過去との決別 #67
(……ティオ君の圧勝だった。……分かっていたけど、改めて見ると、凄いなぁ。……)
チェレンチーは、赤チップ卓のテーブルの椅子に座っているティオの肩越しに、既に勝負がついた盤面を見つめ、心の中でため息をついていた。
ティオの手牌が『1-5』『2-5』『3-5』『4-5』『5-5』『5-6』と、6枚全て『5』の入った牌である事は、後ろに立っていたチェレンチーは勝負開始から知っていた。
ドミノ全28枚の牌の中に、『5』の入った牌は全部で7枚。
三人でプレーする形式になり、手牌は6枚から始まるので、さすがに残りの『0-5』は山に残ったままだったようだ。
それでも、持てるだけの『5』の牌を、ティオは自分の元に集めていた事になる。
当然、勝負開始の直前に、ティオがテーブルの端を指先で軽くトトトッと叩いて出したサインは、彼の席の番号を示す「三番」だった。
ティオが勝つつもりであるのを確信し、チェレンチーは、離れた場所で外ウマに賭けているボロツに、アゴに手を当て考え込む振りをしてサインを繋いだ。
チェレンチーは、ティオの手牌を見た時から、(この一戦は荒れそうだ)と推察していた。
しかし、それを、ティオのただの付き添いである自分が顔に出す訳にはいかないので、必死に冷静な表情を保っていた。
それが出来たのは、ティオから事前に「俺は、裏からでもなんの牌か分かりますよ」というとんでもない種明かしをされていたからだった。
また、ドゥアルテ家で下働きをしていた時に「お前は感情が顔に出過ぎだ」と父親から厳しく指導を受けた成果が、こんな意外な場面で役に立ってくれたのもあった。
実は、チェレンチーの商人としての優れた資質の内には、時に冷淡な程冷静で情に流されない一面があったのだが、本人はまだその自覚がなかった。
そうして、実際ゲームが始まってみると、やはり勝敗は驚くべき結果になった。
(……こうやって並んだドミノ牌の列だけ見ると、凄くあっさりしてるんだけどなぁ。……)
チェレンチー目の前には『3-5』『5-5』『5-0』『0-4』『4-5』『5-6』『6-4』『4-2』『2-5』『5-1』『1-4』という、11枚のドミノによる列が出来ていた。
一番最初にティオが出した『5-5』だけが、列に対して垂直に交わるように置かれ、後は一列に伸びているという、ドミノゲームとしてはかなりシンプルな並びである。
しかし、この11枚の内、初手に切り出した『5-5』牌の横に最後につけられた『3-5』の牌を含め、6枚がティオの手牌から出されたものだった。
つまり、対戦相手のドゥアルテと貴族の三男は、二人合わせてたったの5枚しか牌を出す事が出来なかった。
二人とも、ティオの操作によって、ほとんど手牌を場に出せずに終わったどころか、山からも牌を引かされ、勝負が終わった時には……
ドゥアルテが、牌の入れ替わりはあったものの、ゲームスタート時と同じ6枚……
貴族の三男に至っては、ゲームスタート時より増えて、9枚の手牌を抱えた状態になっていた。
加えて、ティオはゲーム中、最初に切り出した『5-5』牌で合計10になり、ボーナスチップを二人からそれぞれ2枚ずつ受け取ったのを皮切りに……
『4-5』牌を出した時に、列の端の目が「5」「5」「5」で合計15になり、更に、ボーナスチップを3枚ずつ巻き上げ……
『2-5』で再び合計15として、またもや3枚ずつ毟り取っていた。
一度ドゥアルテが『0-5』牌を出した時に合計10を作り、2枚ずつチップを受け取ったが、それも焼け石に水で……
ボーナスチップだけでも、ティオの得たチップは16枚、ドゥアルテに払った分を引いても14枚になっていた。
これは、元々5の倍数を作りやすい、『5』の牌を手牌に揃えていた恩恵でもあったのだろう。
しかし、勝負の総決算は、ボーナスチップでの得点が可愛く思える程の大量得点となっていた。
「じゃあ、お二人からは、残った牌の目の合計分のチップをいただきますねー。」
ティオは最後の『5-3』牌を繋げて「ドミノ!」と宣言した直後、さっそく満面の笑みで両手を二人の前に突き出した。
ティオだけ見れば、子供が勝負に勝って無邪気に喜んでいるような雰囲気なのだが……
大量に手牌を抱えたまま勝負を終えたドゥアルテと貴族の三男からすれば、そんなティオはただの憎々しい対戦相手であり、射殺す勢いで睨みつけてきているのも当然だとチェレンチーは思った。
結局、ドゥアルテが『0-1』『0-2』『0-3』『0-6』『3-4』『4-4』を手牌に残し、27枚のチップを……
貴族の三男は、なんと『1-1』『1-2』『2-2』『2-3』『3-3』『1-6』『2-6』『3-6』『6-6』を手牌に残し、56枚のチップを……
それぞれのチップ入れの木箱からゴッソリと支払う事になった。
二人がティオ相手にこの1戦で失ったチップは、ボーナスチップも入れると、ドゥアルテが33枚、貴族の三男が64枚にのぼり……
ザッと100枚近いチップが、ティオに集まっていた。
これが、全部で8戦ある1マッチの内の、たった1戦での出来事であった。
(……ティ、ティオ君ー! さすがにこれは、やり過ぎなんじゃないのかなぁー?……)
チェレンチーは、体の前で手を重ね、直立不動の体勢で無表情を貫きつつも、密かにドッと冷や汗を掻いていた。
□
「……イ、イカサマだ!!」
突然、ガタンと席を蹴って貴族の三男が立ち上がり叫んだ。
先程の一戦での大敗が、あまりにもショックだったらしい。
チェレンチーは、彼の突飛な行動に驚きはしたものの、どこか納得してしまうような気持ちもあった。
一方で、貴族の三男にビッと指を突きつけられて糾弾されている当人のティオは、全く思いもよらなかったといったような呆けた顔をしていた。
貴族の三男は、大股でティオに歩み寄り、ガッとその胸ぐらを掴んできた。
「貴様ぁ、異常なツキだと思っていたが、ずっとイカサマをしていたんだな!」
「ええ!?……お、俺、イカサマなんてしてませんよ! ほ、本当に本当ですってー!」
ティオは、腕力を使って自分を締め上げてくる貴族の三男に対して、突き放す事も抵抗する事もなく、苦しげに顔を歪めるはするものの、されるがままになっていた。
パタパタと腕を振り、言葉でのみ必死に否定する。
「ティ、ティオ君!」
後ろに立っていたチェレンチーが、ティオを心配し、烈火のごとく怒っている貴族の三男との間に割って入ろうとしている一方で……
異変に気づいた用心棒達が、壁際の席から次々と立ち上がってこちらに向かって近寄ってきていた。
しかし、ティオは、非力なチェレンチーが巻き込まれる事を逆に案じたのか、ヒラヒラと手を振って、「平気です」と彼を制した。
これには、壇上で勝負の行方を見守っていた、ここ『黄金の穴蔵』のオーナーも、椅子から立ち上がって足早に歩み寄ってきた。
「とりあえず、その方から手を放して下さい。ここでは喧嘩や暴力はご法度だと、貴方は重々承知の筈です。……その手を放してもらえなければ、いくら馴染みのお客様とは言え、私は貴方をこの店から摘み出さなければならなくなってしまいます。」
オーナーのとりなしと、ワラワラと四方八方から集まってきている用心棒達の様子を見て、ティオの胸ぐらを掴んで締めつけている貴族の三男も、少し冷静になった様子だった。
どう考えても、ここで怒りに任せて目の前の間抜け面をした若造を殴り倒すのは、自分にとって分が悪い。
忌々しげに歯ぎしりをしながらも、なんとか荒ぶる感情を抑えて、ゆっくりとティオから手を放した。
「ティオ君!」とチェレンチーが、すがるように彼の腕を掴んで顔を見上げるも、ティオは何事もなかったように笑っていた。
「大丈夫ですよ、チェレンチーさん。良くサラにやられているので、慣れてますから。」
「……サ、サラ団長にかぁ……い、いや、あまり慣れない方がいいと思うよ。なるべく、サラ団長の機嫌を損ねないようにしておくれよ。」
「アハハ。それは、残念ながら約束しかねますねぇ。」
ティオとチェレンチーがそんな場違いな気の抜けた会話を交わしていた時……
賭博場のオーナーは、貴族の三男が大人しくなったのを見てとって、サッと腕をあげ、近寄ってきていた帯刀している用心棒達を制止する合図を送っていた。
続いて、シッシッと追い払うように手を振り、(必要ない。下がっていろ。)というジェスチャーで、用心棒達を元の位置へと戻らせた。
そうして、一旦場を落ち着かせてから、オーナーは、貴族の男とティオの顔を代わる代わる見ながら、ゆっくりとした口調で話し出した。
「さて、こちらのお若いお客様がイカサマをなさっているという訴えのようですが……」
「そうだ! コイツは、絶対にイカサマをしている! でなければ、こんな、自分の手牌にはじめから『5』が6枚なんて、偏った揃い方はあり得ない!……それどころか、良く見てみろ! 僕と、ドゥアルテ殿の手牌も、酷く数字が偏っているだろう?」
「だから、俺はイカサマなんてしてませんってー。ただちょこーっとだけ『運』が良かったんですー。」
「『運』の良さだけで、こんな奇妙な偶然があってたまるか! 今回だけじゃない! コイツが勝1戦は、いつもこんなふうに酷く牌が偏っているんだ!」
チェレンチーはそんなやりとりを聞きながら、ティオのそばで腕組みをして複雑な表情を浮かべていた。
(……まあ、確かにイカサマではないけれど……まさか、裏からでもどの牌か分かるなんて言う訳にはいかないよねぇ。……)
(……それから、ティオ君は勝負が始まる前に外ウマで誰に賭けるかボロツ副団長にサインを出しているけれど……あれって、ひょっとして「イカサマ」にあたるのかなぁ?……うーん……)
ティオが自分でプレーしながら外ウマに賭ける事自体はルール的に問題なという話を、オーナーに付き添っている年老いた従業員から一応聞いてはいたが。
今はその件については検討する余裕がないので、チェレンチーは、ひとまず置いておく事にした。
「こちらのお客様が、不正があったのではないかと疑っておられます。疑惑のある状態のままゲームを続けるのは、お互いに気分のいいものではないでしょう。我ら『黄金の穴蔵』の方でも、ゲームにおける公正さは徹底させておきたい所です。」
「そう言った訳で、一通り調べさせてもらっても構いませんかな?」
オーナーは、常連である貴族の三男の意見を聞いたのち、ティオに向き直って丁寧な態度で尋ねてきた。
ティオは、自分が疑われている状況であるのに、特に気分を害した様子もなく……
「どうぞ、どうぞ! 好きなだけ調べて下さいー!」
と、にこやかに笑って答えていた。
まあ、ティオに後ろ暗い所は欠けらもないので、当たり前の反応と言えるが、立場上彼を調べなければならないオーナーの方が、そんな能天気な笑みを向けるティオに面食らったような顔をしていた。
「では、失礼して。……おい、爺さん。」
「はい。旦那様。」
オーナーの後ろに影のように静かに控えていた、この賭博場の従業員用のエンジの制服を着た小柄な老人が、呼ばれてススッと前に出てきた。
そして、ベストの内ポケットからルーペを取り出すと、目に当てがって、テーブルの上に並んだドミノ牌を一つ一つ手に取っては吟味し始めた。
「お客様方は、こちらの調査が終わるまで、テーブルから離れて、ドミノ牌には触らぬようにお願いします。」
オーナーの言葉に、渦中のティオと貴族の三男だけでなく、同じテーブルに着いていたドゥアルテも面倒臭そうに一旦席を立ち、チェレンチーもティオと共にテーブルに手が届かない距離まで遠ざかった。
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☆ひとくちメモ☆
「イカサマ」
ゲームにおいて不正な手段を使って勝利するいわゆる「イカサマ」行為を、賭博場『黄金の穴蔵』では、当然の事ながら禁止している。
イカサマ行為がないように、従業員一同は常に厳しく目を光らせており、何かあれば、賭博場の片隅に控えている用心棒達がすぐに駆けつけてくる。
『黄金の穴蔵』を訪れる客へ、等しく公正さを提供しているとも言える。




