過去との決別 #59
「ボロツ副団長!」
「おう、チャッピー! なんか、ゲームが中断してるみてぇだが、どうした?」
チェレンチーは、チップ交換のカウンターで、資金の最後の1/3である金を手早く全額チップに変えたのち、外ウマに賭けている人達が群がっている長椅子の所に寄り、ボロツに声を掛けた。
ボロツは、チェエレンチーの緊迫した心情を全く知らない様子で、上機嫌に答えてきた。
「チップが尽きたので、交換に来たんです。これが、最後の金です。」
「あー……確かに、ティオの野郎、負けまくってたもんなぁ。」
ティオの後ろに立っていたチェレンチーと違って、外野に居たボロツは実際のプレーを詳細に見ている訳ではなかったが、外ウマの結果からティオの戦況は大体予想がついていたようだった。
「でもよう、こっちはアイツが賭けろってサインで送った番号通りに賭けてたら、かなり金が増えたぜ! まぁ、外れることも多いんだがよぅ、その代わり当たる時はドカンとでっかく勝つんだよなぁ!……おかげで大儲けだぜ! 見ろよ、このチップの山!」
「それはいいですけど、そのお金は傭兵団の資金だって事、忘れないで下さいよ。」
「何言ってんだ、チャッピー。俺は、外ウマに賭け始めた時から、自分の所持金も丸っと注ぎ込んでるっての。当然だろう。……ヒヒヒヒヒ! こっちの方は俺のもんだからな! ティオとも、そういう約束だったしよ。」
確かに、ティオは、ボロツに自分の護衛を頼む代わりに、「ドミノで儲けさせる」という交換条件を出していたのだった。
もっとも、もう一つの条件である「ドミノの必勝法を教える」という方は、蓋を開けてみると、ティオにしか出来ない方法であったため、ご破算になっていたが。
チェレンチーは、ボロツが示したチップ入れの木箱に、もう赤チップのみでは収まりきらなくなったらしく、その十倍の価値の黒チップもまざっている状態を確認した。
既に、黒チップだけで、ザッと20枚以上あっただろうか。
これならば、ティオがドミノゲームで負けても、総合的には傭兵団の資金は減ってはいない事になるが……
それも、ティオが赤チップ卓でゲームに参加しているからこそ可能な状況であり、今替えてきたチップが尽きたらどうなるのかと、やはりチェレンチーは不安にならざるを得なかった。
「とにかく、ティオ君のサイン通りにちゃんと賭けていたようで安心しました。」
「まあ、そりゃあな。そういう約束だっただろうがよ。俺は約束は守る男だぜ。」
「すみません、疑ったりして。ボロツ副団長はギャンブルが相当好きなようだったので、これだけチップがあったら、自分で好きに賭けだすかもしれない、なんて、ちょっと思ってしまって。」
「バーカ。こんだけ儲かってんのに、んなこたしねぇよ。どうやらティオの言う通りにしてりゃあ、確実に儲かるってのは、マジらしいからな。このまましっかり賭け続けるぜ!」
ギャンブル狂のボロツが暴走したりしないかと不安に思っていたチェレンンチーは、ホッとする一方で、少し疑問に思い、首をかしげた。
「あれ? ボロツ副団長、『ギャンブルは、人間にはどうする事も出来ない運の要素こそが醍醐味だ』とか、言ってませんでしたっけ?」
「バッカ野郎、チャッピー! お前、本当に、ギャンブルについてなんにも分かってねぇなぁ!」
ボロツは、ガッとチェレンチーの肩に太い腕を回すと、キリッとした表情で言い切った。
「要は、儲かりゃいいんだよ! 儲けたヤツが勝ちだ! それが本当のギャンブルってものなんだぜぇ!」
「……」
チェレンチーは、敢えて何も言わずにおいた。
少なくとも、いくら名言風に言い張られても、ボロツの言葉がこれっぽっちもチェレンチーの心に響かなかったのは言うまでもない。
しかし、まあ、確かに、この『黄金の穴蔵』で出会った人々の言動を鑑みるに、ボロツの言う事もあながち間違っていないのかもしれない、とも思っていた。
ギャンブルにふける人達は、もちろん、大金の掛ったピリピリとした極限状態の緊張感を楽しんでいるという一面もあったが……
何よりも、賭けに勝って、ドッと大金が舞い込んだ時の、一種独特の高揚感や異常な興奮の虜になっているようにチェレンチーには見えた。
それは、酒好きが酒をやめられなかったり、いくら法で厳しく取り締まっても薬物に手を出す人間が絶えなかったりする理由と、少し似ているように思われた。
「じゃあ、僕は、ティオ君の所に戻ります。」
「おう! そっちも頑張れって伝えといてくれよな!」
チェレンチーは、チラと赤チップ卓のテーブルのある壇上に視線を向け、ティオがいつものおどけた様子で同卓の者達の気を引いている様子を確認すると、あまり長い間彼に負担を掛けてはいけないと、慌ててボロツのそばを離れようとした。
その少し丸めた背を、バシッと、ボロツが喝を入れるように叩いてきた。
思わず「痛っ!」と言って振り返ったチェレンチーに、ボロツは、グッと、親指を上に向けた拳を突き出してきた。
「そんな不安そうな顔してんじゃねぇよ、チャッピー。」
「ティオの野郎の出すサイン通りに賭けてる俺様が、こうやって外ウマでジャカスカ勝ってるって事はだ、ティオが負けてんのは、アイツの計算の内なんだろうぜ。」
「アイツは、腹黒いし、ズル賢いから。俺達には、アイツが何を考えてるか、分かんねぇ事ばっかりだが……アイツなら、きっと最後は勝つ! 絶対にな!……そうだろ?」
「……ボ、ボロツ副団長……」
「だからよ、ウジウジ心配すんな。どうせあれこれ気を回したって、ティオの野郎の頭の良さには敵いっこねぇんだからよ。ここはアイツに全部任せて、お前はドッシリ構えてりゃあいいんだよ。な! 分かったか、チャッピー?」
「……は、はい!……僕は、ティオ君を信じてます!」
「よっし!」と、ボロツは笑い、グイとチェレンチー背中を押して送り出した。
□
「ティオ君、遅くなってゴメン!」
「チェレンチーさん、お帰りなさいー!……いえいえ、全然大丈夫ですよー。今ちょうど皆さんと政治の話題で盛り上がっていた所なんですー。」
チェレンチーが、交換したチップの入った木箱を持って急ぎ足で壇上に戻ると、ティオはニッコリ笑って出迎えてくれた。
十分弱程、この場所を離れていただろうか。
しかし、ティオが言うように、テーブルの周りに集った赤チップ卓の常連客達は、楽しそうに話に花を咲かせていて特に苛立った様子もなかった。
ティオが、チェレンチーが戻るまでの間、皆に話題を振って上手く場を繋いでくれていたらしい。
傭兵団の団長であるサラには「ティオって、口先だけで生きてるよね!」言われそうな所だが、こういった話術の妙も、ティオの優れた才能の一つだとチェレンチーは感心していた。
「まったく、国王陛下も分かってらっしゃらないんだよ。四十年前の戦で武勲を挙げた僕のような家門の人間を最近では全く重用しなくなってしまっていたからね。だから、内戦が起こったこういう時に、軍隊が弱体化してしまっていて、困る事になるのだよ。」
「ナザールでは、十年戦争以降、長く平和な時が続いていましたからねー。人間、喉元過ぎればなんとやらで、いざという時の備えを怠ってしまいがちですー。いやぁ、これは、俺も気をつけないとー。皆さんのお話は、実に勉強になりますー。」
例の水色のマントを着た貴族の三男と、まだテーブルに入っていないもう一人の貴族の男は、どうやら武芸で名を挙げた貴族の家の子息らしく、太平の世において経済に力を入れている現在の政の方針や、国王をはじめとする王族達に、延々と不満を漏らしていた。
チェレンチーが帰ってきても、うなずいて同意するティオに、まだ言い募っていた程だった。
彼らの言い分も確かに一理あるが、戦争のない平和な世の中で過剰な規模の軍隊を維持するのは資源のムダであり、その労力を国家の繁栄に関わる経済政策に割くべきというのは、至極順当な考えだとチェレンチーは思った。
そういった国家政策の結果として、実際に、今のナザール王都の発展があるとも言える。
水色のマントの男の思考は、時代の流れについていけないまま、高い身分とプライドだけが残った典型的な古い貴族のそれだった。
一方で、そういった古参の貴族の愚痴に興味のないドゥアルテは、腕組みをして椅子にふんぞりかえり「今の世の中金が全てだろう」と一蹴していた。
そして、やって来たチェレンチーに一人だけチラと冷たい視線を送った。
「相変わらず、やる事なす事、鈍臭いヤツだな。こののろまめ。使えないクズなのは、まるで変わっていないみたいだな。」
チェレンチーは、反射的にうつむいて、隠れるようにティオの後方に立った。
「さあ、じゃあ、みなさん待望の追加のチップも来た事ですしー、そろそろゲームを再開しましょうー!」
ティオは、「ありがとうございます、チェレンチーさん」と朗らかに笑って、チップの入った木箱を受け取ると、テーブルを囲む面子に向き直った。
「よーし! 心機一転、ここからは張り切って勝ちますよー!」
□
ところが、またティオはスルスルと負けていった。
先程よりチップの減る速度が遅くなっただけで、トータルで負け続けている事に変わりはなかった。
一方で、ティオが出すサイン通りに賭けた外ウマでの儲けも、安定して増えていっていた。
「あー! マズイマズイ、どうしようー!」
ティオが、ドンと、テーブルに突っ伏して、わめきだしたのは、ちょうど3マッチ目が終わった時だった。
もう、ティオの木箱に残っている赤チップは、たったの2枚だけとなっていた。
ドゥアルテがダントツでトップ、二番手に貴族の男がそなりに勝つという構図も変わっていなかった。
「フン。だから、お前ごときじゃ、俺には勝てないと言っただろうが! 傭兵団か何か知らないが、ゴミ虫野郎のチェレンチーの仲間は、やっぱり同じゴミ虫だな。」
「残念だねぇ。後少しで君を破産に追い込めたのに、首の皮一枚残ってしまったよ。フフフ。」
貴族の男が、ヒラヒラと手を振りながら、いやらしい笑みを浮かべてティオに聞いてきた。
「で、どうするんだい? まだ続けるのかい? 一応、チップは残っているからね。次のマッチも勝負を始める事は出来るよ?」
「や、やりますやりますー! もう、やるしかないでしょうー! 今まで負けた分を今から取り返さないとー、傭兵団の兵舎に帰れませんよー!」
「そうかい。まあ、僕はどっちでもいいんだけどねぇ。……でも、1マッチの途中でチップが尽きたら、どうするんだい? まあ、後たったの2枚なんて、1マッチどころか、誰かがボーナスチップを取ったら、一瞬で終わってしまうけどねぇ。」
「僕達は、この店の上客で信用があるからね。たまたま手持ちがない時は、店側からチップを借りる事も出来るけれど……君はそうはいかないだろう? 傭兵団の参謀君?」
「で、でもー、俺、どうしても次のマッチも勝負したいんですー!」
ティオがテーブルに身を乗り出して必死に食い下がるのを見て、ドゥアルテが口を挟んできた。
「フン。いいだろう。もし、お前が、その2枚のチップを失ったら、その後の負け分は、俺が貸してやるぜ。」
「本当ですかぁ! ドゥアルテさんー!」
「その代わり、途中で抜けるのは、なしだ。1マッチは絶対に付き合ってもらうぞ。その間、どれだけ負けたとしてもな。」
「分かりましたー! 必ず最後まで抜けずにプレーしますー!」
「フン。バカは救いようがないな。……それから、俺からの借金は、どんな事をしてでも払ってもらうからな。もちろん、利息もたっぷり取るぞ。借金を返し終わるまで、お前は俺の奴隷になって、なんでも言う事を聞くんだ。」
「だ、大丈夫ですー! 俺、今度こそ絶対絶対負けませんからー!」
「ククッ!……お前を潰せば、久しぶりにチェエレンチーの泣きっ面が拝めるなぁ。アイツが土下座して『許して下さい!』って泣くのを見るのは、本当に胸がスカッとするんだ。ブルブル震えて、鼻水を垂らして、本当にこれ以上ないってぐらい情けない姿なんだぜ。これなら、お前らにも、もうすぐ見せてやれそうだな。……そう言えば、何度かションベンを漏らした事もあったよなぁ、チェレンチー?」
ドゥアルテにギロリと睨まれて、チェレンチーはゾクッと背筋が凍った。
チェレンチーはティオの事を完全に信頼しており、今彼が負けているのは何かの計画があるからなのだと察してはいたが……
長年、体と心に刻み込まれた恐怖は、今も無意識下でチェレンチーを苦しめていた。
(……も、もし、ティオ君が、残りたった二枚の赤チップを失ったら、兄さんに借金をする事になる……兄さんの奴隷になる……)
(……兄さんの奴隷……奴隷……奴隷……)
サッとドゥアルテから視線を逸らしたチェレンチーは、ティオの後ろから逃げはしなかったが、背中を丸め、出来るだけ体を小さくしていた。
と、ティオが、先を促すように、相変わらず能天気な調子で、パン! と手を叩く。
「じゃあ、話もまとまったという事で、もう1マッチいきましょうー!」
が、その時、思わぬ人物から……
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
と、慌てて上ずった声があがった。
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☆ひとくちメモ☆
「チップの種類」
賭博場『黄金の穴蔵』では四種類のチップが使われている。
何も色がついていない「裸チップ」、白く塗られた「白チップ」、赤く塗られた「赤チップ」、そして、黒く塗られた「黒チップ」である。
裸チップ10枚が白チップ1枚に両替可能で、白チップ10枚が赤チップ1枚に両替可能、というように、10倍ずつ価値が上がっていく仕組みである。




