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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第五節>壇上の死闘
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過去との決別 #64


(……あ!……)


 チェレンチーは、赤チップ卓のテーブルを離れ、遠ざかりゆく地主の男の背を見送りながら、ふと気づいた。

 先程まで、男の体から吹き出し絡みつくように取り巻いていた黒い影が、綺麗に消え去っていた。

 黒い影の代わりに、華々しい輝きではないものの、うっすらと暖かな光が包んでいるように見えた。


(……あの人の、この先の未来が、変わった?……)


(……もう絶対変わらないものだと思っていたのに、こんな事、初めてだ。……)


 チェレンチーには、商品の良し悪しが分かる能力があった。

 それは、商品が光を帯びて見える時は良いもので、逆に暗く影をまとって見える時は悪いもの、という、視覚的な感覚で彼には感じられていた。

 光の大きさや強さ、また形状は、物品によって違い、同様に、影の形態も一つとして同じものはない。

 しかし、一度見た光や影が大きく変化する事は、今まで一度もなかった。


 ごく最近、ティオと知り合ってから、自分の能力を初めて他人から認められた事で、チェレンチーは自分の見ているものを心の底から肯定出来るようになった。

 それまでは、一度亡き父に打ち明けたものの完全に否定されたせいもあり、自分が頭のおかしな人間で、何かの見間違いだとばかり思っていた。

 しかし、ティオによってそんなしがらみから解放され、自分の見ているものを素直に受け入れるようになったチェレンチーは……

 商品から発展して、様々なものに光と影を、そして、もっと詳細な映像を見るようになっていた。


 チェレンチーに商人としてのいろはを教え込んだ亡き父は言っていた。

 「商品の今の価値ではなく、将来の価値を考えろ」と。

 また、「物だけでなく人の目利きが出来て、初めて一流の商人だ」と。

 チェレンチーは、周囲の人間の姿に、光や影を見ている自分に気づいた。

 それと同時に、見た事もない不可思議な映像が見える事もあったが、恐らくそれは、その人物の将来を暗示しているらしい、と感じていた。

 チェレンチーは、商品の目利きをする内に、いつしか、人間を目利きするようになり、その人間の将来をも目利きしていたのだ。


 けれど、一度目利きの能力で測ったものの価値が、将来性が、一瞬にしてガラリと変わる経験は、今までにない事だった。


 チェレンチーは、今一度、立ち去っていく地主の男の後ろ姿に、意識を集中した。

 その時、チェエレンチーの目利きの能力によって時折垣間見る、不思議な光景が閃くように見えた。


 男は、背中を丸めて、トボトボと一人荒野の道を歩いていた。

 それは、つい先程見た光景と同じだった。

 しかし、その道の先が、前とは違って、明るく開けていた。

 乾いて赤茶けひび割れた大地に、枯れた木々や草、ゴツゴツとした岩が転がっているだけだった荒涼たる光景が……

 男の歩いていく先で、次第に緑の草に覆われていく。

 夜のごとく淀んで暗かった空はうららかに晴れ渡り、辺りの景色は次第に、素朴ながらものどかな田園に変わっていく。

 その先に、何人かの人の姿があった。

 皆ジッと心配そうにこちらを見ており、男が来るのを待っている様子だった。

 その中の一人の女性が、生まれたばかりの赤子を大事そうに抱いていた。

 道の先の、その優しい光に包まれた場所に向かって、男は足を引きずりながらも必死に歩いていた。

 彼を待つ人々は、そんな男を、声を上げて呼び、腕を振って招いていた。

 男が、人々の元に辿り着き、彼を取り囲む者達と涙を落として抱き合っている所で……

 チェレンチーの見ていた映像はフツと途切れた。


(……ティオ君がやった、のか?……ティオ君は、人の運命さえも変えられるのか?……)


 チェレンチーは、大きな驚きをもって、目の前の席に座っているティオの背中を見つめていた。


(……いや、たぶん、あの人の中に、破滅を逃れる可能性はあったんだろう。でも、それは、賭博で負けを取り返そうと夢中になっている時には、見えないものだったんだ。それを、ティオ君が気づかせた。だから、ギリギリの所で、あの人は破滅の未来から逃れる事が出来たんだろう。……それだけでも、充分凄い事だ。……)


 チェレンチーは、地主の男を叱咤してこの赤チップ卓のテーブルから追い出したティオを思い出して、フッと笑みを浮かべていた。


(……ティオ君、君は、結局、冷酷にはなりきれないんだね。……)


(……ここは、骨の髄まで他人を食い尽くす者達の溜まり場。魑魅魍魎の住まう修羅の世界。誰も、他人に情けなど掛けない。なぜなら、そんな事をしたら、すぐに自分が食われてしまうのだから。……)


(……やろうと思えば、ティオ君なら、あの地主の男から、一欠けらも残さず土地を巻き上げられただろう。そして、そんな事をされても文句の言えない状況に、あの男は自ら身を投じていた。精神的に崩壊しかけていたあの男を追い詰めるのは、簡単な事だった。……)


(……でも、それはしないんだね、君は、ティオ君。……)


 確かに、ティオの目的は、ドゥアルテだった。

 本来のターゲットでない地主の男を、人生が破滅するまで追い込むのは、ティオの本意ではなかったのだろう。

 それでも、チェレンチーは、ティオがどれだけあの地主の男に心を割いていたか、気づいていた。


(……最後に、あの男の元に残った、たった一枚の赤チップ。あれは、ティオ君、君がわざとやった事だったんだね。チップが一枚残るように、負け分を調節していたんだろう? 元より君は、あの男を、完全に人生が壊れてしまう前に、助けるつもりだったんだね。……)


(……やっぱり、優しいな、君は。……)


(……でも、こんな時さえも、非情になりきれない、そんな君の優しさが……)


(……僕は、少し、心配でもあるよ。……)


 チェレンチーは、そんな心根の優しいティオを、とても好ましく思う一方で……

 その優しさが、甘さとなり、隙となり、いつか、彼の身を窮地に落とし入れる事になりはしないかと、不安に思わずにはいられなかった。



「フー。やっと行きましたねー。これにて一件落着ー。……じゃ! さっさと次のゲームを始めましょうかー。あ、人数が少なくなっちゃいましたけど、どうしますー?」


 ティオは、地主の男が赤チップ卓のテーブルを去ると、ケロッと何事もなかったように、いつもの能天気な笑顔を浮かべていた。

 それまで、ティオの張り詰めた気配に圧倒され、言葉を失い固まっていた貴族の三男が、そんな彼を見てやっと、ふうっと大きく息を吐き出していた。

 安堵したような拍子抜けしたような引きつった笑顔を浮かべ、白いシャツのティオの肩をポンポンと叩く。


「……ハ、ハハッ! ビックリしちゃったじゃないか、参謀君! さっきのは一体何だったんだい?」

「ああ、あの人がグズグズ言って面倒臭かったので、ちょーっとだけおっかない振りで脅して追い払ったんですよー。いくらお金を落としてくれるとは言っても、ずっとあんな調子じゃ、見てるだけで気分が滅入るじゃないですかー。それに、ノロノロしていてムダに時間を取られるしー。だったら、さっさと追い払って、別の人を入れた方がいいでしょう?」

「ま、まあ、そうかもね。」

「フフフン。俺の演技もなかなかだったでしょう? だてに傭兵団でガラの悪い人達に囲まれていませんってー。ハッタリを効かせるために、彼らの真似をするぐらいなら、俺にだって出来るんですよー。……ほら、ああいう人を参考にしたんですー。」


 ティオは、貴族の三男に対し、視線で、外ウマの長椅子に座っているボロツを示しては、ニヤリといたずらっぽく笑って見せた。


「彼は、君の所の副団長だったよね? いいのかい、そんな事を言って?」

「ボロツ副団長の人相が悪いのは、自他共認める所ですからー。黙っていた子も泣き叫ぶ、凶悪犯罪者面ってねー。」


 ペラペラと良く舌の回るティオの軽口に、貴族の三男はすっかり安心した様子で、元のように気楽にハハハと笑っていた。


 一方で、チェレンチーは、未だドゥアルテが青ざめ強張った顔で黙り込んでいるのに気づいた。

 今は元のヘラヘラした軽いノリに戻ったティオを、うかがうようにジッと見つめている。

 一見、用心深くティオの本心を図っているようにも思えるが……

 チェレンチーは、そんなドゥアルテの様子に、ふと思い出した事がった。


(……ああ! そう言えば、兄さんは昔から……)


 と、その時だった、店の入り口の方にどよめきが走った。

 もう、先程の地主の男は出て行った後だったので、全く別の何かが起こって人が騒いでいるのだと察する。

 チェレンチーも、ティオも、貴族の三男も、そしてドゥアルテも、人々がざわめいている方向を一斉に見遣った。


 そこには、一種異様な風体の男が立っていた。

 歳は、四十代後半といった所だろうか。

 全身を覆うようにマントを纏っているが、それがなんと黒いカラスの羽で出来ていた。

 カラスの羽特有の光沢と毛羽立ちの中に、時折混ぜられている目玉模様のある玉虫色の色彩の鳥の羽が、また一段と怪しさを増している。

 男は、うねる長い毛を油を染み込ませて重く光らせ、まとめもせず、そのまま肩へ胸板へ背中へと流している。

 全身、黒を基調とした衣装を着てはいるが、代わりに、首にも手首にも指にも、これでもかと黄金の首飾りや腕輪、指輪などをジャラジャラとつけているせいで、返ってギラギラと派手に見えた。

 大柄で、肩幅のある恰幅のいい体つきに、その奇妙な衣装は不思議と似合っており、一目で引きつけられる迫力があった。


「オーナーだ!」

「珍しいな、オーナーが店に顔を出すなんて! 何ヶ月ぶりだ?」


 『黄金の穴蔵の』常連客達は口々に噂し合い、従業員達はこぞって深々と頭を下げていた。


(……あ、あの人が、この『黄金の穴蔵』のオーナー?……な、なんか、凄く、賭博場の主って感じの人だなぁ。……)


 チェレンチーも、口を半開きにして、その独特な雰囲気に圧倒されながら見つめていると……

 鳥の羽で出来たマントを羽織った男は、大きな歩みで赤チップ卓のテーブルがある店の奥に向かって真っ直ぐにやって来た。

 その進路に居た客や従業員は、慌ててサッとわきによけ、まるで潮が引くように彼の前には道が開けていった。



 ティオをはじめとした赤チップ卓の客達が呆然としている内にも、『黄金の穴蔵』のオーナーは、のしのしと店の中央を歩き来て、なんのためらいなく真紅の絨毯の敷かれた壇上に登ってきた。


「こ、これはこれは、オーナー。お久しぶりですね。」


 貴族の三男が、余裕を見せようと優雅な仕草と口調で、その大柄な男に真っ先に笑顔で話しかけていたが、やはり相当緊張しているらしく、声が震えていた。


「……フン。……」


 ドゥアルテは、自分の席に踏ん反り返ったまま腕組みをして目を閉じ、相変わらず傲慢な態度で鼻を鳴らしただけだった。


「珍しいですね。どうしてこちらにいらしたのですか?」

「今夜は随分と場が荒れているという報告を受けましてな。赤チップ卓の常連のお客様が、早くも二人もお帰りになったとか。この店の支配人としては、この目で様子を見ておかなければとやって来た次第です。」


 鳥の羽のマントを身に纏った男が口を開くと、ガラガラと、酒かタバコのやり過ぎか、喉が半分潰れたような低く枯れた声が響いてきたが、さすがにその口調は客である貴族の三男に対して、極めて丁寧なものだった。

 『黄金の穴蔵』のオーナーは、この建物内に住んではいるが、ほとんど地上の上階の部屋で過ごしていて、よっぽどの事がない限り店には顔を出さないとの噂だった。

 それでも、長くこの店に通っているドゥアルテや貴族の三男は、男の顔を見知っており、何度か話した事がある様子だった。


 この『黄金の穴蔵』のオーナーという怪しい風体の男は、まず赤チップ卓の壇上の常連客の面々に簡単に挨拶を済ませると……

 ザラザラとマントを埋め尽くす無数の羽を揺らして、ティオに向き直った。


「こちらが、今夜初めて我が賭博場にいらっしゃったお客様ですね? 随分と店の中が騒がしい様子ですな。まるで大きな嵐がやって来たかのようだと聞きましたが、これはまた、思いの外お若い方なのですな。さしずめ、あなたが、この賭博場に吹き荒れる嵐の中心、渦の目玉といった所ですかな?」


 ティオは、鳥の羽のマントを着た男に言葉を向けられて、すっくと椅子から立ち上がった。

 そして、右足を半歩後ろに引き、胸に右手を当てて、最上級の敬意を払ったお辞儀をして見せた。

「挨拶が遅くなって、大変申し訳ありません。」


「あなたが、この賭博場のオーナー様でしたか。俺は、ティオと言います。今はナザール王国に雇われた傭兵の一人として、傭兵団に所属しています。一応『作戦参謀』という肩書きで仕事をしております。」


 しかし、この丁寧なティオの挨拶に、『黄金の穴蔵』のオーナーは、戸惑いを隠せないといった呆然とした顔をしていた。


「……ハハ……参謀君、君ねぇ。どうやったらそんな盛大な勘違いが出来るんだい?」


 貴族の三男も、呆れて乾いた笑いを浮かべる。


 なぜなら、ティオが丁重に挨拶をしたのは、先程現れた鳥の羽で出来たマントを羽織った賭博場のオーナー……

 ではなく、その少し後ろで影のように控えていた、小柄な老人だったからだった。

 えんじ色の従業員の制服を着て控えめな笑みを浮かべる老人は、この場に来た時から赤チップ卓のテーブル周りで、酒や軽食を運んだり、チップの両替をしたりと、あれこれと雑用を担当していた人物だった。

 確かに、この賭博上に居る従業員の中では一人だけかなり歳がいっており、最年長なのは間違いなかったが。


「これは、私の使用人です。」

「ええー!?」

「この者は、もうずっと長い事私に仕えているのですよ。昔は力仕事をさせていましたが、寄る年波には勝てないと言うので、今はこうして賭博上で働かせています。」

「はあ、そうだったんですかー。……なるほどなるほどー。あなたがこの賭博上のオーナー様で、こちらの方は、あなたの使用人、と。そういう事情でしたかー。良く分かりましたー。」


 ティオは、オーナーの説明を聞きながら、間抜け面で二人の顔をキョロキョロと見比べていた。

 その後、更に、使用人の老人に、心配そうに話しかけていた。


「いやぁ、でも、そのお歳でこんな深夜まで働くのは大変ではないですか?」

「い、いえいえ。夜遅いのには慣れております。……どうか、私の事はお気遣いなく、お客様。」


 老人は、自分の身分に似つかわしくないティオの厚意に戸惑っている様子で、ひたすらペコペコと頭を下げていた。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「賭博場のオーナー」

カラスの羽にところどころ孔雀の羽を混ぜてビッシリと縫いつけた見るからに怪しいマントを羽織っている、大柄な男。

普段は、地下賭博場の上に立っている屋敷の上階で暮らしているらしいとの事。

ほとんど従業員達に経営を任せており、『黄金の穴蔵』に自ら姿を見せるのは稀である。

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