過去との決別 #23
「なんだかもったいないなぁ。あんなに凄い腕を持ってるのに、それを知っている人がほとんど居ないなんて。」
「確かにそうですねぇ。……うーん、今回余分にお金を受け取ってもらえなかった分は、後で何か別の方法でのお礼を考えておきましょう。」
「ところで、チェレンチーさん。」
と、ティオが、受け取ったサラの剣を抱えて隣で歩いているチェレンチーの方に顔を向け尋ねてきた。
「ドゥアルテ商会は、広く商品を扱っているとは聞いていましたが、チェレンチーさんは、武器関係の目利きも出来るのですか?」
「ああ、えっと、武器はあまり扱っていなかったかな。内戦が始まるまであまり需要が高いものではなかったのもあってね。一般家庭用の包丁とかナイフとか、そういったものはあったけれど。僕自身、武器に触れる機会は多くなかったから、それ程詳しくはないよ。」
「そうなんですか? その割には、先程の鍛冶屋で、直ってきたサラの剣について、的確に評価していたように見えましたが?」
「うーんと、それはね……」
「いつからだったかな?『いい商品』が、なんとなく分かるようになったんだ。いい商品と言うか『いいもの』かな?『いいもの』は『いい商品』になるからね。……こう、上手く説明出来ないんだけど……」
「『いいもの』は明るく光って見えるんだよ。逆に、『良くないもの』『良くない商品』は、暗く影が差したように見えるんだ。」
「それは、『もの』だけじゃなくって、『店』もそうだね。明るく光って見える店は、いい商品がたくさんあったり、経営に携わっている人が仕事熱心だったりするんだよね。」
と、自然にそこまでスラスラと説明した後に、チェレンチーは、ハッと我に返った。
(……ま、まただ! また、ティオ君に、今までほとんど人に話さないでいた事を、気がついたら話してしまっている! な、なんでなんだろう?……)
チェレンチーは、改めて、気づかぬ内にフッと、人の心に掛かった鍵を外してくるティオの不思議な雰囲気に圧倒され、かつ困惑していた。
(……ティ、ティオ君、今の話、変だと思ったかな? 僕の事、おかしなヤツだって思ったかな?……)
以前に一度だけ「良いものは光って見え、良くないものは暗く影を帯びて見える」という話を、ポロッと生前の父にした事があった。
しかし、合理主義一辺倒だった父は、そんなチェレンチーの摩訶不思議な話を信じるどころか……
「目が悪いんじゃないのか? それとも、頭の方がおかしくなったのか? ものが光って見えるなど、そんな事、ある筈がない。馬鹿な事を言っていないで、もっと真剣に商人としての修行に専念しろ!」
と、チェレンチーの見ているものを完全に否定し、変人扱いしてきたのだった。
(……ど、どうしよう? どうしよう?……ティ、ティオ君に、頭の変なヤツだって思われたら、僕は……)
チェレンチーは、思わず深くうなだれた。
怖くてティオの表情を見る事が出来ない。
傭兵団に入ってから、ボロツをはじめ、団員達はチェレンチーに気さくに接してくれていた。
確かに、運動神経の悪いチェレンチーは訓練で役に立たず、笑われる事もあったし、洗濯や掃除をていよく押しつけられる事もままあった。
それでも、彼らには、ドゥアルテ夫人や腹違いの兄のような、チェレンチーに対する憎悪や敵意はまるでなかった。
来る前は「犯罪者の掃き溜め」と噂される傭兵団を恐れていた筈が、実際に入団してみると、ドゥアルテ家での扱いよりも何倍もましな生活を送っている有様だった。
そんな中でも、ティオは、特にチェレンチーが親しくなった人間だった。
ティオの心の奥には、時折、固く閉ざされた大きな扉があるのを感じるし、未だに彼がどんな人物か計りきれていない所もある。
それでも……
(……ティオ君に嫌われるのは、嫌だ……ティオ君に、嫌われたくない……)
ティオは、チェレンチーにいつも優しかった。
ドゥアルテ夫人や兄のように、チェレンチーをバカにしたりいじめたりするどころか……
チェレンチーの気持ちを大切に考え、自主性を尊重してくれた。
他人との交流に慣れず、すぐにオドオドしてどもったり言い間違えたりするチェレンチーを、決してせかしたりからかったりせずに、彼が自分からきちんと話が出来るまで、根気良く待っていてくれた。
常に、チェレンチーに対して、一人の人間として、敬意を払って接してくれていた。
今日も、傭兵団の規則を堂々と違反して城を出てきた事には驚かされたが……
こうして、城下町に遊びに行こうという場面で「一緒に行こう」と誘ってくれた。
ティオに「一緒に遊びに行こう」と誘われて……本当はとても嬉しかった。
誰かにこんなふうに誘われるのは初めての事だったし、誘ってくれたのがティオである事も、チェレンチーにとって、また、とても嬉しい事だった。
自分の中で、ティオの存在が、知らぬ内にこんなに大きなものになっていた事に、チェレンチーは初めて気がついた。
□
「なるほどなるほど、そういう事だったんですね。」
ティオのしみじみと考え込むような声が聞こえてきて、チェレンチーは、思わずハッと顔を上げた。
その声は、いつもの飄々とした緊張感のないティオの声であり、そのどこにも、チェレンチーの事を怪しんだり蔑んだりする様子は感じられなかった。
ティオは、ポツリと呟いた。
「……異能力……」
「……え? い、異能……何?」
「あ、いえいえ。チェレンチーさんには、ちょっと変わった能力があるんだなぁと思っただけですよ。」
「か、変わってる? ぼ、僕、やっぱり、へ、へへ、変な事を言っちゃったよね? ぼ、僕の事、変なヤツだって、お、おお、思った……よ、ね?……」
「ああ、いえいえ、そうではなくて!……うーん、そうですねぇ。」
ティオは、立ち止まり、少しの間アゴに手を当てて考え込んでいた。
それから、ゆっくりと一つ一つ言葉を丁寧に発し、努めて穏やかな口調で語った。
「チェレンチーさんは、いろいろな物や商品、店舗などに、光や影のようなものが見えるのですよね?」
「……う、うん。……や、やっぱり、おかしいよね? ぼ、僕の見間違いか気のせいだよね?……」
「俺はそうは思いませんよ。チェレンチーさんには、確かに光や影が見えているんだと思います。残念ながら、チェレンチーさんが見ているものと同じものを、俺が見る事は出来ませんが。」
「……ティ、ティオ君……ぼ、僕の話、信じてくれるのかい? こ、こんな突拍子もない話を?……」
「ええ。チェレンチーさん、あなたが嘘をつくような人ではない事は、良く知っています。俺は、これぽっちも疑っていませんよ。」
「……」
ほっと安堵する事よりも受け入れられた喜びに浸る事よりも先に、チェレンチーは、まず衝撃で呆然としていた。
あまりにもあっさりと、自分の奇妙奇天烈な発言を信じると言い切ったティオの感覚に驚かされたのだった。
ティオは、酷く動揺している様子のチェレンチーを真っ直ぐに見つめて、包み込むように優しく微笑んだ。
「チェレンチーさん自身も、自分が見えているものをまだ上手く受け止められていないようですね。」
「では、こう考えてみてはどうでしょう。」
「人間は、外部から与えられた刺激、情報を、いろいろな形で受け取り処理していますよね。その方法は、本当に十人十色で、その人の感性や考え方によって異なっています。」
「例えば、何か美味しいものを食べた時に受けた感覚を、『美味しい』と言葉にする事で、その体験をよりはっきりと認識出来るようになりますよね。それから、『美味しい』体験、『美味しい』物、として分類整理する事で、記憶しておくのも楽になる。そういった形で、論理的に考えて、自分の体験を『理解』する人は多いと思います。」
「でも、中には、少数派ですが、全く別の形で、自分が体験した状況や感情を把握する人も居ます。……それは、一枚の絵のような鮮明な映像としてだったり、あるいは、独特な匂いとしてだったり、様々な色のようなイメージだったり、柔らかいとか尖っているとかいった感触だったり。本当に、千人居れば千通りの感じ方があり、似通ってはいても全く同じという人は居ないのかもしれません。」
「そうそう、サラなんかは、その最たる例で、アイツは全くと言っていい程頭を使わない、つまり論理的に思考する事がないんですよ。だから、サラは、自分の中に入ってきた情報を、ほとんど加工する事なく、『そのまま』取り入れている。情報が整理されず混沌としたまま入っているので、自分でもどこに何があるのか分からない状態なんでしょう。しかし、全く整理されていない、つまり、どこも圧縮されたり省略されたりしていない、という事は、情報を元々の膨大な量のまま持っているという事でもある。……アイツは、サラは、バカなんですよ。でも、バカ故に、凄いヤツなんです。ある意味天才ってヤツですかね。」
「少し話が逸れましたが……チェレンチーさんの見ている光と影も、それの一種だと考えてみてはどうですか? つまり、チェレンチーさんは、物の良し悪しを、言葉としてではなく、論理的に整理された形ではなく……もっと感覚的な、映像のような状態で認識しているんです。あなたが感じた商品の有様は、無意識の内に視覚情報に変換されて、光や影という形で体感出来るようになっている、そう言い換えてもいいかもしれませんね。」
チェレンチーは、ティオの話をずっと真剣に聞いていた。
それは、今まで全く考えた事のなかった新しい考え方であったが、ティオの発する「根拠のない説得力」もあってか、何か妙に心の中でしっくりとくるものがあった。
チェレンチーは、ハッと思いつく所があり、パアッと顔を輝かせてティオに問いかけた。
「そ、そうか! つまり、僕は、長年の修行の成果で、商品の良し悪しが感覚的に分かるようになったって事なんだね!……そ、そう言えば、長年店番をしていた人が言っていたよ。いつの間にか、万引きをする人間が店の敷居を跨いだ瞬間に分かるようになったって! 僕のこれも、経験を積んだおかげで身についた、一種の勘のようなものなんだね!」
「正確には違うと思いますが、今はそう捉えておけばいいと思いますよ。」
「ええ?……『正確には違う』のかい?」
「はい。おそらく。」
「チェレンチーさんのそれは……長年の研鑽ごときで身につくものではありません。あなたが生まれながらに持っていた、純然たる『才能』です。他の人間にはない、あなただけの『個性』です。」
「もちろん、『才能』は、持っているだけでは意味がありません。磨いてこそ、様々な経験や研鑽を積んでこそ、光るものです。そういう意味では、チェレンチーさんが今まで積んできた商人としての修行は、必要不可欠なものだったとも言えます。」
「けれど、あなたと同じだけ真剣に努力してきた人間全員が、あなたと同じ能力を身につけられる訳ではない。……『才能』は、磨かなければ光らない。しかし、元々『ない』ものを、磨く事は出来ない。」
「そして、これは俺の推論ですが……あなたは今まで、辛く鬱屈とした人生を過ごしてきた。そのせいで、あなたの『才能』は、あなたの中に長く埋もれたままだったのではないでしょうか。厚く硬い壁に閉じ込められたような状態で、正常に発揮する事が出来なかったのだと思います。本来ならば、もっと早くその能力を自覚していた事でしょう。」
「しかし……」
ティオは、一旦言葉を切って、一度息を吸っては吐き、そののち、改めてチェレンチーに語りかけた。
「チェエンチーさん。もう、あなたを縛るものはありません。これからはもっともっと、あなたの『才能』は自由に輝いていく事でしょう。……俺は、そう予想していますし、願ってもいます。」
「……ティオ、君……」
ティオの言葉は、チェレンチーの心に、優しく、ゆっくりと、真っ直ぐに、沁みてきた。
いや、言葉だけではない。
声色、表情、眼差し、彼の見せる全てが、彼が投げかける全てが……
まるで、天啓のように、チェレンチーの中に響き渡っていた。
それは、鮮烈な一陣の風のようであり、優しく包み込む日の光ようであり、とうとうと流れゆく澄んだ水のようでもあった。
(……嬉、しい……嬉しい……)
チェレンチーの頬を、外気にさらされた肌の温度よりも熱い何かが、ゆっくりと伝い落ちていった。
それが、見開いた自分の瞳から溢れた涙である事を、ややあってから、チェレンチーはようやく認識した。
自分が泣いているのだと気づくと、涙はますます次から次へと溢れ、止まらなくなった。
(……誰かに……受け入れられる事は、こんなに嬉しい事だったんだな。……誰かに認められる事が、こんなに嬉しい事だったなんて、初めて知った。……)
チェレンチーの人生の中で、彼に優しくしてくれたのは、母だけだった。
本当の意味で、チェレンチーを愛してくれたのは、母一人だった。
母はチェレンチーに、無償の愛というものがこの世にある事を教えてくれた。
けれど、それは、血の繋がりがあってこそ成り立つ感情であったのかもしれない。
チェレンチーが、お腹を痛めて産んだ自分の息子だったから、一心に愛情を注いでくれたのだとも言える。
しかし、ティオがチェレンチーに向けた好意は、同じく無償の性質を帯びていたが、もっと広いものだった。
なんの血の繋がりもない、たまたま同じ傭兵団に所属して、同室で二段ベッドの上と下を使っていただけの関係の、全くの赤の他人に対して……
ティオは、なんの見返りもなく、ごく当たり前のように、隣人としての愛情を与えてくれた。
チェレンチーは、初めて、この広い世界において、一人の人間として認められたように感じていた。
初めて、堂々と太陽の光の下に立って、好きなだけ新鮮な空気を吸ってもいいのだと、許された気がした。
いつも、自分自身の存在を否定し、他人に対して負い目を感じ、生きていて申し訳ないと思い、小さく背を丸めてうずくまっていた一人の青年が……
ようやく自分の足で歩く事を覚えた赤子のように、自分が今生きてこの場所に居る事の歓喜に震えていた。
(……ありがとう……ありがとう、ティオ君……本当にありがとう……)
(……僕は忘れない。……君が僕にかけてくれた言葉を。君の優しさを。君の存在を。……)
(……今日のこの日のこの瞬間を、決して忘れてない。……)
ボロボロと大粒の熱い涙を落とし続けるチェレンチーを前に、一方ティオの方は、ひたすら訳も分からず動揺していた。
「え?……え? え? お、俺、何か無神経な事言いましたか? すみません、チェンチーさん! ホント、ごめんなさーい!」
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☆ひとくちメモ☆
「異能力」
特殊な能力を持っている人物が存在している事は、ごく一部の人間の間で知られている。
とは言え、その「特殊さ」は、決して人として異常なものではなく、才能や資質、個性が特に傑出していて目立つだけだというのがティオの考え方である。
「異能力」と呼び習わされているが、人が皆持っている能力の一部がたまたま並外れている、という認識である。




