内戦と傭兵 #3
「大分話が逸れたな。このナザール王国の内戦に、話を戻そう。」
ティオは空になったマグカップをコトリとテーブルに置くと、「お代わりは要るかい?」と言ってきた給仕の中年女性に静かに首を振って応えた。
そして、女性が立ち去ると、改めてサラに向き直った。
「まず、内戦に関わってくるこの国の重要人物について。」
ティオの話によると、現在ナザール王国の国王はバーンという人物らしい。
御歳六十八歳、かなりの高齢である。白髪に白ひげの小柄で温和なおじいさんといった印象だ。
「その現国王バーンの祖父が、今から約四十年前、『ナザールの十年戦争』と呼ばれる周辺諸国との長きに渡る小競り合いを勝利に導き、王都をこの地に築いたという、歴史に名を残す賢王なんだ。」
「今の国王は、その賢王の血を引いている筈なんだが……まあ、バーン国王は、良くも悪くもなく、ごく普通の人って感じだな。それでも、平和な時代を治めるには、特に問題はなかったんだろうけどな。」
バーン国王には、子供が二人居た。
どちらも男で王子であり、兄と弟は二つしか歳が違わなかった。
「兄がボーン王子。弟がベーン王子。」
「歳が近いのもあるが、二人は、顔つきも背格好も良く似てるって話だ。更に性格までそっくりで、おまけに能力的にもほぼ同じ。」
「バーン国王も凡庸な王だが、王子二人も、これと言って優れた所がない、かと言って、大きな問題を起こすような酷い難点もない。まさに、平々凡々な人物だな。」
次期国王には、歳の順で兄王子であるボーンがなる事が決まっていた。
二つしか歳が違わない弟王子のベーンが国王になったとしても、兄王子ボーンと比べて能力的に劣る訳ではないので、実際にはどちらが後を継いでも変わりはなかった。
しかし、代々年長者が王位を継ぐのが慣習であり、今回もその流れで自然と皇太子は兄ボーンと決まったのだった。
「次期国王は、兄王子であるボーン。その事に、意義を唱える者は誰も居なかった。」
国王バーンも、皇太子になった兄王子ボーンも、皇太子にならなかった弟王子ベーンも、大臣をはじめとした家臣の貴族達も、第一王子のボーンが国を継ぐのが当たり前だと思っていた。
「ちなみに、この王都で、第一王子ボーンと第二王子ベーンについて、市民の評判をちょっと聞いてみたんだ。」
ティオの取材によると、王都に住む一般市民達の反応は……
『どちらも立派な方だと思いますよ。』
『兄のベーン様は、国王主催の都の年中行事で良く見るけど、弟のボーン様は、あんまり見た事ないなぁ。』
『お二人共、お顔も雰囲気も、良く似てらっしゃいますわ。』
『正直、どっちが兄王子様で、どっちが弟王子様か、分かんねぇんだよなぁ。こう言っちゃなんだけど、二人とも特徴なさ過ぎてさぁ。ああ、今の国王陛下の若い頃も、そんな感じだったなぁ。』
それを聞いたサラは、クシャッと顔を歪めた。
「えぇー、自分の国の王子様達の区別がつかないのー? お兄さんのベーンも弟のバーンも可哀想ー。」
「いや、サラ。兄がボーンで、弟がベーンだからな? 国王がバーン。」
「あっ! 間違えちゃった! だって、まぎらわしいんだもーん!」
「ま、王都の市民も、三割ぐらいは三人の名前がごっちゃになってたけどな。」
要するに、国王バーンを筆頭に、第一王子で王位継承第一位のボーンも、第二王子で王位継承第二位のベーンも、皆個性の薄い人物なのだった。
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「さて、問題の、今起こっている内戦の首謀者だが……第二王子のベーンだ。」
「ええ!?」
「今から半年程前、急に『次期国王には、兄上よりも私の方がふさわしい!』と言い出したんだ。」
「しかし、もう皇太子は第一王子ボーンと決まっていて、家臣の貴族達にも国民にも公表していた。」
「まあ、正直、次の国王になるのがボーンでもベーンでも、治世には全く影響はなかったと思う。何しろ、二人とも同じようなうっすい人物で、家臣もうっかり間違うぐらい良く似ていたぐらいだからな。」
「しかし、一度決めてしまったものを撤回するのは、それはそれで面倒だし、余計なゴタゴタが起こる。当然国王は反対した。兄王子も家臣達も必死に弟王子をなだめた。」
「が、ベーン王子は全く耳を貸さず、思い詰めた末、反乱軍を率いて『月見の塔』に立てこもったんだ。」
「ええぇぇ!?」
サラは驚いて素っ頓狂な声を上げたが、その驚きの理由はというと……
「今までの話からして、第二王子のボーンって、そんな事をする人には思えなかったんだけどー?」
「第二王子の名前はベーンな。」
「反乱を起こすとか、そんな勇気、じゃなくって、度胸? ガッツ? とにかく、そういうのが全然ない人かと思ってたー。……意外と根性あるんだね、バーン王子。」
「だから、第二王子はベーンだっての。」
サラは、何度もティオに訂正されたが、国王と王子達の名前をちっとも覚えられる気がしなかった。
「まあ、サラの反応が普通だと俺も思うよ。」
第二王子のベーンが、兄の第一王子を差し置いて『私が次期国王になる!』と言い出した時、周囲の人間は一応に驚いた。
『あの、苦手な玉ねぎのスープを出されても何も言えずに我慢して飲んでいた大人しい王殿下が、一体どうしてしまったのか?』
『何か悪いものでも食べたのでしょうか? それとも、頭でもぶつけられたとか?』
『いや、遅く来た反抗期かもしれないぞ。』
しかし、誰もそれもさほど深刻に受け止めていなかった。
何しろ、それまでの覇気のない……いや、人一倍大人しい、自己主張など全くしない王子を良く知っていたから。
まあ、なんだか良く分からないが、しばらく放っておけば、元の存在感の薄い王子に戻るだろうと、誰もが思っていた。
が、王子は「まあまあ。」「落ち着いて下さい。」「何か甘いものでも食べますか?」などとなだめる、国王をはじめとした周囲の人間達の予想を裏切って、ついに城を飛び出し、月見の塔に反乱軍と共に立てこもってしまったのだった。
『ベーンはなぜこんな事を!……これ程までに行動力があったのなら、今までもっと公務に参加してくれれば良かったものを!』
第二王子ベーンの反乱を知った国王バーンは、そう言って嘆いたという。
それまでベーンは、自分が皇太子でないのをいい事に、王族の年中行事や公務には、ほとんど参加していなかったらしい。
大体一日の大半を王城の自分の部屋に引きこもって過ごしていた。
唯一の趣味は、落ちている鳥の羽を集める事で、王子の部屋には所狭しと収集した鳥の羽が入った箱が置かれており、王子は終日それらを一人きり飽かず眺めていたという。
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「第一王子には、息子が二人居る。対して第二王子には娘が二人。……まあ、二人とも国の有力貴族の娘を妃にもらった、いわゆる政略結婚だった訳だが、子宝にも恵まれて、二家族ともいさかいなどは全くなく、幸せそうに暮らしていたらしい。」
兄王子に息子が生まれた時、弟王子はそれをとても喜んだ。
もちろん、初めての甥っ子だという事もあったが、王位継承第二位のベーン王子にとっては、もう一つの意味があった。
『おめでとうございます、兄上! これで我が国の未来も安泰ですね。こうして兄上に男の子が生まれたのであれば、間違っても、この私が国を継ぐような事はないでしょう。』
これには、弟王子に輪をかけて穏やかで大人しい性格の兄王子も、苦笑せずにはいられなかった。
皇太子の兄王子に息子が生まれたとなれば、このまま順調に成長してゆくと、王位の第二継承者は、いずれベーンからその息子に変わる事になる。
つまり、弟王子ベーンは、皇太子である自分の兄に男の子が生まれた事で、ますます自分が国王となる重責から逃れられるのが確実になったと喜んだのだ。
もちろん、次世代の誕生に、この国の明るい未来を思い浮かべて祝っていたのも間違いないのだろうが。
『早く大きくなって、兄上を支える立派な世継ぎとなるのだぞ。』
生まれた王子を腕に抱かせてもらったベーンは、笑顔で甥っ子にそう語りかけていたという。
それまでは、皇太子である兄王子に何かあったなら、自分が次期国王として担ぎ出される立場だったが……
その兄に無事息子が生まれた今となっては、後十年も経てば、兄の代役としての自分の役割も終わり、完全に王位継承の問題から解放される、ベーンはそう考えている様子だった。
「えー、そんなに国王になりたくなかったのー? 全然やる気のない王子様だねー。」
サラは、ダラーッとテーブルの上に上半身を乗せて腕を伸ばし、呆れ気味に言った。
「まあ、可能な限り公務をサボってたぐらいだしな。内向的で、優柔不断で、小心なベーン王子には、国王なんて地位は荷が重かったんだろう。」
「兄のボーン王子も、本当は性格的に好んで王になるような人物じゃないんだが、その辺は英才教育のたまものって言うかな。子供の頃から『あなたはいずれこの国の王になられるお方です!』ってずっと周りから言われて育ってきたから、その辺の決心とか、覚悟とか、諦めみたいなものはあったんだろうな。真面目で大人しい人柄もあって、言われるままに粛々と皇太子としての義務をこなしていたらしい。」
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「ところがだ。今までずっとやる気のなかった第二王子が、半年程前、突然『私がこの国の王になる!』と言い出した訳だ。」
「王子は今年で二十九歳になる。それまで、全く王座に興味を示さなかったというのに。むしろ、国王になりたくなくて、極力その機会を避けて生きてきた筈なのにな。」
「そ、それは、みんな驚くね。」
「ベーン王子は、反乱を起こし、月見の塔に立てこもるにあたって、王城に自分の妃と娘達を残していった。自分の革命の邪魔になるからと言って。」
「ええ!? 家族仲は良かったんじゃなかったのー?」
「ああ、仲は良かったようだよ。」
「ベーン王子は、一国の王子としての器量はなかったが、一家人として、夫や父親としては、まあ、良い人物だったと言えるんじゃないかな。」
「基本的に自分の部屋にこもって一人きりで過ごすのが好きだったらしいけれど、妃や娘達の事はとても大切にしていて、食事の時間にはいつも家族で揃って食べていたそうだ。ベーン一家が料理を食べながら楽しげに歓談している姿は、城の人間に良く目撃されていた。」
「娘達の誕生日には、自らプレゼントを作成して渡した事もあるって話だ。自分が収集していた鳥の羽の中でも特に貴重で綺麗なものを、首飾りに仕立てたんだとか。まあ、娘達がそれを貰って喜んだかは別として、自分の唯一の趣味の大事なコレクションを分け与えるぐらいだから、相当娘達を可愛がっていたんだろうな。」
ベーン王子の妃は、彼が突然「私が国王になる!」と言い出したのを聞いて、例に漏れず酷く驚いた。
そして、必死に彼を止めようとした。
しかしベーン王子は、そんな妃の言葉に一切耳を貸さず、最後には彼女の説得を「うるさい! 邪魔だ!」と拒絶すると、彼女と娘達を王城に残して、一人出て行ってしまったのだった。
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「……なんか、いきなり人が変わっちゃったって感じ。それまでの王子と比べると、別人みたい。」
「……そうだな。」
ティオは、腕をテーブルの端に置き、組んだ指の上に顎を乗せて、しばし何か物思いにふけっていた。
ややあって、ゆっくりと語った。
「確かに、それまでベーン王子は全く国王になりたがっていなかった。兄王子が皇太子となる事に対して、自分は次期国王にならずに済むと、重責から逃れられるのを喜んでいた。自分の部屋の中で一人で過ごすのが、何より好きだった。」
「でも、それが本当の王子の気持ちだったんだろうか?」
「ど、どういう事?」
「本当は、心のどこかで、皇太子である兄王子をずっと羨んでいたのかもしれないって話さ。」
「何しろ、二人は歳がたった二つ違うだけで、容姿も、性格も、能力も大差なかったんだからな。それなのに、兄は次期国王として周りから大切にされ、自分はそんな兄に何かあった時の保険のような立場だ。同じ兄弟だというのに、天と地程も扱いに差がある。」
「ベーン王子が、その状況に密かに不満を募らせていたとしても、まあ、不思議はないんじゃないか。そして、その不満が長い間積もりに積もりって、何かのきっかけで爆発した。自分の気持ちを上手く主張出来ない、内向的な性格の持ち主なら、そうういう可能性もありうるな。」
「ええー? 不満があるなら、さっさと言えばいいのにー! ずーっと黙って我慢してるなんて、訳が分かんない!」
そんなサラの答えに、ティオは少し眉を歪めて苦笑した。
「ま、サラはそうだろうな。……でも……世の中の人間誰しもが、サラみたいに素直で正直な訳じゃない。」
「自分が本当に何を望んでいるのか? それが分からずに生きている人間だって、たくさん居るんだぜ。」
「自分でも気づかない内に、自分の心に嘘をついて、自分を騙しながら生きている、そんな人間がな。」




