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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第二節>城下の青空
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過去との決別 #28


「おや? 見慣れない鳥が居ますね。」


 ティオは、二十匹程の群れで飛んできては、近くの木の枝にとまった鳥を見て、そうつぶやいた。

 そっと歩み寄って、鳥の様子をうかがう。

 チェレンチーにはどの鳥の事かさっぱり分からなかったが、群れの中に一羽、別種の鳥が混じっていたらしい。


「もうこの時期にはもっと北に移動している筈なんですが。渡りそこねてしまったのかな?」


 その一羽は、渡りをしない近似種の群れに溶け込んでまだこの辺りで暮らしているようだった。

 ティオは、しばらくその様子をジッと観察していた。

 生物の生態への興味もあったのだろうが、渡りを失敗したらしい鳥の事を案じている様子だった。

 チェレンチーは、彼の邪魔をしないよう、少し離れた所で立ち止まって、静かに待っていた。


 鳥のとまった木の枝を見上げるティオの姿を、ぼんやりと眺める。

 図らずしも、数メートル程離れた場所から、改めてティオの全身像を見つめる事になった。


(……ああ、本当に……とても綺麗な人だなぁ……)


 自然にそう思ってから、ハッと我に返る。

 美しい女性に対してそう感じるのはごく自然な事だが、ティオは男で、ボサボサの頭にボロボロのマントをまとった外見だった。

 しかし、チェレンチーは、軽く首を振って、すぐに思い直した。


(……いや、ティオ君のあの見た目はあくまで表面上のものだ。髪も服も、もっときちんと整えれば、きっと相当印象が変わるだろう。……)


(……ティオ君は、本当に、目立つ人だ。人の目を引くって言った方がいいのかな。……)


 チェレンチーは、今日ティオと城を出て街にやって来たここまでの事を思い返してみた。

 その間、すれ違う人が、振り返ってまでティオをジッと見つめている事が時折あった。

 先程訪れた高級雑貨店でも、店員の一人が、無自覚に視線を奪われているらしく、ジイッと彼を見つめている姿を目撃した。

 それは、年頃の異性だけにとどまらず、男も、老人も、子供も、吸い寄せられるようにティオをぼうっと見ている者をたまに見かけた。


 確かに、ティオは外見的に目立つ要素をいつくも持っている。

 まず、ティオはかなりの高身長だった。

 185cmを越すその背の高さは、人混みでもひょいと頭一つ飛び出る程で、それだけでも充分人目を引いた。

 ティオはそれを気にしているのか、あまり目立ちたくない時、人に威圧感を与えたくない時、少し猫背気味にして誤魔化している場合がある……

 という事に、チェレンチーは、この頃はもう気づいていた。

 しかし、本来の彼は、体幹が見事に整っていて非常に姿勢が良い。

 自然体でスッと背を伸ばして立った時のティオの姿は、その高身長が良く映えて、圧倒されるものがあった。


 他にも、悪い意味で目立っている要素もあった。


 傭兵団仲間ではすっかりトレードマークなってしまっている、あの独特ないでたちだ。

 伸ばしっぱなしのボサボサの黒髪、顔面には大きな眼鏡を掛け、引きずる長さのマントをいつも身にまとっている。

 髪は一応首の後ろで適当にまとめているものの、所々ピンピンと跳ねて、特に、長く伸びて目元に掛かる部分は、本人さえも時々鬱陶しそうにしていた。


 眼鏡一つとっても、奇妙な代物だった。

 眼鏡自体は、貴重なガラスを高度な技術で加工するので、なかなかの高級品の筈なのだが、ティオがいつも身につけているそれは、全くそんな高級感を感じさせないオンボロぶりだった。

 顔の半分を覆う大きな丸いレンズは、どれぐらい古いものなのか、もうビッシリと表面に細かな傷がついて、磨りガラスのように白濁している。

 近づかなければティオの目をはっきりと見る事が出来ない程なので、掛けているティオ本人もしっかりと周りが見えているのか疑問を抱かずにはいられなかった。


 そして、体全体を覆うようにずっと身につけているすっかり色あせた紺色のマントも、引きずっている裾部分がほつれたり切れたりとズタズタになっていた。


 こんな身なりでは、不審に思って白い目を向ける者が居ても、なんら不思議はなかった。



(……でも、ティオ君に見とれている人は、たぶん、そんな彼の怪しい風体が気になっているという訳じゃないんだろう。……)


(……きっと、さっきの僕と同じく……もっとティオ君の本質的な姿に……魅力に……存在に……引きつけられている。……)


 チェレンチーが考えるに……おそらく、ティオは、なるべく自分の存在感を消そうとしているのだと思われる。

 目立たないように、人の興味関心を引かないように、そっと人々の群れに溶け込もうと、意図的に気を配っている印象を受ける。

 しかし、自身の存在感の強さに対する認識が甘い故か、あるいは、隠すにしても限界があるのか……

 ティオの持つ本質的な美しさは、雲間から時折のぞく月の輝きのごとく、キラリキラリと周囲に溢れて、人の目を引きつけていた。


 ティオは決して不男ではない。

 いや、むしろ、見目はかなり優れている部類に入るだろうと、チェレンチーは見抜いていた。

 ただ、彼が持っているのは、生まれてこの方何不自由ない裕福な生活をしてきた上級貴族の子息にあるような、明るく華やかな美しさではなかった。

 甘い言葉と歌声で巷の女性を虜にする吟遊詩人のような、その生業に似合った線の細い美麗な優男という訳でもない。


(……例えるなら、そう……一番近い印象は、「武芸の達人」……)


 刃物恐怖症で、剣の一つも持てないティオに対して、あまりに不釣り合いな例えだとは、チェレンチー自身も思ったが、何度考えてみても、必ずそこに考えが行き着く。


 一流の武人には、皆どこか似通った気配があった。

 それは、名工の鍛えた一振りの剣のごとき印象である。

 何度も灼熱の業火を潜り抜け、幾度となく激しく叩きつけられ、あるいは、唐突に冷たい水に浸され……

 そうした気の遠くなる鍛錬の結果、無駄を極限まで削ぎ落として出来上がった一点の曇りもない鋭利な凶器。

 そこには、自ずから機能美が宿り、そして、極限の機能美は、芸術へと昇華する。

 名工の手による剣の、冴え冴えとした美しさに圧倒されると同時に、そのあまりの鋭さに本能的な畏怖を覚える。


 そう、ティオの持つ美しさは、そういった、磨き抜かれた無駄のない完璧さから来るものだった。


(……でも、ティオ君の気配には、「恐怖」を全く感じない。……凶器の鋭利さや、圧迫感や、ピリピリとした緊張感が、何もない。……)


 ティオがまとっているのは、むしろ真逆の空気だった。

 ふわりと暖かく、風のように自由かつ軽やかで、ほっとする程柔らかく優しい。

 あまたの戦場を生き抜いてきた鋭い眼光の武人が持つ、ひりつくような緊迫感がまるでなかった。


(……たぶん、これは、ティオ君が優しい性格だからなんだろうな。……)


(……ティオ君の優しさは、ティオ君がその身の内に持つ「剣」よりも、もっともっと、大きくて、広くて、深くて……だから、こうして完全にその「剣」を覆い尽くしてしまえるんだろう。……)


 ティオの内に秘めた「極限まで研ぎ澄まされた強さ」が彼の「優しさ」によって隠されている事を、チェレンチーは感じ取っていた。


(……まるで……しっかりと鞘に収められた名刀のようだ。……)


 チェレンチーは、ティオの奥底にある、一点の曇りもなく磨き抜かれた白銀の月光のごとき煌めきを脳裏に描いて、つくづくと感じ入っていた。


(……ティオ君がもし、刃物恐怖症じゃなかったのなら……一流の剣士として、名を挙げていたかもしれないなぁ。……)


 一切の無駄を廃した上質で清潔な衣服に身を包み、腰に一振りの剣を履いて、馬上で風にマントを靡かせる……

 そんな威風堂々たるティオの姿を、チェレンチーは一人ぼんやりと想像していた。

 もしも、若々しくも凛々しく精悍なそんな彼の姿を見たのならば、きっと老若男女多くの人々が目を奪われたに違いない、そう思った。



(……それにしても、ティオ君が持つあの不思議な「存在感」はどこから来るんだろう?……)


 それはまた、ティオの容姿や気配とは、全く別種の性質であるように思われた。

 国を代表する大商会で、下働きとはいえ多くの人間を見ていたチェレンチーでも、ティオのような不思議な性質を持つ人間には会った事がなかった。

 いや、正確には、彼の何分の一、何十分の一ぐらいの存在感は感じた経験がある。

 おそらく、チェレンチーの実父である先代ドゥアルテ家の当主もその一人だったろう。

 そういった人間が一人居ると、周囲の者は皆その者に引きつけられる。

 人々は自然と彼に注目し、彼の声に耳を傾け、彼の意思を読み取ろうと、ジッと表情を、目の動きを、仕草を、行動を、うかがうようになる。


 それはまるで、彼を中心に、大きな力で引き寄せられているような感覚だった。

 彼の周りの空間だけ、空気がズンと重く感じられる。

 そう……「世界が彼を中心に回っているような感覚」とでも言ったらいいだろうか。


(……たぶん、これは、生まれながらの性質なんだろう。……こんなもの、何かの訓練で身につくものじゃない。……)


 この資質を持っていたチェレンチーの父は、まさにその吸引力で、百人を超える大人数の使用人達を見事に仕切っていた。

 ドゥアルテ商会をナザール王国有数の大商会へと押し上げたのは、ひとえに父の商才だけでなく、この、他を圧倒する存在感があってこそだったのだろうと、チェレンチーは改めて思った。


 おそらくティオも、チェレンチーの父と同じ性質の持ち主だ。

 そして、驚くべき事に、その性質の強さは、父より何倍も上だ。

 いや、何十倍か、あるいはもっと上か。

 チェレンチーは、ティオの底知れない存在感を正確に測るのは自分には不可能だと、どこかで悟っていた。


 たまたまティオに出会って、ついボーッと彼を見てしまっている人々が居る。

 その内の何割かは、彼が本来はとても美しい見目を持つ人間である事を本能的に見抜いて見惚れている者だろう。

 しかし、残りのほとんどは、知らず知らずの内に、ティオの持つ強烈な存在感に引き寄せられてしまっている者だと思われる。


 ティオ本人が、自分のそんな稀有な性質をどこまで理解しているかは不明だったが、経験からか、自分が「妙に目立つ」事には気づいているらしかった。

 そのため、ティオは、自分の存在感を極力隠して普段の生活を送っているようだった。

 そうした行動にかなり慣れているようではあるが、それでも、まだ甘い。

 見る者が見れば、彼の異彩は明らかだった。

 もっとも、傭兵団の中で、そんなティオの性質に気づいているのは、おそらく現状チェレンチーだけであるので、ティオが大人しく生活していれば、はっきりと認識する者はあまり居ないのだろうと考えられる。


 ただし、それは、ティオが意図的に自分の存在感を隠している限りにおいての話であって……

 チェレンチーの父のように、明確に周囲の人間を従える意思を持って動いたのならば、一体どうなってしまうのかは……

 もはや、チェレンチーの想像の範疇の遥か彼方にある事だった。



 その時、兄弟と思われる幼い少年二人が、川上の方角から石畳を走ってきた。

 身なりからして、中流ぐらいの家庭の子供だろう。


「早く来いよ!」

「待って待って! お兄ちゃん!」


 彼らがバタバタとティオのすぐ側を通り過ぎると、その騒ぎに驚いたのか、木にとまっていた鳥の一団が、慌ただしくバサバサと飛び立っていってしまった。

 木の真下で鳥達を刺激しないようにそっと立っていたティオは、思いもよらない刺客の出現により、観察を中断せざるを得なくなっていた。

 加えて、先程一雨来た時の名残の水の雫が、大きく動いた木々の葉から零れ落ち、パラパラとティオに降り注いだ。


「……あっちゃー……」

「ティオ君、大丈夫?」

「ハハ。平気ですよ。……ただ、ちょっと、眼鏡が濡れてしまったせいで、良く見えなくって。……」


 小走りにチェレンチーが歩み寄っていくと、ティオはパッパッと色あせた紺のマントについた水滴を大きな手で払いながらいつものように能天気に笑っていたが……

 眼鏡に水しぶきがついた事を、やけに気にしているようだった。


(……そんな傷だらけの眼鏡に、今更ちょっと水がついたぐらいで、見え方がそんなに変わるとは思えないんだけどなぁ。……)


 元々、ビッシリとついた細かい傷でレンズが磨りガラスのように曇っている眼鏡であり、まともに見えているのか疑問だった代物なので、チェレンチーはティオの反応を不思議に思ったが……


「やれやれ。水を拭かないと。」


 ティオは、軽くため息を吐いてそう言うと、スイッと顔から眼鏡を外した。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「ティオの眼鏡」

ティオはいつも眼鏡を掛けており、眠る時も外す事はない。

眼鏡には厚みのある大きな丸いレンズがはめ込まれており、表面にはビッシリと細かい傷がついているため、まるですりガラスのようにうっすらと白く曇っている。

伸ばし過ぎの前髪と大きな眼鏡のせいで、顔半分が隠れている状態である。

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