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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第二節>城下の青空
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過去との決別 #17


「……え? 手紙の代筆ですか?」


 傭兵団の宿舎の割り当てられた六人部屋の片隅で、自由時間にティオは時折本を読んでいた。

 窓際に粗末な木の机が置かれていたが、ならず者だらけの傭兵達の中で他に使う者は誰もおらず、ほぼティオの指定席となっていた。

 机の前の椅子に腰を下ろし、膝の上で本を開いて静かに読みふけっている。

 机の上で本を開いて読まないのは、長身の彼には机も椅子も小さ過ぎるせいなのだろう。

 持て余し気味の体躯をコンパクトにまとめるためにか足を組んでいたが、逆に、長い足が一層長く見えていた。


「ええ、いいですよ。……いえいえ、お代は要りません。」


 そんな彼に、長身痩躯の老戦士が一人、歩み寄って声を掛けているのを見た。

 白髪混じりの黒髪を首の後ろできっちりと結び、いつも気難しそうな顔をしている人物で、ほとんど人と喋っている所を見た事がなかった。

 そんないかにも偏屈そうな遥かに年上の人物に対しても、ティオの態度は全く変わらなかった。


 特に緊張した様子もなく、ニッコリと笑って老戦士から紙を受け取ると、それまで読んでいた本を、マントの下の肩から提げている大きなバッグへとしまい込む。

 代わりに腰のベルトにつけた筆入れから羽ペンとインクを取り出し、さっそく机に向かった。

 今度は、しっかり真っ直ぐ椅子に腰掛けて、机の上に広げた紙に、老戦士から聞き取った内容をスラスラと綴っていっていた。

 二人は終始小声でやり取りしていたため、老戦士がどんな内容を書いてほしいと頼んだのかは、少し離れた場所にある自分のベッドに横になっていたチェレンチーには聞こえなかった。

 それに、私的な内容に聞き耳を立てるのは気が進まなかったため、なるべく意識を向けないようにしていた。


 程なく、ティオは手紙を書き上げ、クルクルと元のように巻いて、老戦士に手渡した。


「はい、どうぞ、ジラールさん。」

「ム。……お前、なぜ俺の名を知っている?」

「なぜって、同じ傭兵団の仲間じゃないですかー。当たり前でしょう?」


「あ、そうそう。手紙と一緒に金を届けるなら、旅馬車の御者は選んだ方がいいですよ。街の大通りに来る馬車で、左頬のここにこう大きな黒子があって、頭のてっぺんが禿げている、太った中年の男が御者を務めているのは、やめた方がいいです。金や荷物を盗まれたとか、高い乗車賃や荷運び賃をふっかけられたとか、悪い噂が絶えないようですから。」

「そうか。まあ、一応心に留めておこう。……ああ、礼は言わんぞ。お前が勝手に喋った事だからな。」

「ハハ。礼なんて要りませんよ。……また何か俺に用事があったら、いつでもどうぞ。」

「……フン。ところで、お前、名前はなんと言う? まだ聞いていなかったな。」

「ティオです。改めてよろしくお願いします、ジラールさん。」


 ヘラヘラと緊張感のない笑顔を浮かべるティオの胡散臭さに、気難しそうに吊り上がった細い眉をしかめながらも……

 ジラールと呼ばれた老戦士は、ティオが代筆した手紙を大事そうに懐にしまいこみ、満足げに立ち去っていった。

 


 ティオが複雑な文字の読み書きが出来る事を、彼と親しくなって、チェレンチーはすぐに知った。

 これは、ナザール王国近辺においては、かなり特殊な技能だった。



 街の警備兵の詰め所前に、たまに国王のお触れが書かれた立て札が立つ事がある。

 この立て札が読める程度の簡単な文字や文章が分かるようになるのは、都でも中の上以上の家庭の人間であった。

 王国正規兵のハンスが、ちょうどその簡単な文字が読めるかどうかの境界にある階層だろう。

 ある程度生活に余裕のある家庭では、親が子に簡単な文字の読み書き、生活に困らない程度の算数の知識を教える慣習がある。

 それ以下の生活水準では、両親が生活を支えるための仕事で手いっぱいのため余裕がなく、子供の教育に携われない。

 もっと酷い場合は、片親が居なかったり、居ても酒浸りや博打に夢中で子供に関心がないという事も多い。

 そして、親から十分な教育を受けなかった子供は、大人になった時、自分の子供に読み書きを教える事が出来ず、子供の子供も、そのまた子供も、ずっと貧しい階層から抜け出せないという負の連鎖が続いていく事になる。


 逆に、貴族や金持ちの商人といった上流階級になればなる程、子供の教育には熱心だった。

 金に糸目をつけず教科ごとに優秀な家庭教師を雇い、ダンスや食事作法などのマナーも含めて、物心ついた時から子供に思いつく限りの教育を施す。

 これは、子供が社交界にデビューしたのち必要となってくる技能でもあり、またどれだけ子供の教育に金を掛けられるかという事が家門の自慢になるためでもあった。

 そこで、上流階級では、競うように子供達に学を積ませた。


 そういった意味で、チェレンチーは、王都では最高水準の教育を受けてきた。

 彼がドゥアルテ家に引き取られたのは十歳の時だったため、勉学を始めたのは上流階級の子息としてはかなり遅かったが、その後十年以上にも渡り十二分に教育を積む事になった。

 また、真面目な性格であるチェレンチーは、自身も熱心に励んだので、その効果は非常に高かったと言っていいだろう。

 その教育方法は、間違ったら父に木の定規で叩かれるという酷く厳しいものであり、また、青少年らしい自由が全くない環境であったため、それがチェレンチーにとって幸福だったかどうかは、また別の話ではあるが。



 そんな、大商人の家で英才教育を受けてきたチェレンチーから見ても……

 ティオの知識や技能は、舌を巻く程驚異的に高かった。



「これですか?……これは、古代語、つまり古代文字ですね。」

「こ、古代文字? なんだか摩訶不思議な模様だと思っていたけれど、これ、文字だったんだ。古代語って、古代魔法文明で使われていた言葉だよね?……ティオ君、それを読めるんだ! 凄いね!」

「いや、全く読めませんよ。読めるようにならないかなー、なったらいいなー、とか思いながらジーッと眺めているだけです。」

「ええっ!?」


 ティオが時折無心に読んでいる古めかしい本が、古代語で書かれているものだと聞いて驚いたチェレンチーだったが、そんな読めもしない本を飽きずに眺めているティオにはもっと驚かされた。

(……ダメだ。ティオ君の考えている事は、僕には到底測れない。……)

 しかし、古代語が読める人間など、おそらくまず居ない。

 ナザール王国で言えば、王宮の書庫に勤める学者……つまり、この国でトップクラスの学識者であっても、読めるかどうか際どいレベルだろう。

 国外にまで目を向ければ、もっと文化水準の高い豊かな強国がいくつもあり、そういった場所には巨大な図書館や、国家的な教育機関などもあると聞くので、おそらく古代語が読める学者も居るのだろうが。

 あるいは、世界大崩壊以降も魔法の力を有し続けているという謎多き「クリスタリオン魔法共和国」ならば、多くの人間が今も古代語を使った生活を営んでいる可能性もあった。

 ともかく、ティオのような若干十八歳の青年が古代語など読める筈もなく、むしろ、読めるとしたら、あまりにも異常な事態だった。

(……さすがに、ティオ君でも、古代語を読めたりはしないかぁ。まあ、それが普通だよね。……)

 と、チェレンチーは、内心一人納得していた。



 しかし、読めもしない古代語の本を毎日ジッと見つめている事をさておいても、チェレンチーは、ティオの教養の高さに疑問をいだかずにはいられなかった。


 ジラールという気難しそうな老戦士の手紙を代筆した場面も見かけたが、他にもティオが何か紙片に向かって熱心に書き込んでいる所に出くわした事があった。

 このならず者の寄せ集め集団の傭兵団において、机に向かってペンにインクをつけ、何か紙に書き綴っている人物など、他には居ない。

 思わず驚いて、ジーッと見つめてしまったチェレンチーだが、その視線に気づいたらしいティオが、顔を上げてこちらを見た。

 向けられた笑顔は、いつもと変わらない、親しげだがどこか掴み所のないものだった。


「どうかしましたか、チェレンチーさん?」

「あ、ご、ごめん、気になってついジッと見てしまって! 邪魔するつもりはなかったんだよ!」

「いえ。邪魔ではないですよ。……気になるようなら、これ、見ますか? 特に面白いものではないですけど。」

「み、見ていいのかい?」

「どうぞどうぞ。お好きなだけ。他にもありますよ。」


 ティオから手渡された紙には、ビッシリと小さな文字が書き込まれていた。


 紙は、その品質にもよるが、たった一枚で下町の食堂ならお腹いっぱい料理が食べられる程の値段がする、それなりの高級品であり、貴重なものでもあった。

 のちに、ティオは傭兵団の作戦参謀となって、日々書類を作成する事になるが、その時も、一番安い品質の悪い紙を、一箇所も破る事なく、端から端まできっちりと使っていた。


 この時チェレンチーが見た紙は、薄手だが丈夫なもので、少し高価なものだった。

 小さく折り畳んで長い間持ち歩くので、劣化しにくいものをと奮発したらしい。

 そのため、紙には、まさに限界まで、埋め尽くすように小さな文字が書き込まれていた。

 所々に植物の絵が描かれていて、それはティオが実際に見たものを写生したという話だった。


「旅の途中で見かけた薬草をメモしているんですよ。見つけた場所とか、分布地域や生態、薬効なんかを。当然、俺の分かる範囲でですが。まあ、暇潰しの一種ですよ。」

「こ、これ、全部ティオ君が? え、ええぇぇー!」


「ティ、ティオ君って、も、物凄く……字が上手いね! あ、絵の方もとっても上手いけど! ビックリし過ぎて、心臓が止まりそうになったよ!」

「そ、そんなに驚くようなものですか?」

「驚くよ! 今までこんなに綺麗な文字を書く人、僕は見た事ないよ! 読み書きの教本だって、こんなに綺麗じゃないよ!」


 ティオはキョトンとしていたが、チェレンチーはしばらく食い入るようにティオが文字を書き込んだ紙片を見つめていた。

(……いや! 文字が綺麗なだけじゃない! 語彙の多さ、全くムダのない論理的な文章構造! こんな高水準のものは、僕には到底書けない! 子供の頃から何人もの家庭教師について勉学に励んできた貴族の子息だって、ここまでのものは書けないだろう!……)

 ティオが薬草に詳しい事は、夜に外で会った時の話で察してはいたが、メモの中身はまさにそれを裏づけるものだった。

 少ない紙に出来るだけたくさん書きとめようとギュウギュウに詰め込んでいる事を除いて、その内容はもはや図鑑の域に達する詳細さと客観性と情報量を持っていた。

 その知識の広さと深さにも改めて驚かされるが、やはり気になるのは、彼がどこでこれだけの国語能力を身につけたかという点だった。


「ありがとう、見せてくれて。とても素晴らしいものだね!」

 そう言って、ティオに薬草について書かれたメモを返しながら、チェレンチーは出来るだけさり気なく尋ねてみた。


「……と、ところで、ティオ君は、凄く綺麗な文字や文章を書いているけれど、それは、どこで習ったものなの?」

「ああ、文字の読み書きですか?」


「独学です。」

 ティオはサラリと答えた。


「ええっ!? ど、独学でここまで上達するのは、さ、さすがに無理じゃないのかな?」

「ああ、そう言えば、一年程人に教えてもらった事はありますね。でも、ほとんどの部分は自分で覚えましたよ。」

「……そ、そうなんだ……す、凄い、ね……」


 チェレンチーは、すっかり言葉を失ってしまっていた。

 ティオの知識や技能は、とても独学で身につくものとは思えなかったが、あまりに愕然としてしまっていて、更に探りをいれる事が出来なかった。

 いや、「人に教えてもらった」とはティオも言っていた、たったの一年間ではあるらしいが。


(……「ほとんど独学」というのは、さすがに嘘なんじゃないのかな? いくらティオ君が頭がいいとは言っても、全く文字が読めない真っさらな状態から、誰の助けも借りずにここまで言語や文章に堪能になるのは無理な筈。……)


(……人に教えてもらったと言っていたけれど、それは……いつ? どこで? 誰に?……)


(……そもそも、ティオ君は、元々どこの生まれで、どういう育ち方をして、そして、どうしてこのナザールの王都にやって来たんだろう?……)


(……ダ、ダメだ。全然分からない。僕の想像出来る範疇を、遥かに超えている。……)


 チェレンチーがなんとか頭の中に思い描いたのは……どこかの国でしっかりとした教育を受けてきているに違いない……というあまりにも漠然としたイメージだった。

 ティオに関する情報が少な過ぎて、どう頑張ってもそれ以上に推察は膨らまなかった。

 少なくとも「ほとんど独学」というのは、明らかに不可能なので、嘘だろうと考えたものの……

 再び机に向き直り、スラスラとメモの続きを埋めていくティオの、いつもより少し楽しげな横顔を見るに……

 嘘をついているようには、とても思えなかった。


(……まあ、ティオ君がもし嘘をついていたとして、僕にはそれを見破れないだろうけれども。……)


 完全にお手上げの状態に陥ったチェレンチーは、仕方なく考えるのをやめた。

 気さくな謎多き隣人であるティオに対しての興味は尽きなかったが、これ以上探ってもティオはボロを出さない気がした。

 また、ティオの言動から、微かに、(あまり自分の素性を知られたくない)という気配が漂っていたため、無遠慮に踏み込むのは失礼だと感じたのだった。


 少なくとも、ティオは、気のいい青年で、チェレンチーは彼に親しみと好感を抱いていた。

 今は、ただ、自分も彼の良い隣人であろうと、チェレンチーは思っていた。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「古代語」

約三千年以上前の「世界大崩壊」によって滅んだ古代文明で使用されていた言語、あるいはそれを表記した文字。

多種多様な種類があり、その大多数が複雑難解でほとんど解読されていない。

一部メジャーな種類のものがかろうじていくつか解読されているものの、読めるのは国の最高位の学者レベルである。

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