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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第七章 望まぬ不和
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望まぬ不和 #10


「なるほど、二段ベッドの足が折れてしまった、と。そのまま使用するのは危険ですね。……分かりました、早急に対応します。原因は老朽化のようなので、修理するのは難しいでしょう。壊れてしまったものは廃棄して、今夜使用する時までに、新しいベッドと交換しておく事にします。」


 サラは、頬杖をついた格好で、またチラと隣の席のティオを見遣った。

 朝の定例会議は、いつも通りティオの議事進行により滞りなく進み、今日の訓練予定を確認した後、それ以外の雑事の報告に入っていた。

 普段からサラは、特に疑問や不満がなければ、会議の内容に口を出す事はない。

 今日も始まりの挨拶から一言も喋らないままに、つつがなく会議は終わりに近づいていた。


 ティオは、最後に一回り大きく筆を走らせ、作成した書類の最後にサインを書いていた。

 以前、なんと書いているのかと文字の読めないサラが尋ねた所、「ナザール王国傭兵団、作戦参謀、ティオ」と書いているのだと言っていたのを思い出す。

 ティオの落ち着き払った理知的な横顔には、早朝サラが叩いた跡は、もう、何も残っていなかった。



 サラが本気で叩いたのなら、ティオと言えど、口の端や口内を切る事はあっただろう。

 さすがに歯を折る所まではいかないまでも、頰が大きく赤紫色に腫れ上がって顔が変形するぐらいはたやすかった。


 サラが一時間半程前、訓練場でティオを叩いた時、確かに、パアン! と辺りに響き渡るような大きな音が上がった。

 けれど、それは、サラにとっては全力とはとても言えない力で叩いた結果だった。

 そもそも本気でティオに制裁を加えるつもりなら、手の平でなど攻撃していない。

 思わずカッとなりはしたものの、はじめから軽くたしなめる程度で済ますつもりだった。


 しかし、実際は、そんな最初の想定よりももっと……

 小さな力しか、サラは出せなかった。


 それは、ティオを叩く直前、間近で彼の表情を見たからだった。


 ティオは、視線を逸らす事なく、真っ直ぐにサラを見つめていた。

 その独特な緑色の瞳には、サラに対する怒りも、苛立ちも、不満も、何もなかった。

 冷たい程に冴え渡り、波一つなく凪いだ澄んだ湖の水のようだった。


 ティオの運動神経なら、その気になれば、サラが頬を叩く前にいくらでも逃げられただろう。

 また、一見派手に叩かれつつも、さり気なくサラの力を逸らしてダメージを減らすような小細工も出来たに違いない。

 しかし、あの時ティオは、全くそれをしなかった。

 ほんの一欠けらも、逃げるつもりも誤魔化すつもりもないのだと、サラは、あの瞬間見たティオの瞳の静けさに悟った。


 だからこそ、思い切り彼を叩けなかった。

 力を加減しなければ、避ける気のないティオに、想定以上のダメージを与えてしまうと思ったからだった。

 その結果、音だけは大きく鳴ったものの、ティオの頰は腫れ上がる事のない程度に叩かれただけで終わったのだった。


(……最初から、全部分かってたって事だよね。賭博場に行った事を知ったら、私が怒る事も、ひょっとしたら、カッとなって殴ってくるかもしれないって事も。……)


(……それでも、傭兵団の資金を増やすために、敢えて賭博場に行ったって訳ね。フーンだ。……)


 サラは、あの時、ティオの覚悟を、全く揺るがない彼の意思を、はっきりと感じた。

 軽くはあったものの、彼に制裁も加えた。


 それでも、まだ、サラの胸には、すっきりしないモヤのようなものがくすぶり続けていた。


(……はじめから、私に殴られるって分かってるなら……どうせなら、ちゃんと教えてくれればいいじゃないのよ、バカー! なんにも私に話さないで、ボロツとチャッピーだけ連れて行ってさー。フンだ! どうせ私は、こういう時役に立ちませんよーっだ!……)


 未だに、仲間外れにされたような疎外感を覚えていた。

 けれど、サラが最も強く胸を痛めていたのは……

 ティオの心が、今現在自分から遠く離れた場所にあるように感じられる事だった。


 昨晩、サラは、ティオの精神領域において、彼が必死に隠し続けていた「何か」に軽率に触れてしまった。

 あの一件がきっかけとなって、それまでサラに対して開いていたティオの心の扉が固く閉ざされてしまった事を思うと……

 サラの心は、暗く落ち込んでいった。



「では、最後にサラ団長の方から、一言。」

「……」

「……」

「……」

「……サラ団長?……サラ? おい、サラ。」

「……え? な、何よ?」


 ふてくされた表情で机に頬杖をつきボーッとしていたサラは、ティオに呼ばれているのに気づいて、パッと顔を上げた。

 隣のティオに視線を向け、思わずムッと不機嫌そうに返してしまう。

 対照的に、サラに対するティオの対応は、一見いつもと変わらないように見えていた。


「何か言う事はないかって聞いてるんだよ。」

「何かって何よー? 別に、アンタに言いたい事なんて、なーんにもないもんねー! アッカンベーっだ!」

「いや、そうじゃなくって……」


 ティオの困ったような表情に、ようやくサラも、今が、会議の終わりに団長として一言何か言って締める場面だったのだと気づいてハッとなった。

 不審そうな顔でこちらを見ている机を囲む幹部達に、慌てて向き直り、シャキッと背筋を正す。

 口元に手を当て、コホン、と軽く咳をした後、声を張り上げた。


「えっとー……みんな、今日も一日頑張ろうー! 以上ー!」



「サラよう、俺のパン、食べるか?」

「え? いいのー、ボロツー?」

「おうよ! いっぱい食べて、大きくなってくれよな! いや、やっぱり、大きくならなくてもいいから、いっぱい食ってくれ! いやいや、むしろ大きくならないでくれ!」

「何よー? それって、私がチビだって言ってるのー? それとも……胸が小さいって言いたいのー?」

「ええ!? い、いや! 俺は、どんなサラだって、世界一可愛いと思うぜ! 誰よりも魅力的だぜ!」

「そこは、褒めてないで、ちゃんと否定しなさいってばー!」


 傭兵団の兵舎の食堂にて、朝食を食べながら、サラは、隣の席のボロツといつものようにワイワイやっていた。

 ボロツが自分の分のパンをサラに分けてくれたのは、サラの機嫌を取るため……と言うよりも、二日酔いで食べきれなかったらしい。

 サラは、お構いなしにボロツの手から受け取って、モッキュモッキュと元気に食べていた。


「……あ、あのー、サラ団長。もし良かったら、僕の分も食べてもらっていいですか? ちょ、ちょっと、これ以上胃に入りそうになくって。」

「えー、チャッピーもー?……もうー、軟弱だなぁー。しょうがないんだからー。」


 サラの隣の席は、ボロツとティオで、そのティオの隣がチェレンチーの席だったが、淡々と朝食をとっているティオを跨ぐようにして、サラとチェレンチーは会話を交わした。

 ボロツと同じ理由で朝食がろくに食べられない様子のチェレンチーに、サラは唇を尖らせて文句を言っていた割には、パッとパンを受け取ると、モグモグモグモグッと十秒とかからず食べ尽くしていた。


 食堂の前方、傭兵団の全団員を見渡す席で、団長のサラがパンを両手に持ってモクモク食べる姿は、自然と団員達の目に止まった。

 サラはその肉体だけでなく、胃袋もまた強靭で、その気になれば、平気で大人の男の何倍の量もペロリと平らげる大食漢なのだが……

 見た目だけは、小柄で愛らしいまだあどけなさ残る美少女のため、サラが夢中で何かを食べている姿は、リスがせっせと木の実を齧っているかのような小動物感が漂っていた。

 そのため、サラがほっぺたを膨らませてモグモグパンを食べている姿を、団員達は、微笑ましい目で見つめていたのだった。


 ボロツとチェレンチーの行動に気づいたティオが、これは自分も何かサラに食べ物を譲る流れだと思ったのか、声を掛けてきた。


「サラ、俺のパンも食べるか?」


 が、それを聞いたサラは、ギッと、まるで暗殺者のような凶悪な顔つきでティオを睨んでいた。


「はあぁ? なんで私が、ティオにパンなんか貰わなきゃいけないのよー? アンタのパンなんか、食べる訳ないでしょー! フンだ! ティオのバーカ! 大っ嫌いー!」

「……ああ、まあ、要らないならいいんだけどさ。」


 過剰なまでにむくれてプイッとそっぽを向くサラを前に、ティオは特に動揺した様子も見せず、差し出そうとしていたパンを再び自分の皿に戻し、静かに朝食を再開していた。


 しかし、そんな一部始終を見ていた団員達は、(あの二人、何かあったのか?)と不審そうな表情になっていた。

 サラは誰に対しても気さくに接してくる人間だったが、ティオとは、歳が近いせいか、一緒に傭兵団に入ってきた経緯もあってか、特に気のおけない親しい雰囲気である事を、皆が知っていた。

 それが、一転して、サラのこのヒステリックな態度である。

 先程の朝の会議に出ていた幹部達は、既に二人のやりとりを見て何かおかしいと気づいていたが、ここにきて、傭兵団全体にまで、二人の不仲な様子が知れ渡ってしまっていた。



「サラ、特訓の様子を見ようか?」


 ティオがそう言って、笑顔で歩み寄ってきたのは、午前中の訓練も終わりに近づいた頃だった。

 訓練場狭しと広がった傭兵達は、全体での基本的な訓練を終え、各小隊に分かれてそれぞれの戦術を練習している所だった。



 サラは、この時間、大体自分専用の特訓に精を出していた。


 この所、午後になると、いくつかの小隊が合同でより複雑な戦術による動きを練習する事が多く、サラもそれに加わっていた。

 サラは、主に剣部隊のどこかの小隊に入って、天衣無縫の遊撃手として、一騎当千の活躍を見せていた。

 そのため、サラ個人としての特訓に取り組むのは、最近ではこの時間に限られていた。


 サラの周囲を円形に取り囲むように、五人の兵士が剣を構えている。

 その外側から、隙を見て、二人の兵士が弓矢の攻撃を想定した小石を投げつけてきていた。

 サラの特訓の相手をする兵士は、剣部隊から適宜選出され、日替わりで交代となっていた。


 これは、ティオが傭兵団の作戦参謀になった折に、サラ用の特訓として提案した訓練法だった。

 最初は、周りを囲んでいた兵士は二人で、石を投げる役目は一人だったが、サラがみるみる対応していくのに応じて、今はここまで人数が増えていた。

 とは言え、サラの運動神経、反射神経は、常人の域を遥かに超えており、傭兵団の一般兵が相手をするのは、いくら人数が増えた所で限界があった。

 むしろ、人数が増えると、連携が難しくなり、ひょいとサラがかわした場所で、ドカッ、ガツッ、と兵士達の体や剣がぶつかったりと、混線する場面も多かった。


 ティオは、そんなサラの特訓している場に、たまにフラリと現れて、成果を確認するのが常だった。

 作戦参謀となった当初は、傭兵団が訓練場で練習している間は、自ら指揮したり、各小隊を回って注意点を指示したりしていたのだが……

 八つの小隊に分かれ、それぞれの部隊が扱う武器防具に合わせた専門の戦術を練習する、という現在の体制が確立してくると……

 ティオは、資金繰りや物資の調達、情報収拾といった方面に忙しく出歩くようになり、それに比例して、訓練場に居る時間は減っていっていた。


 サラは、そんなティオに、「もっと私の訓練も見に来てよー!」「訓練に付き合ってよー!」といつも要求していた。

 ティオが分刻みで予定をこなす程忙しいのは分かっていたが、ティオ以上の精度でサラに稽古をつけられる人物が居なかったのだ。



 ティオは、今日の午前中は、ずっと傭兵団の訓練に付き添っていた。

 どうやら、結局チェレンチーがダウンしてしまったらしく、普段なら彼に監視を任せられる場面も、自分が出張らなくてはならなくなったようだった。

 そうして、あちこちの部隊を見て回る流れで、サラが特訓している場所にもやって来たのだった。


 しかし……

 いつもはティオがやって来ると、「やったー!」と喜んで「早く相手してー!」と騒ぐサラが……

 今日は、冷たく一瞥した後、フイッとそっぽを向いていた。


「別にー、ティオの助けなんか、要らなーい。」


 サラの訓練に付き合っていた剣部隊の兵士達は、そんなサラとティオの間に流れる気まずい空気を目の当たりにして、顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべていた。


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆The 13th Sage ひとくちメモ☆

「サラの特訓」

あまりにサラの身体能力が特出しているため、毎日の訓練はサラだけ特別メニューとなっている。

同時に複数の敵から攻撃される事を想定し、また弓などの飛び道具にも対応出来るように練られた訓練形態である。

訓練では、弓の代わりに小石を投げる係の者が居る。

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