圧倒されている貴族の三男に……
ティオは、歳以上に酷く大人びた聡明な気配はそのままに、にっこりと愛嬌のある笑顔を浮かべて言った。
「まあ、早い話、この銀貨50枚は『袖の下』ってヤツですよ。」
「ぜひ、俺に、あなたを買収せてもらえませんかね?」
□
「……この僕に、勝負を降りろって?……その代わりに、次の3戦は僕が負けないようにする?……ハ、ハハ……ハハハッ!」
貴族の三男は、もう一度口に出す事でティオの言葉の意図を噛み締め……
そして、歪んだ表情で「ハハハハハッ!」と思わず笑いだしていた。
「一体その自信はどこから来るんだい、参謀君? 君は確かに今の流れでは勝っているが、そんなもの全部ただの『運』じゃないか! 君は、単についていただけだ!」
「いいえ、『運』ではありません。実力です。」
「実力って、ハハ、君、今日初めてドミノをしたのだとか言っていなかったかい? あの手つきを見れば、僕でなくても素人だって一発で分かるよ。」
「確かに、俺は今日初めてドミノをしました。しかし、それと腕前は全く別の話です。」
「それから、俺は、皆さんを油断させるために、わざと初心者っぽく振る舞っていました。」
「ドミノ列の端の目の合計が5の倍数になっているのを忘れて『マギンズ 』されてみたり、手元のドミノをうっかり倒してみたり、切る牌がなかなか決められず悩んでみたり。ドミノを扱う手つきだってそうです。最初は気にせず打っていたんですが、チェレンチーさんに『初心者なのに手つきが綺麗過ぎる』と指摘されて、わざと慣れていないようなぎこちないものに変えました。あ、いえ、俺が初心者なのは、本当ですけれどもね。」
「まあ、ともかく……今まで騙していてすみませんでした。俺は、本当は凄く強いんですよ。」
貴族の三男は、まるで純真無垢な子供ような笑顔でスラスラと手の内を晒してくるティオを、当惑したような目で見つめていた。
ティオが嘘をついているようには全く見えなかったが、チェレンチーやボロツと違って、本来のティオを良く知らない人間には、にわかには信じられない内容だったからだ。
しばらく考え込んだ後、貴族の三男は、試すように尋ねてきた。
「……それじゃあ、僕がイカサマを疑ったあの一戦。君の手牌に最初から『5』が6枚も入っていたのは……あれも、ただの偶然じゃなくて、実力だったって言いたいのかい?」
「ええ。俺には、最初からどれが『5』の牌か分かっていたので、自然な風を装って手牌に集めておいたんです。」
「最初から分かって……って、やっぱりイカサマじゃないか! お前は、あの時イカサマをしていたんだな!」
「だから、何度も言っているようにイカサマじゃありませんってば。」
「俺には、裏からでもドミノがどの牌か区別出来るんです。ただ、それだけの事です。これ、イカサマって言いませんよね?」
「いやぁ、皆さん、ドミノの裏側を覚えさえすれば相手の手牌が読めて簡単に勝てる筈なのに、なぜしないんだろうって思っていましたよ。」
「今日一緒に来ているボロツ副団長に、ドミノの勝ち方を教える約束をしていたので『裏側を覚えればいい』って説明したんですけど、『そんな事出来るか!』って言われちゃいましてね。チェレンチーさんも、『それが出来るのは、君だけだよ』って言っていて。まさかと思ったんですが、どうやらそのようですね。俺の他に、ドミノを裏から見分けてプレーしている人には、確かに一人も会いませんでした。」
「……」
貴族の三男は、ポカンと口を開けたまま、しばらく言葉を失っていたが……
腕組みをして「うーん、簡単に見分けられると思うんだけどなぁ」などと呑気に言っているティオの腕を、突然ガッと掴んでいた。
「え? な、なんですか?」
「ちょっと来たまえ!……その話、もう少し詳しく聞かせてもらうか。君の提案に乗って勝負を下りるかどうかは、その後で決める!」
貴族の三男は、「しばらくそのまま預かっていてくれ。」と、カウンターで二人の現金化した貨幣の乗ったトレーを持って待っている従業員二人に短く言い置き……
驚いているティオをそのまま引っ張って、人混みを掻き分け歩いていった。
□
「ワインを一杯くれ。」
貴族の三男は、ティオの腕を掴んだまま、飲み物を売っている場所までやってくると、ズイとカウンターに肘を乗せて、奥に居る若い女性従業員に注文した。
ようやくそこでティオは腕の拘束を解かれたが、困惑したような表情を浮かべていた。
「いいんですか?」
「うん?……ああ、僕は赤チップ卓の客だからね。酒もツケで飲めるのさ。……参謀君は何を飲む?」
「いや、俺はいいです!」
「遠慮しなくていい。僕の奢りだよ。僕と同じワインでいいかい?」
「いやいや、ですから、俺は要りませんって!」
「ああ、なるほど。君はまだ大事な勝負が残っているからね。酒で判断力を鈍らせたくないって訳か。ふうん、殊勝な心掛けだね。」
「い、いえ、俺は、本当に酒が飲めない体質なんですよ!……ほんの一口でも飲むと、その場で爆睡してしまうので、うっかり飲まないようにいつも気をつけているんです。酒類は、料理に入っている事も良くあるじゃないですか。だから、初めて食べる料理は、慎重に調べてから口にしています。割と大変なんですよ、酒を飲めない体質って言うのも。」
「ほお。嘘ではなさそうだね。なんだ、つまらないな。……まあでも、飲めないなら仕方ないね。じゃあ、僕が飲んでいる間、そこに居て話に付き合いたまえよ。それぐらいの事はしてもいいだろう?」
「ええ、まあ、俺はいいんですけれども……大丈夫なんですか? ドゥアルテさんを待たせて?」
ティオが視線を巡らすと、赤チップ卓のテーブルのある赤い絨毯の敷かれた壇上で、ドゥアルテが恐ろしい形相でこちらを睨んでいるのがちょうど目に入ってきた。
貴族の三男は、従業員がカウンターに置いたワインの入ったゴブレットを優雅な仕草で手に取ると、ティオを伴って、近くに置かれた飲食用のテーブルの席に腰を下ろす。
そんなドゥアルテの姿をチラと横目に見ながら、貴族の三男はこれ見よがしに美味そうにワインをあおって見せ、ティオは苦笑いを浮かべてヒラヒラと手を振った。
「少しぐらい待たせた方が、君だってやりやすいだろう? アイツはガキのように我儘だから、自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起こすんだよ。ドミノの勝負において、冷静さを失うのは一番やってはならない事だって言うのにね。あのバカは、全く分かっちゃいないんだ。」
「はあ」などと気の抜けた返事をするティオに、貴族の三男は、グイッと顔を近づけてきた。
地下賭博場『黄金の穴蔵』は常に熱気と騒めきに満ちており、こうして壁際のテーブル席に居れば、まず周りの人間に二人の会話の内容は聞こえないだろうと思われたが……
貴族の三男は、むしろ、「秘密の話をする」という雰囲気を楽しんでいるようにさえ見えた。
「それで……さっきの話は本当なんだろうね?……君が『ドミノ牌を裏からでも見分ける事が出来る』という、信じがたい例の話だよ。」
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☆ひとくちメモ☆
「賭博場『黄金の穴蔵』」
王都一の賭博場である『黄金の穴蔵』は、繁華街の一角の地下に存在する。
上の建物は、下階は従業員の休憩所として使われており、上階はオーナー住居になっている。
地下の賭博場は、かつてはワインの貯蔵庫だったものを改築したものである。




