過去との決別 #63
そうして、あっという間に4マッチ目も最後の一戦をむかえていた。
ティオが残り赤チップ2枚のどん底にわざと沈んで、そこから巻き返しをかけ始めての、この4マッチのトータルの浮き沈みを見ると……
まず、ティオは、宣言通りトップを取り続けていた。
ポロポロと他のプレイヤーが1マッチ中の1戦で勝つ事もあったが、終わってみると、合計は必ずティオが一位だった。
時には、勝負では負けながらも、ポンポンとボーナスチップを稼いだせいでプラスになるという器用な事もやってのけていた。
(……ティオ君、ずっとボーナスチップを取る事を避けていたみたいだったけど、この4マッチでは、積極的に取りにいってるなぁ。……)
これまでに打っていた、裸チップ卓、そして、白チップ卓では、ティオは派手なプレーで目立つのを嫌って、ボーナスチップは狙わずに、早上がりを優先するスタイルで勝ってきていた。
しかし、ここにきて、その打ち回しに変化が見られる事に、後ろで立って見守っているチェレンチーは気づいていた。
ティオは、今は、堂々とボーナスチップを狙いにいっている。
いや、誰よりも先に手配を出し切って勝つ事も変わらずに実行しつつ、その過程でなるべくドミノ牌の列の端を5の倍数に整えて、ボーナスチップも取りこぼさずに拾っている、といった印象だった。
そう、今のティオは、勝ち向かって全開になり、取れるものは全て根こそぎ取る打ち方に変わっていた。
しかし、それでもポツポツと他プレイヤーが勝つ事もあるのだから、まだ全力ではないのかもしれない、とチェレンチーは推察していた。
そして、もう一つの変化にも、チェレンチーは気づいていた。
(……ティオ君の出すサイン……今までは勝率は低くても、たまに大穴を当てているおかげで総合的に儲かっている状態だったけれど、ここに来て、徐々に勝率が上がってきている気がする。……)
プレイヤーがそれぞれ自分の牌を取り、手元のスタンドに立てて、さあこれから勝負が始まるという時に、ティオがさりげなく出している、「外ウマのこの番号に賭けろ」というサインだが……
元々、二、三割の割合で当てていたものが、ジワジワ的中率が伸び、今では四割方は当てている状態であった。
(……もう何マッチも一緒にプレーしていたから、それぞれの癖なんかを見抜いて、より精密な読みが出来るようになったって事なのかな?……)
ティオが、また、自分の牌を揃えた後、テーブルの上に置いた右手の指を、ト、トト、ト、とわざと不規則に数本使ってサインを出したのを見てとって、離れた場所に居るボロツに『自然体で何もしない』というサインを繋げながら、チェレンチーはそんな事を考えていた。
(……『4』……ティオ君の席の数字だ。この一戦も、ティオ君が勝つ。……)
特に、ティオ自身が勝つ場合に限っては、サインは必ず的中していた。
それ故、ティオが勝つ割合が増えた分だけ、勝率も上がったのだろうか、ともチェレンチーは内心思案した。
赤チップ卓の壇上を囲むように置かれた外ウマに賭けている人々が座る長椅子の群れに目を向けると……
ボロツは、ガッツポーズをしたり、雄叫びをあげてみたり、あの巨体で飛び跳ねてみたりと、勝率が上がった事で、ますます浮かれている様子が遠目からでも良く分かった。
□
この4マッチで、ティオの次に勝っていたのは、チェレンチーの腹違いの兄であるドゥアルテだった。
ティオが負けていた時に同卓でプレーしていた材木問屋の男の吐き出したチップのほとんど、そして、負けが込んで抜けた材木問屋に代わって今プレーしている地方の大地主のチップの半分は、ドゥアルテに移動したような状況だった。
大地主のチップの残り半分は、もちろん、ティオに移っている。
それでも、ティオは赤チップ卓に入ってからしばらく負けていたので、そこから計算すると、ティオが凄い勢いで追い上げてはいるものの、まだドゥアルテはこのテーブルで一番勝っているという事になる。
そして、三番手は、貴族の三男だったが、こちらは、一戦ごと浮き沈みを繰り返しながら、ティオがテーブルに入った時点から、この4マッチでややマイナスに転じたといった所だった。
しかし、貴族の息子だけあって、それなりに金は持っているらしく、まだそれ程焦った様子は見えなかった。
問題は……やはり、3マッチ目まで一人大敗を続けていた地主の男だった。
「こ、今度こそ! 今度こそはぁ!」と勝負のたびに意気込み、期待を膨らませるのだが、結果は散々なもので、彼の信じる『運』は決してやって来る事はなかった。
もちろん、自分を含めた他三人の勝敗の配分は、ティオが、ごく自然な流れに見えるように気を配りつつ操っているのだろう。
(……白チップ卓の時の戦い方に、少し似ているな。……)
(……あの時、ティオ君は、自分はトップを取りつつも、行商人の男を必ずそこそこ勝たせるようにしていた。そのせいで、他のプレイヤーに負け分のしわ寄せがいき、一人、また一人とチップを使い尽くして、離席していった。ティオ君は、賑やかな行商人の男を隠れ蓑にして、やって来た対戦者から、一人ずつ確実にチップを吸い上げていっていたっけ。……)
(……今も、その時の状況に良く似ている。……最初が材木問屋の男、次が地方の大地主……負ける人間を一人に絞って、集中的にチップを吐き出させ、チップがなくなったら、別の人間が席に座る。この先もその繰り返しになるだろうな。……)
ティオの最終目標は、ドゥアルテただ一人だ。
ティオは、彼の周りにたむろしていた赤チップ卓の常連から、一人ずつ空っぽになるまで綺麗にチップを巻き上げていっていた。
その過程で、ドゥアルテと貴族の三男もチップを増やす事になったが、それもまた、他の客が居なくなれば、ティオのターゲットとなる事だろう。
ティオの感覚としては、最初から直接自分が全部集めてしまうと計画が狂うので、一時的に儲けの半分程を二人に預けているに過ぎないのかもしれない。
しかし、預けたものは、いつかは必ず回収されるのが世の常だった。
□
「ドミノ!……上がりました。今回も俺の勝ちでしたね。」
「チッ! 調子に乗りやがって。まだ、トータルでは俺の方が勝ってるって事を忘れるなよ。次こそは、叩きのめしてやる。」
「僕も少し負けてしまったから、次では取り返さないとね。」
ドゥアルテと貴族の三男は、ティオがまた勝利した結果を受けて、闘争心をチラつかせながらも比較的穏やかに会話を交わしていたが……
「……あ……ああぁ……あああ、ああぁぁあぁー!……」
地主の男は、自分のチップ入れの木箱を胸に抱え込むようにして持ち、ガクガクと震えていた。
もう、自制心のタガが完全に外れ、自分でも体の震えを止める事が出来ない様子だった。
見開かれた目は、まるで眼球が飛び出したかのようで、開かれたままの口の端からは、泡と共によだれが垂れ出していた。
そんな、激しい絶望を目の当たりにして、完全に正気を失っている男に……
これまで、赤チップ卓の常連仲間として、「田舎者」とバカにしつつも親交があった筈のドゥアルテと貴族の三男は、まるで汚いゴミを見るかのような冷たい眼差しを向けていた。
貴族の三男が、チラと、男が抱え込んでいる木箱の中をのぞいては、避けるようにすぐに首を引っ込めた。
「なんだ、今の1マッチでオケラになったかと思っていたけれど、まだ赤チップが一枚残っていたのかい。……フフ、でも、赤チップ一枚きりなんて、さっきの参謀君より悪い状況だねぇ。」
「なんだ、金がないなら、早くまた借りてこいよ。今日の俺は機嫌がいいからな、待っててやるぜ。」
「そうだね、それがいいよ!……さっき、そこの参謀君だって、残り二枚から勝って、ここまでチップを増やしたんだものね。君だって、同じ事が出来るさ。きっとね。」
貴族の三男が、気まぐれで言った言葉に……
「……そ、そうだな! 確かにその通りだ! ま、まだまだ、いくらだって逆転できる筈だ! わ、私は、大事な土地を担保にしてるんだ! その分は必ず取り返して、そ、そして、更に大きく勝ってみせるともぉ!」
と、地主の男は勢い込み、更に貴族の三男は、いい事を思いついたとばかりにペラペラと語った。
「うん、僕には分かるよ! その、最後に残った一枚のチップは、きっと『まだ、勝負を続けなさい』っていう、天の思し召しなんだよ。『チップが残っている限り、打ち続けなさい』ってね。」
その話を聞いて、地主の男は、一筋の希望を見出したかのごとく、疲労の浮かぶ顔にパアッと歪んだ笑顔を浮かべたが……
「もうやめろ。ここで席を立って、自分の家に帰るんだ。」
その瞬間、ビリッと目に見えない雷のようなものが辺りに走り、空気もたちまち凍りつく程の冷たい声が響いていた。
□
一体誰がその言葉を、声を、発したものかと、しばしテーブルの周りの人間はキョロキョロとお互いの顔を見回しあった。
ただ一人、チェレンチーだけは、その声の主を知っていたため、そんな彼らのほうけた表情をつぶさに見る事になった。
ティオは、向かいの席の地主の男を真っ直ぐに見据えて、続けて言った。
「その一枚だけ残った赤チップを、金に替えて、早く店を出ろ。それだけあれば、乗合馬車に乗って、自分の家に帰れるだろう。」
地主の中年男性は、自分より二十以上も年下と思われる青年に冷たく命じられて、呆然と彼を見つめていた。
これまで、この修羅場の赤チップ卓において、場違いな程能天気な雰囲気を漂わせていた青年の顔からは、そのおどけたような笑みがいつの間にか跡形もなく消え去っていた。
今現在、男の目の前に居るのは、ピンと張りつめた気配を身に纏った、鋭い眼光を持つ傑物だった。
微塵も迷いのない、まるで遠い地平の果てさえも見通すかのような独特なその目には、対峙した者の心を一瞬にして飲み込む迫力があった。
低くも良く響く、堂々たる声も相まって……
彼にジッと見つめられ、冷徹に命じらると、反射的にうなずいてしまいそうな不思議な圧力を男は感じていた。
それでも、男の一発当てるという執着は「し、しかし……」と掠れた声を生んだが……
ティオは、男の訴えを拒絶するように、強く断言した。
「アンタが、この先勝つ事はない、決して。」
「なぜなら、俺がアンタを負かすからだ。俺がこの席に座っている限り、アンタが勝つ可能性は、これっぽっちもない。」
ティオはスッと、店の一番奥まった場所にある赤チップ卓からは遠く離れた店の出口を指差した。
「今ここで大人しく立ち去るなら、俺はこれ以上アンタに何もしない。実際、ドミノゲームをやめたアンタから金を巻き上げるすべは、俺にはないんだからな。」
「ただ……」
「それでも、アンタが、このテーブルでドミノゲームを続けると言うなら、俺は一切容赦はしない。アンタの持っている残りの土地を担保にして得たチップを、俺は全て巻き上げる。そして、アンタは、破滅する事になる。」
男は、オロオロと両手を胸の前でさ迷わせながら、縋るように訴えてきた。
「……だ、だが、わ、私は、既にかなりの土地を担保に入れて、金を借りてしまっていて……」
「その土地の事は、もう諦めろ。失ったものは戻ってこない。当然の理だ。……だが……」
「ここでゲームから降りれば、これ以上失う事はない。アンタが持っている土地は、まだ手元にいくらか残る事になる。」
「……む、無理だ!……こ、こんなにたくさんの土地を失って家に帰ったら、家族になんと言われるか!……散々博打はやめてくれと止められたのに、必ず勝てるからと言って出てきたんだ! このままでは、とても合わせる顔がない!……」
「全ての土地を失えば、合わせる顔がないどころの話じゃない。家族共々路頭に迷う羽目になる。それでもいいのか?」
「そ、そんな! 私だけでなく、家族までそんな目に遭うなんて!」
「今日失った土地の事は、もう忘れろ。そして、家族には、誠心誠意謝るんだな。それで許してもらえるかは分からないがな。」
「……う、ぐぐ……」
赤チップ一枚だけとなった木箱を胸に抱え言葉に詰まってうつむく男を、ティオは真っ直ぐに視界に捉えたまま、フッと軽く息を吐いて言った。
その口調は、先程のナイフで切るような鋭いものから、若干だが柔らかくなっていた。
「もうすぐ、娘に子供が産まれるんだろう? 初孫の顔が見られるって、楽しみにしていたんじゃないのか?」
「……えっ!……ど、どうして、それを?……う……」
「……ううっ!……あ、あっうっ!……ううっ、うううううぅーっ!……」
男は、いっとき、ティオがなぜ彼の家族の事情を知っているのか疑問に思ったらしかったが……
すぐに、それどこではなくなったようで、押し寄せてくる感情の波に飲まれ、声を上げて泣き崩れていた。
チェレンチーは、これ程の歳の大人の男が、正体をなくして、人前で赤子のごとく泣き叫ぶ様を、初めて見た。
木箱の中に一枚残った赤チップを手に強く握りしめ、ボロボロと涙を零して泣き続ける男に掛けるティオの声は、もう、随分と和らいだものになっていた。
「早く帰れ。家族の待つ、自分の家に。」
その声に最後の後押しをされたように、男は、ゴシゴシとせわしなく服の袖口で顔を拭き、ヨロヨロとおぼつかない足取りながらも、椅子から立ち上がっていた。
「……あ、ああ。……そうする。……わ、私は、これで抜ける!……」
そうして、ドゥアルテや貴族の三男が呆然としている前で、男はサッときびすを返していた。
もう、二人の方を見る事はなかった。
チップ交換のカウンターに向かう途中、男は一度だけ立ち止まってこちらを振り返ったが、その視線は、ティオにのみ向かっており……
ティオに向かって、深々と頭を下げた。
そして、男は、再び前に向き直って歩き出し、それからは、もう二度と振り返らなかった。
「……どうか、気をつけてお帰り下さい。……」
いつの間にか、普段の、飄々とした中にも包み込むような優しさを感じさせる気配に戻っていたティオが……
男の背に向かって小さくそう呟いたのを、彼の後ろに立っていたチェレンチーは聞いた。
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☆ひとくちメモ☆
「ボーナスチップ」
ドミノゲームは、ドミノの数字が繋がるように牌を出していき、一番先に手持ちの牌がなくなった者が勝つ。
その過程で、ドミノ列の端の数字の合計が「5」の倍数になった時、その牌を出したプレーヤーは他のプレイヤーからボーナスチップを得る事が出来る。
合計5ならチップ1枚ずつ、合計10ならチップ2枚ずつ、といった具合である。




