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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第八章 過去との決別 <第一節>毒花の香り
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過去との決別 #12


 チェレンチーの実の父である、ドゥアルテ家二代目当主の葬儀は、もうすぐ春が訪れようとしている冬の終わりの一日に、荘厳に、盛大に、粛々と行われた。


 遺体は、本館の広間に作られた祭壇の上に安置され、周囲を埋め尽くすように、夫人が注文した高価な造花が飾られた。

 この季節、まだ生花は少なく、代わりに布で作った造花が用いられたのだった。

 葬儀は、ドゥアルテ家の本館の一部を解放して行われたが、二代目当主に最後の別れを告げようと、この王都を代表するような著名な人物が次々と訪れ、いっときは門の外まで弔問客の列が続いた程だった。

 夫人の友人である貴婦人とその夫や、取引や付き合いのあった商人に貴族、富豪と呼ばれる人物達、中には元大臣や、元近衛騎士団長の顔もあり……夫人の虚栄心はいたく満たされた様子だった。

 参列者には、別室で高価な酒や食事がふるまわれ、夫人が兄を引き連れて、せっせと挨拶に回っていた。


「みなさま、これからは、このドゥアルテ家の当主を継いだわたくしの息子を、よろしくお願いいたしますわ。」


 午前中から続いた葬儀がようやく終わりを告げたのは、もう日がすっかり西へと傾いた頃であった。

 最後に、広い屋敷の敷地の一角にあるドゥアルテ家の墓地に用意された墓穴へと、当主の遺体は丁重に横たえられた。

 周囲を取り囲む人々によって、しばし最後の別れと共に花が供え入れられた後、いよいよスコップを持った下男が土を被せ、埋葬の義は終わった。

 夫人はドレスが濡れる事を嫌がって、専属の侍女にずっと傘を差させていたが、その日は一日、真冬に戻ったような冷たい雨が静かに振り続いていた。


 チェレンチーは、葬儀の間も、埋葬においても、屋敷に使える使用人として参列していた。

 しかも、番頭達に並ぶのではなく、一介の下働きの者達に混じり、服装も、亡くなった当主の息子とは到底思えない質素なものを身につけていた。

 それでもチェレンチーは、特に不満を訴える事もなく、父が屋敷の墓地に埋葬されるまで、時折涙を浮かべながら、ずっと黙って見守っていた。



 事件が起きたのは、その翌日の事だった。


 チェレンチーは、まだ父が亡くなった失意の中にあったが、気丈に振る舞って、昨日の葬儀の片づけに朝から精を出していた。

 飾られていた造花をひとまとめにしたり、祭壇を築いていた木の枠組みを分解するという作業を、使用人達に混じって真面目に行なっていた。


 さすがに、当主である父が亡くなってから、商売の方は休みになっており、それは葬儀の行われた昨日も、その翌日である今日も続いていた。

 「いつ頃商いを再開すべきでしょう?」「やはり、しばらくは喪に服して休むのでは?」「しかし、いつまでも休んでいては、取引に支障も出てくるだろう。商売が成り立たない。」

 葬儀の片づけをしながら、使用人達が小さな声で話しているのをチェレンチーは耳にした。

 ずっと寝たきりであったとはいえ、何十年とこのドゥアルテ家の商売を牽引してきた大黒柱である当主が亡くなってしまった現実は、使用人達に「これからどうなってしまうのだろうか?」という不安を抱かせている様子だった。


 と、そこへ、すっかり日も高くなり正午に近づいた頃に、ようやく夫人が現れた。

 昨晩は、葬儀が終わった後も、親しい女友達数人と夜明け近くまで話に花を咲かせながら酒を飲んでいたようであった。

 そのまま夫人の友人達は客として屋敷に泊まり、この時も、婦人を取り巻きながら、片づけ作業の行われている広間に共にやって来た。

「まだ片づいていないの? 早く片づけてちょうだい。辛気臭くて嫌な気分になるわ。」

 夫人は現場を仕切っていた古参の番頭の一人に、扇子で口元を覆って、文句を言っていた。


「このドレスも、いつまで着ていなきゃいけないのかしら? 私、黒色は昔から地味で嫌いなのよ。」

「仕方ありませんわ、奥様。やはりこういう時は、半年程喪に服すのが慣わしですもの。」

「早く華やかなドレスを着たいものだわ。ケチな主人が亡くなって、ようやく好きなだけドレスや宝石を買えるようになったのですものね。」

 夫人は、使用人達に聞こえるのも構わず、取り巻き達とそんな会話を交わしていた。


 チェレンチーは、作業を続けながら、チラと、そんな夫人の上等な黒いドレスの胸元に、自分が宝飾品店に取りに行った、あの黒い宝石を配したブローチが飾られているのを見た。


「葬式の片づけが終わったら、さっさと店を開けなさい。いつまで主人の死を言い訳に仕事をサボっているの、あなた達は? 主人が亡くなったからと言って、ドゥアルテ家の商売は何も変わらなくってよ。これからも、国に名だたる大商会として、しっかり働いて儲けを出してちょうだい。」


 夫人は、元々ドゥアルテ家の商売には全く関わっていなかった。

 この自分が金を得るために働くなんてありえない、という考えの持ち主だ。

 二代目当主であった亡くなった父も、夫人には政略結婚の相手としての利益以外のもの全く求めておらず、ずっと彼女の好きに生活させていたが、むしろ、素人である夫人に商売の事であれこれ口を挟まれるよりはマシだったのかもしれない。


 そんな夫人に指図されて、番頭をはじめとした使用人達は困惑した表情を浮かべていた。

 夫人の発言からも、この家の商いによって生み出される金は、彼ら使用人達の汗と労働の結晶である事などまるで理解していないのが感じられた。

 遊び暮らしていても、いつの間にかどこからか自然に金は湧いて出てくるもの、下々の者達が勝手に用意してくれるもの……そんな世間知らずな夫人の認識に、皆一様に不安を覚えていた。


 しかし、問題はそれだけではなかった。


「あら?」

 ヒラヒラと扇子を動かしながら取り巻き達と広間を練り歩いていた夫人が、ふと、チェレンチーに目を留めた。

 パチッと視線が合ったその瞬間、チェレンチーは……

 夫人の表情が、今まで見た事もないぐらい醜悪なものに変わるのを目撃した。

 ゾクッと、思わず背筋に悪寒が走る程、冷酷で、残虐で、そして、あからさまな憎悪に満ちていた。


「どうしてお前が、まだここに居るのかしら? チェレンチー?」



「もうとっくに荷物をまとめて出ていったものだと思っていたのだけれど?」

「え?……」


 顔の半分を扇子で覆い隠し、汚らわしいものを見るかのような夫人の冷たい視線の前で、チェレンチーはしばし呆然となった。

 突然の事で、一体何が起こっているのが理解が追いつかない。


「主人の葬儀までは、温情としてお前をこの屋敷に置いてやっていたけれど、それももう終わったわ。主人が亡くなった今、あなたは、この屋敷にとって赤の他人でしょう? いつまでそうやって図々しく居座るつもりなのかしら?……早く、この家から出ていってちょうだい!」

「そ、そんな!……お、お待ち下さい、奥様! ぼ、僕は、商売を手伝ってこの家を守るようにと、前々から父さんに言いつかっております!」

「あぁら、そうなの? 全然聞いていなかったわぁ!……あの人がお前に何を言ったかは知らないけれど、ともかく、この屋敷の今の当主は、夫ではなくってよ。夫は亡くなったのよ。だから、夫がお前にしたとかいう話も、もう無効ね。もはや、何の意味もなくなったわ。……そして、わたくしはお前が大嫌いなの。お前を目にするのも、こうして話をしているのも、不快でたまらないわ! さっさとわたくしの目の前から居なくなってちょうだい!」


 夫人は確かにドゥアルテ家の商売に対してずっと無関心だったが、さすがに、亡くなった自分の夫が、いずれチェレンチーに家業の重要な役割を任せるつもりだった事は、間違いなく知っていただろう。

 跡取りである息子が頼りないために、ずっと放置していた私生児のチェレンチーをわざわざ家に迎えて、息子を支える要にするべく十五年以上もの間、厳しく鍛えてきたのである。

 それは、この屋敷に支える使用人の誰もが知っている事実であり、夫人が知らない筈がなかった。


 しかし、この家の商売に対して儲け以外に興味のない夫人は、チェレンチーの存在意義に、まるで理解がなかった。

 いや、もし、チェレンチーをこのまま屋敷に置いて商売に関わらせる事への利益を知っていたとしても……

 長い年月積もり積もったチェレンチーへの憎悪によって、必ず彼を排除しようと動いた事だろう。


 チェレンチーは、今まで夫人の気に触るような言動をとってきた訳ではなかった。

 はじめから夫人には嫌われているのを良く知っていたため、むしろ、なるべく夫人の機嫌を損ねないよう、彼女には極力近づかずにいた。

 たまに何か命じられれば、大人しく良く聞き、反抗的な態度をとった事は一度たりとなかった。

 従順で控えめで命じられた仕事はしっかりとこなす、模範的な使用人だった。


 しかし、チェレンチーがどんな誠実な態度をとろうとも、彼に対する夫人の悪感情が改善する事は決してなかった。

 チェレンチーが、夫が下女と浮気をして生まれた子供であるという事実が……

 夫が彼に目をかけて熱心に教育を施し、ドゥアルテ家の商売に関わらせようとしていた事が……

 それだけで、夫人にとっては未来永劫決して許す事の出来ない憎悪の対象だったのだ。


「奥様! ど、どうか、この家に置いて下さい!……僕は、これからは別館で暮らします! この本館には一切近づきません! 仕事は、今まで以上に身を粉にして頑張ります! このドゥアルテ家のために、誠心誠意仕えます!……で、ですから、どうか、この家から出て行く事だけは……そ、それだけは、どうか、お許し下さい!」


 チェレンチーは、その場にひざまづき、額を床に擦りつける勢いで必死に夫人に許しを請うたが……

 夫人は、口元を黒い扇子で覆い隠したまま、目を合わそうともしなかった。



「なんだなんだ? 一体なんの騒ぎだ?」

 と、その時、玄関に続く廊下から、兄が現れた。

 両脇に、明らかに水商売の女性らしき人物を二人連れており、一人には肩へ、もう一人には腰へと手を回していた。


 兄は、父が亡くなった夜から葬儀が終わるまでは、番頭が必死に止めた事もあり、なんとか屋敷に留まっていたが、葬儀が終わるとさっさと歓楽街に行ってしまっていた。

 「父さんが亡くなったこの悲しみを忘れたいんだ。」という言葉が言い訳でしかないのは、屋敷の人間誰もが知っていた。


 兄には、十歳の時から婚約者がおり、成人に達するとそのまま結婚した。

 その後、妻となった婚約者との間に、男の子と女の子、二人の子供も無事授かった。

 しかし、結婚してからも兄の放蕩癖は全く直らず、もう五年程前に、妻である下級貴族の女性は子供を連れて実家に帰ってしまっていた。

 父は、後継ぎを心配して、兄の妻へ、兄とよりを戻すようにと熱心に訴えていたようだったが、病に倒れてからはそれも出来なくなり、兄夫婦の中は冷めたままの状態が続いていた。

 兄としては、身分は一応貴族ではあるものの貧弱な体型と地味な容姿の妻をあまり気に入っておらず、出て行ってしまった彼女や子供達を呼び戻そうという努力はまるでしていなかった。


 この時も、胸元を大きくはだけたドレスに派手な化粧をした、いかにも娼婦といったなりの女性を家に連れ込むなど、父が生きていたなら厳しく注意を受けたに違いない。

 しかも、まだ葬儀の翌日の事である。

 しかし、もはや、この家で唯一兄を叱咤出来た父は亡くなり、使用人達は困惑の眼差しを向けつつも誰も何も言えずにいた。


「あら、ちょうどいい所に帰ってきたわね。今、この物乞いを屋敷から追い出そうとしていたのよ。主人が亡くなったから、ようやくこの目障りな虫を家から摘み出せるわ!」

「ははん、なるほど。確かに、コイツは、とんだ厄介者だ。この家に寄生する卑しい虫だ。さっさと追い出すに限るな、母さん。」

「そうでしょう? でも、みっともなく床に貼りついて、なかなか出ていこうとしないのよ。困ってしまっているの。」

「ふうん、そうかい。そんな時は……こうするんだよ!」


 兄は、そう言って、下卑た笑みをニヤリと浮かべると、目の前の床に頭をつけて土下座をしているチェレンチーの腹を、ドカッと思い切り蹴り上げたのだった。


読んで下さってありがとうございます。

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☆ひとくちメモ☆

「喪に服する習慣」

ナザール王都に居を構える上流階級では家族が亡くなった折、喪に服する習慣があった。

期間は特に決まっていなかったが、大体半年から長くて一年程。

喪中は黒い衣装を着なければならないため、黒い宝石のついたアクセサリーは、女性達の精一杯のおしゃれだった。

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