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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第六節>嵐の只中
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過去との決別 #70


 1マッチの5戦目の後、貴族の三男とドゥアルテの間で激しい口論が展開されているのを、ティオの後ろに立っていたチェレンチーは呆然と見つめていた。

 5戦目の開始直前にティオから、トトトッとさり気なくテーブルを指で叩くサインにより、ティオの席の番号である「3」が示されていた事から、彼が勝つのは予想していたものの……

 まさか、その結果、こんな醜い罵り合いが繰り広げられる事になるとは思ってもみなかった。

 一方でティオは、まるで他人事のように、ふわぁっと呑気に大きなあくびをしていた。


 貴族の三男とドゥアルテは、しばらくけんけんがくがくの言い争いをしたのち、暖簾に腕押しといった状態で、何を言っても聞く耳を持たないドゥアルテに、貴族の三男が疲れ果てた様子で口を閉じ、ようやく騒動は終結した。


(……まあ、あの人の言う事も分からないでもないなぁ。兄さんが博打好きなのは知っていたけれど、今まで実際に兄さんがドミノを打っている所を見た事がなかったから、こんなに酷い打牌をするとは思っていなかったよ。正直、兄さんのドミノ腕は、お世辞にも上手いとは言えない。あの人の言うように、金にあかせて自分が勝つまで打つ事で、強引に相手をねじ伏せてきたんだろう。あの人の方が、兄さんよりずっとドミノの腕前は上だ。……)


(……でも、いくら兄さんの友人でドミノが上手くても、こういう勝負事で指図するのは筋違いだと言うのももっともだと思う。兄さんがどう打とうと、それは兄さんの自由だ。その点に関しては、不本意だけど、兄さんに同意だなぁ。……とは言っても……)


(……兄さんは当然だけれど、もっとドミノの腕のいいあの人も……ティオ君には、到底敵わない。……)


(……ティオ君の強さは、世の中の常識を大きく外れている。……)



 ようやく波乱の1戦が終わり、次の1戦……1マッチの6戦目に向けての準備に取り掛かる、という段になって、再びストップが掛かった。

 貴族の三男が、自分のチップ箱が空に近い状態になってしまったのを見せて、このままでは勝負を続けられないと言い出したのだった。

 ここまでの経緯ですっかりドゥアルテに腹を立てた貴族の三男は、その箱をズイッとドゥアルテに向かって突き出してきた。


「ドゥアルテ、君に貸している金、今ここで、全額僕に返してもらおうか!」

「はあ?」


 ドゥアルテは狐につままれたような顔をして言い返してきた。


「お前に金なんか借りてたか? 俺がお前に金を貸した覚えなら、何度もあるけどな。」

「き、君に借りた金ならとっくに返しただろうが! その上で、君は僕に借金があるって言っているんだよ! 特に最近、『すぐに返す』『手持ちがないから少しだけ貸してくれ』そう言って、ちょこちょこ借りていただろう?……そんな金が、積もりに積もって、今はもう合計金貨16枚にもなるんだぞ!」

「ハッ! たったの金貨16枚ぽっちで、ずいぶんと騒がしいヤツだな。」

「たった金貨16枚だと言うのなら、今すぐ全額返してくれたまえよ、ドゥアルテ!」

「……チッ……今は、あいにく手持ちがないんだよ。」


 テーブルに肘をついて手の甲にあごを乗せ、フイとそっぽを向き舌打ちをするドゥアルテの態度に、貴族の三男は、大袈裟に腕を広げて肩を竦めてみせた。


「ほら、出た!『今は手持ちがない』だ! 最近君が良く使う言い訳だね! もうすっかり聞き飽きたよ!」


「まあね、君とは長い付き合いだし、確かに君から金を借りた事も何度もあった。だから、これまで強くは言わないでおいたけれど……それももう、限界だよ!」


「ドゥアルテ、君、商会の事業が上手くいっていなくて、みるみる金がなくなってるんだろう? 君の父上が亡くなって、君が後を継いで……最初は良かった。今まで自由に使えなかった金が、全部自分の好きに使えるようになった君は、物凄く羽振りが良かった!……まあ、それも、ほんの半月程だったけれどね。本当に最初だけだったね。……いくら何でも、豪遊し過ぎなんだよ、君は! 僕も一応注意はしたけれど、君は全く聞く耳を持たなかったよね!」


「そして、君は湯水のように金を使うばかりで、肝心の商売は放ったらかしときた! そりゃあ、国を代表するような大商会だって、あっという間に傾くってものさ! 都の人々にまで、『もう、ドゥアルテ商会は長くはもたないんじゃないか?』なんて噂される始末だ。店の商品の質が落ちて、どんどん客が離れていってるって話じゃないか! 大手の取引相手も、次々ドゥアルテ商会と縁を切っているって聞いたよ!」

「お、お前に、俺の商売の何が分かるって言うんだ! ド素人が、知った風な口きてんじゃねぇぞ!」


 貴族の三男が口にした商会の経営への批判が、ドゥアルテの逆鱗に触れていた。

 ドゥアルテは、ダン! とテーブルを拳で叩いて立ち上がり、向かいの席の貴族の三男をここぞとばかりに睨みつけたが……

 貴族の三男は、少しビクリと驚いたものの、すぐにフンと鼻を鳴らして言い返してきた。


「ああ、確かに僕は、商いに関してはズブの素人だよ! だから、君のやっている商売がこの先上手くいくかどうかは全くもって分からない! ひょっとしたら、盛り返して、以前の盛況振りを見せるかもしれないね!……でも、僕は『ド素人』で、そんな判断はつかないからね。目先の事を優先させてもらうよ! もし、このまま君が商売に失敗して、財産を失う事になったりしたら大ごとだ! そうなる前に……今すぐ! ここで! 僕が君に貸していた金を、全額返してもらおうか! 回収出来なくなる前に、取り立てさせてもらうよ!」

「……ドイツもコイツも、金金金金……うるせぇって言ってんだろうが!!」


「俺には金はあるんだよ! 今は商売に必要だから、俺の好きに使えないってだけで、金は山程あるんだ!……俺は、ドゥアルテ家の当主だぞ! バカにするのも、いい加減にしろ!」


 怒り狂ったドゥアルテは、自分のチップ箱に入っていたチップをガッと乱暴に掴むと、それを貴族の三男に向けて投げつけてきた。


「ほら! どうだ、これで! 欲しいなら、好きなだけ持っていけぇ!」


「ただし! これが、お前に金を渡す最後だぜ! お前がこの金を受け取ったら、お前とは縁を切る! 今後一切俺に話しかけるなよな! 近寄ったら殺すぞ!」


「俺の金にたかる、このウジ虫野郎がぁ!!」


 バシバシと、貴族の三男に向かってチップを叩きつけ続けるドゥアルテの暴挙に……

 腕で顔を防御しながら憎悪に満ちた表情を浮かべる貴族の三男も……

 ガタンと席を立って、腕を広げ、後ろに居るチェレンチーをかばうように立ち塞がったティオも、その背中に貼りつくような状態になったチェレンチーも……

 丸テーブルのそばで、ゴブレットを片手に様子を見守っていた『黄金の穴蔵』のオーナーと、そのそばに控えていた使用人の小柄な老人と用心棒の二人も……

 その場の誰もが呆然となっていた。



(……兄さんは、初めて会った時から何も変わっていない。……)


 顔を真っ赤にして自分の友人である貴族の三男を罵り、自分のチップを彼に投げつけ暴れるドゥアルテの姿を、背の高いティオの後ろからそっとうかがいながら、チェレンチーは思っていた。


 兄と初めて会ってから、もう十六年以上もの月日が流れ……

 十歳の子供だったチェレンチーは、いまは二十七歳の大人となり、昔から既に二十歳近かった兄は、とうに三十代も後半に差し掛かっていたが、貫禄が増すというよりは、どこかくたびれたような印象だった。

 しかし、兄の性格は、出会った時からまるで変わっていなかった。


 性格が悪い、と言ってしまえばそれまでだが、ドゥアルテの基本的な性質は、一言で表現するなら「自分勝手」である。

 「自分本位」「自分中心」そう言い換えてもいいのかもしれない。

 とにかく、他人の事はお構いなし、自分が良ければそれで良い、そんな「世界で自分が一番可愛い」人間なのだ。


 そういう性質は、人間誰しも持っているものだろう。

 それは「自分の命を守る」という、生き物としての本能に由来するのかもしれない。

 しかし、普通は、成長する内に、社会の中で、我を抑え周りの人間と円滑な関係を築く生き方を様々な経験を経て自然と覚えていくものだ。

 もちろん、個人の意思を失わないのは大切な事ではあるが、自分の周りの人間が、皆自分と同じく、それぞれ意思を持った存在であり、お互い尊重していかねばならないという事を学ぶのは、大人して社会で生きていく上で必須な事柄だった。

 ところが、ドゥアルテには、そんな「他者を思いやる心」が著しく欠けていた。


 生まれ持っての性格もあっただろうが、彼の我儘な性格を助長させたのは、言うまでもなく、彼の両親の溺愛によるものだったろう。

 生まれてこの方、何不自由ない生活が出来る裕福な家庭環境にあった事に加え、彼が何をしても大抵の事は許してしまう両親。

 屋敷には多くの仕様人が居たが、遥かにドゥアルテよりも年上の者でさえ、当主や夫人の顔色をうかがって、ドゥアルテの横暴ぶりに何も言えずにいた。

 おかげで、ドゥアルテは、自分はそれ程までに偉いのだと思い上がり、ますます、使用人達を含め周りの人間を見下すようになっていった。


 しかし、そんなドゥアルテであっても、どうにもならないものはある。

 世の中は広く、また多様で、そして、彼よりも優れた人間はごまんとおり、彼の自由にならない状況も無数に起こった。

 そんな時彼は……

 癇癪を起こし、ひたすら暴れた。

 まるで手のつけられない子供のようだった。

 普通の人間でも、思い通りにならない事態を前にして苛立つ事はままあるが、大人になるにしたがって、自分の感情を制御するすべをある程度身につけていくものだ。

 まして、他人に害をなすような暴れ方は、厳しく矯正される筈のものであったが、ドゥアルテの両親が全くそれをしてこなかったため、ドゥアルテは三十代半ばを過ぎたこの歳になっても、未だに、子供のようにすぐに激しい癇癪を起こしていた。


 そんな「自分の思い通りにならないもの、気に入らないものを、決して受け入れられない」ドゥアルテの性質が……

 父親が連れてきた腹違いの弟であるチェレンチーに、いじめや暴力として向かったのだろう。

 我儘と狭量が、攻撃性と相まって、「自分の気に入らないものを徹底的に排除する」という、最悪の状況を生み出していた。

 他人の気持ちや痛みを全く思いやる事のない彼は、時に手段を選ばず、ためらいなく暴力を振るい……

 挙げ句の果てに、先代当主が亡くなった後、チェレンチーに自殺を強要するという非道な行いに出たのだった。


 今でも、自分の首筋に震える手でナイフの刃を当てがったあの瞬間を思い出すと、チェレンチーはドッと気持ちの悪い汗が全身に吹き出してくるのを感じた。



 一同が、ドゥアルテの暴挙に驚き戸惑う中、とうのドゥアルテだけが、ひたすら不機嫌そうに、ドッカと再び椅子に腰を下ろした。

 苛立ちは収まらない様子だったが、もうチップ箱のチップを投げ尽くしたので、やる事がなくなってしまったのだろう。

 テーブルに肘をつき、手の平にアゴを乗せては、明後日の方を向いて、まるで自分は関係ないとでもいうような態度を見せていた。

 ドゥアルテが暴れたせいで、テーブルの上にも下にも、辺り一帯にチップが散乱する結果となった。


「あーあー、ここではお金の代わりの大事なチップなんですからー、もっと大切に扱いましょうよー。」


 その、場が凍りつく程険悪な空気の流れている中で、真っ先にティオが動いていた。

 いつものように緊張感のない笑顔をヘラヘラと浮かべながら、絨毯の敷かれた近くの床に落ちていたチップを、一つ一つ拾い出す。

 そんなティオを見て、チェレンチーもハッと我に返り、チップを拾い出したが……


「……お客様、申し訳ありませんが、当店では、チップの貸し借りは禁止になっております。」


 その時、控えめな口調と音量ながらも、妙に耳に残る声が響いてきた。

 チェレンチーが首を回して見ると、そこには、絨毯の上に片膝をついて、散らばったチップを手際良く集めながら、ドゥアルテに向かって話しかけている小柄な老人の姿があった。

 ここ『黄金の穴蔵』のオーナーに影のように付き添っていた使用人で、この店の従業員用の制服を着た老翁だった。


「ああ!?」


 ドゥアルテは、腰の低い小柄な老人の言葉だったためか、ガン! と近くに置かれていた椅子を思い切り蹴り飛ばして立ち上がり、老人を睨みつけた。


「俺になんだって? この、クソジジイ! もういっぺん言ってみろ!」

「お客様、おやめ下さい!」


 しばらく呆然としていたオーナーも我に返った様子で、慌てて椅子から立って、バサリとカラスの羽で彩られた漆黒のマントを広げ、従業員の老人の前に立ちはだかった。

 さすがのドゥアルテも、この店のオーナーであり、異様な衣装に身を包んだ大柄な男に咎められると、ビクッと肩を震わせて、不満そうな顔ながらも大人しく自分の席に再び腰を下ろす。


「この者の言う通りでございます。この『黄金の穴蔵』においては、お客様同士のチップの貸し借りは禁止とさせていだたいております。どうかご了承下さい。」


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「チェレンチーの腹違いの兄」

一ヶ月程前に父親である先代が亡くなったため、現在ドゥアルテ家の当主でありドゥアルテ商会の頭取でもある。

チェレンチーが十歳の時にドゥアルテ家に引き取られてから、執拗に彼をいじめてきた。

その根底には、優秀なチェレンチーへの嫉妬があったのだろうとティオは自分の推察をチェレンチーに語っている。

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