過去との決別 #41
「どうやらここは、元はワインの貯蔵庫だったようです。」
と、周りに従業員が居ないのを見計らって、ティオが小声でチェレンチーに伝えてきた。
賭博場の内部は常に熱気とざわめきに満ちており、多少喋っても周囲の人間に声は聞こえない。
「そう言えば、この地方でも昔は酒と言えばワインが主流だったって聞いたよ。でも、王都の人口が増えるにしたがって、特に庶民が多くなって、もっと安価で大量に生産出来て、作成にも時間のかからないビールがだんだんと台頭してきたらしいね。今もワインは高級品として上流階級では嗜まれているようだけれどもね。」
「ここは大規模なワインの醸造所だったようですが、そんな時流の流れもあって経営が立ちいかなくなり、元の所有者はどこかに引っ越したようです。そして残ったこの大きな地下室を、現在のオーナーが賭博場として買い取り改装したらしいです。」
「なるほど。確かに、雨の良く降るこの時季にも、この部屋はずいぶんカラッとしているね。良い地下室は一年を通して湿度と気温がほぼ変わらないから、ワインの醸造には適しているらしいね。」
ティオに言われて改めて地下室を眺めると、壁際に何箇所かワインの入っているらしい樽が並べられた大きな棚が置かれていた。
室内のありこちにはカウンターが設置されていて、その奥には先程ティオのマントやポーチ類を預かったように客の荷物を預り置く場所があったり、また酒や簡単な食べ物を売っている所もあった。
所々に置かれた大きなワイン棚も、そんな飲用の売り物のために思えたが、実は元ワイン貯蔵庫の名残だったようだ。
「……あの、左手奥から二番目の棚の裏に、隠し通路があります。……」
「え!? ど、どこの事?」
「……ダメですよ、ジーッと見ては。この事を知っているのは、オーナーとごく一部の従業員だけのようですからね。怪しまれたら大変です。……」
思わずキョロキョロしそうになったチェレンチーの頭を、ティオがキュッと手で挟んで、動きを止めていた。
チェレンチーは、賭博場の経営者に睨まれる事を想像し、思わず恐怖で真っ青な顔になりながら、なるべく小さな声で問うた。
「……ど、どうして、ティオ君は、そんな事を知っているんだい? ここが元はワインの貯蔵庫だって事も知っていたけれど。……」
「……さっき転んだ時に調べました。……」
「……ああ、やっぱりあれ、わざと転んだんだね?……で、でも、どうやってあの短い間で調べたんだい?……」
「……今はまだ詳しくは話せません。すみません。……まあ、俺の特技だと思っておいて下さい。……」
「……これから、何時間もここに居る事になる訳ですから、まずは安全確認が必要でしょう?……どうやら換気は問題なさそうですし、火の扱いにも十分注意がなされているようです。出口は、先程入ってきた一つと、後は隠し通路ですね。まあ、あの隠し通路を俺達が強引に使わなければならない程の混乱は、まず起こらないでしょう。俺が出入り口の位置を確認したのは、念のため、というヤツですよ。……」
相変わらず飄々とした笑顔を浮かべるティオを見上げて、チェレンチーは改めて思っていた。
(……本当にティオ君は肝が座っているなぁ。まあ、そんなティオ君が一緒に居てくれると、こっちも安心出来るんだけれどね。……)
一方で、ボロツは二人のヒソヒソ話に関心は全くなさそうで、一人興奮気味に賭博場を見回し、もう待ちきれないといった様子でバッと振り向いてきた。
「おいおい、お前ら、いつまでチンタラやってんだよ? さっさと打ち始めようぜ!」
「そうですね。ここに来た目的を果たさなければいけませんね。」
ティオは、ヒラリと黒色の長衣の裾を翻してボロツに歩み寄った。
「ではまず、交換用のカウンターで、持ってきた金をチップに替えましょう。そうしないと、この賭博場では遊べませんからね。」
「はあ? チップに替える? なんだそりゃあ?」
ボロツは、驚きに、薄い眉を吊り上げて小さな三白眼を見開いていた。
□
「なんで、そんなめんどくせぇ事をする必要があるんだよ? そのまま金を賭ければいいだろうが!」
「いろいろと事情があるんですよ。なんなら、この賭博場の仕組みを詳しく説明しましょうか?」
「ん……いや! やっぱ要らねぇわ。俺は、そういう難しそうな話は苦手だぜ。理屈はともかく、とっとと始めようぜ。」
「分かりました。では、ボロツさん……」
「ここでは俺達が傭兵団の人間だという事は、当面伏せておいた方がいいと思うので、『ボロツさん』と呼びますね。」
「了解だぜ、作戦参謀のティオ殿よぅ。」
「ボロツさんが今右脇に提げている袋の中身を、そこのカウンターでチップに交換してきて下さい。」
「そりゃあいいが……ところで、ずっと気になってたんだが、こんな大金一体どうしたんだ?」
「それはですね……」
ティオはボロツに問われて、ニコッと、一点の曇りもない笑顔で答えた。
「国の軍部から俺達傭兵団用に支給された資金を持ってきました!」
「え? 国が俺達にこんな金をくれたってのか?」
「はい! この金で、戦に備えて武器や防具を揃えるようにと。……ですが、これだけでは少々心許ないので、ここは一発ドミノ賭博でパーッと稼ごうと思ったんですよー! ギャンブルでは元手は多いに越した事はないですからねー! 軍資金として、全額持ってきましたよー!」
「ティオ、お前ってヤツは……」
ティオの返答を聞いたボロツは、一瞬真顔になったが……
次の瞬間には、満面の笑みで、パシーン! とティオの背中を平手で叩いていた。
「良ーく分かってんじゃねぇかよー! それでこそ、男ってもんだぜぇ! ギリギリの時こそ、大勝負に打って出る! そういうクソ度胸があるヤツだけが、デッカイ幸運を掴む事が出来るんだよなぁ! ワッハハハハハ!」
ボロツは、上機嫌で、「じゃあ、行ってくるぜ!」と言って、ティオの指示通り、腰から片方の袋を外し、交換用のカンターにドッカドッカと大股で向かっていった。
ボロツが去ると、そんな二人のやりとりを内心ヒヤヒヤしながら後ろで見守っていたチェレンチーへ、クルッと振り返ってティオが言った。
「ボロツさんの持論を信じちゃダメですよ。あれで毎回スッカラカンになってるんですからね。」
「ハハ、信じる訳ないよ。……それにしても、ティオ君も人が悪いな。」
「はい?」
「ボロツ副団長……ボロツさんには、まだ賭博のための金がどこから出ているのか話していないって言っていたけれど、まさか、このタイミングで、傭兵団用の資金だって打ち明けるなんてね。」
ボロツは確かに聡明な人物とは言い難かったが、それでも平常時なら、傭兵団の武器防具を揃えるために国の軍部が支給した資金を賭博につぎ込む事の異常さに異を唱えたに違いない。
傭兵団では珍しく、ボロツは、世間一般的な常識はしっかりと持ち合わせていた。
しかし、一旦賭博場に入ってしうと、ギャンブル狂の性質が全開になり、興奮してまともな判断が出来なくなってしまったようだった。
もちろん、ティオはそれを分かっていて、この時とばかりに、金の出所をボロツに告げたのだ。
なんとも言えない苦笑を浮かべるチェレンチーに対して、ティオは、イタズラが成功した時の子供のような無邪気な笑みを見せていた。
「バッチリのタイミングだったでしょう?」
□
「ところで、僕は、チップの話に興味があるなぁ。良かったら聞かせてくれないかい、ティオ君?」
「もちろん、いいですよ。」
ボロツがカウンターで金をチップに交換している間の待ち時間に、チェレンチーは、ティオから、この賭博上でチップが利用されている理由を聞く事になった。
「まず、第一に、貨幣価値の統一です。」
ティオによると、チップに交換する事で、ナザール王都で使用されている様々な貨幣の価値を一律に出来るとの事だった。
確かに、ナザール王都で日常的に使われている貨幣は一種類ではない。
大まかに、銅貨、銀貨、金貨、という括りはあるが、例えば、その銅貨一つとっても、いくつもの種類があった。
その理由の一つは、日常生活を送る上で、一般的な「銅貨」よりも細かい貨幣が必要とされる場面や、逆に、もっと桁の大きな貨幣があった方が便利な場面があるためだった。
そのため、「銅貨」の半分の価値である「半銅貨」をはじめとして、1/10の価値である「小銅貨」や、逆に10倍の価値のある「大銅貨」などがあった。
銀貨や金貨も同様に、「半銀貨」「大銀貨」「半金貨」「小金貨」「大金貨」などがあり、更に「大銀貨」と「金貨」や「銀貨」と「小金貨」が実質同じ価値であったりと、複雑である。
もっとも、銀貨を手にする事があるのは中流以上の人間あり、都の人口のおよそ六割を占める低所得者層の庶民は、日常生活を何種類かの銅貨のみでほぼまかなっていた。
金貨や大金貨などには一度も触る事なく一生を終える者も多かった事だろう。
しかし、ナザール王国の貨幣事情を複雑にしている理由は、それだけではなかった。
同じ価値として扱われる銅貨にも、発行元の国が異なるために、様々な違いがあったのだ。
ナザール王国のある中央大陸南東部には、いつくもの小国がひしめいており、四十年前に起こった「十年戦争」と呼ばれる大戦以降は、各国の間でおおむね良好な関係が続いていた。
国境を越えるには、特に関所のようなものはなく、人々は自由にあちこちの国を行き来出来ていた。
検問や審査があるのは、ナザール王都のような城壁にぐるりと周囲を囲まれた大きな街に入る時だけといった状況である。
そのため、各国の通貨も、人や物資の流通と共に流れ広まって、あちこちの国で使われているのがごく普通だった。
街を歩く中流階級の人間の財布の中を机の上にぶちまけたのなら、数種類の国の貨幣が混じっている事だろう。
経済が貧窮している国の貨幣は、特に銀貨金貨は、銀や金の含有率が低下する事があり、同じ貨幣でも価値が下がる場合もままあったが。
それでも、これだけ多くの国の貨幣が混ざって流通してる現状で、大きな混乱が起こっていないのは、この中央大陸一の強国であるアベラルド皇国の存在が大きかった。
軍事大国であるだけでなく、この大陸の経済の中心でもあるアベラルド皇国では、厳格に貨幣が定められていた。
そのため、かの国と交易を望む周囲の国々では、こぞってアベラルド皇国の貨幣基準を真似た貨幣を鋳造するようになり、それらはアベラルド皇国公式の通貨程ではないまでも、それに次ぐ信用のある貨幣として流通していた。
そういった流れが、この大陸東南部の鄙びた国々まで波及してきており、皆、アベラルド皇国をお手本とした、似たり寄ったりの貨幣を使うようになっていたのだった。
とは言え、そんな各国で差異のある何種類もの貨幣を、この賭博場でやり取りするとなると、当然、客同士の揉め事が起こってくる。
同じ「銅貨」であっても微妙に価値の違うものを交換するのは、喧嘩の火種となるのは必至だった。
そこで、まずは、貨幣の価値を賭博場の方で判断し、同等と思われる量のチップと交換する。
そして、賭博場の中では、競技の勝敗による支払いをはじめとして、飲食物の購入や特別なサービスの提供を求める時などに使用するのは、チップのみとなっていた。
こうしたチップ制度を導入する事によって、スムーズな価値の移譲が可能となるという訳だった。
もちろん、賭博場を出る時には、持っているチップを、再びカウンターで貨幣に交換してもらえるようになっていた。
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「第二に、ゲームをしやすくするためです。」
実際の貨幣では、銅貨の1/2の価値の「半銅貨」や1/10の価値の「小銅貨」などがある。
これは、日常生活で物資の購入や販売に適した価値で区切られているのもであって、賭博場で行うゲームにおいては不便な区切りである場合もあった。
そこで、この賭博場で使用されるチップは、使いやすさと分かりやすさを極めた区分になっていた。
まず、何も塗られていない小さな木の円盤が、「裸チップ」「素チップ」と呼ばれ、最低価値のチップである。
次に、その「裸チップ」の10倍の価値のあるチップが、白く塗られた「白チップ」だ。
更に、その10倍が、赤く塗られた「赤チップ」で、そのまた10倍が、黒く塗られた「黒チップ」となっていた。
「黒チップ」がここでの最高価値のチップであり、つまり合計四種類のチップで全てがやり取りされているのだった。
ちなみに、「裸チップ」が平均的な銅貨の価値と同等であり、「赤チップ」が銀貨と同等、「黒チップ」が金貨と同等となっていた。
「なるほど。必ず10倍の価値で上がっていくというのは、分かりやすいね。」
チェレンチーは、ドミノ賭博に興じる人々の様子を観察し、皆手持ちのチップを迷いなく数え、相手に支払ったり受け取ったりしている様子に、(これならスムーズにゲームが進みそうだ)と納得していた。
「あ、ちなみにですねー、チップを偽造する人間がたまーに居るらしいんですよー。ほら、金貨や銀貨と違って、チップは小さな木の円盤ですしー、材料的には手に入りやすいじゃないですかー。」
「で、も! 偽造チップを使ったり現金と交換しようとした人間は、もれなく見つかって、懲らしめられているようですよー。その辺は、やっぱりとっても厳しいんですよねー。」
ティオは、ニッコリ笑ったまま、親指で自分の首を真横に搔き切るジェスチャーをして見せた。
要するに、チップを偽造すると、例のこわもての用心棒達に即座に捕まえられどこかに連れていかれて、口には出来ないような恐ろしい目に遭わされるという事だろう。
裏社会の闇の掟に耐性のないチェレンチーは、ブルルッと身を震わせていた。
読んで下さってありがとうございます。
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☆ひとくちメモ☆
「ティオの異能力」
ティオは、「鉱物全般との親和性が高い」という異能力を持っている。
そのため、鉱物の「周囲の状況を記憶する」という性質を利用して、直接触れる事で石に残った記憶を読み取れる事が可能である。
ただし、人工的に造られた鉱物素材のものは、親和性が落ちるらしく、記憶を読み取るのが難しいらしい。




