望まぬ不和 #7
(……ティオ……ボロツとチャッピーも、今頃どこで何してるんだろうー?……)
サラの思考は気がつくと、今傭兵団を留守にしている三人の事に……
いや……ティオの事に、向かっていた。
(……結局、昨日の夜の事、ティオとなんにも話せないまま、出掛けてっちゃったなぁ。……)
今日もティオは、傭兵団において、作戦参謀としての任務を完璧にこなしていた。
団長のサラに対しても、作戦参謀としてきちんと受け答えをしていた。
しかし、本当にただそれだけで、これまでのように、サラに対して気さくに軽口を叩いたり、ふざけてからかってきたりするような事はなかった。
ティオが自分だけに向けていた、気安い友人としてのくだけた表情を、十八歳の青年らしいいたずら好きな明るい笑顔を、いつもこちらを気にかけて心配してくれる優しい眼差しを……
今日は一度も見る事はなかった。
それを思うと、サラは、胸をナイフでえぐられるような痛みを覚え、無意識の内にギュッと、綺麗に整えられているシーツを握りしめていた。
(……今日は、しょうがないよね。用事があったんだもん。……でも、明日は、ちゃんとティオと話そう。……)
(……昨日、勝手な事をした事……もう一度、ティオに謝らなきゃ。……)
(……ティオ……私の事、許してくれる、よね?……)
早くティオに謝って元のように仲良くなりたい、と思う一方で……
今朝、ティオがボロツやチェレンチーと一緒に出掛けると聞いて、サラも一緒に行きたがった時のティオの反応を思い出すと、思わずムムッと口が勝手にへの字になる。
『サラはダメだ。』冷たく言い放った、ティオの声や表情が脳裏に蘇る。
(……何もあんな言い方しなくたっていいじゃんー! ティオのバーカ!……)
(……フンだ! ティオなんか居なくっても、全然平気だもんねー。点呼の確認だってちゃんと出来たしー。そもそも、私、ティオが作戦参謀になる前から、団長やってたんだからねー。……)
サラは、編みあげた後肩に掛かったままだった長い金の三つ編みを、ポイッと背中に向かって跳ね上げ放ると、机の上に置かれていた燭台のロウソクの炎を、フッと息を吐いて消した。
ドッと、体を投げ出すようにベッドに横になる。
(……ティオは、最初はこの部屋に居なかったもんねー。私一人が普通だったんだからー。……だから、ただ元に戻っただけー。あーあー、ティオが居なくってー、部屋が静かで広々してー、気分スッキリー!……)
そう、言い聞かせるように考えながら、目を閉じるサラだったが……
言葉に反して、その夜はなかなか眠れなかった。
□
「ワハハ! ワハハハハハー! ぼ、僕、こんなに気分がいいのは、生まれて初めてですよぅー!」
「おう! 俺様も気分がいいぜ、チャッピー! お前のおかげで、久しぶりに旨い酒が飲めたぜ!……ウィック!……」
「エヘ、エヘヘヘヘヘ! お酒、とっても美味しかったですねぇー!……ヒック!……」
「……ゲフッ!……しかし、お前、見た目通り酒も弱ぇんだなぁ。男なら、こういう時はもっとガツンと飲まねぇとよぅ!」
「す、すみませんー、ボロツ副団長ー! でも、僕、こんなにお酒を飲んだのも、人生で初めてでぇー。あー、美味しかったなぁー!……ヒック!……」
千鳥足、とも呼べないフラフラの状態のチェレンチーを、ボロツとティオが両脇から腕を担いで、なんとか歩かせていた。
ティオとボロツの背が高いせいで、平均的な身長のチェレンチーの足がたまに浮きそうになっていたが。
三人とも、重そうな麻袋を担いだり手に持ったりしている。
合計六個の内、ティオが二つ、ボロツが三つ、チェレンチーが一つ持って歩いていた。
「……二人とも、飲み過ぎですよ。」
三人の中で、ティオだけがいつもと変わらず冷静な状態だった。
いや、本当はかなり呆れ気味で、羽目を外しまくっている二人に、正直困り果てていた。
「ティオぉ! オメェは、なんで飲んでねぇんだ、ああん!?」
「声が大きい!……ちょっと、静かにして下さいよ。誰かが起きてきたらどうするんですか?」
「ボロツ副団長ぉ! ティオ君はぁ、全然お酒を飲んでいませんでしたぁ! 飲む振りをしてぇ、なんか、ヤギのミルクとか飲んでましたぁ!」
「カーッ! マジか、この腰抜け野郎が! こういう時に飲まねぇで、いつ酒を飲むって言うんだよ? ミルクって、お前はガキか? ガキなのか? あ?」
「アハハハハ! アハハハハハ! ティオ君にも、子供っぽい所があるんですねぇー!」
「だ、だから、俺は酒は飲めないって、最初に言ったじゃないですかー。もう、チェレンチーさんまでー。」
ティオは、酒に酔っ払ったテンションでギャーギャー騒がしいボロツとチェレンチーを誘導し、傭兵団の兵舎の訓練場の片隅にある、緑化された休憩所まで連れてきていた。
まだ日は登っておらず辺りは薄暗かったが、わずかに東の空が白み始めている。
とりあえず、傭兵団の団員達が眠っている宿舎から距離のある、この時間帯はまだ人気のない訓練場まで二人を引っ張ってきたものの、約一時間後には、今日も定例の朝の幹部会議が始まる。
それまでに、なんとか二人をシャッキリとした状態にしておかねば体面上マズイとティオは考えていた。
とりあえず、ぐでんぐでんで一人で歩く事も出来ないチェレンチーを、休憩所に生えた緑の下草の上にゴロリと横たえる。
ちょうど柔らかな春の萌え草が絨毯のようになって、チェレンチーは心地良かったのか、麻袋を胸に抱え込んだ状態で体を丸め、親指を口に咥えて、スウスウ寝始めてしまった。
そんなチェレンチーを、バシバシ叩いて起こそうとするボロツ。
「おい! 起きろよ、チャッピー! 飲み直すぞ! 付き合え!」
「ちょ、ちょっとやめて下さい! お酒はもうダメです!ってか、ここに酒はありませんからー!」
「じゃあ、早く持ってこい! まだまだ飲むぞぉ! おらあぁー!」
「だから、ダメですってー! 静かに! もう、早く酔いを覚まして下さいよー。」
ボロツは、飲み慣れているのと体質的なもので、チェレンチーよりはかなりマシだったが、それでも顔どころかスキンヘッドの頭のてっぺんまで真っ赤な状態で、目は完全に座り、吐く息は思い切り酒臭かった。
チェレンチーの寝ているそばの地面に、担いでいた麻袋を降ろすと共にドッカとあぐらをかいて座り込み、口寂しいのか、辺りに生えていた草をむしって口に入れては、「不味い!」と言ってペッと吐き出していた。
酔った二人を城下からこの王城まで連れ帰り、門兵の白い目を笑顔でかわし、なんとかここまで連れてきたティオだったが。
この二人を、後一時間以内に正気にさせなければならないかと思うと、頭が痛かった。
バサッと色あせた紺のマントをめくり、腰のベルトにつけていたたくさんのポーチや袋の中から、薬草の入ったものを取り出す。
「俺、水を汲んできます。頼みますから、大人しくしていて下さいよ。そこを動かないで。」
「傭兵団の誰かに見つかったら、シャレになりませんからね。」
そう言った瞬間、ティオはビクッと体を固くした。
誰かが、渡り廊下を歩いてこちらに真っ直ぐ近づいてくる気配に気づいたからだった。
足音から分かる、その人物の特徴的な体重の軽さ、全く芯のぶれない体重移動、規則正しい歩調……いや、いつもより歩幅は大きく足並みも早かった。
ティオは、気づいた瞬間、それが誰か分かった。
そして、思わず顔を手で覆って、大きなため息を吐き出していた。
その声は、程なく、カツカツと渡り廊下に刻まれる足音と共に、ティオの耳に聞こえてきた。
「そんなとこで何やってるのよ、三人共ー? ティオ、ボロツ、チャッピー?」
「……サラ……」
その声色と足音に、ただならぬ怒気を感じて、ティオは、グルグルと肩に巻きつけているマントの内側に一層首を引っ込めていた。
□
(……なんで、よりにもよってサラがこんな所に?……普段は時間ギリギリまで寝てるってのに。……)
と、ティオは思っていたが……
(……どうしてこんな所に私が居るんだろう?って顔してるわねー、ティオのヤツー!……)
その時同時に、サラはそう思っていた。
(……なんか良く眠れなくって、いつもより早く起きちゃったのよー!……フンだ! 別に、ティオが居なかったせいとかじゃないけどねー!……)
という事実は、恥ずかしのと悔しいのとで、絶対ティオには言わないつもりのサラだった。
□
早朝にハッと目が覚めたサラは、慌ててバッと飛び起きた。
反射的にパッと床に視線を向けるが、部屋の隅に片づけられている布団は、サラが眠った時のままに畳まれた状態だった。
ティオが一度帰ってきて寝た後に布団を片づけて出ていった、という訳ではなく、昨日の夜から一度も触れていない……つまり、この部屋には帰ってきていないというのがすぐに分かった、
(……昨日、全然、精神世界の光景を見なかったなぁ。やっぱり、ティオがそばに居ないと、精神世界に私の「意識」は行けないのかな?……)
サラは、ベッドから起き出して、裸足のまま窓に寄り、鍵を開けて木戸を開いた。
まだ、辺りはほとんど墨色で、わずかに兵舎の屋根の向こうの東の空にうっすらと光の白さを感じるといった所だった。
サラは、そんな暁の光景をぼんやり眺めながら、昨日の夜の事を思い出していた。
ベッドに入って眠りはしたものの、気がかりな事があったためか、いつもよりずっと眠りは浅く、途切れ途切れに気味の悪い夢を見るばかりで、ここ最近のように精神世界にあるティオの精神領域に行く事はなかった。
ティオの精神領域も、パッと見、真っ白な光が満ちている何もない空間が果てなく続いているだけなのだが……
不思議な事に、サラは、あの場所で、「なんにもなくてつまんない!」と思いはしても、虚しさや不安を感じた事は一度もなかった。
ティオの精神領域は、完全な虚無のように見えて、実際は彼の気配が隅々まで満ちている。
精神領域は、精神世界におけるその人間の「体」のようなものらしいので、ティオの気配が満ちているのは、当然と言えば当然なのだが。
サラは、今更ながら、ようやく、あの特殊な空間において、いつも色濃くティオの存在を感じていた事に気づいた。
そして、それは、決してサラにとって不快なものではなかった。
むしろ、ティオが自分のために用意してくれた、木製の素朴な長椅子や北方独特のあたたかな織物が酷く懐かしく感じられる。
あの長椅子の上で大きなひざ掛けを被って寝転ぶと、いつもとても安心した気持ちになった。
大きな優しさに包まれている感覚の元、ふわふわと心地良くなり、気がつくと穏やかに眠りについていた。
(……ティオ、まだ帰ってこないのかな? いつ頃戻ってくるんだろう? ティオの事だから、朝の会議には絶対顔を出すとは思うけどー、この部屋には寄らないつもりなのかな?……)
サラは、ティオの事を考えながら、無意識の内に、寝間着の胸元の薄布の下にあるペンダントの赤い石をギュッと握りしめていた。
(……あれ?……ティオが、近くに居るような気がする。……帰ってきたの、かな?……)
サラは、なぜティオの気配のようなものを感じるのか不思議に思って、しばらく首を傾げていたが……
考えていても仕方ないので、実際に(ティオが居る)と思う方向に行ってみようと決めた。
パパッと着ていた寝間着を脱ぎ、寝相の悪さから毛布がグチャグチャになっているベッドの上に放り出すと、いつもの生成りのシャツとキュロットスカートにオレンジ色のコートという格好に着替える。
ブーツに足をねじ入れ、キュッとコートの胸の前で赤いリボンを結ぶと、さっそくタタッと部屋から駆け出した。
(……うーん、なんか、こっちの方に居るような気がするなぁー。……)
そうして、勘を頼りに、まだ誰も使っていない筈のシンと静まり返った訓練場の近くまでやって着た所で……
見事、ティオとボロツとチェレンチー、三人の姿を発見したという訳だった。
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☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「傭兵団の訓練場」
傭兵団用の兵舎の敷地内にある屋外訓練場。
当初は長い間使われておらず、地面に穴が空いていたり石が転がっていたりと状態が悪かった。
現在は、ティオの指揮の元、平らにならされ細かな砂利がしかれて、良い状態が保たれている。




