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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第四節>黄金の穴蔵
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過去との決別 #43


「それと、もう一つの方の約束も忘れんなよ、ティオ。」

「ドミノでの必勝法を伝授するという話ですよね。もちろん忘れていませんよ。」

「よーしよし、それならいいんだ。じゃあ、さっそくお手並み拝見といこうか。……どこか空いてる席は、と。」


 ボロツが裸チップ卓の空席を探そうとティオから歩み離れると、ティオは、それを待っていたかのように、チェレンチーに向き直った。

 そして、少し声を潜めて話しかけてきた。


「……見えましたか、チェレンチーさん。あの『赤チップ卓』に、ドゥアルテ家の現当主が来ていましたよね。……」

「……え? あ、兄が?……き、緊張していて、気づかなかった!……」


 チェレンチーは慌ててもう一度、赤い絨毯の敷かれた特別なテーブルへと視線を戻した。

 今、チェレンチー達が居るのは賭博場の入り口付近で、対照的に、赤チップ卓のある場所は最も奥まった場所だ。

 軽く50m以上も離れており、また、卓の周りには外ウマに賭けている人間が詰めかけているので分かりにくかったというのもあるが……


(……確かに、あの姿は、間違いなく兄さんだ。……)


(……でも、どうして、僕は、兄さんに気づかなかったんだろう?……もし会ったなら、もっと一瞬で分かると思っていたのに。……)


 遠目に約一月ぶりで見る兄の姿は、最後に会った時より気のせいかやつれているように感じられた。

 肌の色は不健康に黒ずみ、頰もこけたように思える。

 キザに髪を整え、身なりは見るからに豪華絢爛な上等なもので固めているのは、今まで見てきた通りなのだが……

 それにしても、パッと見て気づかない程に、兄の姿はくすんで見えていた。

 精彩を欠くその様子に、チェレンチーは周囲の人々の熱気に気を取られて、兄の存在を見落としてしまっていたらしかった。



 兄の存在を認識した事で、今目に映るその姿と共に、チェレンチーの胸に、ドッと暗い波のように記憶が押し寄せてくる。


 記憶の中の兄は、チェレンチーより十歳も歳が上だった事もあり、ドゥアルテ家の屋敷に来たばかりの頃は、まさに子供と大人で、体格が大きく違っていた。

 そんな、巨大な兄の影が、震えながら見上げる小さなチェレンチーの姿を覆い尽くしていた。

 悪意に満ちた醜い笑みと、夫人譲りの冷酷な眼差し、そして、知性の低い幼稚で下卑た言動。

 父にはまだ、チェレンチーを将来ドゥアルテ家を支える者に鍛え上げようとして厳しくしていたという理由があり、また、チェレンチーに落ち度がなければ定規で叩く事もなかったが……

 兄は違った。

 兄はただ、自分の中の歪んだ欲求を満たすためだけに、抵抗出来ない弱く小さな腹違いの弟をいたぶって喜んでいた。

 そういう、元より救いようもなく性根の腐った人間だった。


 そんな兄への激しい嫌悪感と、数限りなく振るわれた理不尽な暴力によって刻まれた恐怖と痛みの記憶がぶり返してきて……

 チェレンチーは、悪寒と吐き気を覚え、思わず背中を丸めて手できつく口を押さえた。



「ドゥアルテ家当主は、『赤チップ卓』の常連らしいです。基本的に、あの特別席で打てるのは、この『黄金の穴蔵』最上位の優良顧客だけなんですよね。ほぼ決まったメンバーで代わる代わる打っているようです。ドゥアルテ家当主も、その選ばれし上客の一人という訳です。」


「そして、ドゥアルテ家当主は、ここ一ヶ月程、毎晩のように通い詰めているとの事でした。そして、現在、かなり負けが込んでいるらしいです。そろそろ首が回らなくなるんじゃないかと、影で噂されていましたよ。そりゃあそうでしょうね。あんな高レートの卓で一晩中打って負け続けたら、どんなに資産があっても足りません。」


「最初に言いましたが、俺の最終的な目的は、あの『赤チップ卓』に着いて、ドゥアルテ家当主から、巻き上げるだけ巻き上げる事です。」


 ティオは淡々と話しながらも、トラウマに震えるチェレンチーにそっと寄り添い、労わるようにその背をゆっくりと撫でてきた。

 チェレンチーがなんとか気分を落ち着かせ顔を上げると、ティオは、ニコッと、太陽のような明るい笑顔を見せて言った。


「まあ、まずは、あの『赤チップ卓』に座らない事には話になりませんね。はじめはコツコツと勝ちを積み上げていかなければ。……さあ、行きましょう、チェレンチーさん。」

「……うん。」


 チェレンチーは、ティオの笑みに励まされ……

 ボロツが手を振っている空いた席のあるテーブルに向かって、ティオと共に歩き出していった。



「お! さっき派手にすっ転んでた兄ちゃんじゃねぇか!」


 ティオが初めに座る事になったのは、入り口に近いテーブルだった。

 どうやら、話しかけてきた左隣の席の男は、先程ティオが転倒した所を見て大笑いしていた一人らしい。


「俺も混ぜてもらっていいですか?」

「いいぜいいぜ! こっちも一人抜けちまって困ってたとこなんだ。まあ、ドミノは、三人でも二人でも出来るんだが、やっぱり四人でやる方が賑やかでいいよな。さあさあ、遠慮なく座ってくれ。」

「よろしくお願いしますー。」


 ティオは、ボサボサの頭を掻きながらペコリと一礼して空いていた椅子に腰をおろした。


「兄ちゃん、この『黄金の穴蔵』は初めてか?」

「あ、はい。……と言うか、ドミノをするもの初めてでしてー。」

「おいおい、マジかよ! ここは初心者が来るような場所じゃないぜ!」

「いやぁ、アハハ。ちょっとまとまった金が手に入ったので、この際もっともっと増やしたいなー、なんて思いましてー。」

「ハハハ! せっかく入った金をドミノにつぎ込むとは、面白い兄ちゃんだなぁ! 若いんだから、もっと別の事に使った方がいいんじゃねぇのか? 美味いものを食うとか、いい服を着るとか、気になってる女にプレゼントを買うとかよぅ。なんてな、俺も、人の事は言えねぇんだけどよ。」


 男はずいぶん気さくな性格のようで、今二十四歳だとか、住み込みの大工をしているだとか、喧嘩中の恋人の話など、聞いてもいないのにペラペラと話してきた。

 確かに日に焼けたたくましい体つきをしており、朗らかで面倒見のいい性格からか、賭場でも顔見知りが多いようだった。


「そんで、兄ちゃん、ドミノは初めてだって事だが、ルールは分かってんのか?」

「一応聞いてはきたんですけどー、何しろ実際にゲームをするの初めてなのでー。」

「ああ、平気平気! すぐ覚えるって! 俺が、教えてやるよ!」

「ありがとうございますー!」


 ボロツとチェレンチーは、ティオの座った席の真後ろに並んで立った。

 『黄金の穴蔵』では、連れの同伴を許可してはいるが、打たない人間が他のプレイヤーの牌を覗いて合図を送るといった違反行為は当然厳しく取り締まられている。

 そのため、ティオの付き添いであるボロツとチェレンチーの二人は、ティオの後ろに陣取る事となった。


(……ティオ君が言っていた事を、忘れないようにしないと!……)


 チェレンチーは、体の前で手を重ねて静かに控えながら、事前に打ち合わせしていた内容を思い出していた。



「俺は、『今晩初めてドミノ賭博をする』という設定でいこうと思います。……まあ、実際に初めてなんですけれどもね。」


「ルーキーが、ビギナーズラックで勝って調子に乗り、ジャンジャン金を賭けていく。……そんな流れで進めるつもりです。」

「えぇ……要るかぁ、そういう設定とか流れとかよぅ。」

「作戦はあった方がいいでしょう? まあ、あまり計画に縛られ過ぎるのも良くないですけれどもね。その場の雰囲気でアドリブもきかせるとは思いますが、大まかな流れは今言った通りです。」


 腕組みをしてしかめっ面で首をひねっているボロツに、ティオはピッと指を一本立てて説き伏せるように続けた。


「最初からあまりにもサクサク勝ったら、警戒されるでしょう? プロの賭場荒らしと思われて摘み出さると困りますからね。」


「なので、最初の方は、いかにも初心者らしく、ミスを連発したり適度に負けたりするつもりですが、それはあくまで演技なので、ボロツ副団長とチェレンチーさんは、俺が負けても心配しないで下さい。それを事前に言っておきたかったんです。」


「まあ、『下手クソな初心者がたまたま運が良くて勝っている』風のお芝居は、ターゲットと一対一の勝負になったら、もうしませんがね。後は黙々と全力で勝って、搾り取れる限りの金を搾り取るのみです。」


 ボロツはティオの説明を聞いても、どうもすっきりしない様子だった。


「俺としては、ティオ、お前が勝つなら、それでいいんだがよぅ。どう勝とうが、そんな細けぇ事は気にしねぇよ。でもなぁ……」


「本当に勝てんのかぁ? お前、マジでドミノは初めてなんだろう? そんな思った通りにヒョイヒョイ勝って、最終的に最高レートで思いっ切りかっぱぐなんて、到底上手くいくとは思えねぇんだけどなぁ。」

「俺は勝ちますよ。」


 ティオは、キッパリと断言した後に、ボロツに提案した。


「そんなに気になるなら、そうですねぇ……もし、俺が負け続けて困るような事態になったら、ボロツ副団長が俺の代わりに打ってもいいですよ。当然、賭け金は俺が全て出しますので。」

「マジか! そりゃあいいな! おい、ティオ、男に二言はねぇんだろうなぁ?」

「ありませんよ。」


 ティオは、ニッと唇の端を持ち上げて、不敵な笑みを浮かべて言った。


「まあ、そんな事態になる事は、万が一にもありませんけどね。」



(……つまり、しばらく、ティオ君は、わざと下手クソな振りをしながら、トータルでは勝ち続けていくって事だよね。……)


 チェレンチーは、ティオが、腰の低いやや頼りなさげな好青年といった雰囲気で同卓の人間と話しているのを見て、事前に聞いていた計画通りにティオが動いているのを確信していた。


(……ここからは、もう、ティオ君に任せるしかないな。僕達は、ただ見守るだけだ。……)


 ティオが席に着いてドミノを打ち始めてしまうと、チェレンチーはボロツと共にしばらくやる事がなくなる。

 ティオは、ボロツには、自分の護衛だけでなく他にもある頼みごとをしており、チェレンチーにも、また、ボロツとは別の役割を指示していたが……

 二人がそんなティオの計画に沿って動く時が来るのは、まだ当分先のようだった。

 先程ティオが言ったように、この賭博場の最高レートである『赤チップ卓』に座るために、今は淡々と勝ちを積み上げていくのみだった。


(……僕には、今、出来る事は何もない。……とは言っても、ただぼんやり見ているだけっていうのも、心苦しいなぁ。いつも、ティオ君一人に負担を掛けてばっかりだ。……)


(……何も出来ないけど、せめて、ドミノ競技の事を少しは理解して、ティオ君の考えが分かるようになりたいな。……)


 チェレンチーは、ティオの真後ろに立っている以外他にする事がないというのもあり、ジッとティオの動きや牌の流れを観察して、ドミノ競技について学ぼうと考えた。

 ギャンブルには抵抗があるため自分で打つ気は更々なかったが、ドミノというものが、どうやって進行し、いかにして勝ちが決まるゲームなのかという事は、最低限知っておこうと思ったのだった。


 そして、ついに、ティオの『黄金の穴蔵』における初めての勝負が始まった。


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「黄金の穴蔵」

ナザール王都一の賭博場で、歓楽街の一角の地階に店を構えている。

店舗の規模は最大で、レートも最も高い。

扱っているのは、ドミノゲームのみだが、一部外ウマ制度もある。

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