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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第三節>新たな役割
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過去との決別 #31


(……きょ、今日は……楽しかったなぁ!……)


 その夜、チェレンチーは、ベッドに入ってからも興奮でしばらく寝つけなかった。


 傭兵団の訓練をこっそりサボって城下町に出かける、という行動は、今までのチェレンチーなら絶対にしなかった不真面目なものだった。

 はじめは、規則に反する事や命令に背く事に対して、恐怖に近い不安を覚え、バクバクと心臓が落ち着かなく騒いでいたチェレンチーだったが……

 ティオと二人城下町を見て回っている内に、いつしかそんな気持ちは、どこか遠くに吹き飛んでしまっていた。


 何もかもが、生まれて初めて見るかのように、キラキラとまばゆく輝いていた。

 見慣れたナザール王都の風景さえも、まるで汚れた暗い膜を脱ぎ去ったかのごとく、真新しく目に映った。

 自分を包む世界が、次から次へと素晴らしい宝物が無尽蔵に湧き出てくる、夢の場所のように感じられた。


 それも皆、ティオのおかげなのだろうと、チェレンチーは思った。

 彼がそばに居ると、途端に世界は色鮮やかな姿に変わり、宝石のように美しく煌き出す。

 光が溢れ、楽しい気持ちが胸に弾け、明るい未来への期待と、今ここに生きている喜びに血が沸き立つ。


 それはきっと、博識な話を聞いたり斬新な視点に触れたりした事や、彼の持つ不思議な魅力の影響ももちろんあったのだろう。

 しかし、それ以前に、チェレンチーは、今日一日で様々な生まれて初めての体験をした。

 その感動がとても大きかった。


(……こんなに楽しい事って、あるんだなぁ!……)


(……友達と遊びに行くって、本当に楽しいんだなぁ!……)


(……あ!……え? と、友達?……)


 灯りの消えた自分のベッドの中でボロボロの粗末な毛布を被り、思わずフフと笑い出したくなるのを必死にこらえながら、今日の出来事を噛み締めていたチェレンチーだったが……

 「友達」という自分の発想に、ハッとなった。


(……ティ、ティオ君は……ぼ、僕の、友達……では、ないよね。……ぼ、僕が、ティオ君の友達だなんて、おこがましいよ。分不相応、だよね。……)


 チェレンチーは、自分がティオよりずっと年上な事や、自分ではとてもおよびもつかない彼の高い能力を鑑みて、(自分はティオ君の友達ではない、友達にはなり得ない。)と結論づけた。

 ティオと一緒に居ると、あまりに楽しくて、ずっと人前では控えめな態度をとるように心がけてきた事も忘れ、ついつい饒舌になりがちだったが……

 それは、ティオが、自分に合わせて話をしてくれているから、話しやすい雰囲気や流れを作ってくれているから、なのだろうと考えていた。


(……それでも、いい。……友達にはなれなくっても、ただの仕事仲間でも。ティオ君と話せるのは、本当に楽しい。……)


 そもそも、チェレンチーは、「友達」がどんなものか、良く知らなかった。

 彼のこれまでの人生において、「友達」が出来た事が一度もなかったからだ。


 母と共に貧民街の下宿で食うや食わずの生活をしていた時は、同じ建物に下宿している他の家庭の中に、チェレンチーより年上の子供も年下の子供も多く居て、皆仲が良かった。

 チェレンチーも、たまに彼らに混じって遊んだりもしたが、母の仕事を手伝いたくて、遊びの誘いを断る事の方が多かった。


 そして、十歳の時にドゥアルテ家に引き取られてからは、勉強と店の手伝いに明け暮れて、友達など出来る筈もなかった。

 店の使用人達は、あくまで仕事仲間であり、また皆彼と同じく多忙で、チェレンチーと個人的に親しくする者は居なかった。

 いや、むしろ、チェレンチーにあまり近づき過ぎると、自分も兄や夫人の攻撃対象になるため、必要以上の接触を避けているような空気さえあった。


 そうして、チェレンチーは、年相応に同じ年頃の友達が居て、友達と話したり遊んだりする、といった経験を全くする事なく成長してしまった。

 使用人達とは仕事仲間として、また、店の客に対しては商人として、他人に対応する事は学んだが……

 利害の一切絡まない「友達」という人間関係を他人と築く事を、そのすべを、何も知らないままだった。


 そんなチェエレンチーにとって、ティオと二人で傭兵団の訓練を抜け出し、城下町に遊びに出かけたのは、一生忘れられないような鮮烈な体験だった。

 鍛え直してもらったサラの剣を鍛冶屋から受け取る、骨董屋や雑貨屋を見て回る、という目的は一応あったものの、二人で他愛ない話をしながら街をぶらつき、川べりの屋台で焼き魚を買って一緒に食べた。

 そんな、あまりにも普通のありふれた出来事が、チェレンチーには、嬉しくて、楽しくて、たまらなかった。

 生涯ずっと大切に胸の中にとっておきたいと願う程の、キラキラと美しく輝く宝物になっていた。


 チェレンチーは、今日の出来事を、何度も何度も思い返し、思わず零れる笑みを頰を押さえてこらえながら、一人密かにベッドの中で噛み締めていた。

 十歳近くティオよりも年上であり、二十七歳にもなって、こんなに浮かれている自分が恥ずかしくもあったが、弾む心は止められなかった。



 ティオと二人で訓練をサボるどころか、城を抜け出して城下町まで行っていた事は、傭兵団の誰にも気づかれていないようだった。



 戻ってきた二人は、出て行った時と同様にそーっと、訓練場で夢中で汗を流している仲間に合流した。

 と言っても、既に実戦形式のトーナメント戦に入っていたので、二人は訓練場の端にある用具倉庫に向かったのだったが。

 それからややあって、ついにポツポツと、重く垂れ込めた灰色の空から雨の雫が落ち始めた。

 いつものように、きっちりと決まった時間に、王国軍全体を統括している軍師が、傭兵団を視察に来た。

 シトシトと降る雨に閉口しながらも、訓練場の片隅に設けられた緑化された休憩所の大樹の下の岩に腰をかけて様子を眺めていた。

 そして、これもまたいつも通りに、十分程して警護の近衛兵二人と共に帰っていった。

 しばらくは、雨も気にせず訓練に精を出していた傭兵達だったが、次第に雨脚が強くなり、やがてこれ以上野外での訓練は無理だと、団長であるサラ、副団長のボロツ、監視役のハンスの合意で判断がくだったようだった。

 訓練を中止して建物の中に入るようにと号令が飛び、傭兵達は、手にしていた訓練用の木の剣を片づけると、先を争うように宿舎へと向かっていった。


 そんな団員達が用具倉庫の樽に適当に放り込んでいった木の剣を、チェレンチーは一本一本丁寧に納め直した。

 汚れの酷いものは布でサッと拭いておくと、明日の手入れが楽になる。

 と、そんな作業をしている内に、いつの間にか、ティオの姿がどこかへと消えていた。

 訓練用の剣を樽にきちんと収める作業はティオには出来ないため、こんな時ティオは一人でトンボを手に訓練場の砂をならしていたりするのだが……

 用具倉庫のドアからチラとのぞいた大粒の雨の降り続く訓練場には、ティオの姿は見えなかった。

(……まあ、今日は雨が凄いから、訓練場の整備は休む他ないよね。ティオ君は、先に宿舎の方に行ったのかな?……)

 そう思って、チェレンチーは一人黙々と剣を戻す作業を進め、五分程で済ませると、用具倉庫を出て、未だ雨の激しく降り続く訓練場を後にし、走って宿舎に向かった。



 宿舎にも、ティオの姿はなかった。

 同室で二段ベッドの上下を使っているので、チェレンチーにはティオの動向は分かりやすい。

 そっと上段の様子をうかがったが、ベッドはきちんと整えられたままだったため、まだ帰ってきていない事が分かった。

(……ティオ君、どこに行ったんだろう?……)

 内心心配しながらも、濡れた髪を拭いたり服を乾かしていると、三十分程して、ようやく、部屋のドアを開けて入ってくるティオの姿を見つけた。

 ティオは、それまでどこに居たものか、かなり濡れそぼっており、いつも身につけている色あせた紺のマントが、水を含んで色が暗く変わっていた。

 しかも、いつもはスタスタと歩く彼が、ふらつくような重い足取りだった。

 顔半分を覆い隠すように手をあてがってうつむき、青い顔で何かブツブツ言っている。

 チェレンチーの耳は、「……まずい、もう限界だ……」「……しばらく新しいものを仕入れてなかったから、禁断症状が……」というティオの言葉の断片をかろうじて聞き取った。


「ティ、ティオ君? どうしたの? 大丈夫? どこか具合が悪いのかい?」

「……ああ、チェレンチーさん。だ、大丈夫です。」


 自分のベッドから立ち上がり歩み寄ってきたチェレンチーを見て、ティオはニコッと笑って見せたが、すぐにドッと、窓際の机の前に置かれた小さな椅子に崩れるように腰をおろしていた。


「……いや、やっぱりダメかもしれません。」

「ええ!?」

「もう限界なので、今日はこれで休みます。」

「ゆ、夕食は食べなくてもいいのかい?」

「ああ、一食ぐらい抜かしても俺はなんともないので、心配要りません。」


 確かに、今までのチェレンチーの観察によると、ティオは、スラリとした見た目によらず、かなり体力はあるようだった。

 刃物恐怖症のため、傭兵団の訓練では、すぐに情けない声を出して逃げ回り、真っ青な顔でゼイゼイ言っている場面を良く見かけるが……

 それは身体的に虚弱な訳では決してなく、刃物への恐怖から精神的に立ち直ると、すぐに何事もなかったようにケロッとしていた。

 傭兵団の基礎訓練でも、短距離走、長距離走といった単純な運動では、汗をかくどころか息の一つも切らしていなかった。

 戦闘訓練で全く役に立たないチェレンチーと良く一緒に居るので、ティオまで運動神経の悪い軟弱な人間だと周囲には思われがちだったが……

 実際は、運動音痴なのはチェレンチー一人で、ティオは対照的に、刃物にさえ関わらなければ、かなり強健な肉体の持ち主であり、運動神経も極めて良い事をチェレンチーは知っていた。


 とは言え、見るからに具合が悪そうなのに、「夕食を食べなくても問題ない」というティオの返答に妙な矛盾を感じて、チェレンチーは首をかしげた。


「チェレンチーさん、申し訳ないんですが、今日鍛冶屋から受け取ってきた剣、夕食の後にでもサラに渡してもらえますか?」

「あ、ああ、うん! それぐらいお安い御用だよ!」


 まあ、布に包んだ状態でも、ティオにとっては触れる事でかなり精神的ダメージを負うようだったので、この流れは当然かと思った。

 城下町から王城まで運んできたのもチェレンチーだったし、ここまできたら、もののついでというものだろう。

 ちなみに、サラの剣は、布に包んだまま、チェレンチーのベッドの端に置いてあった。


 ティオはチェレンチーの返答を聞いてホッと安心した様子で「じゃあ、俺は先に休ませてもらいますね。」と椅子から立ち上がりかけたが、ハッと何か思い出したらしく声を漏らした。


「しまった! 今日の夕食に出すお茶、まだ作ってなかったんだった! せっかく材料は仕入れてもらってあるのに!」

「……あ、あの、ティオ君、それも僕が代わりにやっておこうか?」

「え? チェレンチーさん、いいんですか?」

「うん! いつもティオ君が入れてくれるお茶、とっても美味しいよね。疲れが取れて気持ちもホッとほぐれる気がするよ。……もし良かったら、この機会に作り方を教えてくれないかな?」

「それは、願ったり叶ったりですが。なんだかチェレンチーさんに頼ってばかりで申し訳ないですね。」


 ティオは改めて椅子に座り直すと、目の前の粗末な木の机に向かった。

 マントの下に身につけていた荷物の中から、小さな紙の切れ端とペンとインクを手際良く取り出し、紙片にスラスラといつもの薬草茶のレシピを書いて手渡してきた。

 チェレンチーが手早く確認すると、使う植物の種類、量、湯の温度、入れている時間の長さ、その他注意事項など、いかにもティオらしく理路整然とムダなく必要な事が書き出されていた。


「こんな感じで分かりますか?」

「うん! とっても分かりやすいよ! このレシピ通り、頑張って作ってみるよ!」

「本当に助かります。……あ!」


 ティオは、更に何か思い出したらしく、顔の前でパンと両手を合わせてチェレンチーを拝んだ。


「すみません、チェレンチーさん! 本当に本当に申し訳ないんですが、もう一つだけ頼まれてくれませんか?」

「え?……う、うん。僕に出来る事だったら構わないよ。」

「ありがとうございますぅー!……実は、俺の金を預かっていてほしいんです! チェレンチーさんなら、安心して預けられます!」


 ティオは「……傭兵団のみなさんは、悪い人じゃないんですがねぇ。こと金銭の受け渡しに関しては、ちょっと不安があってー。」と、少し声を潜めて言いながら、ササッと素早く辺りをうかがった。

 狭い部屋に二段ベッドを三つも置いた六人部屋なので、コソコソと秘密の話をするのはなかなかに難しい。

 しかし、ちょうど皆そろそろ食堂へ移動しようとしている所で、幸い、部屋の片隅でティオとチェレンチーが話しているのを気にする者は居なかった。


 ティオは、チェレンチーが「いいけれど……」と言った辺りで、もう、マントの中から財布を取り出し……

 シュバッ、シュバッ、シュバババッと、目にも留まらぬ速さで、チェレンチーのベッドを覆っていた毛布の中に財布を突っ込んで隠した。

 おかげで、チェレンチはー、「どうしてお金を預けるんだい?」と続けようとしていた言葉を発し損ねてしまった。

 まあ、確かに、元無法者だらけの傭兵団で、多額の金銭をチラつかせるのは、要らぬ揉め事の種になるかも知れず、あまりよろしくないだろうとチェレンチーも思ってはいたので、ティオの行動には一応納得していた。


 チラと毛布の中をのぞいてみると、なんとティオが持っていた財布は四つもあり、それぞれ素材やデザインが全く異なっているという奇妙な代物だった。

 中の一つは、今日雑貨屋で店員に見せるためにカウンターに置いた、趣味は悪いが絹の布地に金糸の刺繍の入った高級品の財布だった。


「嫌な予感がするんです。しばらく俺は、金を持っていない方がいい気がするんです。」

「ど、どういう事?」

「でないと、俺の手元から全部金がなくなるような気がするんですよ。……なので、今夜一晩だけでもいいので、預かっておいて下さい。お願いします!」

「よ、良く分からないけど、了解したよ。誰にも見つからないように、ベッドの敷布と藁の間に隠しておくよ。」

「本当に本当に、ありがとうございます、チェレンチーさん!」


 ティオはガシッとチェレンチーの両手を握りしめると、ペコペコと何度も頭を下げて感謝していた。


「……昔っから、なぜか、俺の予感って良く当たるんですよね。特に、悪い方の予感は。……」


 ティオは、珍しく眉間にシワを寄せた渋い表情で、ボソリとそうつぶやいていた。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「傭兵団の宿舎」

サラは上官用の一人部屋を使っているが、基本的に二段ベッドが二つ入った四人部屋が廊下の両脇にズラリと並んでいる。

特に、廊下の角に当たる部屋は、二段ベッドが三つ入った六人部屋で狭くなっている。

ティオは当初六人部屋に入れられ、チェレンチーと同じ二段ベッドの上段を使っていた。

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