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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第五節>壇上の死闘
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過去との決別 #54


「俺の切り札は、チェレンチーさんだったんですよ。」


 のちに、ティオはそう語った。

 チェレンチーとボロツと共に入った城下の繁華街の外れにある小さな酒場の、一番目立たない壁際のテーブル席に座ったティオは、二人がビールや乳酒を飲むかたわらで、一人、温めたヤギのミルクをチビチビ口に運んでいた。


「初めて『黄金の穴蔵』に来た俺が『赤チップ卓』で打つためには、『赤チップ卓』の客に『勝負しよう』と誘われなければなりませんでした。しかし、当然俺には、『赤チップ卓』の常連客に知り合いは居ません。」


「そこで、チェレンチーさんの力を借りた訳です。」


「あの男……チェレンチーさんの腹違いの兄は、頭のてっぺんまでどっぷり賭博に浸かっているような人間でした。傭兵団の資金をドミノ賭博で増やそうと考えて『黄金の穴蔵』に入り浸っている客を調べだすと、すぐにあの男の噂を聞く事になりました。」


「最初は、今夜はチェレンチーさんには王城の兵舎で待っていてもらうつもりだったのですけれどもね。でも、チェレンチーさん本人が積極的に協力してくれると言ってくれたので、正直助かりました。まあ、あの男、ドゥアルテを勝負の場に引っ張り出す方法はいくつか他にも考えてはいましたが、チェレンチーさんが居てくれたおかげで、話が早かったです。」


「はあん。それで、俺に、チャッピーを肩車しろって言ったって訳か。あのクソ兄貴にチャッピーが良く見えるようにようにしたってこったな?」

 ボロツは、大きなジョッキに新たに注がれたビールを一気に三分の一程あおぎ、口の周りをゴシゴシと腕で拭って、既に酔いが回り焦点がおぼつかなくなってきている小さな三白眼で、向かいの席からティオをジロリと見た。

「その通りです。」


「まずは、店中の客と従業員に酒を奢る事で、こちらに注目を集めるようにしました。それに、あれだけ景気良く奢ったら、俺達が派手に勝っている事は一目瞭然でしょう?……そして、充分店の空気が盛り上がった所で、ボロツ副団長にチェレンチーさんを肩に担いでもらった訳です。」


「赤チップ卓で打っていた常連客も、騒ぎに気づいて、何が起こっているのだろうと思っていた事でしょう。そして、その中には、俺が今夜のターゲットに決めていたドゥアルテも当然居た。」


「もうずっと長い事チェレンチーさんを目の敵にしてきたドゥアルテですが、まさか、自分の行きつけの賭博場の中で、傭兵団に追いやった筈のチェレンチーさんの姿を見るとは思ってもみなかったでしょうね。」


「フフ、それでも、気づかぬ振りで放っておけば良かったものを、わざわざ自分の元に呼びつけてきた訳ですよ。よっぽど、自分のテリトリーでチェレンチーさんがはしゃいでいるのが気にくわなったんでしょう。」


 ティオは一旦手にしていた木製のジョッキをテーブルに置くと、つまみとして出されていた瓜の酢漬けを指で摘んでポリポリと頬張った。


「まあ、俺も散々あの男を煽りましたけどねー! アハハハハー!」


 しかし、一番の当事者であるチェレンチーは、少ししょげた顔をしていた。


「……そ、そんなに僕って兄さんに嫌われていたんだねぇ。い、いや、子供の頃から、兄さんは僕に対してずっとあんな感じだったから、嫌われている事自体は良く知ってはいたんだけどね。」


「……で、でも、正直、『どうしてそこまで?』と思う所もあったんだ。……僕は、一度も兄さんに逆らった事はなかったんだけどなぁ。口答えさえした事なかったよ。いつも、兄さんの機嫌を損ねないよう、必死に頑張ってたんだ。」


「それでも、兄さんの態度は、初めて会った時から今日まで、まるで変わらなかったなぁ。……僕は、自分でも気づかない内に、何か兄さんの気に触る事をしてたんだろうか? あんなに嫌われると、自分の性格に問題があるんじゃないかって、心配になるよ。」


 そんなチェエレンチーの内省するようなつぶやきを聞いた隣の席のティオは、驚いた様子でポカンと口を開いていてチェレンチーを見つめてきた。


「え?……チェレンチーさん、それ、本気で言ってます?」

「も、もちろん本気だけど?」


 ティオは、それを聞いて、額に手を当て、なんとも言えない大きなため息をついていた。



「や、やっぱり、僕、何かまずい事をしていたのかな?」

「あー、いえいえ、チェレンチーさんは何も悪くありませんよ。……それに、どんなにチェレンチーさんが努力した所で、あの男のあなたに対する酷い態度が変わったとはとても思えません。」


「なぜなら、それは、嫉妬からくるものだからです。」


 ポンポンと、ティオに優しく肩を叩かれて慰められながらも、チェレンチーは信じられない気持ちで問いかけた。


「し、嫉妬? 兄さんが僕に?……そ、そんなまさか! 兄さんに嫉妬されるような要素は、僕にはまるでないよ!」

「あなたは優秀過ぎたんですよ、チェレンチーさん。」

「……え?」

「あの男は、子供の頃からずっと、あなたに対して酷い劣等感を抱えていたんです。それが、残念な頭とねじ曲がった性格のせいで、あなたへの憎悪と暴力という最悪な形で現れていたんですよ。」


「考えてみて下さい。……チェレンチーさんが初めて会った時、もうドゥアルテは二十歳間近でした。それまでずっと、父親にも母親にも、一人息子としてさぞかし可愛がられていた事でしょう。甘やかされていた、とも言えますがね。」


「父親は、自分の事業をどうしても大事な一人息子に継がせたくて、ドゥアルテが子供の頃から、熱心に教育を施していた。しかし、ドゥアルテには、父親のような商人としての才覚がないばかりか、上流階級の人間としての知識や教養を身につけられるだけの知性がなかった。もうドゥアルテが二十歳になろうとしていたその頃、父親は内心さぞ焦っていた事でしょう。これでは、自分が人生をかけて築き上げてきた事業が将来潰れてしまうと共に、可愛い息子が路頭に迷う事になると悟った訳です。父親にとって商会は、自身の誇りであり、存在意義でもあった。そして息子は、もう一つの自分の生きた証であり、何よりも愛する者だった。」


「そこで、藁にもすがる思いで、昔使用人に産ませた子供を探し出し、屋敷に連れてきて、代わりに教育を施す事にした。それが、チェレンチーさん、あなたですよね? そして、あなたは、厳しくも一流の教育を受け、メキメキと頭角を現していった。そう、ドゥアルテにはない商人としての才能が、上流階級の人間として望まれる高い知性が、あなたにはあった。皮肉な事に、父親の商人としての才覚を受け継いでいたのは、溺愛されていたドゥアルテではなく、ずっと捨て置かれていたあなたの方だった訳です。」


「そんなあなたを、ドゥアルテはどんな気持ちで見ていた事でしょうね?……まあ、彼の母親は贅沢な暮らしにしか興味のない人のようですから、そのプライドの高さから、いっときでも自分の夫を使用人に奪われた事が許せなかっただけでしょう。チェレンチーさんは、そんな、『夫と使用人との間に生まれた不義の子供』というだけの理由で毛嫌いされていた。……しかし、ドゥアルテがあなたを嫌った理由は、夫人とはまた違ったものだった。」


「先代当主が、ドゥアルテの代わりに事業の屋台骨を支える人材として、まだ子供のチェレンチーさんを連れてきたのを見て、彼は『いよいよ親父はこんな自分に見切りをつけたのだ』と思ったのではないでしょうか。ドゥアルテからすれば、父親から『お前では私の事業を継ぐのは無理だ』と引導を渡されたようなものです。……もちろん、父親は自分の事業は全てドゥアルテに譲るつもりでいました。しかし、それは形だけにして、実務は優秀な非嫡出子に任せようと考えていました。それは息子を思っての父親の愛情だったのでしょうが、当の息子にとっては、父親が自分の無能ぶりを見て、完全に諦めてしまったように思えた事でしょう。『使えない人間』と実の父親に認定された事は、甘やかされて育ったドゥアルテにとって、相当ショックだったでしょうね。……まあ、同情する気は、これっぽっちも起きませんがね。」


「……そんなに僕の事を気にしていたのなら、兄さんも、遊び歩いたりせず、もっと真面目に勉強したら良かったのに。……」

 と、ティオの話を聞いていたチェレンチーが思わず零した言葉に、ティオは苦笑した。

「チェレンチーさん、誰もがあなたのようになれると思ってはいけませんよ。」


「人間、『適正』というものがあります。一般的には『才能』と呼ばれているものですね。……同じ階段を登るにしても、一段一段ゆっくりと時間をかけてしか登れない者と、トントンと何の苦労もなく軽やかに登っていける者が居る。中には一段飛ばしで走っていく者も居て、そんなわずかな人間を見て、他の大多数の人間は、ヤツには『才能』があるからだ、と言う。そして、自分には『才能』がないから無理なのだ、と階段を登る前から諦めてしまう。」

「で、でも、習得するのが遅いか早いかの違いで、時間をかければいつかはみんな出来るようになると思うんだけど?」

「それは半分正解で、半分間違っている……というのが、俺の考えです。」


「確かに、誰でも必死に努力を積み重ねれば、ある程度の所までは行けるのです。しかし、大抵の人達は、その努力が辛すぎて、あまりに時間がかかり過ぎて、途中で諦めてしまうんです。『自分には才能がなかった』と言い訳をしてね。……ドゥアルテも、そんな人間でしたね。元々の『適正』が低い上に、努力を嫌って遊んでばかりいては、いつかは手が届いたかもしれないものさえ、決して得られないままです。」


「しかし、そんな、誰もが努力をしさえすれば到達出来る地点よりも、もっともっと先に行けるのは、やはり元々『適正』が高い者、『資質』を持っている者だけだと俺は考えています。彼らは『適正』の高さ故、他の人間が味わうような『努力』に伴う『苦痛』をほとんど感じる事もなく、むしろ『楽しい』という気持ちでドンドンと前に進んでゆける人間です。『努力』を『苦痛』と感じない事こそが、『才能』なのかもしれませんね。……そうして、他の者達よりもずっと早く、ずっと遠くまで行ける。」


「自分には『適正』がなくとも、血の滲むような努力をして、長く辛い時間を費やして、あくまでその道をつき進むのか? それとも、もっと自分に合った、『適正』の高い方向に転換するか? それは、個人の自由でしょう。どんな人生を歩むのも、その人自身が決める事で、結局の所、好きに生きればいいのです。まあ、『自分には、もっと合った何か別のものがある筈だ!』と言って、次々いろんなものに手を出しては、その結果何も実らない、という人も良く見かけますが、それはそれで、その人間の選んだ生き方なので、俺は否定する気はありません。」


 ティオは、一口二口、ジョッキに入ったヤギのミルクを飲んで喉を潤してから、話を再開した。


「話が逸れてしまいましたが……要するに、チェレンチーさんには、先代譲りの商人としての才能があった訳です。そして、頭も良かった。」


「それは、あのドゥアルテが、いくら望んでも決して手に入らなかったものだったんですよ。ドゥアルテからしたら、チェレンチーさん、あなたは、『全てを持っている』人間だったんです。」

「ぼ、僕が『全てを持っている』なんて、そんな事は……『全てを持っている』人間だったのは、兄さんの方だよ。裕福な家に生まれて、父親と母親に愛されて、望めばどんな物も手に入って。父さんは、兄さんが可愛くて仕方がない様子で、良くお小遣いをあげていたっけ。」

「そうですね。確かに、チェレンチーさんからすれば、ドゥアルテこそが『全てを持っている』者だったのでしょうね。……でも、自分が当たり前に持っているもの程、気づかないものですよ。それは、ドゥアルテにしても、チェレンチーさんにしてもね。まあ、無い物ねだりってヤツですかねぇ。」


「しかし、自分になくて他人にあるものを羨むのは人のさがとしても……十歳も年下で立場の弱いチェレンチーさんを、長年に渡って、時に暴力を振るい、執拗にいじめていた事は、俺としては許せない行為です。」


「もし、チェレンチーさんが、ドゥアルテの立場だったらどうですか? 自分より遥かに優秀な弟を見て、いじめたりしようと思いますか?」

 ティオにそう聞かれて、チェレンチーはすぐに、プルプルとふっくらとした頰を揺らして首を横に振った。


「そんな事、思う筈がないよ。だって、いくら妬んだりいじめたりした所で、自分がその人間ように優秀になれる訳じゃないからね。自分は自分だよ。誰かと比べて優劣をつけて、それを自分の価値基準にするのは、間違っていると僕は思うよ。」


「そうだなぁ、僕だったら……そんなふうに凄い人みたいになりたいと思ったら、まずは、一生懸命努力してみるよ。その結果、同じようになれなかったとしても、後悔したりはしないよ。」


「そう、それが、あなたとドゥアルテの、決定的な違いですよ。」

 そう言って、ティオは嬉しそうに微笑んだ。


 それから、ふと思い出したらしく、ヤギのミルクの入ったジョッキを口に運びながら、フフと少し意地の悪い笑いを漏らしていた。


「いやぁ、でも、ちょっとスキッとしましたね。俺が、煽った時のドゥアルテのあの動揺の仕方!」


「まあ、俺は、アイツが気にしてる事を端から並べ立てましたからねぇ。チェレンチーさんが優秀だとか、父親譲りの商才があるだとか、チェレンチーさんが居なくなってから商会が傾いてるんじゃないかとか。……嘘は一個も言ってないんですけどねぇ。」


「そもそも、ドゥアルテは、ならず者集団の傭兵団に追いやった筈のチェレンチーさんが、仲間に信頼されて活き活きと暮らしているのが気に食わなかったんでしょうね。きっと、いじめられたりボコボコにされたり、酷い目に遭っているとばかり思っていたんでしょう。それどころか、戦死か、もしくは気の荒い傭兵に殺される事を願っていたのかもしれませんね、あの男の事ですから。」


「ところが、俺がせっせと、『チェレンチーさんは、傭兵団にとってなくてはならない人だ!』と褒めたので、ドゥアルテのヤツ、勝手に怒って顔を真っ赤にして、いや、赤黒くしてましたねぇ! おまけに、ゴブレットを落としてワインを零すし、傑作でした! いやぁ、愉快痛快ー!」


 満足げに、ニシシと笑いながら、つまみの瓜の酢漬けをポリポリと齧るティオに、チェレンチーは苦笑した。

 自分のためにティオがここまでしてくれた事は嬉しかったが、こんな人心掌握に長けた彼を敵に回した兄が、少々可哀想に思えたりもした。


「ティオ君も、人が悪いねぇ。」

「おや! 俺は元々大悪人ですよ! 知らなかったんですか、チェレンチーさん?」


「フフフ……実は、ここだけの話、俺は重大な犯罪をやらかして、追われている身だったりするんですよー。今も追っ手に見つからないかヒヤヒヤしながら、息をひそめるように暮らしているんですー。もし、ここに居るのがバレたら、俺を捕まえようと、おっかない人達が即座に大量に押し寄せてきちゃうんですよー。」


 ティオは、いかにも酒の席の冗談といったていで軽い口調でまくしたてると、一人だけ酒ではなくヤギのミルクの入ったジョッキをグーッと煽った。

 飲み終えて、プハッと息を吐き出し笑うティオは、まるでいたずら好きの悪ガキのような顔をしていた。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ティオと酒」

ティオは、皆が酒を飲んでいる場面でも、一切口にしようとしない。

理由は「酒が飲めないから」だといつも答えている。

酒の代わりに、水やお茶やミルクを飲んでおり、それを仲間にからかわれても特に気にしていないようだ。

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