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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第四節>黄金の穴蔵
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過去との決別 #40


「うわっ!」

「おお、おお、盛況じゃねぇか! やっぱり賭場はこうでなくっちゃなぁ!」


 開かれた重い扉を潜って、チェレンチーとボロツは、目の前に広がる光景に思わず驚きの声を上げた。

 そこには、繁華街の一角にある薄暗く人気の感じられない屋敷の外観からは思いもよらない光景が広がっていた。


 ザッと見積もって、幅30m奥行き60mはあるだろうか。

 長方形の敷地を高さ15mはありそうな、高いドーム型の天井が覆っていた。

 その独特な形状の天井からは、いくつものシャンデリアが下がり、その一つ一つに十数個ものロウソクが灯っている。

 年代を感じさせるものの、床も壁も天井もしっかりとした石造りの室内であった。


 その空間に、人のざわめきが満ちていた。

 百人以上の人間が、テーブルを囲んでドミノ賭博に耽っている。

 中には、一休みしているのか、壁際に置かれた丸テーブルの周りの椅子で酒をあおっている者の姿もあった。

 テーブルについて賭博に夢中になっているのは、ほぼ男ばかりだった。

 まれに中高年の女の博徒の姿もあるが、派手な化粧をした水商売らしい若い女達は羽振りのいい客の連れとして来ている者が大半だった。

 酒と煙草、ロウソクの燃える独特な臭い、人々の体臭、わずかに混ざる女達の香油の香り。

 昼とまではいかないまでも、煌々と輝くシャンデリア元、夜の地下とは思えない賑わいがそこにはあった。


 テーブルは、距離を保って整然と三十程置かれおり、どれもドミノ賭博のために作られた特別な形状をしていた。

 天板は綺麗な正方形で、その四辺に合わせて四つの椅子が用意されている。

 天板の中央には厚手の丈夫な布が敷かれており、また、四辺の端にそれぞれ沿って、溝のある細長い直方体の木が取りつけられている。

 布は、ドミノを並べる音を少なくするのと滑り止めの効果があり、溝のある木切れは、自牌のドミノを目の前に立てて見やすくするための設備だった。

 布によって消音されているとはいえ、室内のあちこちで絶えずドミノを掻き混ぜるため、室内には、人語と共に、ジャラジャラという木製の牌がぶつかり合う音が満ちていた。


「これだけデカイ賭場は、俺様も初めてだぜ! くぅー、ギャンブラーの血が騒ぐなぁ!」

「ボロツ副団長は、今晩は一切打たないんじゃなかったんですか? ティオ君の護衛が目的ですよね?」

「そ、そうだけどよぅ。ここまで来て何もしないってのは、酷だぜぇ。……まあ、ティオの野郎が、絶対勝たせるって言ってやがったからな。まずは、その方法とやらを聞いてからだな。」


「おおい! 何してんだ、ティオ! 早くおっぱじめようぜ! 夜はみじけぇんだぞ!」


 ティオは入り口を入った所で、扉を開けた賭博場の管理者に燭台を返却し、案内を頼んでいた男に約束の報酬を支払っていた。

 男は、ティオから銀貨を数枚受け取ると、ギラギラした目でその金を頭上に掲げて拝み、さっそくカウンターの方へと向かって小走りに去っていった。

 ティオは、ボロツに呼ばれて振り返り、少し急ぎ足に歩み寄ろうとしたが……


「ああ、はいはい、今行きまー……うわっ! とっとっとっとぉー!!」


 いつも身につけている色あせた紺色のマントの裾を自分で踏みつけて、思い切りバランスを崩していた。

 バタバタと手を宙に振り回したのも虚しく、ズベッ! と顔面を打ちつける格好で派手に床に倒れこむ。

 その騒ぎが耳に入ったのか、近くのテーブルに座っていた男達が、床に大の字に潰れているティオを指差してゲラゲラ笑った。


「おいおい、兄ちゃん、しっかりしろよ! 初めての『穴蔵』だからって、緊張し過ぎだぜ!」

「ドミノで負ける前に、転んで金を落っことしちまうなよ! ウハハハハ!」


 みすぼらしい身なりにボサボサの頭と古い瓶底のような眼鏡といういでたちのティオ見て、男達は、いいカモが来たと思ったに違いない。

 一方ティオは、そんな嘲笑に対し腹を立てた様子もなく、「い、いやぁ、どうもどうも。お見苦しい所を。」と、ヘラヘラ笑ってワシワシ頭を掻いていた。


「ったく、情けねぇなぁ! もっとシャキッとしろい! 思いっきり舐められてんじゃねぇかよ!」

「ティ、ティオ君、大丈夫かい?」


 チェレンチーは背をかがめ、まだ床にうずくまったままのティオに向かって手を差し伸べたが、ティオは「平気です、一人で立てますよ」と、笑って助けを断った。


(……今のは、わざとだろうな。ティオ君の運動能力の高さで、あんな転び方はしない筈だ。……)


(……じゃあ、一体なぜ?……みっともない所を見せて、対戦相手となる周囲の客を油断させるため?……いや、それだけとも思えないんだけどなぁ。……)


 ティオはしばらく手をついて床に座ったままで、立ち上がるのを意図的に遅らせていたようにチェレンチーには見えていた。



 やがて、パンパンとマントについたホコリを叩きながら立ったティオに、賭博場の従業員が歩み寄ってきた。


 賭博場では、大まかに分けて、三種類の役割を持つ人間が働いている。

 まずは、賭場を荒らす行為をする者が居ないようにと目を光らせる用心棒達である。

 彼ら自身は賭博には参加せず、壁際に立っていたり、時折賭場の中を歩き回ったりしている。

 見るからに目つきが鋭い者やがたいの良い者が多く、特に、この場所で腰に武器を携帯しているのは彼らだけなので、すぐに見分ける事が出来た。

 次に、こまごまとした接客を担っている従業員だ。

 彼らは男女とも、同じデザインのエンジの服を身につけており、こちらも一目で賭場の人間だと分かる。

 主に男性は金銭関係の手続きに関する業務を、女性は飲食などの有料サービスの提供を行っていた。

 そして、最後に、そんな彼ら従業員をまとめる立場の人間が居た。

 この地下の入り口に入ってくる時に会った洒脱な服を身に纏った礼儀正しい態度の男がいたが、彼もその一人だろう。

 あの男は、この賭博場の入り口で入ってくる客の管理を任されていると思われる。

 そして、賭博場の中にも何人か、従業員達を管理する者の姿が見られた。

 彼らは、他の従業員と違って制服のようなものも身につけておらず、こぞって上等な身なりをしていた。

 独特な着崩し方やデザインの奇抜さは、この賭場の関係者の間ではごく当たり前らしく、仲間意識の現れであるようだった。


 ティオに近づいてきた若い男は、客の応対をする従業員の一人だった。


「お客様、もし良ければ、こちらで上着をお預かりしましょうか?」

「ああ、その方がいいですかね。……じゃあ、お願いします。」


 どうやら、ティオが床を引きずるような長いマントを着たまま店に入ってきて、しかも、そのマントの裾を自分で踏みつけて転んだのを見ての提案らしかった。


「ついでなので、他の荷物も預かってもらっていいですか? いやぁ、こういう場所ですからね。あんまり厚着していると、イカサマを疑われたり、なんて事もあるかもしれませんからね。転ばぬ先の杖ってヤツですよ。あ、俺、そう言えば、さっきもう、派手に転んじゃったんでしたっけねぇー。アハハハハハ!……あ、待って待って! そのマントは世界に一つしかないとっても大事なものなので、丁寧に扱って下さい! 是非ともお願いしますよ!」


 ティオは、従業員の提案を素直に受け入れて、いつも身につけている色あせた紺のマントをバサリと脱いだ。

 素早く畳んで手渡し、斜めがけにしていた大きな布製のバッグや、腰につけていた細々としたポーチや袋もベルトごと取り外して預けた。

 はたから見ると、腰の荷物よりもただのボロ布にしか見えないマントの方を大事にいているらしいティオの様子は、理解しがたい奇妙なものだったが。

 既に王城の兵舎に薬草や古文書は置いてきているので、ティオの所持品はほぼ紙やペンやインクといった筆記具だと思われる。

 一つだけ手元に残った持ち物である金の入った巾着状の皮袋は、その後、上着の下のズボンの腰に巾着の紐でくくりつけていた。

 従業員は、丁寧な所作でティオが渡した物を全て受け取ると、カウンターの奥へ持ってゆき、カーテンを引いて隠してある棚へとしまっていた。


「ふう、やれやれ。あのマントがないとどうにも落ち着かないんですが、仕方ないですね。」


 いつも体を覆い隠すように身に纏っていたマントを脱ぎ去り、腰にゴチャゴチャとつけていたポーチ類をベルトごと外したティオは、今までになくスッキリとしたいでたちになった。


 衿つきの比翼仕立ての上着に共布のズボン。

 スボンの下には、シンプルな革靴を履いていた。

 服も靴も、黒で統一されており、ティオは頭髪も黒いせいで、全身黒づくめとなった。

 上着は、動きやすさを考慮して両脇と真後ろに深いスリットが入っているが、くるぶしに届く程の長さがあるのが特徴的だった。

 それは、ティオの体に合わせて作られたものらしく、またタイトなデザインでもあり……

 今までマントに隠れて分からなかったティオの、しっかりとした肩幅や胸板のある、若々しくも男性らしい体格がはっきりと感じられようになっていた。

 長身のティオが真っ直ぐに背を伸ばして立っていると、足首に掛かる程の異様な長さの黒色の上着も、一部のブレもない体幹と均整のとれた肉体が一層良く映える衣装に感じられた。


「……ティオ、お前、もっとヒョロガリの頼りない感じだと思ってたが、割といい体してんじゃねぇかよ。」


 ボロツも、ティオの体格の良さに気づいたらしく、小さな目を見開いて、無遠慮にバシバシ胸やら背中やらを叩いて褒めていた。

 また、店内に居た女性客や女性従業員で、ティオの姿に目を奪われている者も何人かあった。

 髪はボサボサで眼鏡も掛けたままだったが、それでも、スラリと背の高いティオの姿には、人目を引く鮮烈さがあった。


「お前、なんで、ホント、あんなボロ布を後生大事に着てやがんだ? ゼッテェ脱いだ方がいいって! ついでに、髪もサッパリ短く切って、そのドン臭い眼鏡も外せ! そうすりゃ、女にモテモテだぜ?」

「い、嫌ですよー! 髪を切るとか、眼鏡を外すとか、冗談じゃないー! それにあのマントは、俺にとって替えのきかない大事なものなんですー!」


 一方で、チェレンチーは、反射的にティオの黒い服を分析していた。


(……派手さはないけれど、上質な布地だ。見栄えよりも丈夫さを優先した印象だな。織りの目の雰囲気は、この辺りでは見た事がないなぁ。どこで生産されたものだろう?……でも、あのムラのない深い黒色、あの色を出すのはなかなかに難しい。絹のように誰もが一目で分かるものではないけれど、あの生地は、おそらく、相当高級な一品だよ、うん。……)


(……それに、まず間違いなく、オーダーメイドだ。ティオ君の体に合わせて採寸して、仮縫いの段階での微調整もしているだろう。でなければ、あそこまで見事な仕立ては無理だ。もちろん縫製自体も見事なものだ。隅々まで細やかに神経が行き届いていて、微塵の狂いもない。……)


(……しかし、専門の業者が作ったという雰囲気じゃないんだよなぁ。……これは僕の勘だけれども、おそらく、製作者は、ティオ君の身近な人間だったんじゃないかな。裁縫がとても得意な人がそばに居て、彼のために丹精を込めて作った。そんな気がする。……)


(……ボタンの見えないスッキリとした比翼仕立て、無駄のないタイトなライン、それでいて、足捌きの快適さを保つために深いスリットを入れた仕様。そして、闇夜のような深い黒一色の色合い。……ティオ君の見た目だけじゃなく、彼の内面をも良く知っている人間だからこそ、あそこまで良く似合うものを作る事が出来たんじゃないのかなぁ。……)


(……たぶん、あの色あせたマントも、同じ人の手によるものだろう。ティオ君がずっと身につけていたせいでボロボロになってはいるけれど、改めて考えると、あれも同じように丈夫な布で丁寧に仕立てられていた。……)


 チェレンチーは、あの色あせたマントを預けるにあたってティオが酷く気にしていた様子を思い出し……

 彼が、その衣服を作った人物と、その人物によって作られた自分の衣服を、とても大切にしているらしい事を察した。


(……そして、おそらく、あの服が作られたのは一年程前だろう。ティオ君の成長を見越して、少し大きめに作ったのだろうけれど、それ以上にティオ君の背が伸びたのか、わずかだがきつめに感じられる。その微妙な計算の狂い、布地の丈夫さと現在の磨耗した状況から考えて、大体一年前で間違っていないんじゃないかな。……)


(……一年前か。……一年前、ティオ君は、一体どこに居て、どんな人達と生活していたんだろう?……)


 と、ついつい元商人のさがで、想像を巡らせてしまったいたチェレンチーだったが……

 アゴに手を当ててジーッとこちらを見ているチェレンチーに気づいたティオが、不思議そうに声を掛けてきた。


「どうかしましたか、チェレンチーさん?」

「あ、ティオ君! いやぁ、あのね……本当に、ティオ君はカッコいいなぁと思って!」


 ふっくらとした頰を上気させて本心からそう言ったチェレンチーを……

 ティオは、うっかり変なものを踏んでしまった時のような目で見つめていた。


「……大丈夫ですか? おかしなものとか、食べていませんよね?」


読んで下さってありがとうございます。

ブクマ、評価、感想、いいね等貰えたら嬉しいです。

とても励みになります。



☆ひとくちメモ☆

「ティオのマント」

ティオは、普段は色あせた紺色のマントを体に巻きつけるように羽織っており、その下に何を着ているのか良く分からない状態である。

相当気に入っているようで、同室となったサラに注意されるまで、眠る時もそのまま身につけていた。

ティオは185cmを超える長身だが、マントは引きずる程長く、おかげで裾が擦り切れてボロボロになっている。

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