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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第六節>嵐の只中
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過去との決別 #72


「いやぁ、別に用なんかねぇけどな。」


 ドゥアルテは、椅子に踏ん反り返り腕組みをして、ゲスな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

 どうせ、暇潰しのために嫌味を言いたいだけなのだろうと、チェレンチーは察していた。

 十五年以上もの長い付き合いであり、また、母親は違うものの血が繋がっているせいもあるかもしれない。

 チェレンチーには、ドゥアルテの考えている事が、手に取るように分かった。

 そんな望まぬ意思疎通を、チェレンチーは内心皮肉に感じていた。


「ずいぶん元気そうじゃねぇかよ、クソ虫。傭兵団なんて、お前にピッタリの人間の掃き溜めに行ったからな、とっくにおっ死んでると思ってたぜ。」

「……た、確かに、傭兵団の人達は、お世辞にも素行がいいとは言い難いですけれど……でも、みんな根はいい人達です。誰も、僕をいじめたりしない。理不尽な暴力を振るってくる事もない。……僕は運動神経が悪くて、戦いの場面ではまるで役に立たないので、傭兵という仕事は僕には合っていないんだと思います。それでも、こんな僕にとても良くしてくれる人も居るんです。さっきここに座っていた、背の高い彼のように。」


「だから、兄さん、僕の事はいくら悪く言ってもいいですけど、傭兵団の事は、傭兵団の人達の事は、悪く言わないで欲しいんです。仮にも、彼らは、この国の窮地を救うために、命懸けで戦おうとしている戦士なのですから。」


「ハッ! こんな場所で夜通し遊んでやがるヤツラが、戦士ねぇ。……まあ、お前とは、底辺のゴミ同士、気が合ったって事か。ハハハ!」

 昔から何も変わらず、チェレンチーの言葉などまともに聞く気のないドゥアルテに鼻で笑い飛ばされ、チェレンチーは少し黙り込んだが……

 せっかくこうして兄と話す機会が出来たので、気になっていた事を尋ねてみた。


 後になってから気づいた事だが……

 チェレンチーの脳裏には、子供の頃から執拗に彼をいじめてきた兄に対する恐怖がトラウマとなって残っていた筈だった。

 しかし、なぜかこの時は、さほど怯える事なく、真っ直ぐに兄の顔を見て話が出来ていた。


「兄さん、少し気になる事を小耳に挟んだんですけど……」

「ああ?」

「ええと、僕は最近、さっきここに座っていたティオ君という傭兵団の作戦参謀をしている彼の手伝いをしていて、城下町に物資の仕入れに行く事が良くあるんです。そこで、街の人達が噂しているのを聞いたんです。」


「兄さん、奥さんと別れたっていうのは、本当なんですか?」

「ああ、あの女か。お堅くて、つまらない、その上、いつも不満そうな陰気なツラで俺を見ていた、あの女なぁ。……確かに、親父が死んだ後、すぐに別れたな。ガキ二人もあの女が実家の人間として育てるとかで、連れていったぜ。まあ、俺としては縁が切れて清々したな。」

「そんな! 兄さんの縁談は、父さんが必死に相手の貴族の家に掛け合って、なんとかまとめたものだった筈ですよね? 父さんは、ドゥアルテ家に貴族の血を入れて、家を発展させようとしていたんじゃなかったんですか?」

「知るかよ、そんな事! 親父が勝手に決めた嫁なんて、俺が気に入る訳ないだろうが!……ったく、親父も余計な事しやがるぜ。まあ、まだ親父が生きていた時は、あれこれうるさいから言う事を聞いてたけどな、死んだら、もう、俺の好きにするぜ!」



 ドゥアルテには、先代当主であった亡き父が決めた妻が居た。

 と言っても、父は、一人の人間としての兄の幸せと言うより、将来ドゥアルテ家の当主となる者としての幸福を考えて、家のために婚姻を決定したのだった。

 ドゥアルテ家は、都の貴族も羨む程の、商売で築き上げた莫大な富を有していたが、身分の上では、一般市民でしかない。

 そこで、父は、自分達も貴族の仲間入りをしようと、将来的に子孫に貴族の身分をもたらす可能性を求めて、兄の結婚相手には、貴族の娘をあてがった。

 それはまた、一商人として、自分の商会に貴族相手のコネを作る意図もあったろう。

 相手の貴族の娘は、父が裏で多額の祝い金を渡して、身分だけは由緒正しいが今は没落して質素な生活を送っていた一門から譲り受けた格好だった。

 「ドゥアルテは、ついに息子の結婚相手まで金で買った」と、都の人々に揶揄されたりもしたが、父は「貧乏人のたわ言に構うな」と兄や皆に言って、全く気に掛けていなかった。


 チェレンチーから見て、兄の結婚相手の女性は、決して悪い人物ではないように思えた。

 さすがに貴族の出と言うだけあって、真面目で礼儀正しく、いつも模範的な言動をしていた。

 特別美人という訳ではなく、口数の少ないせいもあり、印象はあまり強くなかったが……

 貴族の間では乳母を雇って任せきりというのが一般的という子育てにも熱心で、兄との間に生まれた子供達の事は、自分から進んで甲斐甲斐しく世話をしていた。

 まさに良妻賢母と言うべき人物である、というのが、チェレンチーの所感だった。


 しかし、そんな折り目正しい大人しく真面目な人物だったからこそ、元々政略結婚だった事もあり、兄とは全く性格が合わなかったようだ。

 兄は良く、妻の事を「地味でつまらない女」と言っていた。

 兄が好むのは、言動共に華やかかつ大胆な美人であり、かつ豊満な肉体を持ち、そんな体型を強調するような派手なドレスを好んで着ている、という水商売に良く居るタイプの女性だった。

 好む、とは言っても、愛人として囲い込むような気は更々ないらしく、気ままに遊んで飽きればまたすぐに他の女性と付き合う、といった女性関係を兄はずっと続けていた。

 そんな兄の奔放な異性関係も、妻となった女性にとっては酷く不満だったようだ。

「あなたはこの子達の父親なのですから、せめて子供達の前だけでも、父親らしくしていて下さい!」

 まだドゥアルテ家に居た時、チェレンチーは、たまに、兄に必死に訴えている彼の妻の声を、屋敷内で耳にする事がった。


 そうして、結局、このままでは「大事な子供達のためにならない」と彼女は判断したらしく、ドゥアルテの家を出て実家に帰ってしまった。

 当然、父は焦って何度も彼女の実家に足を運び、彼女と子供達に戻ってくるよう働きかけていたが、それも父が病に倒れてからはおぼつかなくなった。

 父は兄にも「早く連れ戻しにいってこい!」と散々言っていたが、兄はどこ吹く風で夜の街を遊びまわり、父が病に伏してからは、これ幸いとますます女遊びが酷くなっていった。

 そうした別居状態が何年も放置されていたのだったが、父が亡くなって兄がドゥアルテ家当主となった途端、正式に離縁が決まったらしかった。



 チェレンチーは兄夫婦の関係にしても、離婚にしても、特に兄を責める気持ちはなかった。

 実際父の押しつけによる完全な政略結婚であったし、元々兄と彼の妻は性格も考え方も正反対で上手くいかないだろう事は簡単に予想がついた。

 兄は、自分の事を被害者だと思っているようだったが、まあ、それも一部間違ってはいない。

 そもそも、いくら腹違いの兄とはいえ、恋愛や結婚は当人達の問題なのだから、周りが口を出すべきではないというのが、チェレンチーの思考だった。

 むしろ、兄がこんな性格で、かつ夜の街で遊び呆けたり、水商売の女性を屋敷にまで連れ込んだりしている状況なのであれば、子供のためにも離縁して、妻の方の実家で子供達を育てた方がいいという彼女の主張に賛成だった。

 ただ、少しだけ気になる事があった。


「兄さん、別れた奥さんと子供達には、お金を渡しましたか?」

「は? 金? なんでだ?」

「別れるとは言っても、今まで妻だった人ですし、何より子供達は、兄さんの子供でしょう? 生活に不自由しないようにお金を用意して渡すのが筋じゃないんですか? 特に子供達はこれから成長していく訳ですから、いろいろお金が要り用だと思うんです。充分な教育を施すには、お金は絶対必要ですからね。」

「別に、俺が好きで作った子供じゃない。あの女に対してもそうだが、なんで俺がガキのために自分の金を使わなきゃいけないんだ?」


「あの女も、しつこくガタガタ言ってやがったな。子供を育てていくために金が必要だとか、教育がどうとか。フン! 心底どうでもいい。『そんなに金をかけて育てたいなら、自分でどっからか都合してこい。離婚して赤の他人になる俺に頼るな。』そう言ってやったぜ。」


「離婚したいなら好きにすればいいが、俺は一切金は出さない。これからも一切出すつもりはない。」


「ドゥアルテ家の金は、全部俺のもんなんだよ! どいつもこいつも、金金金金、うるせぇんだよ! 俺の金に寄ってくる卑しい蠅どもが!」


「まあ、アイツらが屋敷を出ていってスッキリしたぜ。形だけの妻の気にくわない女やクソガキどもに、俺の金を使われるのは、心底気に食わなかったかったからな。同じ屋敷に暮らしていると、服だの食い物だのと、あれこれ金がかかって仕方ない。しかし、これでもう、アイツらにムダな金を使われなくて済むぜ。」


「……兄さんは、自分の子供が可愛くはないんですか?」

 性格の合わない妻はともかくも、仮にも自分の血を引く子供達に対してまで、一切金を掛けたくないという兄の主張に、チェレンチーは思わず眉をしかめていた。

 しかし、兄は、嫌悪感をあらわにして、吐き捨てるように返してきた。


「可愛くもなんともねぇな!……なんだよ、自分のガキだからって、可愛がらなきゃいけねぇとでも言いたいのかよ? ハッ! 散々親父からもあの女からも、同じような事を言われたぜ! でも、可愛くねぇものは可愛くねぇんだよ! そんなガキどもに、大事な俺の金を使う気になれるかってんだよ!……なんだ、チェレンチー? お前も俺を、『人でなし』だの『人の親になる資格がない』だのって言いたいのか? ああ?」

「……い、いえ。……その、離婚について、兄さんのお母上、奥様は何か言っていませんでしたか?」

「あん? お袋?……別に何も言ってなかったな。お袋も、あの女とガキどもがドゥアルテ家の金にたかってるのが気に食わなかったみてぇだからな。つーか、あのババアも、俺の金を勝手に使ってんじゃねぇよ! 今のドゥアルテ家の当主は俺だぞ! 母親だからって、でかいツラして俺に命令するなってんだよ!」


 チェレンチーは言葉もなく、静かにため息を吐いた。

 まあ、兄の性格を知り尽くしているチェレンチーには、彼の返答は十分予想出来たものだった。


(……兄さんは、精神的に子供のままなんだ。自分が一番大事で、自分が一番可愛い。他人を思いやるような優しい性格ではない上に、そんな余裕もない。……)


 一言で言えば、「子供を産み育てるべき人間ではない」のだろう。

 しかし、その事に関しても、チェレンチーは兄を非難する気にはなれなかった。

 兄は、元々こういう人間なのだ。

 自分に子供が出来た途端、我が子の可愛さに心打たれ、今までの自分の行いを悔い改めて、別人のような優しい人間になる……

 といったような、世の中で良く言われる「人に親になって人間的に成長する」などという都合のいい綺麗事が起きる人物ではなかった。

 兄の、いや、人間の性根というものは、そんな簡単に変わりはしない。

 子供が生まれて別人のように優しくなったという人間は、元々本来優しい人間であり、それまでたまたまひねくれていた所に、子供がきっかけとなって、元来持っていた優しさが目覚めたに過ぎないのだろうと、チェレンチーは考えていた。

 しかし、兄にはそんな優しさはない。

 そんな人間に「子供は可愛い」「子供は大切にするべきだ」といくら言った所で理解出来ず、馬耳東風だろう。

 故に、妻や子供達と別れたのは、やはり、むしろ、彼らにとって良い選択だったに違いない、という結論に達していた。

 ただ……自分の母が、極貧の生活の中でも無償の愛を自分に注いでくれた事、必死に育ててくれた事……それを思うと、兄の子供達が不憫に思えた。

 また、たとえ兄の子供でなかったとしても、チェレンチーは、一人の人間として、彼らを心配した事だろう。


(……兄さんは、このまま一生変わる事はないんだろうな。……)


 そんな、予感、いや、確信が、チェレンチーの胸の奥に静かに湧いてきていた。



 兄の性格は、彼の母親である夫人に良く似ていた。

 世界で自分だけが大切で、自分だけが可愛く、他の人間はどうなっても関心がない、そんな人間だ。

 夫人と兄は、チェレンチーの父親でもあった先代当主が、病が悪化してそろそろ命が尽きようという時、早くドゥアルテ家の財産を自分達の自由にしたくて、毒を盛って殺害している。

 そういう、目的が一致している時は仲が良いのだろうが、兄の話ぶりから察するに、父の死後、残こされたドゥアルテ家の遺産をめぐって、既にかなり険悪な状態になりつつあるようだった。

 夫人は、自分の子供である兄を、小さい頃はおもちゃのように可愛がっていたものの、本来的に最も大事なのは自分であり、自分が思い通り贅沢な生活を送るための障害になるのなら、兄さえも邪険にしかねなかった。

 実際、夫人と性格の良く似ている兄は、ドゥアルテ家の財産を独り占めしたくて、今も夫人を鬱陶しく思っている様子だった。

 とは言え、チェレンチーの前では虚勢を張っている兄だが、おそらく面と向かって夫人に頭が上がらず、内心苦々しく思いながらも、屋敷では夫人の言う事を聞いているのだろう。


(……まあ、それはどうでもいいか。……)


 チェレンチーは、兄と夫人には、ドゥアルテ家に引き取られた時から十五年以上の長きに渡り、およそ同じ人間とは思われないような酷い扱いを受けてきていた。

 兄には暴力を振るわれ、肉体的に痛めつけられた事も多々あったが、夫人には、特に、人としての尊厳を踏みにじられるような言動を浴びせられ、精神的な傷を多く負う事になった。

 それは、長らくチェレンチーの自信を奪い、トラウマを植えつけ、自己嫌悪に追いやり、彼に、何の目的も希望もない日々を歩ませていた。


 しかし、チェレンチーは彼らの事を決して憎んではいなかった。

 わずかに怒りが残っているとすれば、チェレンチーがこの世で最も大切にしていた母に対し、娼婦だの乞食だのと侮辱した事に関してだけである。

 もちろん、チェレンチーは、彼らの事を全く好いておらず、はっきりと嫌悪していたが、だからと言って、彼らに復讐したいというような気持ちは、まるで持ち合わせていなかった。

 心底嫌いなので、出来れば二度と顔を合わせたくない、一切関わりたくない、そう思っていた。

 復讐するという事は、また彼らと会うねばならないという事だ。

 彼らの事を心の片隅にさえ置いておきたくないと思っているチェレンチーにとって、復讐は苦痛でしかなかった。

 むしろ、心の底から、彼らの事はどうでも良かった。

 本当に嫌いなものに関して、人は憎しみの感情を抱いたり悪い意味での執着を持ったりもせず、どこまでも無関心になるのだと聞いた事があるが、全くその通りだとチェレンチーは思っていた。


 ただ、父から託されたドゥアルテ家の家業が……

 結局、今現在チェレンチーが一切関わる事が出来なくなってしまった、ドゥアルテ商会の事が……

 どうしても、心残りであった。

 兄にしても、夫人にしても、商人としての才気に溢れていた父のように商いなど出来る筈もなく、むしろ足を引っ張るだけの存在で、店の使用人達はさぞ苦労している事だろう。

 兄と夫人が実権を握っている限り、いくら国に名だたる大商会とは言え、早晩事業が傾くのは目に見えていた。


『……チェレンチー……チェレンチー……お前が、このドゥアルテ家を守っていくのだぞ……』


 今も、チェレンチーは、父の亡霊が地の底から吹いてくる風のごとき声で、自分の耳元に囁きかけているような気がしていた。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「チェレンチーの父親」

生前は、ナザール王国有数の大商会であるドゥアルテ商会の頭取であり、ドゥアルテ家の当主だった。

卓越した商才の持ち主で、都の一商店を大商会へとのし上げさせ、大富豪となった。

しかし、跡取りの長子に商人としての資質がまるでなかった事から、私生児である第二子のチェレンチーを引き取って、兄の補佐をさせるため、知識や技術を厳しく叩き込んだ。

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