過去との決別 #32
「それじゃあ、俺は先に休ませてもらいます。すみません。」
「今晩はゆっくり休みたいので、朝までそっとしておいてもらえると嬉しいです。」
ティオは、最後にそう言って二段ベッドの上に登っていった。
もちろん、チェレンチーは快くその要望を受け入れた。
自分のベッドに行く時、ティオはやはり体調が悪いのを相当無理しているのか、青ざめた顔に苦悶の表情をうっすらと浮かべていたので、むしろこんな時はもっと遠慮なく頼って欲しいと思った程だった。
ティオが、いつものように、荷物もマントも身につけたまま自分のベッドに横になり、頭から毛布を被ったのを見届けて……
チェレンチーは、先程ティオから預かった四つの財布を、さっそく自分のベッドの寝藁の中に隠した。
王国正規兵の宿舎は、もっと良い衣食住の環境が整えられていると思われるが……
しばらく使われていなかった元は見習い兵士用の古びた宿舎に適当に詰め込まれた傭兵団の団員達は、皆質素な生活をしていた。
三食食事は出るものの、最低限のパンとスープに芋を煮ただけのおかずがついていれば良い方だった。
そのため、傭兵としての給金を使って、料理のメニューを足したり酒を買ったりする者も多かった。
宿舎のベッドや布団も、また酷く粗末なもので、ベッドには藁が敷かれ、枕一つと敷き布団用の布と掛け布団用の毛布が渡されているのみだった。
チェレンチーは、周りに人目がないのを良く確認した上で、藁の上に敷いていた敷布を一部めくって、ティオの財布を埋めるように隠した。
それぞれの財布には今もかなりの貨幣が入っているようだったが、真面目な性格のチェレンチーは、当然、ティオの所有物であり大事な預かりものであるそれらを、こっそり開けて中を見てみようなどとはチラとも思わなかった。
ティオの財布を藁の中に沈めると、また元のように敷布を掛けて綺麗に整えておいた。
まあ、チェレンチーにしてもティオにして、その身なりや振る舞いから、大金を持っているとはまず思われないだろう。
傭兵団では、留守中に人の持ち物を漁って揉めるという事は、今まで一度も起こっていなかった。
そもそも、こんなはみ出し者の吹き溜まりのような傭兵団に来る人間は、明日の食い扶持にも困っており、飯が食べられて寝る場所さえあればそれでいいと、自分の命を安売りするような輩ばかりだ。
一応給金は出るものの、雀の涙程では、金を奪ったり奪われたりといった騒動にも自然と縁遠くなるというものだ。
もっとも、そんな事件があれば、以前はボロツが、今はサラが、許しはしなかっただろうが。
(……これでよし、と。……)
チェレンチーは、最後に自分のベッドに毛布をしっかりと掛けて、部屋を後にした。
ドアを閉める前に、一度二段ベッドの上段に目をやったが、ティオはもう眠ってしまっているのか、頭から毛布を被ったまま微動だにしなかった。
□
その後、チェレンチーは、食堂にゆき、素早く夕食を済ませると、厨房を借りて、ティオに頼まれていたお茶を作った。
どうやら、毎晩傭兵達に振舞われていた薬草茶の材料は、ティオが個人的に私財をはたいて料理人に仕入れてもらっていたものらしかった。
春のこの季節、城下の青果市場には、近隣の農家から持ち込まれた新鮮な野菜が安価で豊富に並ぶため、それ程の額にはなっていなかったようではあったが。
チェレンチーは、真面目にしっかりと、ティオに渡されたレシピ通りお茶を入れた。
それでも、味見をすると、どうも味が違う気がした。
実際、ティオのように、茶の入った大きな鍋を腕に提げて歩き回り、夕食後そのまま食堂にたむろしてた傭兵達に配ってみたが、中には味の違いに気づいて首をかしげる者もあった。
サラと、ボロツをはじめとした彼女を取り巻く一団にもお茶を配った。
サラは、彼女が来るまでこの傭兵団のボスだったボロツに気に入られた事もあり、いつも、傭兵団の中でも特に目立つ者達に囲まれていた。
男だらけの集団の中で自然と出来上がったヒエラルキーの一番上に位置する者達だった。
ボロツと、その親衛隊のような腕利きの兵士達が群がっているので、その他の傭兵達は、気軽にサラに近づいたり話しかけたり出来るような空気ではなかった。
チェレンチーも、お茶を配る事や、鍛冶屋で修理を終えた剣を渡すという用事でもなければ、サラと話す機会は当面なかったに違いない。
「へぇー、チャッピーって言うんだー。」
「私の剣を届けてくれて、ありがとうね、チャッピー。」
初めて会話したサラは、初対面のチェレンチーに全く気負う様子もなく気さくに接してくれた。
(……ハァー。近くで見ると、本当に綺麗だなぁ。同じ人間じゃないみたいだ。……)
その夜のサラは、雨に濡れた後、冷えた体を温めるためか湯浴みをしたらしく、髪をほどいた姿だった。
いつも着ている、胸元に赤いリボンのついたオレンジ色のコートも脱いでおり、質素な生成りの木綿のシャツとキュロットスカートを履いているのみであった。
そんな粗末な服に身を包んでいても、サラの美貌は燦然と輝いていた。
一点の曇りもない新雪を思わせる白い肌、緩やかに波打つ金色の長い髪。
衣服からのぞく手足は、まだあまり女性らしい肉づきがなく直線的ではあったが、繊細な象牙細工を思わせる。
パアッと花が咲いたような愛くるしい顔に、彼女の明るく活発な性格を象徴するかのような、キラキラとした大きな水色の瞳が印象的だった。
ボロツがサラに酷く入れ込むのも分かるというものだ。
チェレンチーは、ドゥアルテ家で店の手伝いをしていた時にたくさんの人間を見てきたが、美しく着飾った貴族の娘の中にも、サラ程の美しい少女はついぞ見た事がなかった。
まさしく、絶世の美貌である。
ただ、サラは、本人は「十七歳」と言っているものの、実際の見た目はどう見ても十三、四歳程度であり、「絶世の美女」と言うには幼な過ぎた。
後数年経てば、匂い立つような美女に成長するのは間違いない所だろうが、まだ時期尚早であり、そんな明らかに未成熟なサラに対して、一人の男として本気で入れあげるのは、あまり一般的な好みとは言えないだろう。
幸か不幸か、ボロツだけは、あどけなさの残る今のサラの状態が、まさに理想の女性像そのものらしかったが。
(……この可憐で儚げな見た目で、いかついボロツ副団長よりも、この傭兵団の誰よりも強いのだから、世の中不思議な事もあるものだなぁ。……)
チェレンチーは、頭の片隅でそんな事を思いながら……
サラと一緒にティオの話に花を咲かせたり、ボロツが口火を切ったティオの容姿のついての会話に思わず加わったり、その内なぜかなし崩し的に始まった腕相撲大会でサラに投げ飛ばされたりと、慌ただしいひと時を過ごしたのだった。
□
大鍋に作ったお茶を配り終えて、チェレンチーが宿舎の自分の部屋に帰ってきた時には、もう既に何人か、同室の団員の姿があった。
まだ起きていて自分の剣を磨いている者や、近くの人間と何かバカ話をして笑い合っている者、既に自分のベッドでいびきをかいている者など、様々だった。
チェレンチーは、チラと同じベッドの上段のティオの様子をうかがい、彼が相変わらず毛布を被ったまま岩のように眠っているのを確認してから、靴を脱いで自分のベッドに入った。
敷布と寝藁の間に隠したティオから預かった四つの財布を確認したり、横たわりながら、めまぐるしく様々な事が起こった今日一日を思い返したりしている内に、程なく消灯の時間となった。
(……ティオ君、大丈夫かな? 心配だな。……ちょっと声を掛けた方がいいかな?……いや、でも、「朝までそっとしておいてほしい」って言われてるし。……)
ティオの身を案じながらも、結局チェレンチーは声を掛ける事はなかった。
ティオとしては、頼まれた事は忠実に守るチェレンチーの性格を良く分かっていて、「朝までそっとしておいてほしい」と言ったのだろう。
実は、この時既にティオはベッドに居なかった。
まさか、自分が見ていたものが、マントを丸めたものや身につけていた荷物に毛布を掛けて寝ている風を装った抜け殻だったとは、チェレンチーは夢にも思っていなかった。
その頃、本物のティオはと言うと、王族達が暮らす王城の深部、警備のことさら厳しい王宮の奥に忍び込んで、宝物庫に保管されていたお宝にしつらえられた宝石の数々を前に、うっとり夢中になっていたのだった。
本来ティオは、俗に「宝石怪盗ジェム」と呼ばれる宝石だけを狙った盗みを働く時には、念入りに下調べをしていた。
それは、ティオが欲しがるような宝石は、ほぼもれなく非常に貴重で価値の高いものだったからだ。
ティオは、特に宝石の値段などは気にしておらず、珍しい綺麗な宝石を片っ端から集めていただけだったのだが、そういうものは得てして高価であり、所有者は上流階級の人間に限られていた。
当然、宝石のあしらわれた宝飾品が保管されている場所の警備は厳しく、そこから人目に触れずにそっと宝石を持ち去るには、必然的に、綿密な計画とそれをなしうるに足る細かな情報が必要だったのだ。
しかし、この夜、傭兵団に入った事でしばらく新しい宝石に触れていなかったティオは、「禁断症状」が出ているような状態で、いつもよりかなり仕事のやり方が荒かった。
早く新しい宝石が欲しくて、いつもより少しばかり強引に宝物庫に忍び込んでしまった。
おかげで、貴重な宝石のついた宝飾品をごっそり宝物庫から盗んで出てきた所を警備の兵士に見つかるというミスを、まず犯した。
普段余裕のある時は、保管場所から持ち去る際、宝石のあしらわれている飾りから、宝石だけを外すようにしているのだが、それもせずにそのまま全て盗み出していた。
宝石以外に微塵も興味のないティオにとっては、豪華な凝った金銀の細工も、ただ邪魔なだけの代物であり、持っていった所で、どうせ後で宝石だけ外して、台座部分は十把一絡げに金属の目方のみで換金してしまうのが常だった。
確かに金にはなるが、特に路銀に困っていなければ、宝石を盗み出す際に余計な質量となるため、出来れば置いていきたいとさえ思っていた。
そして、この、豪華な装飾品をそのままの形で持っていってしまった事が、後々、サラの目に留まり、彼の正体がバレる要因の一つとなった。
更に、なんとか兵舎の辺りまで戻ってきた時、追手の兵士から逃れるため、近くの部屋に窓の鍵を外して忍び込んだのだが、なんと、これがあろう事かサラの部屋だった。
それでもまだ、サラは何も気づかずぐっすり眠っていたので、ほとぼりが冷めるまで大人しくベッドの下に隠れていれば良かったのだが。
ここでボロツから「王宮の宝物庫に泥棒が入ったらしい」という報告が入り、サラが目を覚ます。
一応傭兵団の宿舎を見回りに行くというボロツの話に、サラは「私も行く!」と張り切って、ボロツが去ったのち、いそいそと着替えを始めた。
もちろん、ティオはサラの着替えや裸を見るつもりはなかった。
サラの子供っぽい未成熟な体にこれっぽっちも興味がなかったからだ。
そもそも、ティオは、女性そのものにもあまり関心がなかった。
普通の年頃の青年が異性に向けるべき好意や興味が、ティオの場合、一点集中で全て宝石に向かっているような心理状態だと言っていいだろう。
が、ティオは、そこで目にしてしまったのだ。
服を脱いだサラの薄い胸の上に、くすんだ古いガラスのような赤い石がついたペンダントが揺れているのを。
その石こそ、まさに、ティオが長い旅路の中で、最も欲し、世界中を探し回って求めていた「特別で貴重な石」であったのだった。
有頂天になったティオは、我を忘れて、思わず、隠れていたベッドの下から這い出していた。
それがきっかけとなり、サラの前で、次々と今までついていた嘘を暴かれ、「宝石怪盗ジェム」として各地で宝石を盗み回っていた過去が洗いざらいバレてしまうまで、いくらもかからなかったのは言うまでもない。
非常に慎重で用心深い性格のティオにしては、ありえない程のミスをいくつも犯した一件だった。
しかし、それも後から考えると……
ティオの持つ赤い石と、サラの持つ赤い石が、引き合い、一つ所で出会うために、ティオさえも気づき得ない深い無意識下で彼の精神に働きかけた結果だったのだろう……
と、のちにティオ本人が推理していた。
サラには、「見苦しい言い訳だなぁ!」と一笑に付されてしまったのだったが。
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☆ひとくちメモ☆
「王宮の宝物庫荒らし」
ある夜、王城内にある王宮の宝物庫に泥棒が入った。
王城内の兵士は総出で犯人を追ったが結局捕まえられずに困っていた所、翌朝、王城正門前に、盗み出された財宝が丸ごと置かれているのが発見され、奇妙な事件としてしばらく噂になった。
実は犯人はティオで、サラに見つかって叱られたため、仕方なく返却したという顛末である。




