過去との決別 #4
「……しかし、ティオ君に賭博の経験があるなんて、思いもよらなかったよ。」
結果から言うと、チェレンチーは早々にティオの説得を諦めた。
チェレンチーは、傭兵団としての活動において、誰よりもティオのそばに居て、彼の能力や思考を良く知っていた。
自分には及びもつかないぐらい聡明なティオが、自信を持って賭博に望むと言うのだから、きっと彼には明らかな勝算があるに違いない。
ごく一般的な感覚の持ち主である自分には、見渡す限りの火の海に見えていても、ティオにはきっと、火傷一つ負わずにその場を渡りきる道がくっきりと見えているのだろう。
そんな彼に、自分ごときが意見するのはおこがましいという、やや卑屈な気持ちがチェレンチーにはあった。
それに、ティオは飄々とした見た目ながらも、本当は強い意志の持ち主で、一度こうと決めたら絶対に譲らない事も分かっていた。
かつ、頭の回転が早く弁の立つ彼を問答で説得するのは、自分には不可能だと悟っていた。
まあ、押しに弱く、諦めが良過ぎるのは、チェレンチーの短所でもあったが。
それでも、明らかに危険な場所に飛び込もうとしているティオの計画を、簡単に飲み込める筈もなく……
チェレンチーは、彼には珍しく、無意識に少し皮肉な口調になっていた。
「賭博場には、良く出入りしていたのかい? ティオ君は、あんな場所には縁のない人だと思っていたよ。」
「……チェレンチーさんは、ギャンブルはお嫌いですか?」
ついわずかに漏らしてしまった不快感を敏感に察知したかのようなティオの問いに、ギクッとする。
分厚いレンズに細かな傷が無数について白濁して見えるティオの眼鏡の奥の目が、真っ直ぐにこちらを見つめ、穏やかに微笑んでいた。
チェレンチーは、心の奥を見透かされているようで、思わず、丸めた拳をギュッと胸に押し当てていた。
「……き、嫌い、と言うか……僕自身、賭博自体に好き嫌いの感情はないよ。判断する程の経験がないんだ。正直、一度もやった事がない。」
「……その、亡くなった父にね、商人は絶対に賭博に手を出してはいけないって、厳しく教えられたんだ。手元のお金をどうやったら効率良く増やす事が出来るか、というのを考えるのは大切だけれど、リスクが高過ぎるものに資金をつぎ込むのは、商売人のやる事ではないって言われたよ。常に、より堅実で確実な方法を選択するようにって。……賭博だけは絶対にしてはならないって、口癖のように言っていたなぁ。」
「なるほど。亡くなったお父さんの教えですか。それを今も、チェレンチーさんはしっかりと守っているんですね。」
と、ティオは、少し考え事をするように目を細めてうなずいていた。
「まあ、俺も、そんなに経験がある訳ではないですよ。あちこちを渡り歩いているので、路銀を稼ぐためにたまに賭場に行く事もあったというぐらいで。後は、天候不順で船が出ないのを待っている間の船着場での時間潰しとか。ちょっとした金を稼ぐには、一番手っ取り早いんですよ。」
「あー、でも、上手く勝つのは、なかなか難しいですよねー。」
「そ、そうだろう、そうだろう! やっぱり、賭博で儲けようなんて無謀な考えだよ! や、やめた方がいいんじゃないかな!」
「いえいえ、大丈夫です。俺も何度か経験して、少しは慣れましたから。今回はきっと上手くやってみせますよ。」
「ちゃんと分かってます。あんまり勝ち過ぎても良くないんですよね? それから、胴元に儲けが出るように気を遣うのも大事ですよね?」
「え?……あ、ああ、うん。」
「いやぁ、以前、その場に居た人間を全員もれなくスカンピンにしたら、囲まれて袋叩きに遭いそうになった事がありましてー。もちろん、全力で走って逃げたんですけどもー。それからは、ほどほどに勝つように、しっかり心がけていますよ。お金をたくさん持ってそうな相手をメインターゲットにするのもポイントですよねー。」
「……」
チェレンチーは、なんだかティオと会話の内容が食い違っているようで、軽く首を傾げた。
「後、気をつけなきゃいけないのは、賭博場を安全に出る事ですよねー。」
「賭博場の中は、イカサマさえしなければ、胴元によって概ね安全が保証されているんですけどねー、一歩店を出ると、そこから先はもう、何があっても知らぬ存ぜぬじゃないですかー。賭場で儲けた人間を狙って襲ってくる強盗も居ますしー、酷い時は、勝ち過ぎた客をならず者を雇って襲わせて、胴元が金を回収する、なんて事もありますからねー。やっぱり、自分だけじゃなく、胴元にもきちんと儲けさせる事が大事ですよねー。」
ティオは一人腕組みをしてウンウンとうなずいていたが、チェレンチーは未だにキョトンとしていた。
が、ハッとなってバン! と机を叩いた。
「そ、そそ、それ! それだよ! だ、大丈夫なのかい、ティオ君!?……たとえ、見事に儲けが出る程勝てたとしても、店を出た途端に襲われて全額巻き上げられた、なんて事になったりしたら……」
「ああ、その点は、最強の用心棒が見つかったので、心配ありません。」
「……よ、用心棒?」
ティオは、机を叩いた状態のまま中腰になっているチェレンチーに向かって、まるでいたずら好きの子供のように、ニーッと歯を出して笑ってみせた。
「ボロツ副団長です。もう話はつけてあります。明日の夜は、一晩中俺の警護をしてくれるそうです。」
□
「ど、どうしてボロツ副団長が、ティオ君の護衛を!?」
「あー、実は、ここだけの話……あの人、ギャンブル狂なんですよ。」
「えっ!?」
あんぐりと口を開けて驚くチェレンチーを前に、ティオは机に頬杖をつき、窓の外の景色を遠い目をして見遣っていた。
「このナザールの都に来たのも、最初はギャンブルが目的だったらしくて。ここナザール王国の法律では賭け事は合法ですし、王都という事もあって、この辺では一番大きな賭博場があるんですよね。それで、都に着いて真っ直ぐに賭博場に向かって……」
「三時間も経たずに無一文になって出てきたとの事です。」
「……う、うわぁ……」
「まあ、好きな事と得意な事は、全く別ですからね。……それで、食いぶちを探していた所に、国が傭兵を募集しているという噂を聞いて、この城にやって来たという事らしいです。」
「チェレンチーさんはおかしいと思いませんでしたか? ボロツ副団長は、あれだけの剣の腕がありながら、自分のトレードマークであるあの大剣以外、ほぼ着の身着のままですよね。金銭を含め、ほとんど財産らしきものを持っていないでしょう?」
「あ!……ま、まさか、剣の稼ぎの全てを賭博で溶かしていた、とか?」
「その通りです。……まあ、こんな世間の落伍者が吹き溜まったような傭兵団ですからね、団員達は何かしら一般社会で上手く生きられない問題を抱えていたりする訳なんですが、ボロツ副団長も、その例に漏れずでして。どうやら、金が入ると、毎回右から左へとギャンブルにつぎ込んで浪費してしまっていたようなんですよ。」
「……あああぁぁ……」
「もったいない話ですよね。見た目は無頼漢そのものですが、常識があって気遣いも出来る、地頭も決して悪くない。真面目に剣で稼いでいこうと思って生きていたら、こんな場末の傭兵団で安酒をあおってなどいなかったでしょうに。……まあ、その辺は、ボロツ副団長本人の人生であり問題なので、俺が口を挟む事ではないんですけれども。」
「ともかく、俺が『賭博場に行きたい』と言うと、喜んで用心棒を買って出てくれましたよ。」
「交換条件として、ボロツ副団長を必ず勝たせて儲けさせるという約束をしました。『弔い合戦だ!』って張り切っていましたよ。……『雪辱戦』の間違いじゃないのかなぁ。」
「あ、ちなみに掛け金の出所はまだ話していません。さすがに、傭兵団の運営資金を丸ごとつぎ込むつもりだなんて聞いたら、いくらギャンブル好きのボロツ副団長でもためらってしまうかもしれませんしね。まあ、その辺の話は追い追いで。」
「か、かかか、勝てるのかい、ほ、本当に、ティオ君!?」
ギュウッと両手の拳を握りしめ冷や汗をダラダラ垂らしながら尋ねてくるチェレンチーとは対照的に、ティオはどこまでも飄々と涼しげな顔をしていた。
「勝てますよ。……今回賭博場で行う競技はドミノ。賭博の種類の中でも、運の要素はかなり少ないです。となれば、より緻密な戦術を駆使した方が、必然的にトータルで勝つ確率は高くなる。俺は、頭脳戦なら負けませんよ。」
「そ、そうなんだ。安心して、いいんだよね?」
チェレンチーも、ナザール王都の賭博場の花形競技がドミノである事は知ってはいたが、せいぜい牌の見た目の違いが分かる程度で、詳しいルールの知識はなかった。
しかし……ドミノという競技は「賭博競技の中でも運の要素が少ない」などといった話は、今まで一度も聞いた事がなかった。
ティオの発言の真偽の程が分からず、しばらく必死で考えていたが、結局どうにも答は出なかった。
□
「ところで、ティオ君。この話、サラ団長にはもうしたのかい?」
「……」
チェレンチーがサラの名を持ち出すと、それまで饒舌に語っていたティオは、途端に真顔で口を閉ざし、フイッと明後日の方を向いてしまった。
「さて、昼休みが終わるにはまだ少し早いですが、そろそろ訓練場の方に移動しましょうか。」
「さては、サラ団長には全く話を通してないんだね、ティオ君!」
「まあ、サラ団長は清廉潔白で、正義感の塊のような人だからね。傭兵団の運営資金全てを賭けての一世一代の大博打なんて、そんな計画を許してくれる筈もないよね。」
「……え、ええ、まあ。なので、その辺は……事後承諾でなんとかならないかなぁと。ちゃんと資金を増やした後なら、サラもそれ程厳しく言ってこないんじゃないかと思って。」
「サラ団長は、そんな生ぬるい人じゃないよ! それは、ティオ君が一番良く知っているだろう?」
「たとえ、結果的に博打に勝てて大金が手に入ったとしてもだよ、サラ団長は、まず、そのやり方を嫌がると思うよ。いくらお金が増えても、その増やし方に問題があるのなら、サラ団長は、きっと、喜んだりはしないよ。」
「それに、サラ団長に話をして許可を貰うのが無理なのは分かるけれど、今ティオ君が秘密裏に独断でしようとしている事は、サラ団長にとっては『騙された!』『裏切られた!』と感じるものなんじゃないのかな? 自分になんの相談も説明もなく、勝手に賭博場に行ったなんて知ったら、疎外感を感じるだろうし、それ以上に、物凄く怒ると思うよ!」
「い、一体、どうするつもりなんだい、ティオ君? サラ団長の対策は、ちゃんと考えてあるんだよね?」
「そ、それは、ですね……」
ティオは、思い切り苦虫を噛み潰したような渋い表情になり、片手で顔を覆って唸るように声を絞り出した。
「……最悪、土下座してなんとか許してもらえないかなー、と。」
「完全に無策! なんにもいい案が思いつてないんだね、ティオ君! 普段はあんなにスパスパといろんな戦術を披露してるのに!」
「……そ、そのぅ、サラは、そういう戦術とか、話術とか、小手先の誤魔化しが全く通用しない人間なので。交渉相手としては、俺の最も苦手とするタイプと言うか……」
ティオは、ガックリと肩を落とし、顔を伏せて、力なくそう漏らした。
普段は、飄々と掴み所がなく、かつ、泰然と穏やかな自信に満ち溢れているティオが……
ここまではっきりと、しょんぼりとした様子を見せるのは、酷く珍しい事だった。
心理的につけいる隙を相手に見せないための防御でもあるのだろうが、感情を表に出す事も少ないティオである。
常に冷静沈着で、理知的で、実年齢以上に大人びている彼が……
この時ばかりは、弱冠十八歳の一人の青年に見えていた。
「……俺は、たぶん、サラには一生勝てないと思います。……」
日頃は、自分より十歳近く年下の彼を、誰よりも頼りにし、尊敬もしているチェレンチーだったが……
この時は、自然と歳上の同性の気持ちになり、フッと笑いかけながら、彼の肩を優しく叩いていた。
「……ティオ君。もし、サラ団長に叱られるような事があったら、その時は……」
「僕も一緒に土下座するよ。潔く一緒に怒られようね。」
「チェレンチーさん! ありがとうございます!」
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☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「サラとの約束」
ティオが「宝石怪盗ジェム」であった事が発覚した際に、ティオはサラといくつかの約束を交わしている。
サラがティオの正体をバラさない代わりに、ティオは傭兵団を戦で勝たせるため、作戦参謀となって全力で補佐をする事。
宝石はもちろん、盗み全般をはじめ、犯罪行為は一切行わない事、など。




