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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第六節>嵐の只中
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過去との決別 #69


(……クソッ!……クソクソクソッ! あの傭兵団の参謀とかいう若造もクソだが、ドゥアルテも大概クソだ!……)


(……まったく、なんで僕は、ドゥアルテのようなヤツを今まで仮にも友人だなんて思っていたんだろう?……)


 貴族の三男は、額に垂れてくる乱れた髪を盛んに撫で上げながら、次の一戦に向けて山から裏返しになったドミノ牌を取ってきては、自分の目の前のスタンドに立てていった。

 怒りのせいか、不満のせいか……あるいは、何か言葉に出来ない不気味な空気を感じているのか……

 身体中の肌がベットリと気持ちの悪い冷たい汗で濡れて、服の生地が貼りついてくる感覚に悩まされる。


 しかし、貴族の三男は、大事な一戦に向けて、なんとか気持ちを立て直そうとした。

 こんな時、長年この『黄金の穴蔵』でドミノを打ってきたという実績が、彼の自信と冷静さを呼び覚ます事に役立ってくれていた。


(……そう、感情的になってはダメだ。心の乱れは、判断力を低下させる。勝負をする時は、いつも落ち着いて、頭と心を研ぎ澄ませていなければいけない。……ドゥアルテのように、気分や感情に任せて、雑に牌を打つのは愚の骨頂だ。だから、アイツは弱いんだ。……)


(……今は、無礼なドゥアルテへの怒りは、一旦よそへ置いておこう。目の前の本当の敵に集中しなければ。……)


(……そう、僕の目的は、まず、この鬱陶しい傭兵団の若造の異常なツキを止める事なんだ。決してそれを見失うなよ、僕!……)


 今度こそ、右隣の席に座って、フンフンと鼻歌交じりに自分の手牌をスタンドに並べている、まだ二十歳にも満たないボサボサの黒髪に大きな眼鏡が特徴的な青年に、絶対に勝たなければいけない、そう貴族の三男は強く思っていた。

 とにかく、なんとしてでも勝って、彼の強烈なツキの流れを止めたい。

 あわよくば、自分がそのツキを奪い、かなり負けが込んでしまったこの状態から、再びプラスに戻して、更には大金を勝ち取りたかった。


 しかし、平静さを保とうとする貴族の三男の耳に、赤チップ卓のテーブルの置かれた壇上をザワザワと取り囲む人混みから、誰のものともしれない会話が聞こえてきた。


「ようやく始まるみたいだな。」

「なんだったんだ、さっきの騒ぎは? イカサマがあったみたいな話だったが?」

「いや、負けた人間がヤケになって騒いでいただけだろう。調べたが何も出なかったようだぜ。と言うか、『黄金の穴蔵』のオーナーがこの場に居るんだ。誰もその前でイカサマなんかするものか。」


 観衆達も、ドゥアルテと同様に、先程の揉め事は「負けた人間があらぬ因縁を吹っかけた」のだと思っている様子だった。

 その状況に、貴族の三男の高いプライドは大いに傷つけられていた。

 必死に抑えていても、怒りと羞恥心で顔から首から真っ赤になり、一文字に引き結んだ唇の端がピクピクと引きつっていた。



 貴族の三男自身も、イカサマがあったという確たる証拠は掴んでいなかった。

 ただ、傭兵団の参謀という若者が勝つ時に限って、あまりにも極端に牌が偏る事が続いており、これは彼が何かしていなければ起こりえない事象だと考えたのだった。

 しかし、オーナーをはじめとする『黄金の穴蔵』側の判定では、傭兵団の参謀は「白」だった。

 この『黄金の穴蔵』において、店側の言った事は絶対的な効力を持っている。

 このままこの賭博場でドミノを打ち続けたいのなら、例え「黒」を「白」と言われたとしても、その判定を飲まなければならない。

 そんな、厳しい鉄の掟を重々知っていたからこそ、貴族の三男はグッと不満をこらえ、元の席に戻ったのだった。


 このまま立ち去っては、「イカサマ」を主張した自分の考えが間違っていたのだと、自ら認めてしまうようなものだ。

 むしろ、彼は、絶対に勝負を続行させねばならなかった。

 勝負を続ける事でしか、傭兵団の参謀を叩きのめす事は不可能だったからだ。

 また、彼が行なっている「何か」を暴く事も出来なくなってしまう。


(……見ていろよ、若造! まだケツの青いガキの分際で、しかも、平民以下の卑しい身分で、この僕にいつまでも勝ち続けられると思うなよ!……)


 貴族の三男は、自分を嘲笑っているかのような観衆の噂話に耳を塞ぎ、右隣の若い男をギッと睨んだ。

 緊迫した険悪な気配の漂うこの赤チップ卓のテーブルで、一人呑気に、まるで積み木遊びでもするごとく、ドミノ牌を並べている傭兵団の参謀とかいう若者を、貴族の三男は、その視線で射殺す勢いで見つめていた。



 そんな貴族の三男に、思いがけない好機が転がり込んできた。

 一マッチの5戦目が始まってから、4巡目、例の傭兵団の参謀を名乗る若い男が、牌を切り出す際に、うっかり手に引っ掛けて、目の前のスタンドに立てていた牌をパタリと倒してしまったのだ。


「あっと!……す、すみませーん!」

「フン。下手クソが。」


 倒した牌は場のドミノ列に繋げる事の出来ない牌だったので、ドゥアルテに鼻で笑われながらも、参謀の若者は慌てて引っ込め、別の牌を切っていた。

 手や服に引っ掛けて倒し自分の手牌を対戦者にさらすなど、まず上級者はしないミスである。

 参謀の若者は、ここぞという一戦では驚異的なツキで次々手牌を場に出し、他を寄せつけない早さで上がっていたが……

 こういった初歩的なミスや、牌を持つ手つきの覚束なさを見るに、「今夜初めてドミノゲームをした」という本人の話は、どうやら本当のようだった。

 こんな初心者に、十年以上この『黄金の穴蔵』に通っている熟練者の自分が現在大敗している事実はいらだたしい事限りなかったが……

 先程の若者のミスで、貴族の三男は、自分がこの1戦で有利になる大きな情報を得ていた。


 それは、参謀の若者が倒した牌の表に書かれた数字がはっきりと見て取れたからだった。

 それはもちろん、同じテーブルを囲んでいるもう一人のプレイヤーであるドゥアルテも間違いなく見ていた。

 その牌は……『5-6』だった。


 貴族の三男は、自分の手牌を改めて見直した。

 今、自分の手牌には、『1-1』『1-2』『1-4』『4-6』があった。

 『1-1』『1-2』『4-6』ははじめから手牌にあり、『1-4』は3巡目に出す牌がなくなって、山から引かされた牌だった。

 先程、ドゥアルテがちょうど『2-4』を出し、ドミノ列の端の目は『0』と『4』になっていた。

 列の途中に、初めて出たダブル牌の『3-3』があり、分岐可能な事から『3』も出せるが、残念ながら貴族の三男の手牌に『3』の入った牌はなかった。

 となると、今貴族の三男が切れる牌は『1-4』『4-6』の二つという事になる。

 セオリー通りなら、大きい数字を先に切って、誰かに先に上がられた時の残り牌の目数を少しでも減らすという、リスクを回避する方向に打つものだ。

 つまり『4-6』と切るのが正解だった。


(……だが、ここでは敢えて『1-4』だ!……)


 貴族の男は、素知らぬ顔で『1-4』牌をドミノの列に繋げた。

 そして、チラと横目で、右隣の席の参謀の若者の様子を観察する。


 参謀の若者は、貴族の三男やドゥアルテが出せる牌がなくなり多かれ少なかれ山から引いてきているというのに、この一戦もまだ一度も止まる事なく、スイスイと自分の手牌を場に出し続けていた。

 おかげで、彼の手牌は、既に残り2枚となっていた。

 しかし、その2枚の内の1枚を、今、貴族の三男は知っているのだ。

 それは先程彼がうっかり倒して見せてしまった『5-6』牌である。

 それが分かっていて、みすみす『5-6』に繋がる『4-6』を切る訳にはいかない。


(……フフフ……さっきの1戦のお返しだよ。今度は僕がお前の持っている牌を止めてやる! どうだ、その『5-6』牌、切りたくても切れないだろう? フフフフフ!……)


(……既に、場には『6』の入った牌は5枚見えている。残った2枚の『6』の内、1枚は僕の『4-6』でもう一枚が、お前の『5-6』だ。僕が『6』を止めている限り、お前はいつまでたっても『5-6』は出せないって訳さ!……そして、僕がこの『4-6』牌を出すのは、自分の他の手牌が全てなくなってからだ。……)


(……つまり、お前より僕の方が先に上がる!……この一戦、僕の勝ちだ!……)


 場には、『5-6』のもう片方の数字である『5』の入った牌も、既に5枚見えていた。

 残り2枚『2-5』と『3-5』がどこにあるのかは不明だったが、いずれにせよ残り2枚では、その牌がちょうどタイミング良く場に出てきて、参謀の若者が『5-6』を切れる可能性は、ほぼないと言っていい程に低かった。


「あーあ、さっき見せちゃったから、こっちを先に切りたかったのになぁー。」


 参謀の若者は、ガッカリした様子で、残った2枚の牌の内の『5-6』でない方の1枚を手にした。

 見られたというのもあるが、『5-6』という大きな数字だ、早くさばいてしまいたかったのだろう。

 しかし、それは貴族の三男に止められていて出す事は出来ない。

 結局、参謀の若者が切ったのは、『1-0』という目の数字の少ない牌だった。


(……フッ! 馬鹿め、ざまあみろ!……)


 貴族の男は、そんな彼を内心密かに嘲り笑ったが……

 その時、間髪置かず、ドゥアルテが、パチリとドミノ列の『3』に繋がるように牌を切った。

 『5』の入った牌で、まだ場に出ていなかった『3-5』の牌を。


「よーし! 合計5でチップ一枚ずつ貰うぞ!」


 したり顔で宣言するドゥアルテを、貴族の三男は、悪夢でも見たかのように、真っ青な顔で呆然と見つめていた。



「やったぁー! ドミノー! 俺の勝ちですねー!」


 結局、その1戦は、次の参謀の若者の番が回ってきた時、彼が『5-6』牌を先程ドゥアルテの出した『3-5』に繋げて、手牌をゼロにし、勝利していた。

 ドゥアルテは手牌を1枚残したものの『0-0』牌だったので、チップの支払いはなかった。

 一方で、参謀の若者は、一番先に上がった事から、貴族の三男が残していた『1-1』『1-2』『4-6』の牌の目の合計の15枚のチップを受け取る結果となった。

 貴族の三男は、ドゥアルテが『3-5』を出した後、繋がる牌がなく、また山から引いてくる事になってしまっていた。

 不幸中の幸いで、それが『0-2』牌だったため、『0』の端に置く事は出来たが、もう、参謀の若者が『5-6』を切るのを止めるすべが彼にはなかったのだった。


 ボーナスチップを抜いて15点……

 チップ15枚を失う結果になったが、先程の大量失点に比べれば、まだ余程ましな方だった。

 しかし、一度は参謀の若者の牌を止めて、彼の勝利を阻止出来る、自分が勝てる、という所まで気持ちが高まっていた分、その落胆と絶望は大きかった。


 貴族の三男は、怒りと失望で震える手をこらえ、参謀の若者にチップを支払ったが……

 返す刀で、ギロッと、向かいの席で踏ん反り返っているドゥアルテを睨みつけ、声を荒げた。


「ドゥアルテぇ! 馬鹿なのか、君はぁ! なぜ、あそこで『3-5』牌を先に切ったんだ!」

「はあ?」


 ドゥアルテは、貴族の三男が目を釣り上げて怒っている理由が全く分からない様子で、眉をしかめて軽い口調で返答する。


「そりゃあ、切るだろう?『0』『5』で合計5、ボーナスチップのチャンスだったからな。それに『3-5』『0-0』だったら、普通数字のデカイ『3-5』から切るのは当たり前だろうが。」

「確かに、普通はそうだ! でも、さっきは、そこの若造の2枚ある残り牌が、ヤツのミスで片方見えていただろう? それは『5-6』牌だった! お前もしっかり見た筈だ!……そして、ヤツは、先にもう1枚の『0-1』牌を切った。だとしたら、残りは必然的に『5-6』牌だ。考えなくたって、子供だって、これぐらい分かる事だぞ!」


「それなのに、お前はみすみす『5-6』に繋がる『3-5』牌を切って、ヤツを勝たせてしまったんだ!……手元に『0-0』『3-5』とあったなら、先に『0-0』を切っておけば、ヤツが上がるのを止められたんだよ! それだけじゃない、その次の一巡で『3-5』牌を切って上がれもしたんだ! お前が一位になれたんだぞ!」

「あー……まあ、そういう可能性もあったかもしれないな。まあ、でも、もう終わっちまったものはしょうがないだろうが。後からガタガタ言った所で、勝負の結果は変わらねぇんだよ。」

「このっ……なんで、そんな態度でいられるんだ! もっと頭を使って打てって、僕はずっと君に言っていたよなぁ? それなのに、君ときたら、昔から何も変わらない! 毎晩のようにドミノを打っているドミノ馬鹿のくせに、まるで上手くならないのは、君のそういう所が悪いからなんだよ!……目先のたった2枚のボーナスチップに釣られて、拾えた筈の勝ちを捨てるなんて!」

「ああ、もう、うるせぇなぁ! ウダウダウダウダ、いつまで言ってりゃ気がすむんだよ、テメェは!……別に俺は、二番でも何もチップを失わなかったからな。逆にボーナスチップを2枚取ったぜ。……そう言うお前は、どんだけ負けたんだ? あ?……俺が勝とうがこの若造が勝とうが、お前の負けは変わらなかったんじゃねぇのかよ? 負け犬の分際で、いつまでも騒いでんじゃねぇぞ!」


 全く貴族の三男の指摘を真面目に聞く気のないドゥアルテの態度を見て、いよいよ貴族の三男は怒り心頭に発していた。

 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、バン! とテーブルを叩き、向かいの席のドゥアルテを指差して罵る。


「お前が『3-5』なんて、馬鹿な牌を打たなければ、僕だってこんなに文句を言ってないんだよ! 元はと言えば、この若造を止めなかった君が全て悪いだろうが!」

「ああ? 俺がなんの牌を打とうがどうしようが、お前に指図される筋合いはないだろう? 俺がこのガキを止めなかったの悪いだぁ? そんなに止めたきゃ、お前が止めれば良かっただろうがよ!『5』の入った牌はもう一枚あった筈だろ?」

「た、確かに『5』の牌はもう一枚あったが、僕の手牌にはなかったんだよ! おそらく山のどこかに眠ってたんだ!」

「ハン! お前の手牌にあるかどうかなんて、俺の知った事か! 若造の『5-6』を止められなかったのは、お前のせいじゃねぇか。自分の運の悪さまで、俺のせいにするんじゃねぇよ! お前が負けたのは、お前自身の責任なんだよ!」

「お、お前こそ、僕の手牌にどうこう言う資格はないだろう! それ以前に、お前が『3-5』牌を出さなければ、僕が『5-6』を止めなきゃならなくなる事もなかったんだ!」


 結局、貴族の三男は、苛立ちを抑えられず、裏になったままテーブルの端に寄せてあった山の牌を片端から引っくり返した。

 確かにそこからは、ドゥアルテの打った『3-5』に繋がって、参謀の若者の『5-6』を止める事が出来たであろう『2-5』牌が見つかったが……

 ドゥアルテの言う通り、勝負自体が終わってしまった後では、もはや後の祭りだった。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ダブル牌」

ドミノ牌の中で『0-0』『3-3』『6-6』のように、両端が同じ数字のものを「ダブル牌」と呼ぶ。

場に出ているドミノ牌の列に繋げる時、普通の牌は同じ向きで並べるが、ダブル牌は列と直交するように置く。

初めて出たダブル牌のみ、その直交して置かれた両端にも牌を繋げる事が可能で、その結果、ドミノ牌の列に最大四つの端が出来る事になる。

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