過去との決別 #26
(……それにしても、いいお店だなぁ。……)
ティオが調整に出した羽ペンの仕上がりを待つ間、チェレンチーは雑貨屋の中をぶらりと見て回った。
外観を見た時から、ふわっと光を纏っているように感じられていたが、中に入ってみると、納得の品揃えだった。
取り揃えられている商品の品質が良いのは、店主がしっかりとしたこだわりを持って仕入れを行なっているためだろう。
店に並べられた商品は、見やすく探しやすく配置されており、また店舗の隅々まで掃除が行き届いていて、棚の奥に置かれた物にも塵一つ掛かっていなかった。
店員達の指導も良く行き届いている様子で、皆接客がとても丁寧で、笑顔できびきびと働いている姿を見ると、こちらまで気分が良くなる気がする。
王都東側城門から続く大通りに軒を連ねる高級品店の中では、どちらかと言うとこじんまりとした店舗ではあるが……
白木の清潔感と美しさを生かした建物に、貴重なガラスが窓にはめ込まれ、店名と扱う商品を明示した装飾つきの看板や、青銅のドアベルの澄んだ音色の一つにも、店主の美意識とセンスの良さが感じられた。
日用雑貨といっても、この店の購買層は王都に住む上流階級の人々だ。
そんな、目の肥えた彼らを満足させうるしゃれた小物を扱うための気配りがギュッと詰まっている、そんな印象の店だった。
そもそも、紙やペンやインクといった筆記具を買いに来る人間は、貴族や金持ちしか居ないのだから、店の経営方針も高級志向になるのは必然と言えた。
ティオがこの店を選んだのがたまたまだったのかそうでないのかは分からなかったが、店のとても良い雰囲気に、チェレンチーは自然と商人目線になって、興味深く観察してしまっていた。
「では、この紙を五枚と、そちらの紙は三枚。……インクは、うーん、こちらの方が確かに粘度が高めで滲みが少ないですが、個人的にはサラサラ大量に書きたいので、やはりこちらの方にします。……ああ、袋は要りません。このまま自分の鞄にしまって持っていきますので。」
ティオは目的のものを定員に見せてもらい、そこからサクサクと選んで購入すると、手際良くマントの下の鞄に収納していた。
どう見ても、こういった店に来るのも、筆記具を買うのも手馴れている。
まあ、ティオが日常的に本を読んだり紙に文字を書いたりしていたのをチェレンチーも見ていたので、彼が紙やインクの種類に詳しくても疑問はなかった。
「チェレンチーさん、何かいいものは見つかりましたか?」
「ああ、うん。これなんてどうかな?」
やがて、一旦買い物を済ませたティオがやって来たので、チェレンチーは彼に見せようと目星をつけておいた羽ペンのある場所に連れていって示した。
店には、高級文具として凝った装飾を施したものも多く置かれていたが、おそらくティオは実用性のみを追求していると推定し、なるべくシンプルで機能的なものを選んでみた。
近くに居た店主に、「手に取ってみても構いませんか?」と尋ねると、快く了承してくれた。
身なりこそボロボロではあるが、二人の立ち居振る舞いが礼儀作法を良くわきまえた人間のそれである事に、もうこの時点では気づいていたようだ。
チェレンチーは子供の頃から厳しい教育を受けていたので当然であったが、ティオの言動から滲み出る教養人らしい品格は一体どこで身につけたものかと、連れであるチェレンチーが内心一番不思議に思っていた。
「これは、カラスの羽ですね。細い文字を書くのに使い勝手がいいんですよね。お値段も手頃ですね。」
「この中なら、これが一番いいと思うよ。」
木製の筒に十本近く入っていたカラスの羽で出来たペンの中から、チェレンチーは最も美しい光を纏って見える一本を取り出してティオに手渡した。
ティオは、それを筆記する時と同様に構えてみて、目を輝かせた。
「ああ、確かに、これはいいですね! 持ちやすい適度な重さと曲線の形、バランスにも歪みがなく、丈夫さとしなやかさの塩梅が絶妙です!……よし、買いましょう!」
ティオは、即決すると、店員を呼んで購入品に加えた。
そして、クルッと振り返り、子供のようにキラキラと輝く眼差しでチェレンチーを見つめてくる。
「チェレンチーさん、他には何か気になったものはありますか? 遠慮なく、どんどん言って下さい!」
「あ、う、うん!……ええと、あっちに珍しい色のインクがあったんだよ。普段使うなら、黒でいいと思うんだけど、ちょっと後で気になる所を書き足したり、印をつけたりするのに、別の色もあったら便利かなと思ってね。正直、書き心地はあまり良くなさそうなんだ。でも、ティオ君ぐらい自由自在にいろんな線が書けるのなら、使いこなせるんじゃないかと思ってね。あ、お値段は、ちょっと高めだね。貴重な顔料を使っているからだろうね。」
「なるほどなるほど! さすがはチェレンチーさん! 目のつけどころが違いますね!」
チェレンチーは、ティオが興味津々で話を聞いてくれるので、嬉しくなって、店の商品で気になっていたものをあちこち見せて回り、解説していった。
二十歳前の若さで、都の高級店で堂々と買い物をするティオにも驚かされた店長達だったが……
今度は、チェレンチーの見立ての確かさと、商品知識の豊富さに驚かされる番だった。
もっとも、チェレンチー本人は、ティオに解説するのに夢中で、店の者達が自分に注目している事など、まるで気づいていなかったが。
ティオは、チェレンチーが進めてくれたものの内、自分に必要と思われるものをいくつか買い、ホクホクとした顔でマントの下のカバンやポーチにしまい込んだ。
その後、ティオが頼んだ羽ペンの調節が終わるまで、二人はいったん店を出て、辺りをぶらつく事にした。
□
「ところで、ティオ君は羽ペンをかなりの数持っているみたいだけど……」
「ええ。羽ペンのペン先は消耗するので、常に何本か持ち歩くようにしています。旅の行程によっては、しばらく街に着かない事もありますからね。その間も書けなくなる事がないようにと。」
二人は、大通りから路地を入り、都を南から北へと縦断するように流れる川の方へと向かって歩きながら話をした。
ナザール王都は、平原を流れる大きな河から枝分かれした支流をまたぐように建設されており、川を流れる豊かな水は、都のあちこちで水路に引き入れて、生活に利用されていた。
「そっかぁ。街に着いた時に、ペン先の調節をまとめてお店に頼んでるんだね。……でも、羽ペンだったら、磨耗した所を自分で削ればいいんじゃないのかなぁ。そりゃあ、専門の職人さんに頼んだ方が、仕上がりは良いと思うけれどね。書き心地にこだわって、いきつけのお店に全部頼んでる人も中には居るみたいだし。でも、やっぱり、手間がかかるのと、経費も馬鹿にならないだろう?」
「うっ!」
チェレンチーがそう指摘すると、ティオは、口元を手で押さえて、悲痛な表情を浮かべた。
「……お、俺も、自分でペン先の調節が出来たらどんなにいいかとは思っています。一応、ヤスリで研いだりとかは、たまにしているんですけど、やっぱり、どうしても限界があって。……」
「……あ!……ご、ごめん! そうかそうか、そうだったね! ペン先の調節には、小さめのナイフを使うもんね。刃物恐怖症のティオ君には、辛くて無理だよね!」
チェレンチーは、ティオがあんなに何本も羽ペンを持ち歩いていた理由が分かって納得すると同時に、あれ程達筆な彼が自分でペンの調節が出来ない事を不憫に思った。
「そ、そうだ! 金属製のペン先を使うっていうのはどうかな? 羽ペンとはかなり書き味が違うし、結局の所使っていく内に消耗してしまうのは変わらないんだけど、金属の方が、劣化の速度はずっと遅いよ。あれなら、一度使用感に慣れてしまえば、長い間調節が出来なくても使えるんじゃないかな。何本も持ち歩く必要もなくなると思うよ。」
「金属のペン先ですか。……うーん、それは俺も一度は考えたんですが、どうしてもダメだったんですよね。」
「え? どんな所がダメだったんだい?」
「……」
ティオは、今度は片手で半顔を覆い隠して、意気消沈した表情でポツリと呟いた。
「……こ、怖くて。……」
「ええっ!? ティ、ティオ君、まさか……金属製のペン先も『刃物』として認識してしまうのかい?」
「……はい。……」
「そ、それは、また……難儀だねぇ。……」
チェレンチーは、ティオが訓練用の木製の剣さえも手に取れず、食事は両手にスプーンを持って食べている事を思い出し、ハァッと深いため息を吐いたが……
ふと、気になって聞いてみた。
「えーと、じゃあ、羽ペンだったら大丈夫なんだね? 羽ペンも、ペン先は尖っているけれど、あれは刃物には見えないんだね?」
「なっ!……な、ななななな、何を言ってるんですか、チェレンチーさん! 羽ペンは、ペンですよ! 羽ペンのペン先は、ペン以外の何ものでもないじゃないですかぁ! 刃物だなんて、とんでもない! 絶対ありえないですよ! 全くの別物ですって!」
「そ、そうなんだ。……ま、まあ、平気ならそれでいいんだけどね。」
「……」
「……」
「……しょ、正直に言うと、なるべくジッと見ないようにしています。それもあって、ペン先の調節が自分ではなかなか上手く出来ないんです。……」
「……あ……ああ、な、なるほど。自分で自分に『これは刃物じゃない、これは刃物じゃない』って言い聞かせながら使っている状態なんだね?……」
「……そ、その通りです。騙し騙し使ってます。羽素材のものなら、なんとかギリギリ使う事が出来るっていう感じですね。……」
珍しく、ガックリ肩を落としてしょげているティオを見て、チェレンチーはなんとか力になれないものかと考えた。
そして、一つ提案をしてみた。
「……あ、あの、ティオ君。もし良かったらなんだけど……君の代わりに、僕が羽ペンのペン先を調節しようか?」
「え?」
「もちろん、さっきの専門店に雇われているような技師程の腕はないけどね。一応、子供の頃から勉強をする折には、自分が使うペンは自分で整えるようにと言われていたから、知識と経験はそれなりにあるよ。僕は、自分の使うペンはずっと自分で整備していたんだ。」
「い、いいんですか、チェレンチーさん?」
「もちろんだよ。そんなに時間も労力もかからないしね。ハハ。傭兵団の訓練に比べたら、何倍も楽だよ。」
「あ、ああ……ありがとうございますうぅー! チェレンチーさんは、俺の救いの神ですぅー!」
「そ、そんな、大袈裟だよ、ティオ君!」
ガシッとティオに、サラの剣を抱いていなかった方の手を握られ、ペコペコ頭を下げられれて、チェレンチーは当惑してしまった。
チェレンチーにとっては顔を洗うぐらい簡単な事なのだが、ティオには頭を抱える程の悩みだったらしい。
特に、文字を書く事を良くする彼には辛い状況だったのだろうと想像し、チェレンチーは慰めるように微笑んだ。
「困った時にはいつでも言ってね。羽ペンの先を整えるぐらい、お安い御用だよ。こんな事でティオ君の役に立てるのなら、僕も嬉しいよ。」
この時チェレンチーは、知らなかった。
やがてティオが傭兵団の作戦参謀となり、毎日、全八小隊への詳細な指示書を作成するようになる事を。
更に、武器防具、衣料品、食料、雑貨など様々な注文書、受け取り書も加わり、ティオが一日に書く文字の量は一気に跳ね上がった。
それをティオは、全く苦にせず、サラサラと手早く見事な筆致でこなしていたが……
その裏には、みるみる消耗する彼のペン先をマメに整える作戦参謀補佐であるチェレンチーの内助の功があった。
ティオが所持している羽ペンを端から使い倒していくかたわらで、コツコツとペン先を削るのがチェレンチーの日課となった。
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☆ひとくちメモ☆
「ティオのペン」
ティオは読み書きの出来る人間で、また非常に達筆でもあり、何種類もの字体をスラスラと筆記する。
そんなティオの筆記を支えているのは、羽で出来たペン、いわゆる「羽ペン」である。
羽ペンはペン先が磨耗しやすいため、ティオは常に何本かの羽ペンを持ち歩いている。




