過去との決別 #56
「そうそう、今の内にやっておかなければいけない事があったんでした。」
「俺達の間だけで分かるような、簡単なサインを決めておきましょう。」
そう、ティオが言い出したのは、城門を出て、王城の建つ人工の丘の緩やかに蛇行する坂道を下っている時の事だった。
つい先程まで、ティオとボロツの二人は、「ギャンブルも、所詮勝ち筋が見えた勝負なのでつまらない」「いや、運の要素があるからこそ勝てるか分からなくて面白い」と言い合っていたが、二人の考えは平行線のまま一向に交わらなそうだったため、どちらともなく会話が途切れた所だった。
ティオが、誰も居ない丘の中腹で一旦立ち止まり、足元にランタンを置いたので、チェレンチーとボロツも、自然とその場に足を止める。
「サイン? そんなもん、なんに使うんだ?」
「後で話します。いろいろいっぺんに話しても、頭の中がゴチャゴチャになって忘れてしまうでしょう?」
「まあ、そりゃあそうなんだが……」
「ですから、今はとにかく、これだけをしっかりと覚えておいて下さい。サインを使う場面は、追って俺が指示を出しますので。……チェレンチーさんも、よろしくお願いします。」
「わ、分かったよ、ティオ君。」
ボロツは不審そうに目をしかめて、刺青だらけのスキンヘッドの頭をガシガシ掻いていたものの、ティオに「ドミノで儲けたくないんですか?」と詰められ、仕方なしに従っていた。
ティオは、ボロツとチェエレンチーの注意が自分にしっかりと向いたのを確認すると、いつもよりはっきりとした発声で説明を始めた。
「二人に覚えてもらいたいのは、『1』から『4』までの数字を表すサインです。つまり四つのサインという事になります。」
「これは、俺達だけが分かるものにしておきたいので、なるべく自然に行って下さい。あまり大袈裟に振舞って、周囲の人間に気づかれる事のないようにお願いします。」
ティオは、まずチェレンチーに視線を向けた。
両手を胸の高さに上げ、「これをテーブルとします」と、地面と平行に真っ直ぐに伸ばした左手をテーブルの天板に見立てて、右手の人差し指で、トンと、左の手の甲を叩いて見せた。
「これが『1』のサインです。」
「テーブルの端を指先で一回叩いたら『1』になります。二回叩いたら『2』です。三回なら『3』で、四回なら『4』です。」
「実に簡単なサインですが、特に同じテーブルに座っているプレイヤーに不審に思われては困りますので、俺はこの動作を最小限に素早く行います。勝負が始まる寸前のタイミングでサインを出しますから、その時、俺の手元を良く見て、間違いのないように数字を読み取って下さい。」
「そうそう、一つ注意して欲しい事があります。……いつもゲームの始まる時だけこのサインを出していると、周囲の人間に妙だと思われるかもしれません。そこで、この『指でテーブルを叩く』動作は、ゲーム中にも時々するようにします。この動作は俺の癖なのだと周りに思い込ませるためです。……しかし、サインを出すのは、ゲームが始まる直前だけなので、決して間違わないようにして下さい。」
その後、「ちょっと練習してみましょうか」と言って、ティオは、左手の甲の上で、トン、トントントン、トントン、と何回か右手の人差し指を動かして見せた。
チェエンチーは両手を握りしめてジーッと見つめ、「1」「3」「2」……と、読み上げる。
「大丈夫そうですね!……ただ、そんなに肩に力を入れてジーッと見ていてはバレてしまいますよ。もっと素知らぬ振りでお願いします。」
「あ、そ、そうだね、ごめん!」
もう一度、ティオは、トントン、トン、と指先で手の甲を叩き、チェレンチーは、今度は顔をティオの方には向けずに、視界の端で彼の指先の動きだけを捉えて、数字を言い当てた。
「さすがはチェレンチーさん! 飲み込みが早くて助かります!」
ティオは、満足げに微笑み、続いて、ポケーッとしていたボロツに呼びかけた。
「次は、ボロツ副団長も一緒にお願いしますよ。」
「ああ、分かった分かった。」
「サインは、俺からチェレンチーさん、そして、チェレエンチーさんからボロツ副団長へと繋げていく予定です。その時、ボロツ副団長は、俺とチェレンチーさんからは離れた場所に居る予定ですので、チェレンチーさんからのサインは、もっと大きくて見やすいものにしましょう。」
「まず、『1』は、腕組みをします。……なるべく自然な動きでお願いします。しばらくそのままの状態でいて、ゲーム中盤になったらさり気なく腕を外すと不自然に見えないでしょう。……チェレンチーさん、俺を真似してやってみて下さい。」
「こ、こんな感じかな?」
「そうです。……ボロツ副団長、これが『1』のサインです。しっかりと覚えて下さいね。」
「まあ、これなら俺も簡単に覚えられるな。……けどよう、なんでわざわざチャッピーがやるんだよ。ティオ、お前がやればいいじゃねぇかよ。」
「ですから、俺はドミノ競技の行われるテーブル席に座っている状態なんですってば。俺には、他のプレイヤーを含め、周りで観戦している客達や、店の従業員など、特に注意が向けられています。そんな中で、離れた場所に居るボロツ副団長に見えるような大きな動きなんかしたら、警戒されるに決まっているでしょう?……だから、チェレンチーさんには競技を見守っている振りで俺の後ろに立ってもらい、俺の指先の動きを読んで、それをボロツ副団長に中継するという段取りなんですよ。チェレンチーさんの負担が大きくなってしまいますが、チェレンチーさんなら出来ますよね?」
「が、頑張ってみるよ! だって、これ、絶対必要なものなんだよね?」
「ええ。後で必ず使う場面が来ます。しっかり覚えておいて下さい。」
「了解だよ、ティオ君!」
チェレンチーが、力強くコクリとうなずいたのを見ると、ティオは説明を続けた。
「次に、『2』の時は、こう。先程とは逆に体の後ろに腕を回して手を組んで下さい。これもなるべく自然な動作で行って、しばらくその状態を保った後にさり気なく元に戻して下さい。」
「こう、かな?」
「いいですね。続いて『3』は、アゴに手を当てます。『この状況はどうなんだろう?』と考えているような表情を交えると、より違和感がないと思います。……やってみて下さい。」
「え、ええっと……こう?」
「少し表情が固いですかね。」
「うーん……こ、これで、どうかな?」
「いい感じです!……では、最後に『4』ですが、『4』は特に何もしません。チェレンチーさんは、普段立っている時、体の前で手を重ねていますよね?」
「た、確かにそうだね。」
「たぶん、それがチェレンチーさんにとって一番自然なのでしょう。『4』はそのままの状態でいて下さい。」
「りょ、了解だよ。」
「じゃあ、『1』から『4』まで、ランダムにやってみましょう。……ボロツ副団長は、チェレンチーさんの動きを良く見ておいて下さいね。」
今度は、チェレンチーだけがティオの手元を見て、ボロツはチェレンチーだけを見る位置どりになって、しばらく練習をした。
最初はたまに間違ったりもしたものの、元々ティオが非常にシンプルなサインを考案した事もあって、ボロツとチェレンチーの二人は、五分もしない内にすっかりサインを身につけていた。
「うん。二人とも大丈夫そうですね。」
と、ティオはホッとした様子で微笑み、足元に置いていたランタンを拾い上げて、再び、緩やかな夜の坂道を歩き出しながら言った。
「明日になったら全部忘れてしまっていいですから、今夜だけは、しっかりとそのサインを覚えておいて下さい。」
□
「あーっと、すみません! そう言えば、さっきチップを全部使ってしまったんでしたー!」
ティオは、ドゥアルテや先程突っかかってきた貴族の三男と共に、赤い絨毯の敷かれた壇上にある赤チップ卓のテーブル席に腰を下ろしたが……
すぐに、ハッと思い出した様子で、ワシャワシャとボサボサの黒髪を掻いて、声を上げていた。
「すみません! すみません!……今すぐ、現金をチップに替えてもらいますので、ちょーっとだけ待ってもらえますかー?」
「随分と段取りが悪いね、君。そんな事で、本当に傭兵団なんてやっていけるのかい?」
「なんでもいいから、さっさとしろ!」
白い衣装に水色のマントを羽織った貴族の三男は、テーブルに頬杖をついてせせら笑い、ドゥアルテはイラつきながらも、アゴをしゃくって急かしただけだった。
二人とも、ティオの一見冴えない見た目と滑稽な言動にすっかり惑わされて気を抜いているのが、チェレンチーには一目瞭然だった。
ティオは、ちょうど壇の上に登り自分の後ろにやって来ていたチェレンチーとボロツを、席に座ったまま上半身をひねる格好で振り返った。
「ボロツ副団長、あなたが持っている残りの金を、全てチップに替えてきてもらえますか?」
「ああ、分かった。ちょっと待ってろ。……とと、そうだ!」
そこで、一瞬、ボロツの視線が斜め上の虚空にさまよった。
何かを思い出して記憶を辿っている、という反応だったが、その違和感に気づく者は居なかった。
「なあ、おい、ティオ。俺は、そろそろ『外ウマ』に賭けてきてぇんだけどな。こんなとこまで来て、ずっとお前がドミノをしてる背中を見てるだけなんて、退屈過ぎるぜ。」
「アハハ。確かにそうですね。じゃあ、チップを交換したら、その後は自由に遊んできて下さい。」
ティオは、あっさりと笑顔でボロツの提案を了承し、むしろ応援するかのように、ポンポンと彼の筋肉の盛り上がった腕をマントの上から叩いた。
ボロツもニヤリと笑って、マントの下からベルトの右脇に提げて持っていた金の入った皮袋をゴソッと取り出し、少し見せびらかすように掲げる。
ギラッと、その瞬間、テーブルに集った客達の目がボロツの袋に集中し、中の貨幣の金額を値踏みするように見据えていた。
「まあ、副団長がここに居ると、皆さんが怖がってしまって、落ち着いてドミノが出来ないかもしれませんからねぇ。席を外してもらう事になったのは、ちょうど良かったですよー。」
「ティオ、てめぇ、誰の顔が極悪犯罪者面だってぇ?」
「やだなぁ、そこまで言ってませんよー。心の中で思っているだけですー。」
「おんなじ事じゃねぇか!」
ボロツは、ティオと少し軽口を叩いたのち、きびすを返そうとした。
「ほんじゃあ、ちょっくら行ってくるわ。」
「ああ! ちょっとちょっと、待って下さい、ボロツ副団長!」
ティオは、ボロツのマントを掴んで引き戻し、グイッと頭を下げさせると、耳元に手を添えて何か囁いていた。
ボロツはその間、真面目な顔で耳を傾け……
「了解だぜ、作戦参謀さんよ!」
グッと、親指を立てた手をティオに向けると、今度こそバサリとマントをひるがえして、チップ交換のカウンターに歩いていった。
□
実は、この時のティオとボロツのやり取りは、事前にティオが計画していたものだった。
この場でそれを知っていたのは、当事者のティオとボロツと、ティオが計画を語った時にそばで聞いていたチェレンチーだけであった。
ティオからの指示は、ほんのわずかな隙に出されたものだった。
そう、それはほんの十分程前の事……
ティオがドミノの勝ちに気を良くしたていで、店中の人間に大盤振る舞いで酒を奢っているのを見て、赤チップ卓の客達が興味を示し、ティオ達一行を呼びつけた。
決定打となったのは、騒ぎの真ん中でボロツに担がれているチェレンチーの姿をドゥアルテが見とがめた事だったが。
内心、(上手くいった)と思っているティオの後について、ボロツとチェレンチーも赤チップ卓に向かって歩き出した。
まさにその時、ティオから指示が出たのだった。
「……ボロツさん、俺が『赤チップ卓』のテーブルに座って勝負をするという段になったら……『俺は外ウマで賭けをしたい』と言い出して下さい。……」
ティオは、前を向いて歩き続けながら表情一つ変えずに、斜め後ろを歩いているボロツに言った。
ボロツもティオに習い、何気ない振りで歩きながら答える。
「……そういう計画って訳か。分かったぜ。……ってか、本当にそろそろ俺は外ウマで遊びたかったんだけどな。……」
「……はいはい、分かっていますよ。もうちょっとだけ待って下さい。……」
「……勝負が始まる時、俺は今チップが手元にないので、持っている金をチップに替えるという話になると思います。そこで、ボロツさんの持っている残りの金を、全てチップに替えてもらいます。……」
「……この時、替えたチップの1/3は、そのままボロツさんが持っていて下さい。そして、残りの2/3を、俺の所に持ってきて下さい。……正確に分けなくていいですよ、大体の目分量で大丈夫です。……」
「……その、手元に残った1/3のチップを使って、そのまま外ウマに賭けて下さい。……」
「分かった」と、ボロツがうなずく頃には、もうティオ達三人は、赤チップ卓のテーブルのある段の元まで歩き着いていた。
つまり、先程ボロツが「外ウマに賭けたい」と言い出したのは、赤チップ卓のテーブルにティオが座った所で、その時の指示をハッと思い出したためだったのだった。
(……いよいよ、赤チップ卓での勝負が始まる。ボロツ副団長は、ちゃんと事前の打ち合わせ通りに動いている。……)
(……僕も、しっかり役目を果たさないと!……)
金の入った袋を手にチップ交換のカウンターに歩いていくボロツの後ろ姿を見つめながら……
ティオの席の後ろに立ったチェレンチーは、真剣な表情でギュッと唇を噛み締めていた。
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☆ひとくちメモ☆
「赤チップ卓」
高レートのドミノ賭博場『黄金の穴蔵』の中でも最もレートの高い「赤チップ1点」の勝負が出来る「赤チップ卓」は、店内に一つしかない。
店の最奥、毛足の長い赤い絨毯の敷かれた一段高くなった壇上に、その「赤チップ卓」のテーブルが置かれている。
赤チップ1枚は、銀貨1枚換算の価値である。(※銀貨一枚は約一万円の設定)




