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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第四節>黄金の穴蔵
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過去との決別 #39


(……ま、まさか、この僕が、賭場に出入りする事になるなんて、思いもよらなかったよ。……)


(……父さんが生きていたら、説教だけじゃ済まないな。間違いなく、定規で叩かれる所だよ。ハハ。……)


 チェレンチーは、緊張で胃酸がこみ上げてくる口を押さえて背を丸め、賑々しい夜の灯りに満ちた歓楽街の中央を伸びる道の路肩で立ち尽くしていた。

 「おおい、チャッピー、無理すんなよ。」と、隣に立ったボロツが声を掛けながら背をさすってくれる。

 ティオはと言うと、「俺は大丈夫なので、チェレンチーさんを頼みます。」とボロツに言い残し、とある飲み屋の中へと消えていった。


 しばらくすると、四十代後半ぐらいだろうか、小柄な痩せこけた男を一人伴って店から出てきた。


「この方が、これから行く賭場に案内してくれるそうです。」


「ナザール王都最大の賭博場『黄金の穴蔵』は、常連客の紹介がないと入れてもらえない決まりなんですよ。それで、この方にお願いして、紹介してもらう話をつけておきました。」


「ああ、そうそう。これが一番大事な事ですが……例の人物は今夜も『黄金の穴蔵』に居るそうです。」


 それを聞いて、チェレンチーはビクッと肩を震わせた。

 「例の人物」と言うのは、現ドゥアルテ家当主であるチェレンチーの腹違いの兄の事である。

 今回、ティオは、彼をターゲットに据え、ドミノ博打で限界まで金を吐き出させる計画なのだと、事前にチェレンチーに話していた。


 莫大な資産を持ち、その金をためらいなく湯水のようにギャンブルに注ぎ込み、既にタガが外れて金銭感覚がおかしくなっている人間……

 ティオはそんな最高のカモを王都の歓楽街の中から厳選した結果、見事、キャンブル狂であるチェレンチーの兄に白羽の矢が立ったらしい。

 ティオは、その事を、この計画を立てた折にチェレンチーにはっきりと告げ、「あなたがやめろと言うなら、別の人物にターゲットを変えます。」と言ってくれた。

 チェレンチーの兄から大金を巻き上げる事は、ドゥアルテ家の資産をゴッソリと削り取り、結果として商会の経営まで危うくすると分かっていたからである。

 ほんの一ヶ月程前まで、将来ドゥアルテ商会の重要な役割を担うべく身を粉にして働いていたチェレンチーにとっては、今は縁が切れているとは言え、複雑な心境だろうと気を遣ってくれたのだろう。

 しかし、チェレンチーは、自分のためにティオの計画を変更させるつもりはないと答えた。


「僕はもう、ドゥアルテ家とはなんの関わりもない人間だよ。」


 そう、はっきり言い切ったチェレンチーだったが、いざ、兄に会う時が近づいてきたのを実感すると、体の震えが止まらなかった。

 自分の腕を自分できつく掴み、唇を噛み締めて、心の暗い奥底から這い上がってくる恐怖をこらえる。

 傭兵団という新しい環境で毎日を忙しく過ごす内、すっかり忘れられたと思い込んでいたが……

 未だに、チェレンチーの深層心理には、子供の頃から何度も繰り返し振るわれた暴力の記憶が、汚泥のようにこびりついて消えていなかったのだった。



 ティオが酒場から連れてきた男を先頭に、ティオ、チェレンチー、ボロツの三人は、歓楽街の奥まった場所にある、とある家の前にやって来た。

 家というより、もはや屋敷という大きさだった。

 三階建ての木材と石材混じりの建物は、歓楽街でも一際大きく立派な造りである。

 しかし、建物の前に人はほとんどおらず、中にもあまり人気を感じない。

 一見高級娼館のようではあるが、見上げる窓には、ほとんど明かりがついていなかった。

 そして、特徴的なのは、建物をぐるりと石造りの高い塀で囲ってある点だろう。


「……ここが『黄金の穴蔵』なのかい?」

「上階には、オーナーや店の上客が泊まる上等な造りの部屋があるという話ですよ。下階の方は、店の従業員や用心棒達の休息場所になっているようですね。」

「おい、肝心の賭場はどこなんだ? 全然人が居ねぇじゃねえか。」


 深夜も煌々と火を灯し、その存在を闇の中に主張する歓楽街にあって、まるでそこだけポッカリと穴が空いているかのように暗がりに包まれている屋敷の前で、ボロツは筋の浮く太い首をねじっていた。

 その一種異様な雰囲気は、まさに、歓楽街に開いた底なしの穴を連想させる。


「行けば分かりますよ。」


 いつもと全く変わらない飄々とした笑顔を浮かべてそう言うと、ティオはためらう事なく、色あせた紺色のマントを翻し、その特殊な暗がりに足を踏み入れていった。



 まず、屋敷に入る前に、屋敷を囲う高い塀の中央にある門の前で一度止められた。

 観音開きの門の扉は大きく開かれていたが、左右には剣を腰に提げた目つきの悪い男達が何人か控えていた。

 椅子を用意して座っている者もおり、この門を通る人間をずっと監視しているのが分かる。

 ティオが案内を頼んだ男が、見張りの男達に挨拶をして、その後について、ティオ達三人も敷地内に入った。


 屋敷の扉を開けると、入ってすぐの場所は、吹き抜けのホールになっており、そこにも用心棒らしい男達がたむろしていた。

 ホールの端に置かれたテーブルのそばの椅子に腰掛けて、酒を飲んでいる者も居た。

 ただ一人、上等な衣装に身を包んだ身綺麗な線の細い男が立っていて、ティオが案内を頼んだ男は、その人物にペコペコと頭を下げながら話し掛けていた。

 線の細い男は、一見貴族のような上流階級の人間に見えるが、衣服のデザインや着こなしが洒脱に崩れており、また、蛇のように冷たく鋭い眼光は、裏社会に属する者である事を示していた。


「新しいお客様ですね。この先は『黄金の穴蔵』となっております。必要なものは十分にお持ちですね?」

「バッチリです。ここに来るのは初めてですが、今日は思い切り楽しみたいと思っています。」


 丁寧なしぐさと言葉遣いでこちらを振り返った男に、ティオが、色あせた紺のマントを少し開いて、懐に入れた貨幣の詰まった袋を見せる。

 それを確認すると、男は恭しく一礼して、一行に近づいてきた。

 ちなみに、今回の種銭にすべく持ってきた、王国の軍部から傭兵団用にと支給された資金は、三つの袋に分けて、ティオが一つ、残りの二つはボロツが持っていた。

 ボロツは普段、ズボンに袖のないシャツという服装なのだが、今日はどこからか調達してきたらしく、灰色のマントを羽織り、預かった袋はその下に隠すように腰のベルトに提げていた。


「剣やナイフの類は持ち込み禁止となっております。お帰りの際までこちらでお預かりしておきます。」


 賭場の男にそう言われて、ボロツは嫌そうな顔をしたが、ティオに目でたしなめられ、渋々背に背負っていた身の丈を超える大剣をベルトごと外した。

 男はとても持てなそうだったので、用心棒達を何人か呼んでボロツの剣を丁重に受け取った。

 特に武器を持っていないティオとチェレンチーは、腕を頭の上に挙げ、用心棒の男達にそれぞれ服の上から体を調べられて終わった。

 ティオは、鞄やらポーチやら持ち物が多いので、男達もやや手間取っているようだったが、最終的に怪しい物はないと判断された。

 ティオの方でも、ボディーチェックを受けるだろう事を予想して、毒物と間違えられそうな物は前もって兵舎に置いてきてあった。


 そうした検査が終わると、ようやく賭場への入場を取り仕切っている先程の男の許可が下りた。

 男は、まず、奥へと続く部屋の扉を、腰に提げていた大きな鍵輪から鍵を一つ選んで開けた。

 奥にはどんな立派な部屋があるのかと思いきや、部屋の隅に金属製のパイプが埋まっている他は、何も置かれていない3m四方程の狭い正方形の一室だった。

 しかし、その中央の石畳の床には、ポツンと重々しい金属の蓋のようなものがあり、男はまた、別の鍵を使って、その金属の蓋についている錠を外した。

 男がアゴで示すと、用心棒達が二人掛かりで取っ手を掴み、その金属の蓋のようなものを引き上げる。

 それは、蓋ではなく扉だったのだとチェレンチーが気づいたのは、開いた中に、石造りの階段が地下に向かって続いているのを見た瞬間だった。

 そう、それは地下室への入り口だったのだ。

 パイプに向かって、賭場の男が人数を告げていた。

 どうやら、パイプは地下との連絡用に設置されているらしい。


「では、行ってらっしゃいませ。どうぞ、存分に楽しまれますよう。お客様達の幸運をお祈りしております。」


 蛇を思わせる鋭い目をした男は、張りついたような笑みを浮かべて、最後に深々と一礼した。



「なるほどなぁ。地下に賭場があったとは。それで『黄金の穴蔵』ってか。」


 階段を下りながら、ボロツはコンコンとしっかりとした作りの石壁を拳で叩いて感心していた。

 案内役に雇った小柄な男と共に先頭を行くティオは、階段に入る際、入り口を管理している賭場の男から受け取った燭台を手に、淡々と答えた。


「概ね防犯目的でしょうね。屋敷を囲む高い塀も、たった一つしかない地下への入り口も、たくさんの用心棒も。」

「す、凄い厳重なんだね。ビックリしちゃったよ。」

「まあ、毎晩大金が動く場所ですからねぇ。簡単に賊に押し込まれても困るでしょうし、逆に、金を払わないで賭場から出て行こうとする客を逃す訳にもいきませんしね。警備のためにこれだけの数の用心棒を雇って、それでも採算が取れているのですから、いかにこの賭博場が利益を出しているか分かるというものです。」

「な、なるほど。」


 生まれて初めて踏み入る賭博場なるものにおっかなびっくりながらも、チェレンチーは、やはり、商人的な目線で感心していた。

 一方で、ティオは、少し表情を引き締め、注意を促した。


「良く覚えていて下さい。……この先は、王国の法律とはまた違った掟で成り立っている特殊な場所です。」


 「もちろん、賭博場を開くには国の許可が必要ですから、きちんと規則を守って運営されているかどうか、時々役人が調べに入ったりもしますがね。」と、ティオは軽くつけ足したのちに続けた。


「賭博場の中には、賭博場の『ルール』があります。」


「それは、各賭博場によって異なりますが、一つだけ、どこの賭博場にも共通して言える事があります。……賭博場の中では、その『ルール』は必ず守らなければならない、という事です。」


「それを破れば、すぐに先程のようなおっかない用心棒達が飛んできて、裏に引っ張られていってボコボコにされますね、おそらく。最悪死ぬかもしれません。……通常なら、暴行や殺人は罪に問われますが、賭博場のこの密閉された空間の中では、何が起こっても役人は把握しきれないので、ほぼ見て見ぬ振りをしている状態でしょう。それに、賭博場からもたらされる高い税収は、国にとっても貴重な収入源です。まあ、治安が乱れないよう規律を守って運営がなされている限り、賭博場の中での事に首を突っ込んできたりはしないでしょうね。」


 今までほとんど社会の暗部に触れてこなかったチェレンチーは、ティオの話を聞いて、スウッと血の気の引く思いだった。

 これから自分の向かう場所が、「国の法律」の通じない、いや、「国の法律」よりも「この場所の特別な法」を重んじる場所だと知り、改めて危険な場所に踏み込んでしまったのを実感していた。

 そんな恐怖が、歩みの遅れとなって出たチェレンチーに気づいたのか、先に階段を下りていっているティオが振り返って、いつもの能天気な表情で笑いかけてきた。


「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。賭場を仕切っている人達の言う事を良く聞いて、大人しくしていれば、何も怖い事はありません。『ルール』を守ってギャンブルに興じている分には、こちらは金を落としてくれる大切な客ですからね。彼らだって、理由もなくいきなり殴りかかってきたりはしませんよ。」


「それに、この賭博場の『ルール』は、何も、俺達にとって一方的に不利益をもたらすというものではありません。賭場では、金が絡むので、どうしても揉め事がつきものですからね。それを抑えて安全にギャンブルを楽しむために作られた『ルール』でもあるんですよ。」


「まあ、簡単に言うと……『イカサマはしない』『客同士、または従業員相手に揉め事は起こさない、特に暴力沙汰はご法度』『規定通りに金はしっかり払う』……この辺りですかね。」


「逆に、俺達が他の客に絡まれて殴られそうになったりしたら、用心棒のお兄さん達が駆けつけてきて、殴りかかってきた客を押さえ込んでくれますよ。この賭博場の『ルール』をしっかり守って行儀良く遊んでいる限り、俺達は、この賭場を仕切っている人々によって、厚く保護され、安全と平等が保障されている訳です。……まあ、その辺は、王国の法律と根本的な理念はあまり変わらないですよね。王国だって、きちんと税を納め、傷害や殺人といった揉め事を起こさない、そういった国の利益を生む善良な市民は、きちんと警備兵達が守っているでしょう?」


 ティオの説明はチェレンチーにも納得のいくものだったが、やはり、初めて向かう未知の場所という不安感は拭えなかった。

 対照的に、こういった賭博場には良く出入りしており、また用心棒の側でも関わっていた事のあるボロツにとっては、ティオの話はごく当たり前の事だったようで、あまり関心を示していなかった。


「それにしたってなぁ、俺の愛刀『牛おろし』まで取り上げなくたっていいじゃねぇかよ。あれがねぇと、なんか背中がスースーして落ち着かないぜ。」

「血の気の多い客に武器なんて持ち込ませたら、それこそ、一歩間違えば大惨事になりますよ。武器の持ち込みが禁止になるのは仕方ありませんよ。……と言うか、俺としては、刃物を見なくて済むので、安心してギャンブルに集中出来て嬉しいですねー。」


 そんな事を話している内に、地下への階段はやがて終点を迎えた。

 階段の奥には、隙間から光の漏れてくる、金属の縁のついた大きな木の扉が一つあった。

 扉の中央には小窓がついており、向こう側から蓋状の板を持ち上げてこちらの様子がのぞける仕組みだった。

 ティオが雇った案内役の男が扉を叩くと、すぐにその蓋が持ち上がり、小窓の向こうから冷たい男の目がこちらをうかがった。

 そして、小窓の蓋が閉じると、ガチャガチャと鍵を開ける音がして、程なく、ギギギィッと重い音を立てながら、扉が奥に向かって開かれていった。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「チェレンチーの兄」

大商人ドゥアルテ家の長男として生まれ、先代である父親が亡くなった後、当主の座を継いだ。

チェレンチーとは、母親が違う、いわゆる「腹違いの兄弟」で、十歳も年上である。

十五、六歳の頃から王都城下の繁華街に入り浸っており、女遊びに加え賭博にものめり込んでいた。

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